第18話.セシル・ダイオプサイトの進展
わたくしが恥ずかしくも盛大に泣いてしまいましたあの後、旦那様は「休憩が必要だろう」と仰ってお茶会をお開きにされました。
あの場でわたくしの中にはっきりと形を結んだ感情が、今も胸の中に残っております。
泣き腫らした目をしたわたくしをアデールは大慌てで迎えましたが、一言「わたくしは旦那様を大切にしたい」と告げると無言になり、やがてとても柔らかな声で「そうしましょう、奥様」と頷いてくれました。
夫婦だから、とか今更めいた理由ではなく、わたくしに向けて誠実であろうとしてくださるあの方へ、わたくしも誠実であろうと思う、そんな決意です。
ご自分を悪と決めつけて、それに傷つきながらも己が傷ついているとは気づいていない。だから旦那様は「優しい」と言われただけで不思議そうになさったのでしょう。
歪な自己評価、その根底にあるのは恐らく、旦那様が生来お持ちの優しさです。
お優しいから、女性を嫌うようになっても近づかないようにするだけで女性を責めはしない。
お優しいから、自分が悪いのだと全てを呑み込んで幸せを諦めておられる。
そんな方の優しさの一端に触れたからこそ、わたくしは旦那様を大切にしたいのです。もう傷つかなくて済むように、わたくしの手の届く範囲はお助けをしたいのです。
これは恋ではありませんが、わたくしなりの親愛の情と言えましょう。
「アデール、旦那様にお伝えしてほしいことがあるの」
わたくしの言葉を聞いたアデールは、深く頷いて「お伝えして参ります」と部屋を出ていきました。
――――――
茶会をお開きにした後、ルシアンは自室でぼんやりと窓の外を眺めていた。
橄欖石の双眸からほろりと溢れた涙が眼裏に焼きついて消えない。
彼女は、あんなふうに泣く女性なのだなぁとしみじみ思った。
泣く女は嫌いだったはずなのに、セシルのそれには何の拒否感も湧かなかったし、それどころか「慰めなくては」と不馴れながら手巾を取り出したほど。そんな自分に驚く。
セシルは涙混じりに言っていた――「旦那様は何も悪くありません。わたくしに謝っては駄目です」と。
対人コミュニケーションに疎い彼でも、彼女の涙の理由が、ルシアンが不当に扱われ、それを自分のせいだと思っていることへの怒りだと分かった。
自分のために泣いてくれる女性が存在するとは思っても見なかった。
(……私は、不当に扱われたと、もっと怒っても良かったのだろうか)
諦めるのではなく、自分を大切に思ってくれる人を探してみても良かったのだろうか。
(……いや、それはもう、見つかったのかもしれない)
ジュスタンが書いて寄越した返信を取り出して読み直す。
――お前は得難いものを得たんだからな!――
読んだときはいまいちピンと来なかった一文が心の中で形を結ぶ。
確かに、セシルという女性は、ルシアンの今までを鑑みても、大変に得難い存在であると、今ならきちんと理解できる。
(彼女は、もう落ち着いただろうか……)
隣室のセシルに思いを馳せる。様子を見に行きたいような、そんなもどかしい気持ちが心を引っ掻いて、ルシアンはギュッと眉根を寄せた。
(そう言えばまだ親善パーティーの話をしていなかった……明日にでも伝えねば)
この秋の半ば、隣国から外交団が訪れることになっている。オブシディアの社交シーズンは初夏からだが、隣国は初秋からの開始だ。
その始まりにオブシディアへ大々的に訪れるのは友好関係の継続の確認と、彼らの重要輸出品である鉄鉱石に関わる議論をするため。
隣国は今年の凶作が示唆されており、オブシディアの穀類の輸入と引き換えになるべく安価で鉄鉱石を売る、ということなのだ。
鉄鉱石――つまり鉄は武器の原料。友好関係の続いている国にしか売りたくない品だ。
オブシディアから見て北に位置する隣国は、その西側に長年国境問題の続いている国があり、凶作で自国が弱るのを見せたくないのだろう。
長年、双方友好な関係を維持し続けているオブシディアと、できればこれを機に経済関係の同盟を結べたらと考えているのだろうとオブシディアの外交関係者は推測している。
外交団を率いるのは若年ながら才媛と名高い第一王女だそうだ。
そんな中、ルシアンはダイオプサイト侯爵としてその他高位貴族たちと共に親善パーティーに参加することが決まっている。
ダイオプサイト侯爵家は外交に携わっているわけではないが、領内にかなり広大な穀倉地帯を有するが故に今回の協議にはある程度関わる形になった。
ルシアンが参加するということは妻であるセシルも自動的に参加が決まる。妻帯者が公的な場に臨む場合は妻を同伴するのはどこの国でも一般的な慣習だ。
友好的な国交ではあるが、それはそれとして国同士みすぼらしいところは見せられない。参加する者たちは挙って衣装を新調し、合わせて宝飾品を用意していることだろう。
(今回は余裕をもって発注を行わねば……)
前回の星見の宴でギリギリの発注をしてしまって職人たちから凄まじい目で見られたことを思い返して震える。とても怖かった。
(明日、時間を見つけて彼女に伝えよう。それから予定を調整して仕立て人を呼んで――)
そんなふうに考えた直後、扉がノックされポールの「失礼いたします」という声がした。
「奥様から伝言をお預かりいたしました」
「伝言?」
「はい――『旦那様がよろしければ今後は食事をご一緒にいかがですか?』とのことです」
「食事を」
「旦那様は奥様のことをお知りになりたいのでしょう? 食事の場は良い機会でございますよ」
「……そうか」
ルシアンはこっくりと頷いて、了承の旨を伝えるようにとポールを送り出したのだった。




