第8話.アデールとポールの祈願
星見の宴は無事終わり、問題なく乗り越えることができてわたくしは一安心です。
宴の最中、これ見よがしに囁かれた「なんであんな女が」「あのお方の隣には相応しくないわ」といった陰口の数々は今度の物語で主人公が言われる悪口にそのまま転用させていただきますわ~! 便利ですこと~!!
けれど「氷の心の男に引きこもり女か、お似合いだな」は許しませんわよ。顔も覚えました。わたくしのことは何と仰っても構いませんが、旦那様を侮辱するのは駄目です。
そもそも、あんなにもお美しい方にこのわたくしが「お似合い」なわけがありませんでしょう?! まったく失礼なことです!!
ただ、一安心とは言っても星見の宴はその年の社交シーズン開始の合図でもありますので、ここからが本番。わたくしはこれからシーズンの終わりまでダイオプサイト侯爵夫人として頑張らねばならないのです。
高位貴族の悲しき宿命っ……執筆に当てる時間が足りませんわ……!
作中に登場する夜会やお茶会の参考資料の取材に、ということにして乗り越えるしか道はありません。頑張るのよ、セシル、まだ見ぬ資料のために……!!
星見の宴で収集した情報を書き留めたメモの山を前にそう張り切っておりましたら、アデールが人の訪いを告げました。何かと思えばポールです。
「ご機嫌よう、ポール。いつものように旦那様から伝言かしら?」
「良い午後にございます、奥様。いえ、本日はこちらを」
差し出されたのはシンプルな封筒でした。白一色に見えますが箔押しで上品な模様が描かれており、送り主のセンスの良さが窺えます。
「これは……旦那様から?」
「ええ、奥様さえよろしければ午後のお茶をご一緒に如何かと」
「あら……何か直接お話しされたいことでもあるのかしら……?」
そう呟けばポールとアデールが何だか少し苦いものを噛んだかのようなお顔をします。あらあら、何かしら?
それはそれとして、旦那様がお求めであれば参じるのが妻の役目。仮面夫婦とは言え役目はきちんと果たすつもりです。
「分かりました。お返事は手紙にしたためた方がよろしくて?」
「いえ、お言葉がいただければ十分でございます」
「それでは、お伝えくださいな」
「はい、承りました」
部屋を辞していくポールを見送り、旦那様の意図を考えながら立ち上がります。
「アデール、支度を」
「はい、お任せください!」
「本当に、何のお話かしら……」
「何にせよ仲を深められる良い機会ですよ、奥様。頑張ってくださいませ」
「えぇ……? まあ、アデールがそう言うなら頑張りますけれど……」
アデールはわたくしに旦那様と仲良くなってほしいのかしら……一体何故……?
「……アデール?」
「はい、奥様」
「……わたくしが、旦那様と親しくなったら、あなたは嬉しいの?」
「奥様……」
背中のボタンを留めるアデールの手が束の間止まります。やがて、またいつも通りてきぱきと支度を進め始めたアデールは「そうと言えばそうですし、違うと言えば違います」とよく分からないことを言いました。
「私が望むのは奥様の幸せ。ですから、奥様が本当に侯爵様と関わりを持ちたくないと仰るのならそれでも構わないのです」
「……?」
「ですが、もし、侯爵様の人となりが社交界の噂と違って、私の大事な奥様をもっと幸せにしてくださる素敵な方なのであれば、嬉しいことだと思うのです」
「アデール……」
「折角ご結婚なさったんですもの。確かに今も平穏で、奥様は趣味に没頭できて楽しいかもしれませんが、それ以上にお幸せになる未来だって有り得るはずですよ」
鏡越しに、アデールはにっこりと笑って見せました。それからまた、敏腕侍女の顔に戻って仕事を再開しました。腰のリボンをキュッと締められながら、アデールの言葉を頭の中で反芻します。
幸せな、結婚生活。物語の中に描かれるような、愛し愛される夫婦の姿。アデールは、わたくしにもそんな未来があるかもしれないと、そう言うのです。
……いまいち、想像が付きませんわ。
――――――
セシルと午後のお茶の時間を過ごしてみてはどうかとポールから提案されて、ルシアンは無言のままキュッと険しく眉根を寄せた。
「そんなお顔をなさってはいけません。旦那様はもう少し、奥様のことを知ろうとなさっても良いと思います」
「必要性を感じない」
「お二人は共にお暮らしになっているご夫婦なのですよ。ご両親のことを思い出してください、仲睦まじいというのは幸福なことです」
「……彼女も望んでいないはずだ」
「奥様の真意は分かりません。旦那様も、きちんとお話しをしてそのお気持ちを確かめたわけではないでしょう」
「だが……」
何とか嫌なことから逃れようと頑張ったルシアンであったが、歴戦の執事であるポールに口で勝てるわけがない。
「少しずつで構いません。奥様の素敵なところを見つけてください。そうしていく間にきっと、旦那様の素敵なところも奥様に伝わってゆくはずですから」
ポールの青い目に切々と見つめられ、ルシアンは一生懸命険しい顔をしたが、結局渋々頷いてレターセットを手に取ったのだった。
悩みながら筆を動かすルシアンを眺め、ポールは静かな表情で微かに頷いた。
(今は分からなくても構いません。私は、いえ、我々使用人は皆、貴方に幸せになってほしいのです、旦那様)
ダイオプサイト邸の使用人たちは皆、無口ながら良い主人であるルシアンを敬い、彼に仕える己を誇らしく思っている。
ポールのように先代の頃から仕える者はそこに加えて「あの坊っちゃんがこんなに立派に」という親心まであるのだ。それは幸せになってもらいたいと思っても仕方がないだろう。
そして、長い苦労の期間を超えてようやく彼が妻にと決めた女性が、使用人にとって優しく、良い女主人であったため、ルシアンが共に歩んでいくのは彼女がいいと皆考えている。
(案外お似合いのお二人だと思いますが……まだ先は長いかもしれませんね)
渋々、といった様子を隠しもせずに書き終えた手紙をこちらに差し出すルシアンに、ポールは漏れそうになった苦笑を呑み込んで「行って参ります」と頷いたのだった。




