第16話.セシル・ダイオプサイトの煩悶
あぁどうしましょう、旦那様が何故か最近とても積極的でいらっしゃいます。
先日は涼しい四阿で原稿を進めていたところを見つかり、読んでみたいと言われてしまって泣く泣く差し出してしまいました。
しかも、しかも旦那様は信じられないくらい褒めてくださって……淡く微笑んですらおられました。美しいっ……けれどっ、わたくしはっ、爆発してしまいそうですわっ……!!
それからと言うもの、わたくしが何か書き物をしていればちょこちょこと近づいていらっしゃって「今日も書いているのか」「この間の続きか」と隣で、お眺めになるのです……!!
わたくしがダイオプサイト邸の書庫を借りて調べものをしていればまたしてもちょこちょこと現れて「足りない本は無いか」「欲しいものがあれば遠慮無く言ってくれ」と、淡く微笑んで去っていかれます。
あぁ、旦那様、ルシアン様! 何故、何故急にわたくしにそんなご興味を……?!
ようやく懐いた猫ちゃんのよう……けれど、けれど困りますのっ……今度はわたくしの方が慣れない猫ちゃんになってしまう……!!
わたくしが目で助けを求めてもアデールは良い笑顔でニコッとしてみせるだけですし、他の使用人たちも何故だかキラキラしておられます。誰かわたくしを助けて……! 何故そんな嬉しそうにしているの……!!
しかし、旦那様が近くをうろうろしているこんな状況でもわたくしの筆は止まりません。溢れ出る物語を綴らねばならないという使命感のような気持ちがあるのです。
それに、わたくしは一度とて締切に遅れたことがないので……不敗記録を途切れさせたくはないのです……何となく……
実はこれを書き上げたら読みたい本がありまして、早く書き終えてしまいたいという思いもあります。隣国の王女殿下がお書きになられた超人気シリーズの最新の巻ですの。
この『宝石令嬢の謎解きシリーズ』は「宝石令嬢」と呼ばれる主人公のエリザベートが、王国内で起こる宝石にまつわる事件を溢れんばかりの才知で解決していく爽快謎解き小説ですのよ。
第一巻である『エメラルドの秘密』を翻訳版で読んだ際にあまりにも面白すぎて、隣国で出版済みの二巻と三巻をお父様にねだって買っていただいたのが昨日のことのよう。
それ以来隣国の出版状況をこまめに確認し、出版され次第買っております。翻訳を待つことができません、隣国から運ばれてくるのを待つのすらもどかしい。それほどに面白いのです……!
今回は我々ファン待望の第八巻『スファレライトの軌跡』。毎度ファンの予想を遥かに上回る展開を届けてくださいます作者様ですから、楽しみで仕方がありません。
ちなみに、宝石の名を家名に戴くオブシディアの貴族としてのわたくしの楽しみは第五巻で叶いましてよ……ふふふ、そう、五巻は『ペリドットの嘆息』でしたの……ふふふふふふ。
いつかダイオプサイトがタイトルになる日が来るかしら……ふふふ、結婚したお陰でこの楽しみが二回も……ふふふふ、旦那様に感謝ですわ。
……ううぅ~っ、旦那様のことを考えないために別のことを考えていたのにぃぃ……!!
わたくしの馬鹿ッ、わたくしの馬鹿ッ!!
本当に、旦那様はいったいどうしてしまわれたのでしょうか。
次のお茶会の予定は三日後です。今回は「何故愛することはない、と仰ろうとしたのか」をお訊ねしようと思っていたのですが……「何故最近わたくしにご興味を……??」に変えた方が良いかもしれません。
い、いえ、それを面と向かってお訊きするのはあまりにも……あまりにもでございますわ……
「……貴女は字がとても綺麗だな」
「ひょえ、あ、ありがとうございます……?」
いやーーーッ! 物静かなのをいいことに必死で意識をそらしていたのにッ!!
そう、まさに今も旦那様がわたくしの隣でわたくしの作業を眺めておられるのです。
今日は曇り空で気温が上がらなかったので暖かいサンルームで執筆作業をしておりました。
資料を何冊かと、大量の原稿用紙、そしてインク瓶とお気に入りのペン。アデールの手を借りていつもの作業環境を整え、主人公に迫る危機を書き始め筆が乗ってきたところで……
「今日も続きを書くのか。丁度私も仕事が一段落したのだ、見ていても構わないだろうか」
近くに控えていたアデールは旦那様がそんなことを仰りながら現れた途端シュッと姿を消し(しかも「逃げてはいけませんよ、奥様」と圧のある笑顔で言い残して!!)わたくしは旦那様と二人きりになってしまいました……
「貴女の邪魔はしない。静かにしているのは得意だ」
「左様で……」
「あのジュスタンのお墨付きだからな。奴が絵を描く間、散々じっとしていたものだ」
「~~っ、ごほん、左様でございますか」
あぁっ、そのお話を詳しくお聞かせいただけませんか旦那様っ!! ペツォッタイト様とどんなふうに友情を深めたのか、あのお方がどんなお顔をなさって絵を描かれるのか……あっ、湧いて参ります、参りますわっ!! メ、メモを取りたいのに旦那様の目がっ……!!
