8.ユウコさん
「アタシまた狙われてるんだって」ユカちゃんが言った。
「また?」アキちゃんがあきれたように言った。
「うーん。刑事さんの話によるとー、本当はお父さんを殺したいんだけどー、そっちはハードルが高いからー、娘を狙おうってことみたい」
「なにそれ」
「誰に狙われているかはわかってるのか?」と僕。
「うーん。なんかー、毒針使いのユウコ?」
「すごい名前だな」
「毒針使ってー、相手を麻痺させたり殺したりするんだってー」
「有名なのか?」
「裏の業界じゃそうらしいよー」
「なるほど」父が酒を飲みながら口を出してきた。「逃げられる自信があるなら手のひらに針を仕込んで握手するだけで事が済む。政治家や芸能人なら機会はいっぱいあるし、一般人でも機会は簡単に作れる。だがユカちゃんのお父さんみたいに表社会に出てこない相手はむずかしいな。近づける人間も限られるだろうし、普段から警戒しているだろうし」
「だからって…」アキちゃんがつぶやく。
「娘を溺愛してるなら、娘を殺ったほうが効果が大きい。麻痺させて人質にすればお父さん本人を呼び出すこともできるしな」
「その毒針使いの顔はわかってるの?」
「まだ一度も捕まってないからねー。それに裏社会じゃ素顔は見せないよー」
「ユウコというからには女性だろ?」
「それだって男が成りすましてるかも」
「そうか」
「誰とも握手しなければいいんじゃない?」とユカちゃん。
「バカなの?」母が言った。「握手はひとつの例でしょ。背後から肩を叩かれてもアウトじゃないの」
「服の上からでも刺せるの?」
「針をなめちゃダメよ」
「やだ、こわーい」
「知らない人には近づかないことね」
「近づいてきたらアキちゃんに蹴ってもらうー」
「アキちゃんを使わないでちょうだい」
「いつも4人いっしょだからだいじょうぶだよ」
「4人が次々と刺されるのを夢に見そう」母が嘆いた。
「4人とも死んじゃうってこと?」
「やめてー」
銃やナイフと違ってすぐに見えない凶器はこわい。どうすればいいんだ。
「GPSで位置はわかるから、遺体はちゃんと弔ってやるぞ」父が冗談っぽく言った。今日も酔っているな。
「ユカちゃん、とりあえずお父さんにボディーガードをつけてもらいなさい。その人に最初に刺されてもらうわ」
「やだー」
「そんなこと言ってる場合じゃないよー」アキちゃんが言った。
「やだー」
「子供か」と僕。
「子供だもん」
「都合のいい時だけ子供になるな」
ユカちゃんに言ってもムダなので直接ユカちゃんのお父さんに頼んだ。元々ボディーガードを付けたがっていたのですぐに二人手配してくれた。ユカちゃんは一人でいいと言ったけど、一人だけだとごはんも食べに行けないし、トイレにも行けない。そりゃそうだ。
「校内には入って来ないでねー」ユカちゃんがきつく言いつけた。
二人のボディーガードは校門の左右に立って待機している。
「こんなのやだー」教室でユカちゃんがわめいた。
「じゃあどうするのよー」
「おびき出す」
「またー?」
「マチコさんの時はうまくいったじゃん」
「マチコさんは素人だよー。今度はプロの殺し屋だよー」
「ねえねえ、温泉行きたくない?」いきなり話が変わった。
「え? 行きたーい」
「今度の土日でどう?」
「いいねー」
「お父さんに頼んどくー」
「やめなさい」母が言った。「そんな危ないこと」
「お父さんとお母さんもいっしょだったらいいでしょ?」アキちゃんが言った。
「え? わたしたちも?」
「中学生だけで泊まれないよー」
「それもそうだな」父は乗り気だ。
「温泉なんてひさしぶり」母はもうその気だ。
「一番高い部屋と料理頼んでもらうー」とユカちゃんが言ったら、決まった。
それは人里離れた山奥の小さな隠れ温泉宿だった。
「大きなホテルとかだと、人が多すぎて敵の候補が絞れないでしょ。ここなら泊り客も少ないし、うちのボディーガードくんにフロントの出入りをチェックしてもらえば全員の顔が見られるよ」
「ユカちゃんすごーい」
「って、うちのお父さんが言ってた」
「やっぱり」
「それよりさー、ここ貸切露天風呂があるんだよー」
「えー、いいねー」
「4人で入ろう」
「3人だろ?」と僕。
「えー、いっしょに入ろうよー」
「ぜったいだめー」アキちゃんが反対した。
「そうだよ。二人ならいいけど」と僕。
