悪しき力の正体・4
「そうじゃない。ジェレル、魔剣が奪われたときのことを覚えているか?」
「妖獣使いの少年が魔剣を浮かせたように見えましたが」
「『フリューダ』という呪文を僕も言わされたことがあるんだ。ノクタリス男爵と初めて会った日だ。見知らぬ老人の死体を目の前にして、5歳の僕は体がガクガク震えるのを止められなかった。小声で何度か『フリューダ』と言ってみたが、何も起きなかった。他の魔法や魔術なら当時5歳の僕でも得意げにやってのけたが、あれだけは僕の知る魔法や魔術とは明らかに違っていた」
5歳のユージーンを想像しながら、彼の背負っているものの一端を見たような気がして、ジェレルの眉間に深い皺が刻まれた。
「だからザスリンとかいうあの少年が『フリューダ』と唱え、それに魔剣が反応したとき、僕は確信したんだ。ザスリンが死霊使いの後継者で、僕の異母弟なのだ、と――」
「あの少年が……」
思い返すとユージーンはザスリンに対していつでも諭すような口調で語りかけていた。聡いユージーンのことだから、ザスリンが異母弟である可能性に早くから気づいていたのかもしれない。
ジェレルは言うべき言葉が見つからなかった。
あっけに取られているジェレルを、ユージーンな憐れむような目で見る。
「まぁ、気にするな。彼らがやっていることは人の道から外れている。ダーラウを死の街に変え、少女たちを攫った。そしてルナリア嬢を生贄にして邪神を完全復活させる気だ」
「そんなことはさせません!」
ジェレルは思わずベッドから飛び起きた。
傷を庇うように動くせいか、上半身の筋肉が軋んだ。遅れて傷の奥から激痛が走る。
「無理するな」
ユージーンは苦笑しながらジェレルの腕に触れた。
「その正義感のせいで、僕に遠慮したり悪いと思ったりしなくていいよ、と言っておきたかったんだ。後になって僕の血筋を知り、思い悩ませることになったら嫌だし」
「師匠、私は……」
「わかっているよ。ジェレルは判断を間違えたりしない。だがその判断を悔やむことがたびたびあるんじゃないか?」
ジェレルは静かに息を吸う。それだけでも上半身が悲鳴を上げるように痛んだ。
その様子を察してか、ユージーンが苦しげな表情を浮かべた。
「僕も緑の魔女も覚悟はできている。僕たちだけ幸せになれると思ったことは一度もない。ノクタリス男爵の息の根を止め、悪しき魔術を代々継いできた彼の血筋はここで断絶させる。それが王家に対する僕たちの恩返しだ」
「だから師匠は恋人を作らないのですか」
「それは……そういうことにしておこう」
「しかし、このままでは緑の魔女の血筋も絶えてしまうのでは?」
「人の記憶を操るのも大概だよ。悪い記憶だけ消せるならいいが、そうじゃない。それに人は記憶でできているんだ。誰かが都合よく書き換えたりしていいものじゃない。僕だってそのうちこの魔術を悪用しないとも限らないからね。なくなって困ることではないさ」
それからユージーンは悪戯っ子のように笑った。
「まぁ、正直に言えば、恋人を作らないのではなく……相手にしてもらえないだけだからな。現実とはそんなものさ」
茶化して言った言葉が本心かどうかはわからないが、ユージーンの覚悟をジェレルは重く受け止めた。
この先ユージーンはどこまでジェレルとともに行ってくれるだろうか。
ジェレルが自らの宿命を放り出すことができないように、ユージーンもまた彼の宿命から逃れることはできない。だがそれらにどう向き合うかは、あくまでも本人の選択に委ねられている。
ジェレルは自らの選択によって生じる結果をすべて受け入れるつもりだ。
死ぬのかもしれないし、自分の元から親しい人が去っていくかもしれない。身も心も痛むだろう。
だとしても、何もせず立ち止まっているわけにはいかない。
人として生きるということは、常に何かを選択することの連続だからである。
考えごとをしていたルナリアは、ふと違和感を感じて左側へ視線を動かした。この木造の館にそぐわない鉄の扉があったのだ。
先導役のザスリンの姉は早足で進んでいるので、ルナリアがスピードダウンしたことに気がついていない。
どうしようか迷った。
ザスリンの姉についていくほうが脱出できる可能性は高い。
だが、樹海の中にひっそりと建てられた木造の館に、見るからに重そうな鉄製の扉が設置されているのを無視することはできなかった。
あの扉の向こうには何かある。ルナリアの本能がそう察知したのだ。
(鍵がかかっているかもしれない。でも気になるわ)
先を急ぐザスリンの姉は通路を曲がり姿が見えなくなった。
だがルナリアがいないとわかれば引き返してくるだろう。
(鍵がかかっていたら、すぐにあきらめよう。ザスリンのお姉さんに迷惑かからないようにしなくては……)
ルナリアは瞬時に鉄の扉に身を寄せ、ドアノブを引いた。しかし、びくともしない。念のため肩をつけて扉自体を押してみたが少しも動く気配がない。
ダメもとで魔剣を扉へ近づけてみる。
(えっ、吸い込まれる……!?)
