3.ミユキちゃん
ユカちゃんが泊った翌朝、ユカちゃんを迎えに来た車で学校に向かった。雨だった。
下駄箱の前でずぶ濡れで立ちすくんでいる女子がいた。見たことのない子だ。
「おはよう。どうしたの?」ユカちゃんが声をかけた。
ユカちゃんはいつでもどこでも誰にでも笑顔で話しかける。偏見というものがない。男子も女子もそれでファンになってしまう。心を許してしまう。
「…助けて」
「わかった。助けてあげる」ユカちゃんはおそらく何も考えずに答えた。
僕とアキちゃんは顔を見合わせた。
「ずぶ濡れじゃん。風邪ひくよ。保健室へ行こう」
「だめ、わたし、ここの生徒じゃないから」
「え?」
「わたし、ここの生徒じゃない」
「でもうちの制服じゃん」
「これ、コスプレなの」
「コスプレ?」
「わたし、本当は高校生で、でも学校行ってなくて…逃げてきたの」
「わかった」
ユカちゃんは携帯で車を呼び戻した。校門前に車が着くと、運転手に女の子を僕の家まで送り届けるように指示した。
「なんで僕の家?」
「うちのお父さんに預けられないよ」
「いやでもその方が安全でしょ」
「詳しい話を聞かなきゃでしょ? うちのお父さんにはできないし、うちにいるのはみんな命令されて動くロボットみたいな人たちだからムリ。アキちゃんのお母さんにまかせる」
「僕の母さんだよ。アキちゃんのお母さんは…」
「もうわたしのお母さんだよ」アキちゃんが言った。「もうわたしのお母さん」
「ごめん。そうだった」
アキちゃんを生んだお母さんは僕の母によろしくお願いしますと言って、僕たちの前から姿を消した。
「あなたはうちにもめ事を持ち込む天才なの?」母がユカちゃんに言った。
「まあまあそう怒るな」父がなだめる。
僕たちが学校に行っている間に、ユカちゃんが手配して全員分の料理とお酒をうちに届けさせた。だから母もそれほど機嫌が悪いわけではない。父はお酒があれば上機嫌だ。
「で、話は聞いてくれた?」ユカちゃんが母に聞いた。
「まず人の話を聞きなさい。それからちゃんと敬語を使いなさい」
「えー、めんどくさーい」
「お母さん、ユカちゃんにそれはムリだよ」アキちゃんが助けに入る。
母はため息をついてあきらめた。
「かなりヤバイことみたいだぞ」父が言った。
「そうね。名前はミユキちゃん。中学の時にひどい両親から逃げ出して、途方に暮れているところを悪い男たちに捕まって、さんざんオモチャにされて、やがて客の相手をさせられるようになったんですって。童顔だから中学生のフリをすればその手の客が高値で買ってくれるらしいわ」
「さらっと言ってくれたけど、ひどい話だな」
「まったくだ」
悪い男たちにとってミユキちゃんはただのオモチャ、金儲けの道具にすぎない。奴らはひとりの女の子の人生を何とも思ってない。人間のオスの性欲が消えるか弱くなるかしない限り、こんな事が起こり続ける。
「よく逃げられたね」
「客の元へ届けられる途中で事故にあったらしいの。対向車線の車が雨でスリップしたか何かで突っ込んできて正面衝突。運転手は死んだかどうかわからないけど動かなかくなった。それで逃げ出せた」
「ミユキちゃんはケガしなかったの?」
「シートベルトが食い込んだけど、それ以外は無事みたい」
「丈夫な車だったんだな」
「で、行く当てがないから、自分の着ていた制服の中学校に来た。演技に必要だからここの中学校の知識はあった」
「なるほど」
「で、おせっかいなユカちゃんが見つけてうちに連れてきちゃった」
「なんか言い方悪くない?」ユカちゃんがふくれた。
「ミユキちゃんは?」
「薬で眠らせてます」母の得意技だ。
「とりあえず警察に届けるか」
「お父さんに頼んでみる」ユカちゃんが言った。「警察にお友達がいるはずだから」
