悪しき力の正体・5
「魔力以外に何か異常が見つかったのですか」
「ご安心ください。ルナリア様のお身体はとてもお綺麗です。内臓にも損傷は見当たりませんでした」
レナーテは目を細め、ジェレルを安心させるように笑みを浮かべた。
ただちにその意味を理解できなかったジェレルは、何度か素早く瞬きしながら、遠慮がちに口を開く。
「つまり子を成すことができないという噂は根も葉もない、と」
「ええ。古くから伝わる神話のとおり『紅の秘宝』は未婚の乙女に宿るもののようです。ルナリア様は穢れなき乙女であることは間違いありません」
ジェレルは微笑むレナーテを複雑な気持ちで見返した。
(それならば、なぜ海で溺れた? あの男は死んだはず。追いかけられることもなくなったのに、海に入ったということか? なぜ……?)
海で溺れたという噂もでたらめかもしれない。
いずれにしろルナリアがどうやって家族の元へ戻ったのか――調べようにも残された彼女の家族は年下の弟だけだ。もし当時のことを覚えていたとしても、幼かった彼が事件の全容を知っているとは思えない。
(結局、間に合わなかったのだ。目に見える傷はなくとも、彼女の心は壊れてしまった……。絶望が彼女の生きる力を奪い、死の甘美な手招きに抗えず、夜の海に引き込まれてしまったのだ)
ジェレルはおのれを責めた。それで何かが変わるわけではない。だとしても、おのれを責めずにはいられなかった。
(当時の私がもっと大人だったら彼女を助けられたのではないか。もっと早く気がついていれば、あの男に攫われ、監禁されるのを防ぐことができたのでは……? 私が王太子ではなく、トレヴァーだったなら……)
「殿下?」
レナーテの訝るような声で、ジェレルは我に返った。
「私はルナリアを救いたいのです」
「ええ、必ず」
緑の魔女の力強い返事にジェレルは少し笑った。
誰かに説明するにはあまりにも個人的な感情だったせいか、恥ずかしかったのだ。
これが嫉妬か、とジェレルは自覚する。
いつからか、ひりつくような焦燥が身体の奥のほうからジェレルを急き立て、そのたびに自分が別の何かに乗っ取られたのかと疑いたくなった。
だが、そうではない。
ジェレルが知らなかっただけなのだ。嫉妬や執着のように醜いと軽蔑する感情が、確かに自分の中にも存在する、ということを――。
(しかし、不思議だな。それほど厭わしくない。むしろ認めてしまえば、清々しい気分だ)
同時に別の感情が湧き起こる。
(ルナリアを救いたいという気持ちに嘘はないが、私が誰かを救えるなどと思うのは、あまりにもおこがましいのではないか?)
それがいつもブレーキになる。
ジェレルはレナーテに正面から向き合った。
「レナーテ殿、私はこれからノクタリス男爵のところへ向かいます。同行してもらうことは可能ですか」
レナーテが目を見開いた。
「殿下はもう……何もかもご存知なのですか?」
ジェレルは「いいえ」と素直に答えた。
「わからないことがあるので、直接ノクタリス男爵に尋ねようと思います」
「あの男に何を聞くおつもりですか?」
珍しくレナーテが感情をむき出しにして、鋭い視線をジェレルに向けた。
ジェレルは怯むことなく、短く答える。
「キルギード国王から館を贈られた経緯について」
レナーテは「それは……」と何かを言いかけて、やめた。
ジェレルはレナーテから目を離さずに説明を続けた。
「ノクタリス男爵はキルギードに対して多大な貢献をしたと考えられますが、その内容は公になっておらず不明です」
「殿下のおっしゃるとおりです」
急にトーンダウンしたレナーテを、ジェレルは注意深く見守った。
何をどこまで知っているのかを、互いに探り合うような時が流れる。
「レナーテ殿の気が乗らないのであれば、私一人で行きます」
「待ってください。私も参ります」
「よいのですか? ノクタリス男爵とは浅からぬ縁と聞きましたが」
「ユージーンがすべて話したのですね」
「ええ」
レナーテが観念したかのように大きなため息をついた。
「それならばもう、何も知らないふりなど意味のないこと。あの男がキルギード国王に近づいたのは、私が身籠ったかもしれないと気がついた頃です。キルギード国王の娘――当時10代前半でしたが、とても美しい王女であるとの評判でした」
ジェレルは眉根を寄せる。
ノクタリス男爵がレナーテの元を去り、キルギードの王女に近づいたのだとしたら、さぞや人々の興味をそそるゴシップになったことだろう。
しかしレナーテはまるで他人のことを話すように淡々と続けた。
「その王女は数年後に亡くなりました。高い塔から身を投げたとの噂もありましたが、実際のところはわかりません。若く美しい王女が突然亡くなり、キルギードは深い悲しみに包まれました」
「それは、知りませんでした」
