第12話.セシル・ダイオプサイトの苦笑
良く晴れた午後、夏の暑さと風の爽やかさが同居する季節。今日は旦那様との偽装仲良しお茶会の日です。このセシル、張り切って参りますわ!
とは言え、週に一回。それなりの頻度です。共通の話題が皆無に等しいわたくしたちには結構な苦行かもしれません。
東の庭の四阿は、木陰が程好い涼を保ち、この時期でもさほど暑くならない場所です。とても快適ですので誰もいないときはここで本を読んだりなどもいたしますの。
淡い黄緑のドレスの裾を、爽やかに吹き抜ける風が揺らします。
旦那様はまだご到着されていないようでしたので庭を眺めて待つことにいたしました。
「目が癒されますわね……」
夏の庭は緑が濃くて好きです。花は大ぶりで華やかなものが多く、見ていて心が弾みます。
新作の執筆が佳境でして、時間があるのを良いことにひたすら文字を綴っておりましたの。ですので、言葉通り目が癒されます。眼精疲労がスーッと引いていきますわ……
目の周りを思う存分揉みたい心地になったところへ、そばに控えていたアデールがわたくしを呼びます。振り返れば、ポールを伴って旦那様が庭へお越しになったところでした。
「――すまない、遅れた」
「旦那様、ご機嫌よう。ご安心ください、わたくしも今着いたところですわ」
「そうか、なら良かった」
あぁ、今日も今日とて美しいですわ~! 夏の日差しの下で見ると、白銀の双眸は最高級の透輝石そのもののような輝きを放っております。素敵の極みですわ。
「お仕事のご都合でお忙しくなられるようでしたらどうぞご遠慮なく仰ってくださいね」
「あぁ、分かった。一応、時間ができるよう動いてはいるのだが……今日は、少し手間取った」
旦那様がとても気遣ってくださる……やはり旦那様はお優しい方なのかもしれません。
その上で、この結婚生活を望み、わたくしに遮られなければ「お前を愛するつもりはない」と言うおつもりらしかったのですから、いったいどんな理由があったのか……気になりますね。
しかし、深追いしてはご迷惑です。わたくしは素知らぬ顔で過ごすのみ、ですわ。
アデールがお茶をいれ、楚々とした所作で離れていきます。
さぁ、ここからは二人きり。使用人たちを安心させるための仲良し偽装作戦開始ですわね!
お互い、お茶を一口含んだところで、旦那様がティーカップの中に視線を落としたままぽつりと口を開きました。
「……そう言えば、貴女が自由に使えるよう予算を割いてあるが、貴女は一度も手を付けていないな。何か、不満でもあったか?」
不自由にならないよう用意をしたのだが、と旦那様は仰います。
えっ……あっ、あ~っ!!!!
そうでした、ダイオプサイト家からわたくしが自由に使っても良いというお金が用意されているのです。忘れておりましたわ……!!
「いえ、あの、そんなことは勿論ありません。ありがたいと思っております。ただ、そこまで大きなお買い物もしないものですから……」
宝石やドレスにそこまで興味がないので、わたくし自身の財産で事足りる程度の出費しかないのです。
白い結婚に積極的であり、女主人として家政を担っているわけではない、つまりほぼ無職と言える身の上ですから、許されているとは言ってもダイオプサイト家のお金に手を付けるのは何だか気が引けて……
「このような関係とはいえ、貴女に不自由を強いるのは本意ではない。遠慮はしないでくれ」
「ありがとう、ございます……」
うぅ、旦那様から見れば何にも買い物をしていないに等しいですものね。流石にダイオプサイト侯爵家の名が廃る、と思っても仕方がないかもしれません。
けれど本当に、本当にわたくしは、書籍や原稿用紙、ペンの替えやインク等しか欲しいものがないのです……!
貴族たるもの、定期的に大きな買い物をして経済を回さなければならないのは百も承知なのですけれど……! それでも……!!
かなり潤沢な予算でしたから、旦那様はドレスや宝飾品を溢れんばかりに買う妻を想定していたのでしょうか。
侯爵家の妻としては、どちらかと言えばそちらの方が正しいのでは……?? けれど、物語なら夫が真に愛する人を見つけるなり速攻離縁される悪役の挙動ですわね……
書籍や原稿用紙の類いが他国のように高価であったら、旦那様にこんなふうに心配をかけずに済んだのでしょうか。あぁ、我が国が豊かなばかりに……良いことなのですけれども……!!
