5.ノブコお姉さん
土曜日の夜、僕たちはホテルの部屋にいる。今日はアイドルのコンサートに行ってきた。何とか言うガールズグループだ。ミユキちゃんの発案らしい。当然ユカちゃんがいっしょだ。ユカちゃんがアキちゃんを誘った。アキちゃんはあの事件以来僕のそばから離れることを怖がるようになったので、僕は無理やり連れて来られた。手配はすべてユカちゃんのお父さんがした。僕はアイドルには興味がない。騒音と歓声の嵐にひたすら耐えた。人混みは嫌いだ。音楽はひとり静かに聴きたい。
「よかったー」ミユキちゃんが興奮して言った。
「ユカちゃん、いっぱい声かけられたねー」
「みんなアキちゃんが追い払ってくれたけどねー」
「わたしはユカちゃんのボディーガードじゃないよー」
「カレが頼りないからねー」
悪かったな。
僕とアキちゃんは同室だ。夫婦だから当然だ。届出はまだだけど。最初ダブルベッドの部屋を手配されたけど、ツインベッドに変更してもらった。普通のダブルベッドでは寝相の悪いアキちゃんに落とされてしまう。
夜中に目が覚めた。僕はコンサートの騒音が耳に残っていて、どこか静かなところに行きたくなった。窓の下に河原が続いている。服を着替えようと立ち上がった。アキちゃんが気づいた。
「どうしたの?」
「散歩に行ってくる」
「私も行く」
ホテルに帰って来た時、ロビーは中高生であふれていた。だが今はもう誰もいない。照明も落とされていて静かだ。真夜中近い。外へ出た。土手の道路沿いに外灯が並んでいるが、間隔はかなりあって、暗い。
アキちゃんの携帯が鳴った。ユカちゃんからだった。
「どこ行くのー?」
「散歩だよー」
「アタシも行くー」
「ジャマだから来ないでー」
「ジャマしに行くー」
やれやれ。僕は速足で歩き始めた。ユカちゃんに追いつかれるまでが僕に残された時間だ。ユカちゃん、なぜ気づいた? 偶然か? それとも僕たちに見張りでも付けているのか?
かなり距離をあけたと思っていたが、ユカちゃんは全速力で駆けてきた。ミユキちゃんまで付いて来ている。肩でハアハア息をしている。
「なんでこんなに遠くまで来てんのよー」ユカちゃんが喘ぎながら言った。
「そっちこそ、なんで追いかけてくるのよー」アキちゃんが文句を言った。
「親友でしょー」
「親友なら気を利かすもんだよー」
「もういい。帰ろう」僕はあきらめた。
せめて川のせせらぎでも聞きたいと、河原に降りて行った。4人で川沿いを歩いていく。
土手の上を誰かが歩いている。暗くて影しか見えない。女の人? 帽子をかぶっているみたいだ。突然別の誰かが現れて、何かを女の人の腹に刺したように見えた。女の人は倒れかけた。かまわずに誰かは二度三度と腹を刺し続けた。女の人は膝から崩れ落ちた。
「やめろー!」僕たちは全力で走った。
アキちゃんが速い。脚力が違う。みるみる近づく。刺した誰かは僕たちに気づいてあわてて逃げて行った。
刺されたのはやっぱり女の人だった。大量に出血している。
「救急車を呼ぶ」
「だめ…いいの…このまま死なせて…」女の人がうめきながら言う。
ユカちゃんが携帯を取った。
「お父さん、アタシの今の位置わかるよね? 女の人が刺されて死にそうなの。すぐ誰か来させて」
「とにかく止血だ。手で押さえて」僕が伸ばした手を女の人は振り払った。そのせいでバランスを崩し、草むらをごろごろ転がって下まで落ちて行った。僕たちはあわてて追いかけた。女の人はもう意識がなかった。とにかくみんなで傷口を押さえた。
「やだこの人、今日のアイドルグループのメンバーじゃない?」ミユキちゃんが女の人の顔を見て言った。
やがて遠くから救急車のサイレンが聞こえてきて、だんだん近づいてきて、止んだ。しばらくして救急車が静かに到着した。救命隊員が担架をかかえて降りてきた。女の人を担架にのせて車両まで運んだ。僕たちも車両に乗り込んだ。
「お父さんに頼まれた?」ユカちゃんが聞いた。救命隊員がうなずいた。
救急車も救命隊員も偽物か。
