第7話.セシル・ダイオプサイトの覚悟
まさか旦那様がかのジュスタン・ペツォッタイト様のご友人でいらしたなんて衝撃の事実ですわ~!!
ジュスタン・ペツォッタイト様と言えば、かの有名な『湖畔の午睡』を始めとする数々の人物画で知られる画家です。
わたくしは『青い髪飾りの貴婦人』が好きですわ。ああ、でも『騎士』も『星を見る人』も好きで……とにもかくにも、ペツォッタイト様の描かれる美男美女の絵が本当に好きなんですの……!!
定期的に私費で開かれる展覧会はいつも大盛況で、わたくしも幾度か行ったことがございますが……貴族が多く訪れるので、半ば社交の場と化しており、絵にゆっくり集中できないので次第に足が遠のいてしまいました。残念でしたわ。
そんなペツォッタイト様が旦那様とご友人関係にあったとは……あら、もしかして『木漏れ日』や『夕暮れのヴァード川』等、ペツォッタイト様の多くの絵に描かれている白金の髪の男性はもしや……!
分かりますわ、ペツォッタイト様。わたくしも旦那様に出会ってから筆が止まりませんもの。今宵も旦那様の正装が麗しすぎて今すぐにでも屋敷に戻り、この溢れる思いを物語にぶつけたくて仕方がありませんから。
ああっ、ここが公の場でなければ、そして旦那様がおそばにいなければ、わたくしいったいどうなっていたか分かりませんわっ!
今も必死に興奮を鎮め、何とか平静を装っておりますの。本当は今すぐにでもペツォッタイト様に「ファンですわっ」と握手を求めたい気持ちでいっぱいです。
もしもわたくしが作家を本業とする身であったのなら、大金を積むことになっても彼にわたくしの物語の登場人物の絵を描いていただきたいほどですの……!
はひはひとはしたなく鼻息を荒くしてしまいそうなので、ベランジェール様のお顔を思い出して淑女の体裁を保っております。
そんなことをしたら穏やかなお顔で「セシル様は子犬でいらしたのかしら?」なんて言われてしましますもの。きゃあ~っ、想像するだけで怖いですわぁ~!!
ふぅ、そろそろ落ち着かなくては。
それにしても、旦那様は勿論のことペツォッタイト様も大変見目麗しいお方で、視界がこの上なく幸せですわ。
あの甘やかな桃色の瞳がペツォッタイト家の色彩なのでしょう。北部国境守護の要であるペツォッタイト辺境伯家の方、ということで鮮やかな筆致に似合わぬ厳めしい様子を想像しておりましたけれど、優しげな垂れ目といい、良く動く表情といい、華やかで素敵ですわ~!
そんな甘さのある華やぎを持つペツォッタイト様と、氷から削り出したように怜悧で硬質な美貌の旦那様が並ぶと……ああっ、この光景をこそ、描いていただけないものかと思ってしまいます!
しかもお二人は本当に親しげにお言葉を交わしておられ、その内にペツォッタイト様が旦那様の肩に腕を回して、何やら小声でお話をされているではありませんの。
ふふふ、何者も寄せ付けない、といったご様子の旦那様ですが、ダイオプサイト邸の使用人たちからの人望然り、本当の旦那様はこういった親しいご友人ができるような良いお方、素敵なお心の持ち主でいらっしゃるのでしょうね。
そんなお方がわたくしの望む白い結婚を同じように望んでいらっしゃって、しかもその生活の維持に協力的だなんて、わたくしには過ぎた幸運なのではとすら思えてきます。ありがたいことですわ。
一人静かにこの身の幸運に感謝していると、旦那様から離れたペツォッタイト様がこちらをくるりと振り返り「なぁ、夫人」と悲しそうな顔で口を開かれました。
「こいつは本当に鈍いから自分に降ってきた幸運が分からないような男なんだが、夫人は結婚してから寂しい思いはしていないか? 何かあったら遠慮せず俺に手紙を書いてくれよ、こいつのためにもすぐ行くからな」
わたくしを案じてくださるようなお言葉を憧れの画家から賜るなんて……と感動に内心打ち震えましたが、すぐにこれは遠回しに旦那様を慮ったお言葉なのではないかと気付き、背筋を正しました。
そうですわよね、ペツォッタイト様は旦那様のご友人ですもの。つまり今のお言葉の意味するところは「自分の大事な友人に不幸な結婚生活を強いてはいるまいな?」という威嚇込みの問い掛けなのですわ!
