第13話.セシル・ダイオプサイトの秘密
あの後、旦那様は何だかふわふわとなさったご様子で「そ、そろそろ仕事に戻る」とポールを伴って庭を去って行かれました。
そんなに驚かれるほどに「優しい」と言われ慣れていないなんて思わなくって……でも旦那様は間違いなくお優しい方ですわ。ここはわたくし曲げませんわよ。
使用人たちにあれほど慕われていて、その上きちんと統率が取れているのですから、冷酷な方でないことは間違いありません。
だからこそ、やはりわたくしは気になって仕方がないのです……そんな方が何故、よく知りもしない相手に「愛するつもりはない」と仰るおつもりだったのか、が。
あ~、気になりますわ……!
駄目とは思いますが、やっぱり次のお茶会の議題をこれにしてしまおうかしら……!!
踏み込みすぎてもいけませんが、知りたいことは知りたい性分。どうしましょう、旦那様も同じことをわたくしに訊いたわけですから、わたくしもお訊ねしても良いのでは……?
何だか、良い気がしてきましたわ~!
よし、次回の議題が決まりました。ご迷惑でなければ、と前置きして、旦那様の真意を伺ってみましょう。内容によっては次回作に活用させていただきますわよ~ッ!!
――――――
セシルとルシアンのお茶会から三日後。
昼食を終えた頃、セシルが自分の机の引き出しから包みを取り出してアデールを振り返った。
「アデール、あれが仕上がりましたの。いつものようにお願い」
「承知いたしました、奥様。ご結婚なされても相変わらずお仕事がお早いですね」
セシルの手から包みを受け取って、アデールはこっくりと頷いた。このやり取りに手慣れた侍女の言葉にセシルは苦笑して「まだ家政を任されていないのだもの」と肩を竦める。
「手を掛けられる時間は減っていくわ。流石の旦那様も、いずれはある程度の仕事をわたくしに回してくださることでしょうから」
「そう、ですね……」
「ええ、だから今のうちだけですわ」
それでも楽しそうに微笑んだセシルに何だか寂しいものを感じて、アデールは「分かりました、お預かりします」と礼をしてすぐにその場を離れることにした。
ダイオプサイト邸の女性使用人を統括している家政婦に、セシルのお使いで外出する旨を申告して街へ出る。
今は社交シーズンだからセシルもアデールも王都のタウンハウスにいて、すぐ目的地へ向かうことができるが、これでシーズンを終えてカントリーハウスに戻ったらどうしようか、と歩きながら思案する。
生家が故に融通のきいたペリドット家とは訳が違ってくるので、今日の内に郵送について訊いておくのが良いかもしれない。
「――こんにちは」
「ようこそ、アルエット出版へ。ご用件は?」
包みを抱えたアデールが足を踏み入れたのは、紙とインクの香りに満ちた小さな建物――庶民向けの娯楽小説を扱う出版社であった。
「――いやはや驚きました、たんぽぽ先生がついに王都へお越しになられたとは」
「ええ。ただ、ずっとではないんです。なので今までと同様郵送の手続きもしたくて」
担当編集者が、アデールが運んできた包みを開き、中に納められている新作の原稿を確認する傍らで、アデールはお茶をいただきながら“先生”の新生活について話した。
「では今後は郵送の時期とこうしてお越しになる時期がある、ということですね」
「ええ、そうなります」
「なるほど――よし、流石、いつも通り誤字誤用は無いです。初稿から修正も入って内容も問題なく面白い。これでお預かりしますね」
「よろしくお願いいたします」
「それで、郵送の手続きですね。修正の必要があるときはどうしましょう?」
「お手数ですがその都度の発送元郵便局へお願いできますか、私が受け取りに行きますので」
「ではそのように」
アデールは僅かに笑みを浮かべて頷いた。アルエット出版の担当者はいつも余計な詮索がなくて助かる。
住所も本名も明かさず、原稿のやり取りも郵便局と使者を挟んで行う不審な作家を「作品が面白いから」で受け入れ、新生活についても必要以上に訊かずにいてくれるのだ。
アデールが仕える“先生”は本来であればこうしたことができる身分ではない。
“先生”の生家が、引きこもってばかりいる彼女のために「やってみたらどうか」と提案したのがアルエット出版との付き合いの始まりだ。
この出版社でなければ、ここまで続けていられなかっただろう。
「うむ、装丁のご希望も付けてくださっていますね。この内容ですと……第二希望のデザインが良さそうです」
本人が出向かず済むようにあらゆる打ち合わせ内容を事前にまとめておくのも、五年間の付き合いで双方慣れたもの。
「タイトルは『秘めたいつかのアングレカム』、お間違いはないですね?」
「はい、確かに」
「承りました。完成次第一冊先生へお送りしますが……」
「ではこの郵便局で」
「はい、西区中央ですね、承知しました」
「よろしくお願いいたします」
王都西区は多くの高位貴族が邸宅を構える地区であるが、勿論担当者は何も言わない。彼らにとって重要なのは絶世のたんぽぽの本性ではなく、その作品の内容なのだから。
「では、私はこれで。今後ともよろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそ。先生にもよろしくお伝えください」
アデールは軽く頭を下げ、アルエット出版を出た。
(そう言えば奥様が、旦那様から予算について心配されたと仰っていたけれど……)
嫁ぎ先が用意してくれた予算に手をつけなくとも問題ないほどの財産。
その出所は、多額の印税である。
セシル・ペリドット伯爵令嬢――今の名はセシル・ダイオプサイト侯爵夫人。
彼女のもう一つの名は、現在市井で絶大な人気を誇る恋愛小説作家、絶世のたんぽぽと言う。
(……もう少しなんとか、素敵なペンネームにならなかったでしょうか、奥様)
どう足掻いてもセシル・ペリドットに結びつかないように、と敬愛するお嬢様が三秒で決めたペンネームを、アデールはほんの少し、残念に思っているのだった。




