第11話.アデール・マテューの交流
深夜の使用人用食堂にて、アデールとポールが険しい顔で向かい合っていた。
「……いけませんね」
「えぇ、これはいけません」
微かな明かりの中でそれをやっているので、何らかの陰謀の始まりのようにも見える。
「進展のように見えますが、これはいけない」
「こちらはまっっったく進展していません」
ここで両者深い溜め息。
「奥様は完全に、我々使用人を安心させるための偽装茶会を遂行する己、にノリノリです……」
「これも旦那様の言葉足らず……いえ、あれでも旦那様にしては頑張られた方なのです……!」
「うちのお嬢様の鈍さを舐めないでいただけますか、ポール様」
「私の坊っちゃんの努力を認めてもらえませんでしょうか、アデール殿」
ここでまた両者深い溜め息。
「……今更お二人に恋をしてほしいなどと願いはしません。けれど、けれどッ……!」
良く磨かれたテーブルに突っ伏し、アデールがもどかしげに呻く。気持ちは同じなので、ポールも嘆息してその手を労しげに擦る。
「アデール殿、反対に考えましょう。あのようなお二人が、会話をする時間をもうけられることになったのです。あのお二人がですよ。一般的な夫婦では何の変化でもありませんが、あのお二人にとっては明らかな進展でしょう?」
鮮やかな青の瞳を柔らかく細め、ポールはそう言った。大変穏やかな表情に見えるが、顔を上げたアデールにはその目に「もうそうだと考えないとやってられない」という諦念と悲壮感を見た。シンプルにお労しい目である。
「……そう、そうかもしれませんね……ええ、そうでしょう」
「そうですアデール殿、その調子です」
「そう、そうですよね、そんな気がしてきました……!」
「おお……!!」
二人ともそっくりな目をして虚ろな煌めきを讃え合い――また、溜め息。自分たちは一体何をやっているのだろうか。
「……頑張りましょう、ポール様」
「そうですね、アデール殿」
がっしりと手を握り、気合いを入れ直す。こうして敏腕執事と敏腕侍女の夜は更けていくのであった――
――――――
ポールとアデールが悲壮感に満ち溢れた秘密会議をした翌日。
「あ、あのっ、アデールさん!」
「今よろしいですか?!」
休憩時間、一人でお茶をいただいていたアデールに、ダイオプサイト邸の女性使用人たちが近づいてきた。
アデールよりいくつか年が下の、まだまだ可愛らしい騒がしさのあるメイドが三人である。何か彼女たちに声をかけられるようなことをしただろうか、とアデールは内心考えつつ「はい、大丈夫ですよ」と椅子の上で体勢を変え、きらきらきときとしている三人娘に向き合う。
「あっ、あのっ、アデールさんは何かご趣味とかありますか?!」
緊張しているのが丸分かりの様子で勢い良く訊かれたのがそんな内容だったので、身構えていたアデールは虚を突かれて「えっ?」と聞き返してしまう。
「あっ、わ、えと、あのっ」
「あのあの、私たちアデールさんと、な、仲良くなりたくて……!」
「それで、っ、あの、ご趣味とか訊こうと思ってぇ……」
アデールに聞き返されてしまったことへの焦りなのか、明らかに三人揃ってとんでもなく動揺している。動揺と共に羅列される言葉から三人娘が話しかけてきた理由が分かったので、アデールは肩の力を抜いた。
「落ち着いて、少し驚いてしまっただけですから。もし良ければ座ってください」
「あわ、あわわ」
三人娘はまだ少し動揺していたが、アデールの返答を受けてあばあばしながらも深呼吸をし、冷静さを取り戻していく。
「あの、あたしたちとお話ししてくれるってことですか……?」
「勿論、断る理由なんてないですから」
「はわわ」
「けれど、まだ貴方たちの名前が分からないのでそこから教えてほしいです」
苦笑しながらそう訊けば、三人娘はパッと顔を見合わせて「そういえば」と呟いている。