お友達というのは内通者のことか。母がミユキちゃんから聞き出した話では、町のはずれのクリーニング店に監禁されていたということだ。ほとんど客が来ない店で、そこから派遣されていたと言う。組織の規模がどれほどなのかはわからない。ミユキちゃんが事故にあったのは朝早かったから、今頃はすでに撤収されているかもしれない。問題は組織がミユキちゃんを取り戻しに来るかどうかだ。ユカちゃんのお父さんの情報からすぐに警察が動いてくれるとしたら、組織はミユキちゃんが警察の保護下にあると思うだろう。あきらめてくれるだろうか。組織も警察内部に内通者を持っているだろうか。
「今日はミユキちゃんとアキちゃんと3人で寝るー」ユカちゃんがうれしそうに言った。
「そうね。同じ年頃の女子3人なら」母も承諾した。
僕はひさしぶりに自分の部屋のベッドで寝ることになった。誰にもじゃまされずに考え事ができると思ったが、アキちゃんがいないと寂しくて眠れないことがわかった。下に降りて行ったら母がいた。
「さみしくて一人で眠れないんでしょう」意地悪そうに言う。「わたしと寝る?」
「死んでも断る。父さんと寝てくれ」
「お父さんなんか最近元気ないのよねえ」
そういえば父さんこの前、最近やけにトシを感じるとか言ってたっけ。
「また変態プレイでもしてみれば」
「そうね。いいかも」
いやただの冗談なんですけど。
翌朝、ユカちゃんがミユキちゃんと降りてきた。
「もう信じらんない。アキちゃん寝相悪すぎー。アタシたちあの広いベッドの端っこに追いやられて寝てたんだよー」
「ごめんってばー」アキちゃんが追いかけて降りてきた。
パジャマ姿で3人仲よく洗面所に向かった。
「今度から朝食も持ってきてもらおうかしら」母が勝手なことを言っている。
そのうち宿泊代も請求するかもしれない。
「ミユキちゃんはこれからどうするの?」朝食を食べながらアキちゃんが聞いた。
「お父さんに頼んでー、偽の戸籍作ってもらってー、転校生としてうちらの中学校に来てもらうー。卒業するまでだしー」
ミユキちゃんは僕たちの同級生で十分通る。童顔だ。
「表に出てだいじょうぶかな」
「車で送り迎えしてもらうー」
「イヤじゃなかったのか?」
「ミユキちゃんと二人でならいいー」
「じゃあミユキちゃんはユカちゃんちでいっしょに暮らすの?」
「そうだよー。楽しくなりそうー」
「じゃあウチにはもう来ないの?」
「しばらくはねー」
「そうか」父は残念そうだ。
「たまに料理だけ送ってくれない?」母が言ってみた。
「やだー」
僕たちはユカちゃんの迎えの車で学校まで行った。ミユキちゃんは今日はユカちゃんのお父さんといっしょに書類づくりや転校手続きなどをするらしい。
「お父さんは学校にいっぱい寄付してるから楽勝よ」ユカちゃんが自慢げに言った。
ミユキちゃんだけ車に残して、僕たちは車を降りた。校門付近にあやしい人影はなかった。
事件は一週間後に起こった。ユカちゃんのお父さんから連絡が入って、ユカちゃんとミユキちゃんが下校途中に襲われてさらわれたという。今から救出に向かうからいっしょに行くかと誘われた。もちろん誘われたのはアキちゃんで、アキちゃんは僕といっしょに行くと答えた。
「もう離れないからね。死ぬときはいっしょだよ」アキちゃんが真剣な顔をして言った。僕たちは死ぬのか。
母の車でユカちゃんの邸宅に直行した。すぐに警備員に案内されて部屋へ通された。
「二人ともこれを着てくれ」ユカちゃんのお父さんが言った。
防弾スーツと防弾ヘルメット。フェイスガードも付いている。思ったより軽くて動きやすい。最新技術なのか。でも、これは銃撃戦確定ということなのか。死ぬのか。
「ユカの髪留めにGPSが仕込んである。部下が追跡中だ」
髪留めは僕の父のアイデアだ。ユカちゃんのお父さんが気に入って採用したらしい。ユカちゃんのお気に入りの髪留めに仕込んだ。毎晩寝る前にケースに入れれば自動充電される。それをユカちゃんが毎朝着用する。
