第4話.ポール・ブルートパーズの葛藤
ポール・ブルートパーズはダイオプサイト侯爵に仕える執事である。
前ダイオプサイト侯爵の若かりし頃からこの家に忠誠を誓っており、今は現ダイオプサイト侯爵――ポールにとっては「坊ちゃん」と呼んで成長を見守ってきたルシアンを主として日々、職務を全うしている身だ。
ルシアンは幼少期からそれはもう美しい男児で、そのせいで女性関係において散々な目に遭い、齢十五を数える頃にはすっかり完璧な女嫌いに育ってしまった。
次期ダイオプサイト侯爵として、良い条件の相手と婚約を結ぶところまでは容易なのだが、その後の「婚約者なのだから手紙のやり取りや交流を~……」という段階で女嫌いの本領を発揮してしまい婚約者に「貴方の御心は氷でできているのだわ!!」と泣かれ、後日凄く気まずそうに相手の親から「相性が良くないみたいなのでやっぱりこの婚約は、なしということで……」と婚約解消を申し出られる、という流れをルシアンは何と七回繰り返した。
その度にポールは「坊ちゃん、相手が“女性”であるからといって、全員があなたの出会ってきた女性たちと同じではないのですよ」と諭してきた。そう言われるとルシアンは表情変化が分かりづらいながらも悲しげな顔をして「……すまない」と俯いてしまう。
恐らくは彼も、ポールの説く“事実”には気づいているのだ。その上で尚、今までの理不尽に傷つけられた記憶が“女性”を拒んでしまうのだろう。それを彼自身も悪いと思っていて、こんな悲しそうな顔をするのだ。それが分かっているから、ポールは四回目からは何も言わないことにした。
こうして七回の婚約解消が行われる頃には、ルシアンは王立学園の最上級生になっており「冷徹で冷淡な男」「酷い女嫌い」と散々に陰口を叩かれるようになり、令嬢たちが怯えるからか流石に良い縁談も巡ってきにくくなってしまった。
前ダイオプサイト侯爵夫妻、つまりルシアンの両親はこの辺りで「しょうがない、一旦婚約者探しは休憩だ!」「一度お休みしましょうね、ルシアン」ときっぱり婚約者探しを止めた。次期侯爵に婚約者がいないのはまずいが、大事な一人息子が心を病むことの方がもっとまずいという夫妻の合意の上での決定である。
そのまま時は流れ、ルシアンが無事成人した二年後、つまり彼が二十歳になった段階で夫妻は彼に家督を譲り、二人仲睦まじく南の島に所有している別荘へ移っていった。こうして彼は若きダイオプサイト侯爵となったわけであるが、こうなると妻がいないというのは段々都合が悪くなってくる。
ダイオプサイト侯爵家は古くから続く名門故、分家も多い。それはまだ年若いルシアンに何くれとなく“アドバイス”を吹き込みに来る親切な――お節介で口煩い親戚も多いということだ。本家当主なのだからと簡単に全てを跳ねられるわけではない。
この頃には“氷雪”という彼の内面を知れば不似合いと言わざるを得ない二つ名がついていたルシアンであっても、口煩い親戚の奥方たちには太刀打ちできなかった。
彼女たちは、本家当主の妻の座に自分たちの娘なり孫なりをつけてやりたくて必死だったので強かった。女は打算的な生き物であり、その性質を発揮するとき無敵になりがちである。
このような無敵奥方集団からの連日の親切から逃れるため、ルシアンはここで初めて自らの意志で結婚相手を探し始めた。
ポールも執事としてそれを全力で支えたが、やはり“氷雪の侯爵”という評判は手強く、崩し難い壁として彼らの前に立ち塞がった。
家柄の釣り合う貴族たちからは、如何な名門侯爵家とは言え愛娘を心まで凍った男に差し出すのは、と首を横に振られ、逆に低位貴族たちからは異様な熱気と共にぷりぷりきゃいきゃいした年若い娘を熱く推されたりして、ルシアンは表情こそ変えないものの「死にそう」という疲労感たっぷりの日々を過ごすことになった。