「ウチまでお願い」
幸いにもホテルは僕たちの町に近かった。コンサートで帰りが遅くなるからホテルを手配してもらっただけだ。ユカちゃんのお父さんは救急車やパトカーといった偽車両をたくさん持っている。車両はホテルの前を通らずUターンしてしばらく静かに走った後、突然サイレン鳴らしてスピード違反と信号無視をくり返しながら、ユカちゃんの邸宅までたどり着いた。邸宅には医療設備も整っているという。女の人はすぐに運び込まれた。緊急手術をするらしい。ユカちゃんのお父さんがホテルまで送ってくれようとしたが断った。
僕たちが犯行時刻の前にホテルを出て行った姿は、おそらく監視カメラに録られている。これが事件になった場合、今ホテルに帰ったら、それまでの時間何をしていたか、後で事情聴取されるにきまっている。それよりホテルに電話して、急用ができて、たとえば家族が倒れたとかの連絡を受けて、あわててチェックアウトせずに迎えの車に乗って自宅に戻ってしまった。明日の朝あらためてチェックアウトに伺いますと報告しておけば、偽のアリバイが成立する。ユカちゃんとミユキちゃんがダッシュで出て行く姿もその話を裏付けてくれる。女の人がホテルの前を通ったのはその後だから、僕らは捜査対象からはずされる。その方がいいと提案したら、ユカちゃんのお父さんは感心した様子で、ホテルに電話してくれた。僕たちは血の付いた服を着替えた。
翌朝4人でホテルへ行って、チェックアウトをすませた。フロントのお姉さんが
「たいへんでしたね」と声をかけてくれた。
「ありがとうございます」と返事した。
「何かニュースでやってるぞ。アイドルの子が行方不明らしい」父が言った。
「昨日のコンサートの子じゃないの」母もびっくりしている。
「夜中にどこかへ出かけて、そのまま帰ってきてないそうだ。今朝になって近くの住民から川沿いの道路に大きな血だまりの跡みたいなものがあると警察に通報があって、今捜査中らしい。DNA鑑定もやってその子の血かどうか確かめるみたいだ」
僕とアキちゃんは顔を見合わせた。
「警察の見解では、誰かが土手の上で刺されて、そのまま転がり落ちて川に流された可能性があるということだ。現場に監視カメラはなく、現時点では行方不明のアイドルの子かどうかはわからない」
「流されたとしたら捜索範囲がかなり広くなるわね」
「まったくだ」
「あなたたち近くのホテルに泊まったんでしょ? 何か見てないの?」
母が僕たちの表情を見て、手を止めた。
「うそ、いやだ、何か知ってるの? まさかまた…」
玄関チャイムが鳴った。
「やっほー、ユカだよー、迎えに来たー」
「あの疫病神がまた何かやったの?」
「人助けをしただけだよー」アキちゃんがかばった。
「やっぱり」母は頭をかかえた。「どうしてあの子はいつもいつも…」
「いやいや、ユカちゃんは悪くないよ」
「悪いとは言ってません。ただできればウチを巻き込まないでほしいのよ」
「それもユカちゃんのせいじゃないよ」
「あの子の存在自体が、なんか、こう、いらだたしいのよ」
「美人だしな」父がよけいなことを言った。
僕たちはユカちゃんの邸宅へ向かった。
「手術はうまくいったの?」アキちゃんが聞いた。
「一命はとりとめた。やだー、なんかかっこいいセリフー」
「意識は戻ったの?」
「うん。だからみんなでいっしょに話を聞こうと思って」
「死なせて…とか言ってなかった?」
「言ってた。だからお父さんに電話した」
「普通に救急車呼んだ方がよかったんじゃ…」
「それだと話が聞けないじゃん」
「好奇心かよ」
「悪い?」
母の言う通りこいつは疫病神なのかもしれない。だが普通に救急車を呼んでいたら間に合わなかったかもしれないから、これでよかったのかもしれない。。
アイドルのお姉さんは病室のベッドで寝ていた。僕たちがバタバタと入って来たのでびっくりしたようだ。
「あんたたち誰? ここ、どこの病院?」
「アタシんちだよ」ユカちゃんが答える。