僕とアキちゃんはスーツを着込んでそのまま装甲車に乗り込んだ。SWATのような完全装備のメンバーがズラッと並んで座っている。素人目には本物の警察官にしか見えない。ユカちゃんのお父さんの話によると、下校途中の送迎車は前後を車にはさまれる形になって、運転手はすぐに緊急連絡した。窓ガラスが外から割られ、筒状の物が車内に投げ込まれた。ガスが噴出して全員眠らされた。助けが駆け付けた時にはミユキちゃんとユカちゃんがさらわれていた。すぐにGPSの追跡が始まった。
「一週間かけて見つけたらしい。やはりミユキちゃんを探していたか。高額商品だからな。顔認証システムでも使ったか。校門近くにカメラを設置されたかな。もっと警戒すべきだった」ユカちゃんのお父さんが移動途中にぼやいた。
敵は思ったより大きな組織らしい。
「ユカは一目でわかるミユキちゃん以上の超高額商品だ。現役の女子中学生でとびきりの美人だからな。すぐには手を出さないだろう。眠っている間に服はチェックして脱がされるかもしれないが、上層部の指示を待つはずだ。時間はある」
自分に言い聞かせるようにしているが、ユカちゃんのお父さんは絶対冷静ではないはずだ。空気が張り詰めている。
「着いたぞ。30分ほどで本物の警察が駆け付ける。すぐにケリをつけるぞ」
何かの工場みたいだ。正面から突っ込む気らしい。やはり親子だ。ストレート真っ向勝負。目的はユカちゃんの救出だけ。あとは全部警察にまかせる。小型のGPS追跡画面を見ながらユカちゃんの居場所にまっすぐ向かう。全員で現れる敵を次々に倒しながら進んで行く。僕たちは最後尾から付いて行く。階段を駆け上がる。最上階は大きな空間が広がっていた。
GPSは奥の部屋を指している。僕とアキちゃんは護衛に付いてくれた男とそっちへ向かった。周りで敵が次々と倒されていく。奥の部屋の前に見張りが二人いた。僕たちの護衛の男に気を取られた隙にアキちゃんが二人とも蹴り倒した。ドアを開けた。ユカちゃんが毛布にくるまっていた。やはり服は脱がされていた。
「逃げるぞ」僕が言った。ユカちゃんが立ち上がって、別のドアを指さした。僕たちはそっちに向かった。下り階段があった。敵が追いかけてきた。アキちゃんが身構える。ユカちゃんが僕の手を引っ張って階段を駆け下りる。
「離れないで!」アキちゃんが叫んだ。
階段の途中でふいに床が抜けた。僕とユカちゃんは真っ暗なチューブの中を滑り落ちてマットの上に落ちた。真っ暗で何も見えない。ここはどこだ。
「あーあ。捕まっちゃったね」ユカちゃんが言った。「これたぶん脱走した子を捕まえるためのワナだよ」
「だいじょうぶ。GPSがある」
「ごめん。髪留め、なくしちゃったみたい」
「うそ、どこで?」
「さっき。逃げる途中で」
「…」
「ねえ、今ここでして」
「何?」
「だって捕まったらアタシ、絶対みんなにやられちゃうんだよ。オモチャにされちゃうんだよ。だからせめて最初の一回だけ、お願い」
「いやいや」
「やっぱり…だめ?」ユカちゃんは泣き出した。
たしかにユカちゃんの言うとおりかもしれない。ここでユカちゃんの願いをきいてあげるべきか? でもそのためにはアキちゃんと別れる覚悟をしなくては…。いやそれより敵の手に落ちたら僕は始末されるに決まっている。どのみちアキちゃんとはもう会えない。敵はすぐ回収に来るかもしれない。
「わかった」
僕はスーツを脱いだ。こんな状況でも僕の性器はそそり立つ。悲しい性だ。
ユカちゃんが手さぐりで僕にしがみついてきた。唇を合わせてきた。舌を入れてくる。
「ユカ、だいじょうぶか?」ユカちゃんのお父さんの大声がした。
「ユカちゃん、だいじょうぶ?」アキちゃんの声だ。
灯りがこちらに向けられた。
「ユカ、何をしている」
ハダカで抱き合っているユカちゃんと僕の姿が照らし出された。
「ユカちゃん、蹴るよー」アキちゃんが突進してきた。