そんな折ポールは、ペリドット伯爵家が婚約者がいない長女――「ペリドット家の引きこもり令嬢」と呼ばれる娘の結婚相手を探しているという話を小耳に挟んだ。
セシル・ペリドット伯爵令嬢は、なんとデビュタント以来公的な社交の場に一度も姿を現していないのだと言う。それどころか、伯爵令嬢らしく他家の令嬢と交流を持つことすらせず、屋敷の外に出ているかすら疑わしいという有様。
巷では「とんでもない醜女なのでは」とか「外に出せないほどの常識知らずなのでは」とか、とにかく散々な言われようであり、ポールはそこに自分の仕える主と同じ世間の勝手な評価を見た。
何せ、ポールは一度だけセシル・ペリドットに会ったことがあるのだ。
彼女は覚えていない様子だが、ポールが彼女を見かけたのは彼女のデビュタントの時のことである。まあ、それはそうだ。なにせ彼女はそれ以降公の場に姿を現していないのだから。
その日はわけあって、侯爵家からの重要書類を王宮に早急に届けねばならず、しかし本来それを持って登城するべきルシアンがどうしても手が離せない仕事をしていたため、代理でポールが王宮へ足を運んでいた。
本来は許されないのだが、幸いにして提出先にポールの旧知の仲が在職しており、何とか融通を利かせることができたのだ。
ほっと安堵しながら帰路につくべく馬車へ向かっていたポールは、進行方向にこの場にいるはずのない可憐に着飾った少女を見つけた。この辺りは王宮の中でも政務官や書記官が忙しなく行き来しているだけで、華やかな装いをした貴族令嬢が立ち入るような場所ではない。
はて、と内心首を傾げる。温かみのあるブラウンの髪を結い上げた後ろ姿、その身に纏っているのは濃墨のドレスだ。つまりは伯爵令嬢ということになるが……遠くを行き交う書記官を眺めて「やっぱり資料は生が一番ですわぁ~!」と小さなメモ片手に小躍りしている様子は、正直あまり伯爵令嬢らしくはなかった。
「――失礼、レディ、何かお困りではありませんか?」
「きゃ、わたくしったら、人が見ているだなんて思いもしませんでしたわ……! ごめんなさい、デビュタントのご挨拶の帰りなのですが両親とはぐれてしまって」
声をかけたポールに肩を揺らして振り返った少女は、まだどこか幼さを残した愛らしい顔立ちをしていた。
印象的だったのは、芽吹いたばかりの若葉のような柔らかな萌黄色の瞳――この特徴的な色合いでポールは彼女がペリドット家の令嬢だろうと推測した――が物凄く泳いでいたこと。犯行現場を押さえられた強盗でもこれほど泳ぐまいと言えそうなほど泳いでいた。
慌てた様子でメモをビャッと背後に隠していたが、一体ここで何をメモすることがあったというのだろう。
「左様でしたか。それは心細い思いをされたでしょう。お一人では不安もありましょうから、もしお許しいただけるようでしたらご両親をご一緒にお探ししても?……おっと失礼、申し遅れました。私はダイオプサイト侯爵家の執事、ポール・ブルートパーズと申します」
セシルはぱちくりと目を瞬いて、それから「ありがたいお申し出、感謝いたしますわ。わたくしはセシル・ペリドット、ペリドット伯爵家の長女ですわ」と淑やかに淑女の礼をしてみせたのだった。
その後ペリドット伯爵夫妻はすぐに見つかり、彼女も、そしてポールも無事それぞれの帰路についたわけであるが……そういった理由から、ポールはセシルがとんでもない醜女でもなく、外に出せないほどの常識知らずでもないと知っている。
なので彼はルシアンにペリドット伯爵家へ縁談の打診を、とすすめたのだ。これを逃すと他にはもうとんでもない年上か年下、家柄の釣り合わないものしかいない、とも言い添えた。
