第6話.ジュスタン・ペツォッタイトの憤懣
星見の宴は盛大だ。王家が主催する儀式にして夜会。その年の社交シーズン開始の合図でもある。日取りは王宮の天文台に所属する気象官たちの意見を元に国王が決定し、王宮の星見の庭園に多くの貴族が集まるのだ。
それすなわち、美男美女を観察する絶好の機会であるということ。
ジュスタン・ペツォッタイトは「はぁ~、眼福眼福」と感嘆の溜め息を漏らしながら行き交う人々を眺めていた。彼を知る者たちの反応は、苦笑したり、しゃんとすまして見せたり、逆に見られたくなさそうに足早に去っていったりと様々だ。
「お、あれは」
彼の視界に、今夜最も注目されていると言っても過言ではない夫婦の姿が映った。
白金の髪に怜悧な白銀の瞳を持つ長身の青年と、茶色の髪に柔らかな黄緑の瞳を持つ乙女――この春に結婚したばかりの、ダイオプサイト侯爵夫妻である。
ジュスタンは「うひょお」とあまり上品ではない声で自身の感動を表現した。ダイオプサイト侯爵は彼が人生で見てきた人間の中でも三本の指に入る美人である。中性的で怜悧な美貌と、しなやかに鍛えられている長身。全てのバランスが最高であり、いくら見ても飽きない。
その隣に立つダイオプサイト侯爵夫人もなかなかだ。彼女は「ペリドット家の引きこもり令嬢」という渾名がつくほど社交界に姿を現さなかった、ある意味幻の存在である。
いったいどんな女性だろうかと楽しみにしていたのだ……可憐で愛らしく、氷のような硬質な美貌のダイオプサイト侯爵の隣にいると、何とも目を和ませると言うか、夫とは真逆の温かみのある春の花のような美しさで大変良い。
遠目からじっくり夫妻を観察したジュスタンは、人混みを掻き分けて二人の方へ近づいていった。遠くから見たら今度は近くから見なければ。
若きダイオプサイト侯爵と話したそうな男たちを退け、嫉妬でぎらぎらしている女性たちの間を優しくすり抜けて、甘い桃色の目を輝かせたジュスタンは二人の元に辿り着いた。侯爵の白銀の目が彼を正面から捉える。誰に対しても冷淡な白銀が――ふっと柔らかく細められた。
「――久しいな、ジュスタン」
「確かに久しぶりだな、ルシアン!」
彼らは、仲の良い友人であった。
――――――
王立学園は非常に厳格な校風で知られている。
将来王国を支える身となる貴族令息を育成する場であるが故のその厳格さは、規律に不馴れな低位貴族の子供が泣いて逃げ出すこともあるほどだ。
入学した少年たちは、礼儀作法、法律、各種学問、王国の年間行事、剣術等、様々なことを学びながら青年へと育ち、卒業後は王国を支える立派な貴族になるのだ。
ジュスタン・ペツォッタイトはそんな厳格な学園で、非常に手の掛かる問題児として名を馳せていた。
彼は、王国北部の国境守護を担うペツォッタイト辺境伯の次男であり、当時すでに学園を卒業した兄が後継者に決まっていた。
なので彼は日々をそれはもう自由にのびのびと生きていたのである。
ジュスタンの関心は全て美しいものに注がれており、彼は目にした美しいものを描き残すことに夢中だった。そして、幸運なことにそれを叶える天賦の才を持ち合わせていたのである。
彼はいつも画材を抱え、学園内を歩き回っていた。美しいものに出会えば、授業時間など知らぬとばかりにどっしり腰を落ち着けてそれを描き続ける問題児である。
そんな彼が入学してすぐに目を奪われたものの一つ――一人が、ダイオプサイト侯爵家嫡男ルシアン・ダイオプサイトである。
ジュスタンがルシアンに出会ったのは、入学式の次の日。
昼休みの閑散とした裏庭で、一人、かぽーんとしていたルシアンを、美しいものを探してうろうろしていたジュスタンが発見したのが始まりである。
木漏れ日の下、淡く輝く白金の髪。人の身に発現したことが奇跡としか言い様のない白銀の瞳。荒れ一つない白磁の肌も相まって、世界で一番の人形職人が作り出した傑作かと思わされた。
「描かせてくれ!!!!」
「は??」
この後、学園卒業後も長く交遊関係を続かせることとなる二人の、記念すべき初会話がこれであった。
幸いにして、繊細そうな面立ちと社交界での女性に対する態度の評判に反して、ルシアンは友好的な同性に対してはコミュニケーションに難などなく、初めはジュスタンの勢いに押されがちだったものの、今までに出会ったことがない系統の人間であったジュスタンとの交流を確かに歓迎してくれた。
じっとしているのが苦ではなかったルシアンは、ジュスタンが自分の絵を描いている間大人しく本を読んだりしていてくれたし、口下手で出不精な自覚のある自分に積極的に声をかけ、あちこちへ連れ回そうとしてくれる彼のことをありがたいと思っていた。
ちなみに、初めて会った日に何故あんなところで一人かぽーんとしていたのかとジュスタンが訊いたところ、ルシアンは
「女と言う生き物のいない場所の静けさに衝撃を受けていた」
と、身も蓋もないというか何というか、そんなことを答えた。
そのときのこと含め、彼の女性嫌いをよくよく知っているジュスタンは、彼の結婚を素直に喜んでいるのだった。
――――――