「アタシと?」ユカちゃんが聞く。
「んなわけないだろ」と僕。アキちゃんが顔を赤くした。
夕食は個室だったので、みんなで食べながら話し合った。ごちそうだ。父はまた酒を飲んでいる。ユカちゃんのスマホに隠し撮りされた今日の宿泊客の写真が送られていた。宿泊客は僕たちを除いて6人しかいなかった。夫婦客が一組、女性客が2人、男性客が2人。
「誰が毒針使いのユウコなんだろ」
「その中にいるとは限らないけどな」
「この女の人、美人じゃない?」
「どれどれ」父が覗き込む。「サングラスしてるのか。惜しいな」
「何が惜しいって?」母が追求した。
写真の女性はサングラスをしているけれども鼻筋や口元がきれいで確かに美人に見える。20代半ばくらいか。もう一人の女性は年配の上品な婦人で、60代くらい。夫婦客もそれくらいの年代に見える。男二人はどちらも30代くらいで、痩せたのと太ったの。
「美人のお姉さんがいいなあ」
「わたしもー」
「何のコンテストなの?」母が嫌味を言った。
「きれいなお姉さんと、老婦人と、老夫婦、痩せた中年男と、太った中年男か」
「太った中年男がユウコだったら嫌だなあ」
「気持ち悪いー」
「毒針なら力は必要ないから老婦人でもおかしくないわ」母が言う。
「お母さんも薬使うよねー」ユカちゃんが何気なく言った。
「あらあ、わたしも老婦人だって言いたいの?」
「ま、まさかー」
「さ、露天風呂行こうー」アキちゃんが助けに入った。
「えー、もうそんな時間―?」
「貸切時間は1時間だよー」
3人がバタバタ出て行った。残った父と母と3人で残った料理を食べる。
「昔はこうして旅行に行くこともなかったなあ」父が言った。
「この子は小さい頃から出不精だったからねえ」
「今でもだよ」
「ユカちゃんのおかげだな」
「迷惑ばっかりかけられてる気がするけど」
「まあそう言うな」
「どうしてあなたはそんなに美人に甘いの?」
「だからおまえと結婚したぞ」
「あら、やだ、ほんとね」
勝手に言ってろ。
(ユカちゃんの回想)
貸切露天風呂に着いた。アタシたちはさっそく脱衣所で浴衣を脱いで、石畳の上をピョンピョン飛び跳ねていく。周囲を竹垣に囲まれた小さな岩風呂だ。きゃっきゃ騒ぎながらお湯に飛び込む。
「あーいい気持ち」
「サイコー」
「あれ、誰か来る?」
湯気でよく見えないが、誰かやってきた。
「すみませーん。今貸切中なんですけどー」アキちゃんが言った。
きれいなお姉さんだった。全裸だ。
「ごめんなさーい。おじゃましていいかしら?」
そう言いながら勝手にお湯に入ってきた。右手の薬指に指輪が見えた。
「ユウコだー!」アタシは叫んだ。
女がアタシに向かってくる。アキちゃんの身体がお湯の中に沈んだかと思うと、太ももがお湯から飛び出てきて、膝がまっすぐに伸びて足の甲が女の頭を直撃した。女はお湯に沈んだ。みんなで引き上げて、指輪を確かめた。内側に小さなトゲのようなものが突き出ている。アタシはその指輪で女の首を刺した。
「ユカちゃん、何するのー?」アキちゃんがびっくりした。
「だってこれアタシに刺すつもりだったんだよー。どうなるか見てやらなきゃー」
「わたしにも刺していいよ」ミユキちゃんが言った。
「バカ言わないでよ」
「じゃあボディーガードさん呼んでくる」ミユキちゃんが出て行った。
アキちゃんとアタシは浴衣を着て待つことにした。きれいなお姉さんは裸のまま放置している。
「死んだ?」
「息はしてるみたい」
「麻痺?」
「たぶん」
やがてボディーガードがやって来てお姉さんをキャリーケースに詰め込んで運んで行った。
「毒針使いのユウコはやっぱりあのお姉さんだった」
「お風呂を襲うとはいい考えだ。身を守るものが何もないし、相手がハダカならどこでも刺せるから仕事が楽だしな」父が言う。
「でもアキちゃんの蹴り、すごかったよー。こう、お湯の中から足が一直線に伸びてさあ、アソコまる見えだった」
「やだー」アキちゃんが真っ赤になった。
「見たかったな」
「お父さん!」母と僕が同時に叱った。
「ち、ちがう。蹴りの話だよ」父がうろたえた。
翌朝、朝食前にみんなで温泉にゆったり入った。今度は大浴場のほうだ。父と風呂に入ったのは何年ぶりだろう。くつろいだ気分になる。父はメロディを口ずさんでいる。何のメロディだっけ? ああ、あれだ。パリの空の下セーヌは流れる。温泉宿だぞ。せめて日本のメロディにしてくれよ。