もしや、小声でお話をされている間に旦那様が何かわたくしに関するご不満でも漏らされたのでしょうか……っ、どうしましょう、白い結婚の相手として不適格だと判断されて離縁されてしまったら……!!
そうなるわけにはいきません。いいでしょう、ひとまずペツォッタイト様にご安心いただかなくては。不肖セシル、双方穏やかな白い結婚を維持していくためのこの身の覚悟を示させていただきますわ!!
「ありがたいお言葉ですわ。ですがご安心くださいませ。旦那様のお心遣いのお陰でわたくしは日々心穏やかに過ごさせていただいておりますの。わたくしも、旦那様が平穏にお暮しになれるよう、微力ながらお支えしていく所存ですわ」
そう、わたくしは決して、旦那様の平穏を邪魔いたしませんわ~っ!!
お互い望んだ白い結婚。その維持にはいくらでも協力を惜しみません。ですので旦那様、ご不満があるのであれば、ポール伝いでも構いませんからぜひわたくしにおっしゃってくださいな。この生活のため、ささやかながら全力を以てお支えしていく所存ですわ!
わたくしの覚悟をお聞きになったペツォッタイト様は、しばし目を丸くして驚いたご様子でいらっしゃいましたが、やがて苦笑して「そうか、なら安心だな」と旦那様の肩を叩かれました。
旦那様の方は、わたくしの決意表明を正しくご理解してくださったようで、何とも言えない表情で「余計なことを言うな、ジュスタン」と首を振っておられます。
あらあらまあまあ! これがペツォッタイト様の言う「鈍いから自分に降ってきた幸運が分からない」ところなのでは? 旦那様、ペツォッタイト様があなた様を大事に思っておられるからこそのお言葉なんですのよ~!! ほらっ、そこはかとなく苦笑の色が変わりましたもの!! 気づいて差し上げて~!!
「じゃあな、今日は二人とも忙しいだろうが、協力して頑張れよ」
「はぁ……ああ、また会おう、ジュスタン」
「激励に感謝いたしますわ」
わたくしたちを遠巻きに見つめている人々が焦れてきていることに気づかれたらしいペツォッタイト様が手を振って去っていくのを見送り、ああ素敵な時間だった、と満足感を覚えたわたくしなのでした。
――――――
ジュスタン・ペツォッタイトはひらひらと手を振ってその場を離れながら「そっかぁ~そっちかぁ~!!」と内心頭を抱えていた。
友人が穏やかそうな女性と縁を結び、折角結婚したというのに、名前すら呼び慣れないほどの真っ白な結婚生活を送っていると知ってしまったため、頑なな女性嫌いの友を一旦横に置いて夫人側に「不満はないのか」と問いかけたのだが……
「ありがたいお言葉ですわ。ですがご安心くださいませ。旦那様のお心遣いのお陰でわたくしは日々心穏やかに過ごさせていただいておりますの。わたくしも、旦那様が平穏にお暮しになれるよう、微力ながらお支えしていく所存ですわ」
夫人は何やらキリッとして、ふんすっと得意げな顔でこう答えてくれた。
ジュスタンは「あ、これ絶対違う意味に伝わってるやつだな」と思った。これは流石にそのまま口に出すようなことはしなかったが、ちょっとあんまりにもあれだったのでルシアンの肩を叩くなどした。
白い結婚の事実を隠すにしても、一片の寂しさすら滲ませず、むしろなんか信じられないほどの満足感を見せつけてくるとは思わないではないか。
それでジュスタンは「あ~っ、この夫人もそっち側かぁ~!!」と気付かされるなどしたのであった。無念である。
人物画を得意とするジュスタンは、絵のモデルを長時間見つめ続けるが故に、いつからか人の感情の機微に敏くなった。だからこそ声色も表情も信じられないほど僅かな変化しかしないルシアンと何の気後れもせず友人関係を続けていられる。
なので、セシルに対して自分が伝えたかった言葉そのままの「この鈍くて表情筋がカッチカチな男と白い結婚をしていて辛くないか、困っていることはないか」という心配が全然伝わらなかったことがよく分かってしまった。彼女は表情がちゃんと動くので余計に分かってしまったのだ。
(まさか白い結婚歓迎同士がくっつくとはなぁ~!! ルシアンに先んじて夫人がしたっていう「愛することはない」の宣言にも何らか事情がありそうだが……)
美しい夜空の星々を見上げ、いい季節だし星空を背景にした絵を一枚描くかぁと考えつつ、ジュスタンは「用事ないけど今度ルシアンのところに遊びに行こ」と決心して頷いたのだった。




