第5話 魔力の器
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翌朝。
ルクスは、いつもより早く目を覚ました。
洞窟の中は静かだった。
火の音も聞こえない。
グラウスの足音もない。
ただ、遠くで水が落ちる音だけが、一定の間隔で響いている。
ぽたん。
ぽたん。
ぽたん。
ルクスは毛皮の上から起き上がった。
「グラウス?」
返事はない。
いつもなら、少し離れた場所でグラウスが眠っているはずだった。
けれど、今日は気配がない。
ルクスは立ち上がった。
昨日、人間たちが攻めてきた。
グラウスは全員を追い払ったが、怪我をしているかもしれない。
そう思った瞬間、洞窟の奥から、低い呼吸音が聞こえた。
ゆっくりと、長い呼吸。
その音に合わせて、周囲の魔力が揺れている。
いつもより弱い。
「グラウス、いる?」
「起きたか」
返事があった。
声はいつも通りに聞こえた。
しかし、ルクスには分かった。
声の奥に、わずかな疲れが混じっている。
「どこ?」
「その場から動くな。こちらへ来い」
ルクスは声を頼りに歩いた。
五歩。
十歩。
途中で小さな石に足が触れる。
昨日までなら、そのまま進んでいた。
だが今は、足元に落ちているものの形まで頭の中に浮かんでいた。
丸い石。
その周囲には、冷たい魔力が薄く溜まっている。
ルクスはそれを避けて進んだ。
「そこにある石を避けたな」
グラウスが言った。
「うん」
「魔力を感じたか」
「少しだけ」
「以前より範囲が広がっている」
ルクスは、声のした場所で立ち止まった。
「グラウス、怪我してる?」
「なぜそう思う」
「魔力が弱い」
グラウスは黙った。
それから、低く息を吐いた。
「昨日の人間どもが使った魔法が、翼に少し残っているだけだ」
「痛い?」
「痛いと言えば、お前は心配するのか」
「する」
「なら、痛くない」
ルクスは眉を寄せた。
「嘘」
「なぜ分かる」
「呼吸が変だから」
また、グラウスは黙った。
やがて、巨大な手がルクスの頭に置かれた。
「……よく聞いている」
「弟子だから」
ルクスが答えると、グラウスの指がわずかに動いた。
笑ったのだと思う。
「そうだな。お前は私の弟子だ」
グラウスは、ルクスの前に何かを置いた。
硬い音がする。
石のようだった。
「今日は、自分の中にある魔力を感じ取る」
「僕の中にもあるの?」
「ある。少ないがな」
「少ない?」
「人間の子どもとしては、だ」
グラウスは言った。
「だが、お前の魔力は普通の人間とは違う」
ルクスは置かれた石へ手を伸ばした。
指先に触れた瞬間、冷たい感覚が広がる。
石の中に魔力がある。
しかし、その流れはほとんど動いていない。
「これは何?」
「魔力石だ。周囲の魔力を蓄える石だ」
「僕の魔力を入れるの?」
「まずは、自分の中に何があるかを知れ」
グラウスは、ルクスの胸へ手を当てた。
大きな爪が、胸の中央に触れる。
「ここに意識を集めろ」
ルクスは目を閉じた。
もともと見えない。
それでも、いつもより深く暗闇へ沈むような感覚があった。
「息を吸え」
ルクスは息を吸った。
「吐け」
ゆっくりと吐き出す。
「もう一度」
吸う。
吐く。
胸の奥に、自分の鼓動がある。
どくん。
どくん。
心臓が動いている。
その周囲に、何かが流れている。
今までも感じたことがある流れだった。
けれど、外にある魔力とは少し違う。
体の中を巡り、腕や足へ広がっている。
血とは違う。
熱とも違う。
もっと薄く、柔らかい。
水のようで、水ではない。
「見つけたか」
グラウスが尋ねる。
「うん。胸の中にある」
「それを、腕へ動かせ」
「どうやって?」
「命令しろ」
ルクスは、魔力へ意識を向けた。
腕へ行け。
そう思う。
しかし、魔力は動かなかった。
「動かない」
「力を込めすぎている」
「でも、動かしたい」
「魔力は命令だけでは従わぬ。流れを理解しろ」
ルクスは意識を集中させた。
胸の中の魔力は、一定の流れで巡っている。
無理に動かそうとすれば、流れが乱れる。
流れに沿って、少しだけ方向を変える。
炎を消した時と同じだ。
掴むのではなく、添える。
ルクスは魔力の流れに意識を重ねた。
胸の奥から、細い流れが伸びている。
それは肩を通り、腕へ向かっていた。
ルクスは、その流れへ力を添えた。
ゆっくりと。
