第9話.ルシアン・ダイオプサイトの衝撃
き、気まずいですわ~ッ!!
今すぐにでも自室に戻りたいのを隠しながらティーカップの中の紅い水面に映る自分を見下ろしております。むむっ、やや「気まずい感」が滲んでおりますわ、淑女失格……
本当に、本当に気まずいですわ。
どうしたらいいんですの?
わたくしが脳内であれやこれや騒いでおりますのは勿論、テーブルを挟んで向かいに座っておられます旦那様の存在故です。こんなにも沈黙に支配されたお茶会、流石のわたくしでも初ですわ。
あぁ、それにしても本当にお美しい。そちらもそちらで隠しきれない気まずさが滲み出ておられる旦那様ですけれど、昼下がりの庭に降り注ぐ陽光に照らされたそのお姿は目映いの一言です。
白金の髪は月から直接紡いだかのような艶と輝き、庭へとそらされた瞳は透輝石の白銀で、長い睫毛が白い頬へ淡い影を落としています。
額から鼻、そして顎から耳へかけての輪郭のなんと完璧なことでしょうか。現代の巨匠が皆挙ってその姿を作品に閉じ込めようとしてもおかしくありません。というかわたくしも旦那様にお会いしてから作中の美男子の描写に影響を受けに受けております。こんなにも美しい人に出会ってしまったのですから仕方がありません。
決めましたわ、気まずさを忘れるために旦那様のご容貌を観察させていただいて次回作に活かすことにいたします。
そうと決まれば、旦那様が目をそらしておられるのを良いことに観察観察、観察ですわ~っ!!
――――――
見られている。
しかもかなりじっくり見られている。
ルシアンはこぼれそうになった溜め息を喉の奥で圧し殺し、どうしてこうなったんだろう、と己の現状を憂いた。
ポールがあんなにも(彼らしく物腰穏やかにとは言え)食い下がるのは珍しいことである。星見の宴のときから、本当に何なのだろうか。
ポールがそこまで言うなら、という気持ちと同時に、本当に何でこうなっているんだろう、という気持ちもいっぱいである。
セシルとは双方合意の上でこの暮らしをしているのだから、今更どうこうというのはいまいちピンと来ない。それに、一度獲得したこの心地好さを手放すのは……考えただけで、キュッと眉根が寄るのを感じる。つまり「いや」ということだ。
致し方なく午後のお茶をセシルと共にしているが共通の話題もなく、お互い相手が何を好きで何を嫌いかも知らないという夫婦としては確かに信じがたい状態なので、かなり重たい沈黙が場を支配している。ルシアンは今すぐにでも自室に帰りたかった。
そんな中でセシルがじーっとルシアンの横顔を見つめてくるのである。
やっぱり今すぐにでも自室に帰りたい。ルシアンは一人でいるときの沈黙は苦にならないがよく知らない誰かといるときの沈黙はめちゃくちゃ苦になる人間だった。ついに耐えかねて「何か言いたいことでもあるのか」と言ったくらいである。
「……? いいえ、特にございませんが……?」
これだけ見つめていたのだからもはや逆に何かあれよと思ったのを押さえ込み、ルシアンはようやく向かいに座るセシルの方を見た。
彼女は、本当に「何故この方は急に話しかけてきたのかしら~」と言いたげなきょとんとした顔をしていた。
柔らかな黄緑の目が不思議そうにルシアンを見ている。一般的に愛らしいと評される容姿だろうがルシアンの心は動かない。もっとも、美しいと評される者を見ても何も変わりはしないのだが。
「……特に?」
「ええ、ございませんわ」
「…………そうか」
(……まさかとは思ったが、この顔は本気で私に興味がない、という顔だな……あれだけ見つめておいて……)
そう感じて、ルシアンは茫漠とした衝撃を受けるなどした。雷が落ちるような衝撃ではないのだが、こう、ふわぁと骨身に沁みてくるような衝撃である。
だがこの衝撃のお陰で、ほんの少し踏み出すやる気が湧いてきた。それが萎む前に、とルシアンは口を開く。
「……今更にはなるが、この場で貴女の真意を問うてもいいか」
「わたくしの真意、ですか?」
セシルはまたしてもきょとんとした顔で小首を傾げる。
「ああ。関わり合いになりたくないという我々の意志を他所に、ポールが貴女と話をしろとほぼ毎日のように言うのだ」
「まぁ、そうでしたの。ポールは優しい方ですものね、気を遣わせてしまいましたかしら……」
「そうかもしれない。だから、貴女の思い次第では、少しくらいは会話のある生活をしてもいいのかもしれないと、そう考えた」
「なるほど、使用人たちに不安を抱かせないために、ということですわね。分かりました、お任せください」
おぉ……とルシアンは心の中で少し仰け反るなどした。なんでこんなにやる気に満ち溢れているんだろうこの人は。
それから、思いの外物静かに穏やかな会話のできる相手だな、とも感じた。これなら何とか、ポールにとやかく言われない程度には日常会話ができるかもしれない。
「……私が言おうとしたのがそもそもの発端なのかもしれないが、貴女の『愛するつもりはない』というのは、どこまでのものなのだろうか」
なので、面倒や不安を感じはしたが、率直に問うてみることにした。
セシルの橄欖石の瞳がゆるゆると見開かれる。まさか、こうも直截に訊かれるとは思いもしていなかったのかもしれない。
鮮やかな黄緑が左右に揺れ、それからセシルはおずおずと唇を開いた。
「……その、どこまで正直にお答えしたら良いものか……」
「罰したりはしないから、素直に思うところを言ってみてくれ」
「はい、ええと……」
ルシアンは内心「そんなに言い淀むなんて何を言うつもりなんだろう」とやや不安に思ったが顔には出さなかった。
「……わたくしは、旦那様がそうした、所謂白い結婚をお望みなら異存はないと、そういう気持ちでおります。わたくし自身、お求めがなければこうした生活は大歓迎でございますので……」
そう言ってから、セシルは少し迷う素振りを見せて「……あのときは」と続ける。
「あのときは、その……反骨精神と言いましょうか……『愛するつもりはない』と言われることに気づいた以上、素直にそれを受け止める義理はないのではないかしらと……申し訳ありません、今思えばお言葉を遮って失礼なことを……」
白い頬が淡く赤くなって、彼女は恥じ入るように目を伏せた。
(……え??)
今度こそ、ルシアンは雷が落ちるような衝撃を受けた。衝撃的すぎて口からも「え??」と声が出そうになり、慌てて唇を固く引き結ぶ。
「……私に、そう言われることに気づいたから先んじて同じことを言ったと、そういうことか?」
「ええ……まぁ……はい、左様でございます、申し訳ありませんわ」
「そ、うか……」
そんなことあるか普通、とルシアンは内心頭を抱えた。やはり自分はとんでもない女を妻に迎えたのかもしれない。
「……分かった、元はと言えば私が礼を失したことを貴女に言おうとしたのが悪いのだ。率直に答えてくれたことに感謝する」
だが、とんでもない女であるが故に、今まで自分が出会い、苦しめられてきた女たちとは違うかもしれないと思えてきた。
ポールの声が脳裏に蘇る。セシルと、もっと言葉を交わすべき――そうした方がいいかもしれないと、考えが変わり始めていた。
「それで、貴女に提案なのだが……」
嫌でなければと前置きして、ルシアンは思い立ったことを告げた。
セシルは目を丸くして、それからふわりと柔らかく微笑んだ。
「ええ、分かりました。旦那様のお望みであればそのように」
その声は穏やかで、今までルシアンの耳を刺してきた姦しい声とはかなり違っていたのだった。