「待った! 何もしてない! 何もやってない!」僕が必死で止めた。
「もー、こんなに早く来ないでよー」
ユカちゃんが右手で何かを投げ捨てた。髪留めだ。こいつ、持っていたのか。
「アタシにしちゃ、いい作戦だったと思わない?」ユカちゃんが言った。
「どうせその場で思いついたんだろ」と僕。
「うそ? なんでわかるの?」
「ひどいよ、ユカちゃん」アキちゃんが怒って言う。
「親友なんだから許してよー」
「親友はそんなことしないよー」
「するよー。親友ならわけてくれてもいいでしょー。減るもんじゃなしー」
「減るよー」
「そうなの?」
「そうだよー。減るんだよー。だからだめなんだよー」
「待って。いやいや、減るわけないじゃん」
「減るんだってばー」
「じゃあもう減っちゃったかもねー」
「え?」
「へっへっへ。実はもうやっちゃったんだー」
「うそ言わないでよー」
「ほんとだよー。ウソだって証明できるのー?」
「もしかして悪魔の証明?」僕が言う。
「なにそれ?」
「あることは証明できても、ないことは証明できない」
「なにそれ?」
「たとえば宇宙人が存在するってことはどこかで一体見つければ証明できるけど、存在しないってことは全宇宙を探し尽くさない限り証明できない」
「つまり浮気したことは証明できても、浮気してないことは証明できない」父が横から口を出す。
「つまりアタシとカレはもうやっちゃったってこと」
「ええー?」
「やってない」僕はきっぱり言った。
「でも証明できない」ユカちゃんもきっぱり言った。
「ユカちゃん間違ってる。悪魔の証明は、『ない』と証明できないことが『ある』って証明にはならないってことだよ。宇宙人がいないってことを証明できなくても、それが宇宙人がいるってことにはならない。浮気してないってことが証明できなくても、したってことにはならない」
「アタマ痛くなる話はやめて」
「そしてデズデモナは殺された」父がまた口を出す。
「デズデモナ?」
「『オテロ』だよ。イタリアオペラ。原作はシェイクスピアの『オセロ』」僕が補足説明をした。
「ゲームの?」
「ちがう。オテロは妻のデズデモナが浮気したと思い込んで、殺してしまう」
「アタマ痛くなる話はいい」
「わたしはカレを信じる」
「そりゃカレはホントのこと言えないよー。アキちゃんと別れたくないもんねー」
「こいつ」
「でもいい。アタシも黙っててあげるー」
「どういう意味よー」
「やってないことにしてあげるー」
「やってないでしょー」
「だからそういうことにしてあげるー」
アキちゃんが僕の顔を見た。
「やってないってば」
「だからそういうことにしてあげるー」
「はいストップ」母が止めた。
玄関のチャイムが鳴った。ミユキちゃんが玄関に立っていた。他の被害者たちといっしょに警察に保護されたのを、ユカちゃんのお父さんが引き取って送って来てくれたらしい。ユカちゃんのお父さんはウチに入ってくる気はないようだ。
「もう安心ね」母がケーキとお茶を出しながら言う。
ミユキちゃんは黙ってうつむいている。
「なんだよー。元気出しなよー」ユカちゃんが声をかける。
「…」
「まあ、今までひどい目にあってきたからな」父が言う。
「わたし、今日捕まった時、思ったの。わたしはもう…普通の女の子じゃないんだって」
「なに言ってんのよー。人生は何度だってやり直せるんだよー。昨日のことは全部忘れて、明日のことだけ考えて生きてきゃいいんだよー」
ユカちゃんが言うと説得力がある。
「ほんとに何もなかったんだよね?」アキちゃんが聞いた。
夜、ベッドの中の会話だ。
「なかった」
「うん、わかった」
眠ろうとして目を閉じた。ユカちゃんの唇の感触がよみがえった。忘れていた。いや、このまま忘れていよう。そんなことはなかった。何もなかった。ユカちゃんの意地悪そうな顔が浮かんだ。だまされた。なんてやつだ。くそ。