「病院が家なの? 家の中に病室があるの?」
「へへー、すごいでしょ」
「あの医者は誰?」
「うちのお抱え医師だよ」
「死神かと思った」
「え? なんでそう思ったの?」アキちゃんが聞いた。
「医者は普通白衣を着てるもんでしょ。黒衣の医者なんて初めて見た」
「そうなの?」
「あ、それいいねー。今度から死神くんって呼んでやろう」ユカちゃんがおもしろがって言った。
「誰に刺されたか覚えてる?」アキちゃんがお姉さんに聞いた。
「…」
「答えたくないの?」
「…」
「なんで死なせてほしいって言ったの?」
「…ああ…言ったんだ」
「そうだよ」
「そう思ったから。…なんで助けたの?」
「普通はそうするでしょ」
「普通は病院にいるよね。なんでここにいるの?」
「アタシが助けたからだよ」
「うん、わけがわからないと思うけど」僕が言った。「この子のお父さんは、その、なんというか、裏社会のボス、そう思ってくれればいい。この子がお父さんに連絡したから、こうなった」
「だいじょうぶ。売り飛ばされたりしないよ」アキちゃんが言う。
「そんなこと言うと、よけい怖がるよ」
「売り飛ばされるか…いっそ、そうしてくれないかな」
「ええ?」
「どっか、知らないところへ売り飛ばしてくれないかな」
「そりゃ、お父さんに頼めば…」
「なに引き受けてんのよ。その前になんでそんなこと言うのって聞くべきだよ」アキちゃんが叱った。
「なんでそんなこと言うの?」
「わたし、あの時死ぬのかなって思ったんだ。そしたら、ああ、その方がいいかもって…」
「どうして?」
「生きててもしかたない、というか、もうどうでもいいやって…」
「いやなことがあったの?」
「いやなことばっかりだった」
「そうなんだ」
「なに納得してんのよ。どんないやなことか聞きなよ」
「どんないやなことが…って、自分で聞けばいいじゃん」
「ユカちゃんが話したいんでしょ?」
「どんないやなことがあったの?」
「答えたくない」
「ほら、だめじゃん」
「あきらめないでよ」
お姉さんがクスクス笑った。
「この子たちおもしろい」
「いつもこうなんだよ」
「あ、笑ったら、痛くなってきた」
「誰か呼ぶ?」
「お願い」ナースコールボタンを押した。
すぐに看護師が来て、僕たちは外に出された。
ユカちゃんのお父さんの話だと、最低でも1か月は様子を見なければならないということだった。損傷の具合でいつ悪化するかわからないそうだ。
「1か月もあれば、そのうち話も聞けるでしょ」ユカちゃんが言った。
「まだ見つからないみたいだな」父が言った。
「1カ月は見つからないよ」ユカちゃんが軽く言った。
「警官と民間人総動員で捜索されてるぞ。ファンもいるな。記者会見ではグループのメンバーが心配してたな」
「心配してるフリでしょ。代わりのメンバーはいるんだから。これで名前が知れ渡ったからまた人気が出るんじゃないの」母は冷たい。
「でもしばらくは活動休止だろ」
「わからないわよ。注目されてる今が稼ぐチャンスだもの。わたしたちは絶対元気に帰ってくると信じて活動を続けますとか言い出しそう」
「まあな。遺体が発見されたわけでもないしな」
「だから発見されないって」
「あなたのせいでしょうが」母がたまりかねて言った。
「でもそれで助かったんだよ」アキちゃんが言った。
「監視カメラに怪しげな人物が複数写っていたらしいぞ。犯人が捕まって、おまえたちのことをしゃべったらどうなるんだ?」父が言った。
それだ。僕もそれを心配している。
「表彰される?」ユカちゃんがうれしそうに言った。
「バカなの? こんな大騒動にしちゃって。すぐに警察に届ければこんな大規模な捜索だってせずにすんだのよ。犯人だってすぐに捕まったかもしれないのに」母が言う。
「今さら遅いよ」僕が言った。「それにあの人は元に戻りたくなさそうだ」
「そうだね」アキちゃんも言った。
やがてDNA鑑定の結果から残されたのがあの人の血だと断定された。またニュースが盛り上がった。ワイドショーで憶測が飛び交わされた。捜索にも熱が入った。捜査にも熱が入ったに違いない。