ルナリアは反射的にギュッと目を閉じた。
強い風に吸引されるようにしてルナリアの体は鉄の扉に激突した――はずだった。
おそるおそる目を開けてみると、ルナリアは薄暗く、色の消えた空間に浮かんでいた。下を向くと、床があるはずの場所には煙が渦を巻いていて地面が見えない。
(扉を通り抜けて中に入れたようだけど、ここはどこなの?)
剣の柄を両手で握りしめた。正直なところ、ジェレルを傷つけた魔剣が憎い。
しかし今のルナリアが縋れるものは、手の内にある魔剣だけだった。
これだけは絶対に手放さず、なんとしてでも持ち帰ると心に決めていた。
(何の役にも立てない私が、ジェレル様のために唯一できることだから)
それがジェレルのもとへ帰るための口実であることは、ルナリアが誰よりもわかっている。
ただ、邪神の近くまで来ているのに、何の探りも入れず、何も知らないままここを出てしまったら、囚われの身になった甲斐がない。
(トレヴァー様はここを「森の館」と呼んでいたけど、どういう施設なのかご存知なのかしら。かなり大きな建物なのに人の気配がほとんどなくて、比較的新しいから、まだ使われていない施設……?)
ルナリアは宙に浮いたまま、あらためて周囲を観察しようとした。
だが、急に全身が強烈な風に包まれ、息ができなくなる。何が起きたのか確かめるにも、目を開けていることが困難だった。
魔剣を握り直し、暴風の中で身を硬くする。
次の瞬間、風はますます荒れ狂い、竜巻のように渦を巻き始め、ルナリアは上がっているのか下がっているのかもわからないまま、意識ごと別の空間へ飛ばされた。
ジェレルはあまりの息苦しさに耐えかねて跳ね起きた。しばらく咳き込んでから呼吸を整える。
この部屋で目を覚ますのは2回目だ。
「大丈夫ですか?」
ベッドの傍らに座っていたのは緑の魔女レナーテだった。
ジェレルが突然咳き込んだので、腰を浮かせて目を丸くしていた。
「レナーテ殿、もしやあなたが……?」
「お身体はどうですか。かなり楽になったでしょう?」
ジェレルは何の躊躇もなく上体を起こし、咳き込んでもどこも痛まないことに驚いていた。レナーテが治癒魔法で回復してくれたのだ。
「まるで時間が巻き戻ったかのようです。どこも痛みません」
「とても心配しました。ユージーンがそばについていながら、大事なお命を危険にさらしてしまったこと、なんとお詫びしたらよいか……」
「ユージーン殿がいてくれたので死なずに助かりました」
「王太子殿下には成し遂げねばならないことがありますでしょう。我々は殿下をお助けするために存在しているのですから、どんな状況でも必ずお守りいたします」
レナーテの言葉に、ジェレルは小さく頷いた。
本来ならジェレルが彼らを守るべき立場なのだが、相手が得体の知れない邪神となるとジェレル一人で太刀打ちできるはずもない。魔導士たちの力添えは必要で、その先頭に立つレナーテの助力が、ジェレルの強力な支えになっていることは間違いなかった。
「今はとにかくルナリアを救出しなくてはなりません」
ジェレルはすぐにでも王宮を飛び出したい衝動を抑えて言った。ルナリアのところへ向かうにしろ、まずは情報を集めなくてはならない。
レナーテがジェレルの顔をじっと見つめてきた。
「そのルナリア様のお身体のことでお話があります」
ジェレルの心臓がドキッと跳ねた。




