第14話.ジュスタン・ペツォッタイトの爆笑
ルシアンは真っ暗になった寝室でベッドに横たわり、ぼんやりと天井を見つめていた。
(……私が、優しい?)
彼の心の中は午後からずーっとこれである。セシルとお茶の時間を過ごして、そこで彼女から言われたことが信じ難く、何度も自問しているのであった。
(…………私が、優しい?)
ルシアンは己が冷淡と言われる人間であることを理解している。そして、自分でも“そう”だと思っている。
だから、セシルが苦笑しながら「旦那様こそ誠実で、そしてお優しい方だと思います」と言ったときとんでもない衝撃を受けて、頭がまともに働かなくなってしまったのだ。
セシルは何か思い違いをしているに違いない、と眉間に皺を寄せる。だが、彼女について何か決めつけるのはいけない気もした。
(…………)
考えて、ルシアンはペンをとった。広げた手紙にさらりと流麗な文字を綴る。
宛名は、ジュスタン・ペツォッタイト。
ルシアンが色々訳が分からなくなってしまったときに頼る、唯一の友であった。
――――――
――翌日。
「だーっはっはっはっ、あははっ、ひーッ、はっはっはっ!!」
ジュスタン・ペツォッタイトは豪奢な絨毯を敷き詰めた床に転がって爆笑していた。
ここは彼が生家から独立して暮らしている、王都の東区にあるこじんまりとした屋敷。いくら絵の具をばらまいても叱られないアトリエ付き、男一人暮らしには十分な広さだ。
そんな屋敷の居間で、ジュスタンは床に転がって息も絶え絶えになって笑っていた。
その手には一枚の手紙。友であるルシアン・ダイオプサイトからの手紙であった。
手紙の内容は、要約するとこうだ――『妻のセシルが私のことを優しいと言う。彼女はどこか受け取り方が変わっているのではないか』――ジュスタンを爆笑させるには十分である。
「あはははっ、ひーッ、あっはっはっはっ、げほっ、オェッ、っ、あはははっ!!」
笑いすぎてえずいている。惨事である。
セシルを変だ、と言い切ることもできず、しかし自分が優しいとは到底納得できず、何かもうよく分かんないからジュスタンに訊いてみよう、というルシアンの葛藤がありありと読み取れた。
ルシアン・ダイオプサイトとはこういう男なのだ。世間は奴を冷淡で酷薄、心が凍りついた氷の侯爵、と呼ぶがジュスタンに言わせれば、自己評価を世間からのそれに合わせてしまうほど自分の感情の機微に疎いぼんやりした男、である。
他人の感情にはある程度察しが付くところがまた面白い。まあ、幼少期に彼を苦しめた女性関係のあれそれの後遺症、と思うと笑えないのだが。
それ故に時々他者との交流で、世間が下した己の評価と対面した個人が下した評価とでギャップが発生し、よく分からなくなってしまうとジュスタンに「これは本当か」「これは変ではないか」と訊ねてくるのだ。
「あっはっはっ、あはは、はー、はー……久しぶりに笑ったぜ……」
ジュスタンは笑いすぎて浮かんでいた涙を適当に手の甲で拭い、深く息を吐いた。
ふかふかした絨毯の上でころころしながら、ジュスタンは今一度手紙を眺める。何故あの男はこんなにも自己評価を世間のそれと合わせてしまっているのだろうか。
だがそれだけではジュスタン・ペツォッタイトをここまで笑わせるには至らない。今回彼を転げ回らせたのは、ルシアンを「よく分かんなくなっちゃった」にした相手が妻のセシルである、という事実だ。
(あの夫人がなぁ……)
星見の宴で会ったセシルのことを思い返す。
あの、現状に文句はないとキリッとして(それこそマナーのしっかりしている淑女でなかったら親指を立ててグッとしていそうな顔で)いた女性である。
大人しい雰囲気なのに何と初日からルシアンに先んじて「貴方を愛するつもりはない」と言い放ち、しかしルシアンが希望すれば考えを擦り合わせるための茶会にも参加する。
あまりにも誤解されやすい(されやすいどころではない)ルシアンの真の性格をほぼ見抜き、それをルシアン自身に真っ直ぐ伝え、感謝すら述べる誠実さ。
いやはや、こちらも一風、いや三風くらい変わった淑女ではないか。
今までルシアンのそばにいた女性たちとは訳が違う。地位と権力、富と名声に老若男女が群がる貴族社会において、セシルという人の気質のなんと得難いことか。
持って生まれた美貌と地位のために散々苦しめられてきたルシアンへのご褒美なのではないかと思える花嫁だ。あくまで、ジュスタンの主観ではあるけれど。
仕方ない、よく分かんなくなっちゃった親友のために手紙を書いてやるか、とジュスタンは身を起こした。
――――――
ルシアンは届いた手紙を睨んでいた。
怒りを覚えているのではなく、疑問が止まないので眉間をギュッとしているのである。こんな険しい顔をして尚、その美貌は美しかった。流石である。
(……「夫人は慧眼だな、絶対絶対大事にしろよ!」……????)
慧眼。つまりセシルが言う「旦那様はお優しい方だと思います」が、多くの人は見抜けないがその実正しいことなのだ、という意味になる。
ルシアンは変なものを嗅いだ猫のような絶妙な表情でジュスタンからの返信を今一度丁寧に読み直した。
「夫人は慧眼だな、絶対絶対大事にしろよ!」
「罷り間違っても離縁なんかするなよ!!」
「お前は得難いものを得たんだからな!」
何度読んでも「セシルの言っていることはおかしくないし正しい」という旨が書いてある。ルシアンは眉根を寄せて「得難いもの」の意味を考えることにした。
確かにセシルはルシアンが望んだ「自分の邪魔をせず、煩くなく、不必要に踏み込んでこない女性」である。
幾度か時間を共にして、それが恐らくは彼女の標準なのだろうということも分かっている。何せ一人でいるときも静かにしている女性だ。
夫人付きにした使用人たちは、その職務を全うしながらも、嫁いできた女性がどんな人物であるかを具に観察している。
それとなく訊ねても文句の一つも出ない。むしろ満足げですらある。つまりはそういうことだ。特権階級の人間は己に仕える者への態度にこそ素が滲む。
そろそろセシルに家政の幾らかを任せてもいい頃合いなのかもしれない。そうしても良いと、ルシアン自身が思えるようになってきた。
(……得難いもの)
心が氷でできているのだわ、と泣きながら己をなじった女たちの顔が脳裏を過る。
彼女はきっとそんなことは言わないだろうしあんなふうに泣かないだろうと、思えてしまって。
(……もっと、知らなければ)
生まれて初めて、一人の女性のことをもっと知りたいと、彼が決意した瞬間であった。