「誰に刺されたのか教えてほしい」
僕たちはベッドのお姉さんに頼んだ。
「このままだと犯人は警察に捕まえられそうなんだ」
「どうでもいい」
こっちはどうでもよくないんだよ。しかたがない。そっちはユカちゃんのお父さんにまかせよう。警察のお友達に情報をもらえるかもしれない。
「ねえ、きっとご家族やお友だちが心配してるよ」アキちゃんが言った。
お姉さんはフンと鼻で笑った。
「家族も友だちもいない」
「え?」
「あの人たちを家族や友だちだと思ったことはない」
「じゃあファンのみんなは?」ミユキちゃんが聞いた。
お姉さんは大声で笑いだした。
「ファン? ファンってなに?」
「わたしもファンのひとりだよ」
「じゃあわたしの何を知ってるの? わたしたち昨日はじめて会ったんだよ? おたがい何も知らないのに」
「でもCDもDVDも持ってるし」
「じゃあCDやDVDのファンだよ。そっちを大事にしな。そこにあるのは作られたわたしで、本当のわたしとは全然違う」
「そうなの?」ユカちゃんが聞いた。
「そうだよ。あれは大人たちが寄ってたかって作り上げた売り物の商品だよ」
「よくわかんない」
「でもアンタ美人だね。きっとすぐアイドルになれるよ。そう言われない?」
「言われる。でもやだ」
「なんで?」
「有名になったら、好きな時に好きな場所へ好きな人と遊びに行けなくなるって。それはやだ」
「へえ。誰に言われたの?」
「お父さん」
「裏社会のボスの?」
「その言い方やめて」
「あはは。でもいいお父さんじゃん」
「でしょ」
「ファンというのは」と僕が口を出した。「ものすごく移り気で無責任で身勝手だと思う。活躍した時だけ注目して、勝手にファンを名乗って、活躍しなくなったらすぐに忘れて、また活躍し始めたら実はずっとファンでしたって言い出したりする。自分たちで勝手にイメージ作って、相手がそのイメージに合わない行動すると、すぐに文句を言い始める。自分たちが勝手に時間とお金を使って応援しているだけなのに、その見返りを求める。自分たちはただ見ているだけなのに、相手には努力と結果をしっかり要求する。ファンを大切にしないと承知しない」
「すごい。なんか理路整然と言ってくれた」
「リロセイゼン?」とユカちゃん。
「うん。わたしの思っていたこと、わかりやすく言ってくれた」
「でしょ? カレ頭いいんだよ」
「ちなみにわたしの夫だからね」アキちゃんが釘を刺した。
「夫?」
「えへん、わたしたちは結婚してるんだよ」アキちゃんが自慢げに言う。
「え、でも、いくつなの?」
「16歳になったら届を出す予定」
「だから今はただのイヤらしいことをしてる中学生」ユカちゃんが水を差す。
「事実婚と言ってよ」アキちゃんがムキになる。
「すごい。そういうのありなんだ」お姉さんが笑った。「自由でいいね」
「お姉さんは自由じゃなかったんだね」
「全然。まったく。何ひとつ」
「だから死なせてって言ったの?」
話が最初に戻った。
「最初はただお母さんを喜ばせたかった。それだけだった。歌も踊りも好きじゃなかった。でもオーディションを受けさせられて、事務所と契約させられて、気が付いたらもう逃げられなくなってた。毎日言われるがままにレッスンして、グループに入って、笑顔を作らされて、活動が始まって、わたしは全然楽しくなかった。苦痛でしかなかった。他の子たちと違ってわたしはこの世界に憧れなんてなかった。みんなも最初は自分のためにやってたことが、いつのまにか事務所のためスタッフのためファンのためにと言われてやらされるようになった。わたしは最初から自分のためですらなかった」
「そうなんだ」
「でも同じ事務所の新人の子でカッコいい男子がいたんだ。おとなしくて優しい子で、目が合うといつも笑ってくれて、こっそり誘ったら受け入れてくれて、わたしはこの幸せだけあれば生きていけると思った。でも違った。その子は誰にでも優しくて、誰でも受け入れてた」