「当然です。ちょうどジェレル様がお生まれになった頃ですもの。ウィンスレイドは王子の誕生で歓喜に満ち溢れていました。隣国の不幸は我々には関係のないこと――私もそう感じている一人でした」
ジェレルは小さく頷いた。
「でもそれから1年も経たずに、ノクタリス男爵がキルギード国王から館を賜ったとの噂が私の耳にも届きました。当時は子育てに追われ、深く気に留めることもなかったのですが、それから10年ほど経ち、あの男が養女を迎えたと……」
レナーテがジェレルから視線を外し、伏し目がちになった。長い睫毛が彼女の顔に影を落とす。
歳を重ねてもなお、他を圧倒するような優美な面立ちの女性である。この美貌がゆえに苦悩が大きかったのかもしれない、とジェレルはレナーテを慮った。
「ファンヌ嬢のことですね」
「ええ。ファンヌ様はあの男の娘ではない。では誰の娘でしょうか?」
ジェレルはベッドから足を下ろし、ゆっくりと立ち上がった。
「レナーテ殿、行きましょう。ノクタリス男爵に会うべきだ。はぐらかされたとしても、直接問えばわかることもあるはずです」
暗い表情のレナーテが意を決したように顔を上げる。白いローブに映える黒髪が揺れて、とても美しかった。
黒いフードを目深にかぶったアレシアとウェイロンは、他の客人たちに紛れて広い集会場へ出た。
最奥部に小さなステージがあり、演壇が設けられている。それを中心に扇状に席が並び、ざっと見渡して千人程度は収容できる大きな集会場だ。
すでに半分以上の席が黒いフードをかぶった人々で埋め尽くされている。
二人は全体を見渡せる後部中央の席を確保した。
「どうするの。ここまで来たのはいいけど、わたくしとあなたで何ができるというのかしら」
「そう言われると思って用意してきたものがあるのですよ」
武器商人のウェイロンが腰に提げている小さな革袋から蝋で固めた球体を取り出した。
「蝋燭? これで何をするつもり?」
「まぁ、見ていてください」
ウェイロンはニヤリとして手のひらの上で転がしていた小さな球体をギュッと握りしめた。
ふわりと甘ったるい花の匂いがアレシアの鼻先を掠める。
数秒、まぶたが重くなった。急な眠気を不審に思ったそのときだった。
「ほう。これが秘密の集会場か。位置的にはわが国とキルギードの境界線上あたりだろうな。ずいぶんたくさん集まっているが、全員ウィンスレイドの貴族なのか?」
アレシアの背後から小声の早口が聞こえてきた。聞き覚えのある声にアレシアは目を見開いた。
「魔導士ユー……んぐっ!」
声の主の名前を口にする直前、ウェイロンが慌ててアレシアの口を塞いだ。
「静かに」
「わたくしは静かにしているわよ!」
アレシアはウェイロンの手を払いのけ、肩越しに振り返る。
案の定、真後ろには魔導士ユージーンが立っていた。さすがは魔導士、黒いフード姿が板についている。
「僕がうるさいとでも言いたそうだね」
「声は小さめでお願いしますよ」
ウェイロンはユージーンの肩に軽く手を置いた。その様子を信じがたいという目つきでアレシアが眺めている。
「驚かせてすまないね。ちょいと野暮用を済ませてから来たので遅くなってしまった」
「どういうことなの? 今のが魔術?」
「そう。魔法が使えない武器屋でも扱えるようにした魔術さ」
「この人、今はわたくしの僕ですわ」
アレシアはウェイロンを指差して言った。
それを見てユージーンがニヤニヤする。何か言いたそうにしていたが、急に周囲がシンと静まり返ったので、彼も正面のステージへ視線を移した。
薄暗いステージの奥から集まった人々と同じ黒いフードを着用した女性が出てくるのが見えた。彼女は顔の半分以上を覆う仮面をつけている。
露出しているのは口元だけのようだ。真っ赤な口紅が目立つ。
「あれは……」
「かなりの美人だな」
ウェイロンのつぶやきをユージーンがかぶせ気味に引き取った。
アレシアは目をこらして、ステージ上の女性を観察する。
(たぶん……間違いない。あれはファンヌよ……!)
髪をフードの中に隠し、仮面で顔の半分が見えない。
それでも妖艶な唇の形を強調させる口紅の色に見覚えがあった。
「お集まりの皆様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
貴族ばかりが集められた集会らしく、上品な挨拶で始まった。
「本日もたくさんの高貴な方々がお見えになっています。なんと喜ばしいことでしょう。こうして、同志と呼べる皆さんに直接お目にかかり、皆さんとともに同じ時間を過ごすことが、新たな時代を切り開く力になると確信しています」
「おおおおおーー!!」
アレシア、ウェイロン、ユージーン以外の人々が拳を高く振り上げた。
新たな時代とは邪神復活後の世界を指すのだろうか。
そのイメージを少しも描けないアレシアはわずかに首をかしげた。