ペリドット家からセシルに付いてダイオプサイト家へやって来た少数の使用人は、当日に全体の前で紹介されただけで、ダイオプサイト邸の使用人全てと細やかに挨拶を交わしたわけではない。
故に、ダイオプサイト邸の者がアデールたち側の名を知っていても、逆はほぼないのである。アデールが現状把握しているのはセシル付きとして働くメイドたちと、家政婦やポール等の役職者たちのことだけ。仕方のないことだった。
「えっと、私はデボラです! こっちはエマでこっちがマノン。皆、厨房が主な仕事場です!」
青い目の下のそばかすが可愛らしい赤毛の子がデボラ。顔を赤くしてそわそわしている黒髪に緑の瞳のエマに、金髪のマノンの青い目は期待でキラキラしている。
職務上人の名前と顔を覚えるのが得意なアデールはこれで三人娘をしっかり記憶した。
「ありがとうございます、知っているかとは思いますが私はアデール。奥様の侍女です」
「わわわ……かっこいい、いつかあたしも『奥様の侍女です』って言ってみたい」
「ちょっ、マノン、ちょっと失礼じゃない?!」
「いいんですよ、私も侍女を名乗れるようになったときはしゃぎましたから」
「えっ、ほんとですか……?」
「はい。そんなに意外ですか?」
「えと、はい。なんかアデールさん、いつもしゃきっとしてて素敵だから……」
「ふふふ、ありがとうございます。照れますね」
真っ直ぐで下心のない言葉はこそばゆい。アデールは「奥様のことが好きで、たくさん頑張りましたから」と素直に答えて笑った。
そうして、密かに憧れていたアデールと会話が叶い、ひとしきり照れ照れしていた三人娘であったが、やがてエマが思い出したように「そ、そうだ、趣味を……」とずっと手にしていた書籍を胸の前に持ち上げた。
「私たち、本を読むのが趣味なんです……」
「お金貯めなきゃだから、三人で別々の本買って回し読みするんですよ!」
「最近はこの作者さんのが好きで……」
アデールさんは本好きですか、と顔を更に赤くしたエマが言うので「人並みに読みます」と頷いた。
「そちらはどんな本ですか? ぜひ教えてください」
「やった、えっと……絶世のたんぽぽ先生の『ホワイトリリーの誓い』って恋愛小説で……」
「ぜっ……?!」
突如、らしくなく結構噎せたアデールに、ほわほわした顔でおすすめの物語を紹介していたエマは目を白黒させる。
「ごほ、っ、なんでもありません、すみません」
「だ、大丈夫ですか……?」
「はい、ちょっと驚いて……」
「あはは……確かに変わったペンネームですよねぇ」
「有名な作家の別名義なんじゃないかって予想してるんです。庶民向けの恋愛小説だし……」
絶世のたんぽぽ氏は、市井の女性たちから絶大な支持を受けている恋愛小説作家なのだという。
恋愛小説なぞ低俗だ、と言って憚らない貴族にはあまり受け入れられていないが、貴族社会を舞台にしながらもどかしい恋に揺れる男女を描く壮大なラブストーリーの作品群に、夢を見て隠れ読む貴族令嬢も存在するとかしないとか。
「もし良ければ、アデールさんもこれ読みませんか? 大人の女の人でも楽しいと思います」
「そう、ですか。ありがとうございます、ありがたくお借りしますね」
「感想聞かせてくださいね!!」
「む、無茶振りしちゃダメだよ、マノン」
「いいんですよ、エマさん」
アデールは「あのあの、無理しなくていいですからね」と言うエマから深緑の装丁の本を受け取り「大事に読みますね」と頷いた。
そこでふと時計を見たデボラがパッと目を見開いて立ち上がる。
「そろそろ仕事に戻らなきゃ……!」
「っ、またおしゃべりしてくださいね、アデールさん!!」
「またお願いします~……!」
慌ただしく席を立って走っていく三人娘を見送ってアデールも本を抱えて立ち上がった。
(まさか……ここでこれに出会うとは……)
複雑な気持ちになりながら、アデールはその本の表紙を撫でたのだった。