「ひどい」アキちゃんが言った。
なるほど。ひたすら本能に従うだけのオスだ。自分さえ気持ちよければ、周りがどれだけ傷つこうが泣こうが気にしない。そんなこと想像さえしない。どれだけ責められても自分は悪くないと思っている。
「で、あの時たくさんいたその子のお相手のひとりに刺されちゃった。わたしにはもう何もない。そう思ったら、ああ死んでもいいかなって」
「悲しすぎるよ、そんなの」アキちゃんが涙ぐむ。
「ありがとう。やさしいね」
「望み通り、知らないところへ売り飛ばしてあげる」ユカちゃんが言った。
「なんでそうなるのよー」アキちゃんがびっくりして言った。
「えー、だって、その方がよくない?」
「売り飛ばすはないよー」
「いやいや本人がそう言って…」
「それは言葉のあやだよー」
「言葉のあやって何よー」
「言葉のあやは、言葉のあやだよー」
「とにかく別の人生をやり直したいってことかな」僕が言った。
「そうそう、それよ」とユカちゃん。
「そんなことできるの?」
「できるよ」
「実はこのミユキちゃんの戸籍も偽物で、年齢もサバ呼んでる」僕が言った。
「言い方ひどくない?」ユカちゃんが文句を言った。
「ミユキちゃんはひどい親から逃げ出して、悪い男たちに捕まって、ひどいことをさせられてたんだ」
「ほんとに? 今は?」
「アタシのお父さんと結婚した」
「うそ。裏社会のボスで、ロリコン?」
「違うってばー。ちなみに変態でもないからねー」
「変態?」
「ミユキちゃんは痛めつけられるのが好きな体質にされちゃってたんだ」
「なんかすごい話」
「でしょ。だからお姉さんもやり直せるよ」
「でも顔が売れちゃってるから、むずかしいんじゃないの?」アキちゃんが言う。
「1か月も経てばみんな忘れちゃうでしょ?」
「そうかなあ」
「整形しちゃえば?」とユカちゃん。
「なんでそういうことをアッサリ言うのよー」アキちゃんが叱った。
「整形したの?」お姉さんがユカちゃんに聞く。
「バカ言わないでよー。アタシは生まれつきの美人だよー」
「自分で言うか」
「残念。この子みたいな顔ならなってもいいかなって一瞬思っちゃった」
「人間は顔じゃないよー」アキちゃんがムキになる。
「どういう意味よー」とユカちゃん。
「そういう意味だよー」
「そういう意味って、どういう意味よー」
「そういう意味は、そういう意味だよー」
「まあ怪我が治るまで1カ月以上かかりそうだし、ゆっくり考えればいいよと思う」僕が言った。
1か月が経った。捜索は1週間ほどで打ち切られた。遺留品もなく、有力な容疑者も浮上せず、本人も見つからないのでは、ニュースの話題にもならなかった。トップアイドルというわけでもなかったし、数あるアイドルグループの数あるメンバーのひとりにすぎない。世間は忘れてしまったようだ。新しい事件は毎日起こり、みんなそっちを追いかけるのに忙しい。今では日本に毎年何万人と出る行方不明者のひとりにすぎない。
お姉さんの怪我は順調に回復していた。無理さえしなければ普通に動けるようになった。しばらくはユカちゃんの邸宅の家政婦として雇ってもらうことになった。ところが料理の才能があったらしく、すぐにシェフのお気に入りになった。
「なんたって元アイドルだしね。うちのシェフはメロメロだよ」ユカちゃんが言った。
「新しい名前は?」
「ノブコさんに決まった」
「料理は好きなのかな」
「そうみたい。毎日楽しそうに買い出しに行ってるよ」
「そりゃよかった」
「でもまだ顔を覚えている人がいるんじゃないの?」とアキちゃん。
「毎日ニュースで流れてたしね」と僕。
「だいじょうぶ。髪染めて、髪型変えて、眼鏡かけてるから」
「普通の人にはわからなくても、よく知ってる人だったら…」
たとえば、刺した犯人。僕は急に不安になった。でもよほどの偶然でもない限り…。
「お父さんが警報装置は持たせてあるみたいだし」
それなら安心かも。でも間に合うか?