ほんの少しだけ。
魔力が腕へ流れ込む。
指先が熱くなった。
「動いた」
「そのまま保て」
グラウスの声が、少し遠くに聞こえた。
ルクスは集中した。
腕の中に魔力が集まる。
指先から、薄い熱が生まれた。
しかし、その瞬間。
胸の奥が強く締めつけられた。
「うっ……」
「止めろ!」
グラウスの声が響いた。
ルクスは魔力の流れを止めようとした。
けれど、一度動き始めた魔力は止まらない。
胸から腕へ。
腕から指先へ。
流れがどんどん強くなる。
体の内側が熱い。
まるで、熱湯が血管の中を流れているようだった。
「ルクス、魔力を戻せ!」
「できない!」
「流れを押さえるな! 道を作れ!」
「どうすればいいの!」
「感じろ! お前の中にある道を!」
ルクスは必死に魔力を感じた。
暴れているわけではない。
魔力は、ただ流れている。
自分が流れ道を知らないだけだ。
胸から腕へ向かった魔力は、指先で行き場を失っている。
だから、さらに力を押し出している。
ルクスは、指先に集まった魔力を外へ逃がそうとした。
けれど、外へ出す方法が分からない。
魔力は指先で渦を巻き、さらに熱くなる。
「グラウス!」
「手を魔力石へつけろ!」
ルクスは手を伸ばした。
指先が石に触れる。
瞬間、体の中の魔力が一気に魔力石へ流れ込んだ。
冷たい。
熱が奪われていく。
腕の痛みが消え、胸の苦しさが薄くなる。
魔力石の中で、何かが砕ける音がした。
ぱきん。
ルクスは、その場に倒れた。
「ルクス!」
グラウスの腕が、地面に落ちる前に受け止める。
全身が重い。
頭がぐらぐらする。
「……失敗した?」
「いや」
グラウスが答えた。
「成功だ」
「でも、倒れた」
「最初から成功するとは思っていなかった」
「じゃあ、成功じゃない」
「魔力を動かし、魔力石へ流し込んだ。十分に成功だ」
グラウスは、砕けた魔力石を拾い上げた。
「ただし、お前の器は小さい」
「器?」
「体の中に魔力を蓄える場所のことだ。お前は魔力の量が少ないのではない。器がまだ幼すぎる」
「大きくできる?」
「鍛えればな」
ルクスは、グラウスの声を聞きながら、ゆっくりと息を整えた。
「僕は、強くなれる?」
「なれる」
グラウスは迷わず答えた。
「だが、強くなるというのは、たくさんの魔力を持つことではない」
「違うの?」
「魔力を無駄なく扱える者は、魔力を持て余す者より強い」
グラウスはルクスを毛皮の上へ寝かせた。
「お前は目が見えぬ。だから、周囲の魔力を正確に読む。その力を磨けば、いずれ強大な魔法使いにも勝てる」
「魔法使いに?」
「ああ」
「グラウスにも?」
グラウスは、しばらく何も言わなかった。
ルクスは、グラウスの魔力がわずかに揺れたのを感じた。
「私に勝ちたいのか?」
「いつか」
「生意気な弟子だ」
グラウスの声には、怒りがなかった。
「ならば、まずは倒れずに魔力を動かせるようになれ」
ルクスは頷いた。
眠気が襲ってくる。
体の中には、まだ熱が残っている。
けれど、その熱は先ほどまでの苦しさとは違った。
小さな火が、胸の奥に灯っている。
それは弱く、頼りない。
今にも消えそうなほど小さい。
それでも、確かにそこにあった。
「グラウス」
「何だ」
「僕の魔力は、どんな形?」
「形?」
「音みたいに聞こえる?」
グラウスは少し考えた。
「お前の魔力は、妙に静かだ」
「静か?」
「ああ。普通の人間の魔力は、もっと騒がしい。火の粉のように散り、水のように揺れる。だがお前の魔力は、深い場所に沈んでいる」
グラウスの指が、ルクスの胸に触れた。
「まるで、底の見えぬ井戸だ」
ルクスはその言葉を聞きながら、眠りに落ちていった。
その日から、魔力の訓練が始まった。
一度に動かす量は、ほんのわずか。
魔力石へ流すのは、一日一回。
疲れたらすぐに休む。
無理に力を引き出さない。
グラウスは厳しかったが、絶対に訓練を急がせなかった。
そしてルクスは、少しずつ理解していった。
魔力とは、強引に使う力ではない。
世界を流れるものに、自分の意思を重ねる力なのだ。
火を燃やす。
水を動かす。
風を生む。
そのすべての奥には、目には見えない流れがある。
それを感じ取り、読み、導く。
ルクスの修行は、そこから始まった。
まだ誰も知らない。
その小さな器が、やがて世界中の魔力を受け止めるほど大きくなることを。