朝食も美味しかった。温泉宿を後にして、僕たちはユカちゃんの邸宅へ向かった。
邸宅に着くなり、ものすごい悲鳴が聞こえてきた。
「ぎゃああああ」
「なに?」アキちゃんが聞いた。
「ああ、お父さんがお姉さんを拷問してるの」ユカちゃんがすました顔で答えた。
「拷問?」
「雇い主を吐かせるためだと思う」
「ひどいな」
「ちょっとかわいそう」アキちゃんが言った。
「アタシを殺そうとしたんだよ」
「それにしても」
「げへええええ、がはあああ」
「やだー、聞きたくない」アキちゃんが耳をふさいだ。
「お父さーん、スピーカーオフにしてー」ユカちゃんが壁のマイクに向かって言った。
悲鳴が聞こえなくなった。
「最初からオフにしといてくれよ」
「従業員をビビらすために流すんだよー。裏切り防止のため―」
こわい世界だ。ユカちゃんはこんな環境で生きてきたのか。
「わたしも拷問に参加できないかなあ」ミユキちゃんも怖いことを言う。
やがてユカちゃんのお父さんがお姉さんを連れて出て来た。ボロボロになっている。かわいそうだからユウコさんと呼んであげよう。
「これから取調室に行く。おまえたちも来るか?」
「行く。みんなも行こう」ユカちゃんが言った。
「うん」アキちゃんが僕の手を引く。みんな好奇心旺盛な年頃なのか。
拷問室から取調室へ向かう。確か手術室や病室もあったな。間取りはどうなっている。
取調室にはちゃんとマジックミラーの仕切りと小部屋も付いていたが、今回はみんなでいっしょに話を聞くことになった。
「ちょっと、何考えてんのよ」肩で息をしながらユウコさんが言った。「まず尋問して、それから拷問でしょ? いきなり拷問ってひどすぎない?」
「いやすまん。新しい拷問器具が手に入ったのでつい試してみたくなってな」
「それって…」ミユキちゃんが言った。
「おまえのためだぞ」
「…ありがとう」
「どういう会話?」
「こちらは私の妻だ」ユカちゃんのお父さんがミユキちゃんの肩を抱いて言った。
「ロリコン?」ユウコさんがあきれて言った。
「ちがうってばー」ユカちゃんが怒った。
「じゃあ、あたらめて聞こう。誰に雇われた?」
「言うと思う?」
「言わないと、そのきれいな指を1本づつへし折ることになるが」
「そりゃ困る」
「だったら素直に吐きなさいよ」ユカちゃんが偉そうに言った。
「何様よ」
「娘様よ」
ユウコさんはプッとふき出した。
「おもしろい子。でもアンタすごい秘密兵器もってるのね」
「何のこと?」
「そこのおチビちゃんよ」とアキちゃんを指した。「まったく警戒してなかったわ。すごい蹴りだね」
「極秘だ」ユカちゃんのお父さんが言った。
「わかってるよ。誰にも言わない」
「助かる」
「雇い主、教えてもいいけど…」
「必ず潰す。約束する」
「ありがたい。報酬に釣られて引き受けたけど、本人じゃなく娘を狙うような奴、本当は嫌いなのよね」
「だから情報を流したのか?」
「わかってたんだ」
「そりゃあな。おまえはそんなドジを踏む女じゃないだろう」
「へえ。なのに拷問したの?」
「その件に関しては、すまん」
「で、その男の子は? そいつも何かすごいことができるの?」
「コレはわたしの夫だよー」アキちゃんが自慢した。
「何を言っているの?」
「ほんとだよー。16歳になったら届を出すんだから」
「今どきの中学生はそうなの?」
「で、アタシはカレの愛人」ユカちゃんが付け足した。
「いや、どう見てもアンタの方が本命でしょ」
「失礼なこと言わないでよー。ユカちゃんは愛人でも何でもないよー。オンナは顔でも胸でもないんだよー」アキちゃんがムキになった。
「それ自分で言ってて哀しくならない?」
「うぐぐ」
「あはは。だいじょうぶ。アンタも十分かわいいよ」
「ありがとうございます」
「キミ、モテモテだね?」
「いや、僕はアキちゃんだけでいいです」
「へー、りっぱだね」
「ほんとはアタシとやりたくてウズウズしてるけどねー」とユカちゃん。
「うん。アンタの性格が悪いのはなんとなくわかった」ユウコさんが言った。
「どうだ。私に雇われてみないか?」ユカちゃんのお父さんが提案した。
「いいよ」
「やけにあっさりだな」
「この子と組ませてよ」とアキちゃんを指した。
「お断りします」アキちゃんがきっぱりと答えた。