資料を置くために向かいの椅子を隣に引っ張ってきておいたのがわたくしに牙を剥きました。お掛けになる旦那様のために元の位置へ戻さなきゃと資料をどかしたら……もうその直後には、すちゃっとお掛けになられていてッ……!!
「すまない、手を煩わせた」
「イッ、いいえっ、とんでもないことでございますわ……」
「そうか、ありがとう」
そんなわけで、わたくしは他人に眺められながら執筆を進めるという拷問を受けているわけでございます。酷いですわ、作家に対してあんまりな所業でございます。
隣にとんでもなくお美しい方が実在しておりますと、紙の上にわたくしが書き連ねる形容が途端に陳腐なものに感じられてきます。
主人公の危機を救いに飛び込んできた騎士。旦那様とは全然系統の違うその精悍な横顔を描き出そうとするのですが、隣にいらっしゃる方が気になりすぎて……登場人物の顔を頭の中できちんと思い浮かべられません。
黒髪、黒髪ですわよ、わたくし。その白金は一旦忘れるのです。
頬に切り傷を作りながらも「お迎えに上がりました」と微笑んで見せる騎士に、己が抱いていた気持ちが彼への恋だと自覚する主人公。わたくし自身はまだ経験したことのない、胸がきゅっと詰まるような、そんな感情を書きながら「実際はどんな気持ちになるのかしら」と考えました。
いけません、旦那様から意識をそらしたいがために余計なことを考えてしまいます。
もうわたくしは旦那様に嫁いだ身。しかも健やかで穏やかな理想の白い結婚生活を手にした身でございます。恋だなんて、今後する予定もするつもりもありませんわ。
それにしても、旦那様は本当にお静かにじっとしておられますわね……得意、というのは本当だったようです。けれど時々原稿用紙でなくわたくしを見たりなさるので、いないものとして扱うのはどう足掻いても無理ですわ。
そんなことを思いながら動く筆先で、騎士に抱き上げられた主人公が「恋は望んでするものだと思っていたけれど、こんなふうに落ちるものなのね」と呟きました。
ふっと現実に引き戻されるような心地になって筆を止め、しばらく俯いたものの沈黙に耐えかねてしまい、原稿用紙を見つめたまま「旦那様、お訊きしたいことがあるのですが」と言います。
「何だろうか」
「……旦那様が、近頃こうしてわたくしのところへいらっしゃって、作業をご覧になられるのは何故でしょうか」
きっと見ていても退屈なものだと思うのです、と続ければ、旦那様は考え込むように短く息を吐かれました。
「……貴女のことを知らねばならないと、そう思ったのだ」
「……左様で、ございますか」
「それは……恐らく……私が、貴女に対して誠実でありたいと思ったからだ」
「え……」
思わず顔を上げて隣の旦那様を見れば、白銀の双眸が真摯な光を宿してわたくしを見つめていました。思わず緊張してぎゅっと喉が詰まります。
「だから、貴女がどんなものを好み、何を思って日々を過ごしているのか、知りたくなった」
「旦那、様」
「それに、貴女が物を書いているのを見ているのは退屈ではない。むしろ、好ましい時間だ」
「びぇっ」
い、いけません、あまりの衝撃で変な声が。
「勿論、貴女が嫌だと思うならやめよう。だが構わないと言ってくれるのなら、こうして見ていたいと思う……どうだろうか」
お顔の体操が必要だと常々思っていた旦那様ですが、どうやら必要ないようです。
「――……はっ!!」
旦那様の微笑みの柔らかさと美しさに意識が刈り取られ、気づいたときには自室におりました。恐ろしいことですわ……
「ア、アデール、わたくし逃げ帰ってきたのかしら……?」
「いいえ? きちんと十分なお時間を旦那様とお過ごしになられたようですよ」
「……ひゃぁ」
わ、わたくし、あの後旦那様に何と答えたのかしら?!
びゃあびゃあのたうち回るわたくしを、アデールは何だか嬉しそうな目で見守ってくれていました。どうして……
わたくしの愛すべき白い結婚生活は一体どうなってしまうのでしょう……!!