天下のジュスタン・ペツォッタイトの登場で、ダイオプサイト侯爵夫妻の周囲に集まっていた人々は一旦渋々と言った様子で離れていく。
この、一見して陽気な芸術家の機嫌を損ねるとどうなるのかは、彼が社交界デビューしてから多くの貴族が知らしめられることとなったので、ジュスタンが特定の誰かに近づいた場合はしばらく放置、が現在の社交界の鉄則となっているのだ。
「いやぁ、相も変わらずお前は美しいなぁ!」
「お前もお前で、変わらないな」
白銀の瞳をほんのりと柔らかくして、ルシアンは微笑んだ――と言っても見慣れている者にしか“そう”と判断できないごく僅かな表情変化なのだが。
それに満足してにっこり笑ったジュスタンは、彼の隣で橄欖石の瞳をキラキラさせている女性へ視線を移した。
「お初にお目にかかる、ダイオプサイト侯爵夫人。俺はペツォッタイト辺境伯の次男ジュスタン。ルシアンの友人だ。もしこいつのことで何か困ったら俺に相談するといいぜ!」
人々の警戒を解く天性の笑顔でそう言えば、ダイオプサイト侯爵夫人は「ご丁寧にありがとうございます」と微笑した後でちらと横のルシアンを見上げる。
どの程度夫の友人と言葉を交わしていいものか、夫の反応を窺っているように見えるが肝心の夫がその視線に気づいていない。ルシアンってこういうとこあるよなぁ~っ! とジュスタンは内心苦笑した。
「すまない、こちらから紹介するべきところを。妻、の……セシルだ」
何だその間は、とジュスタンは思ったしその直後にそのまま「何だその間は!」と口に出した。明らかに妻の名を言い慣れていない様子で言い淀んだばかりのルシアンがほんのちょっぴりキュッと唇を噛む。これは話題が都合の悪い流れになった時の彼の無意識の癖である。ジュスタンは嫌な予感を覚えてルシアンの肩を引き寄せた。
「言い淀んだな?? どうした??」
「いや、別に何もない。まだ『妻』と言い慣れていないだけだ」
「ほぉ~ん??」
「やめろ変な顔で覗き込むな、別に何もない!」
「……お前、もしやとは思うが白い結婚になっていないだろうな」
「…………」
ジュスタンが小声で囁いたことに、白銀の双眸がきょろ、と左へ泳ぐ。図星の時のそれである。ジュスタンはおい本気かお前、と思ったしその直後にそのまま「おい本気かお前」と口に出した。
いや、懸念してはいたのだ。同性の友人の結婚のことなのに勝手に。ルシアンの女性嫌いは筋金入りである。社交界で「ダイオプサイト侯爵ついに婚約か」と噂になる前に式まで内々に済まされた素早い結婚だったので、交際期間を設けていないだろうなぁ双方大丈夫かなぁ、と心配していたのだ。
だから、歩くとき以外は一定の距離感を保ち、新婚っぽい空気感もなく、名前すら呼び慣れない様子の友の姿に、これはもしやと問うたのだが……そうかそうか、とその場で首を振る。
二人が小声でしているやりとりが聞こえていないらしい夫人――セシルはきょとんとして夫とその友人がくっついているのを見つめている。無理に話に入ろうとしない配慮、適切な距離感を保つ気遣いと待つ間黙って微笑んでいる物静かな優しさ。
女性関係で長く苦労したルシアンのために天が遣わしたかのような得難い女性ではないか。こんな美しくて素敵な人をお前よくも、とジュスタンは思ったしその直後にそのまま「こんな美しくて素敵な人をお前よくも」と口に出した。
「お、お前には関係ないだろう……!」
「何を言う。俺はお前の子の肖像画を描くのが夢なんだぞ」
「な、な……!」
「お前の子だぞ、さぞや美しいだろう。夫人も美しいしな!」
「き、気持ち悪いぞジュスタン……!!」
「美を愛でて何が悪い!!」
ちなみに、ジュスタンがルシアンに気持ち悪い呼ばわりされるのは毎度のことと言っても過言ではない。前回は通りすがりの女性を見て「なぁ、あのご婦人、耳の形が凄く綺麗だなぁ、近くで見せてくれないだろうか」「やめろ」「ほら、耳輪のあの優美な曲線。耳珠の大きさも耳垂の大きさも完璧じゃないか! やっぱり見せてもらおうっ!」「気持ち悪いぞジュスタン!!」というやり取りであった。
「それに夫人が可哀想だ」
「別に……むしろ彼女も今の状態を望んでいる」
「はぁ??」
「私のことを愛するつもりはないと、先んじて言ってきたのだぞ」
「それは……む? お前“先んじて”って言ったか?」
「…………言ってない」
「言ったよなこの阿呆。お前、それ自分も言おうとしてたんじゃないか!」
「け、結果としては私が言われた側だ!」
「馬鹿! お前の結婚を祝った友が不憫だと思わないのか?」
「不純な動機だろうが」
「何にせよお前は夫人に酷いことを強いている!」
憤懣やるかたなし、といった風情でジュスタンは言った。ルシアンはぐっと苦いものを噛んだような顔をして顔をそらす。
ルシアンを愛することはないと宣言したらしいセシルの内心はジュスタンには分からない。だが、今彼らのそばで大人しく会話が終わるのを待っている彼女は悪い女には見えないし、ルシアンの残念なところをよく知っているが故に彼にはどうしてもルシアンが圧倒的に悪いように感じてしまうのだった。