オブシディア王国には王家の金庫番たるタイガーアイ家が在りますので、国が経済的理由で傾いたことが一度もなく、それに従って市井の豊かさも他国とは比較にならないほどなのですよね。
それ故に、印刷技術や製紙技術も発展し、書籍が安価になりましたので、庶民の娯楽の中に読書がかなりの割合で占められるようになっております。領民の生活を守る義務のある貴族にとっても幸せなことだと思いますわ。
なので、なのでわたくしの個人的な買い物は同年代の貴族女性の平均に比較して、とんでもなく安いのです……互いに干渉しない白い結婚をお望みの旦那様が「貴女の分の予算があるぞ」と心配なさるほどに……!
「……旦那様がお忙しくしていらっしゃいますのは、わたくしが家政を担っていないからではありませんか?」
気まずいので話題をそらしましょう……ほぼ無職の身、楽しくはありますが居心地が悪くもありますので、任せていただけるお仕事は任せていただければと思っているのは本心です。
「勿論、旦那様が触れてほしくないと思われる分野はお任せいたします。その他、もしわたくしに任せても構わないというものがあれば……」
本来、家政の全ては女主人の仕事。旦那様がわたくしをあまり信頼しておらず、大事な家を任せたくないのは分かっております。
そこまで合わせて申し上げると、旦那様は少し気まずそうに目をそらされました。
「……その、貴女をそこまで疑っているわけではないんだ」
「左様でございますか?」
「ああ……貴女が、我々のこの関係の維持に尽力しようとしてくれていることは分かっている」
旦那様はそこで一度言葉を切って視線をさまよわせ「貴女は、このような扱いをしている私に対して誠実だとも、思う」と付け加えました。
何でしょう、この感じ。なかなか懐かない猫が警戒しながらも少しずつ距離を詰めてきてくれたときのような。そわそわいたしますわね。
「それを言うなら旦那様こそ、ですわ」
旦那様の中の猫ちゃんを驚かせてしまわないよう慎重に言葉を選び、ゆっくりと話します。
「こんなわたくしに、不自由をさせないようにとお気遣いくださって……旦那様こそ誠実で、そしてお優しい方だと思います」
ちなみに「こんなわたくし」とは「初夜の床で先手を打って『貴方を愛することはない』と言い出すようなわたくし」という意味です。丁寧に説明にするととても酷い女ですわね……?!
内心己の所業におののくわたくしを他所に、旦那様は僅かに(またしても信じられないほどごく僅かな変化です! お顔の体操をッ……!)目を見開かれました。
「……優しい?」
「えぇ、お優しいです」
「…………私が?」
「……他にどなたが?」
「…………優しい?」
「えぇ……」
「…………私が?」
だ、旦那様が壊れてしまいましたわッ!!
「……この私が優しいなどと……貴女は、些か変わっているのではないか……??」
「そ、そうでしょうか……?」
「今まで一度としてそんなふうに言われたことはない……心が氷でできているのだと、そういう噂は貴女も知っているはずだ」
「えぇ、勿論存じておりますが……?」
「知っているのか……?」
「えぇ……それは流石のわたくしでも……」
それを言ったらわたくしの『ペリドット家の引きこもり』だって旦那様はご存知でしょうに、と思ってからふと、旦那様が何をお考えになってそんなことを仰るのかに気づきました。
「……旦那様、わたくしの勘違いであれば申し訳ありませんが……」
「……何だろうか」
「わたくしは、わたくし自身が社交界で好き勝手に噂されていたので、それらが時にどれだけ事実から遠いものであるかをよく存じております」
「…………」
「ですから、わたくしは旦那様について噂を鵜呑みにせず、わたくし自身の目でどんなお方なのかを確かめようと、そう思って嫁いで参りました」
こうしたことを面と向かって言うのは何だか気恥ずかしい、と苦笑がこぼれます。
「共にした時間は少なくとも、わたくしはわたくし自身の目でもって、旦那様がお優しい方なのだと判断いたしましてよ」
旦那様は、今度こそ誰にでも分かるほどに、その白銀の目を見開かれたのでした。