それで、ポールが言うなら、とルシアンは苦虫を噛み潰したような顔で(正直言えば結婚したくない人なので仕方がない)レターセットを手に取ったのだ。
すでに「行き遅れ」と言えてしまう十九歳、加えて社交界で散々な評判の令嬢となれば良縁は望めないと言っても過言ではない。そんなところへ名門侯爵家から縁談を持ちかけられたペリドット伯爵はどんな気持ちだったのだろう。
こちらもこちらでドの付く「女嫌い」と、勝手な人々からの評価でなかなか良縁を望めなかった身であるから、ポールはルシアンに「何としてもこの縁談を逃してはなりませんよ旦那様」と言い含めた。
そして、縁談はとんとん拍子に進み、さしたる交流の場も、交際期間も設けず、手紙のやり取りすらしないまま、婚姻を結ぶことになったのである。
これで一安心、落ち着いた印象のあったセシルであればきっと旦那様の内面も理解してくれるはず――と、ポールは彼に似合わぬ楽観的且つ希望的観測をしていた。多分、大事な旦那様の待ちに待った結婚に浮かれていたのだと思う。
だが、結婚後最初の夜が明けた明朝――ルシアンは自分の寝室からぼんやりした顔で出てきた。妻の寝室で夜を共にしなかったのだと悟ったポールは雷に打たれたような心地のまま「おはようございます、旦那様」と震える声で朝の挨拶を済ませる。
「おはよう、ポール……聞いてくれ、私はとんでもない女を妻に迎えてしまったかもしれない」
ぼやぼやしたルシアンから昨夜の顛末を聞いて、ポールはその場に倒れそうになった。熟練の執事でなければこの場で「どうしてそうなった!!!!」と叫んでいるところだった。
少し待って咳払いしたポールは、流石に初日から打ち解けるのは難しかったかもしれない、と思い直し「朝食の席でまたお話しをされてみては」とにこやかに提案したのだが、それにルシアンが頷く前にセシル付きの侍女アデールがやって来て衝撃の伝言を告げていったのである。
「奥様は、旦那様のお求めの無い限り食事は自室で摂ることをご希望です。それから特別なご用事が無ければ、お部屋にもいらっしゃらないでほしい、と申されております」
ポールは今度こそ倒れるかと思った。百戦錬磨の執事でなければ「どうしてそうなった!!!!」と叫ぶところであった。
しかもルシアンがその伝言にちょっとホッとした顔をしていたので、その肩を揺さぶって「旦那様、安堵してはいけません!!」と言いたい気持ちでいっぱいだった。
ポールの苦悩をよそに、若きダイオプサイト侯爵夫妻の真っ白な新婚生活が始まってしまった。本当に、本当に真っ白だった。何せ、初夜以降二人は直接の会話を一切していないほどなのだから!!
伝言に伺う時、たまに会うことのできるセシルはあの日の礼儀正しく大人しそうな女性のままである。何をどうしたら「旦那様を愛することはない」なんて言い出すのかと考えて、これまで幾多の面倒事、問題を解決してきた敏腕執事の彼は「多分旦那様が先に同じことを言おうとしたんだろう」ということに思い当たって自室で静かに頭を抱えた。ルシアン・ダイオプサイトという男はそういう人間である。坊ちゃん時代からそうであった。
ああ旦那様、奥様一体どうして、と途方に暮れていたポールだったが、ある日セシルの侍女アデールに廊下で声をかけられる。彼女の目は何だかギラギラしていて、これはどうしたことだろうと疑問に思った次の瞬間。
「単刀直入にお訊きします――旦那様と奥様の現状、どうにかしたくありませんか」
ギラギラした目で自分を見据えるアデールに、葛藤したポールが結局頷いたのはやはりルシアンへの親愛の情故であった。