「まだ外に出るのは控えた方がよくない?」
「そうかな。でもずっと家に閉じ込めておくのはかわいそうだよ」
「それもそうか」
「やっぱりノブコお姉さんにちゃんと聞こう」アキちゃんが提案した。
ノブコお姉さんの話によると、刺したのはマチコさんというダンスレッスンの先生だった。先生と言っても22歳だから若い。新人男子とノブコお姉さんは18歳で、いっしょにレッスンを受けていたらしい。年上のダンスの先生にまで手を付けるとは節操のない奴だ。本人は自分のことをモテモテだと思っているに違いない。最低のオスだ。刺すならそいつを刺すべきだろう。どうしてノブコお姉さんの方を狙うのかわからない。ユカちゃんのお父さんに頼んで、マチコさんが今どうしているか探ってもらった。
やがて報告が届いた。マチコさんは事件の後、すぐに仕事を辞めて、なんと僕らが泊ったホテルに就職していた。ホテルの従業員なら過去の宿泊客の検索ができる? 監視カメラの映像も見ることができる? 僕らがホテルから出て行く映像を見た? それでもコンサートがあったから、4人組の同年代の宿泊客は他にもいただろうし、名前の特定はできるのか? それとも候補者リストを作成した? 何件あった? 1件1件調べていくつもりか? マチコさんはホテルを2週間後に退職していて、その後の消息がわからない。あきらめたのかもしれない。だが僕らの情報をつかんだのかもしれない。マチコさんにとって手掛かりは僕らだけだ。ホテルの予約はユカちゃんの名前と住所で申し込んだ。だとするといずれここにたどり着くかもしれない。ユカちゃんの邸宅を見張っていれば、買い出しに出るノブコお姉さんを見つける可能性は高い。まだかもしれないが、もう見つけてチャンスをうかがっているだけかもしれない。どうする?
ユカちゃんのお父さんの部下が目立たないようにマチコさんの顔写真を持って町中を捜索するようになった。やがてマチコさんの姿が確認された。ここに来ている。尾行が始まった。だが人目のある場所で拉致するわけにはいかない。マチコさんは買い出しに出るノブコお姉さんの行動をチェックしているようだ。そのマチコさんの行動をこちらがチェックしている。ややこしい。
僕たちはマチコさんをおびき出して捕まえる作戦に出た。マチコさんも人目のある場所ではお姉さんを襲うことができない。襲うとしたら邸宅前の公園沿いの道路だろう。以前ユカちゃんが拉致されかけた場所だ。思い出したくないが僕が拉致された場所だ。ノブコお姉さんの買い出しの時間を夕方僕たちの放課後に変更してもらった。その時間公園沿いの道は人けがなくなる。ユカちゃんのお父さんの部下がマチコさんを追跡している。動きがあれば、邸宅前の公園で、僕とアキちゃんはデートのフリをして待機、ユカちゃんとミユキちゃんは友達のフリをして待機することになった。いやこれはフリとは言わないか。4人がいっしょだとマチコさんに気付かれるかもしれないから、2人ずつのペアにした。
「アタシがカレとデートのフリするー」ユカちゃんが言い出した。
「蹴るよー」とアキちゃん。
「わたしがお姉さんの代わりに刺されたい」とミユキちゃん。
「こわいこと言わないで」
その日は雨だった。襲うには都合がいい。マチコさんが公園に向かったと報告が入った。僕たちが公園で待機していると、やがてマチコさんがやって来て茂みの中に隠れた。ノブコお姉さんは右手で傘をさし、左手に買い物袋を下げて、両手がふさがった状態で歩いて来る。茂みの中からマチコさんが飛び出した。アキちゃんが突進した。マチコさんは驚いたことにアキちゃんの最初の蹴りを紙一重でかわした。さすがダンスレッスンの先生、動きが機敏だ。だが二発目はかわせなかった。道路まで吹っ飛んだ。ノブコお姉さんが目を丸くしている。すぐに邸宅から警備員が出てきて、マチコさんの身体を邸宅内に運び込んだ。
「アキちゃんの蹴り、また見たかったのに残念だ」ユカちゃんのお父さんが嘆いた。
「見世物じゃないです」僕が抗議した。
「わたしも蹴ってほしかった」とミユキちゃん。
「絶対蹴りません」
「あのう、マチコさんはどうなるんでしょう」ノブコお姉さんが恐る恐る聞いた。
「行方不明者がまたひとり増えるだけだよー」ユカちゃんがあっさりと答えた。
「ねえ…今夜わたし…刺されてみたい」ミユキちゃんが甘えた声でユカちゃんのお父さんにおねだりした。
「ああ死なない程度にな」
いや絶対冗談ですよね。




