2.ユカちゃんのお見合い
「お見合いー?」僕とアキちゃんが驚いて言った。
「そうなのー。お父さんがねー、今度の日曜日ねー」
「早すぎないか?」
「人のこと言えるー?」
「ちょっと待て、そもそも誰のせいでそうなったと思ってるんだ」
「アタシのせい?」
「そうだよー。ユカちゃんがカレを狙ってきたから、わたしがあせって…」
「そうだっけー?」
「都合の悪いことは全部忘れる主義なのか?」
「でも今しあわせなんでしょー?」
「そりゃあ…」
「ならいーじゃん。むしろ感謝してよねー」
「結果オーライですますのはやめろ」
「でー? お相手はー?」
「えーと、ナントカ中学のー、学年トップのー、ナントカくん?」
「おぼえてないのか」
「だってー、お父さんが勝手に」
「でも学年トップなんだねー。よかったじゃん」
「そう?」
「頭いい子がほしいんでしょー?」
「コレでいいじゃん」
「コレはわたしのだよー」
「人のことをコレって言うな」
「じゃあアタシのお見合い相手と交換しようよー」
「わたしは学年トップはどうでもいいんだよー」
「あ、そうかー」
「コレより頭いいかもしれないよー」
「コレの方がいいかもしれないじゃん」
「ぜったいあげないって言ったでしょー」
「ケチー」
「とにかく会ってみなよー」
「そうだねー」
日曜日になった。僕とアキちゃんはお見合い会場となる部屋とは少し離れた場所で監視カメラの映像を見ていた。ユカちゃんの邸宅にはいくつも監視カメラが設置されていて、映像をパソコンで見ることができた。画面を切り替えて、ユカちゃんのお見合い相手を追跡する。玄関から廊下へ、廊下から会場へ。
「カッコいいねー」アキちゃんが言う。
確かにイケメンだ。眼鏡をかけているから知的に見える。これならユカちゃん気に入ってくれるかも。そう思ったら少しうれしくなった。もうユカちゃんに誘惑される心配はなくなる。アキちゃんも安心する。ダブルデートだってできる。
会場の映像ではお見合い相手とおそらくその両親が並んで座り、対面にユカちゃんとお父さんが座っている。たぶんそうだろうとは思っていたが、やっぱりユカちゃんにはお母さんがいないんだ。少しかわいそうな気がした。お父さんが溺愛するのも無理はない。音声はOFFにされているので、会話は聞こえない。ONにしたら聞けるのかもしれないが、どうせこの場ではつまらない形式上のやりとりしかしないだろう。
お見合い相手が帰って行った。僕とアキちゃんは居間へ通された。ユカちゃんが待っていた。おやつが用意されていた。
「ねえねえ、どうだったー?」おやつを食べながらアキちゃんが聞く。
「それはアタシの部屋へ行ってから話すー」
「なんでー?」
「ここ、監視カメラがあるからー。音声もバッチリ録られてるからー、お父さんに聞かれちゃうー」
「そうなのー?」
「そうだよー。ウチは監視カメラだらけだからねー、プライバシーってもんがないのよー」
「たいへんだねー」
「ユカちゃんの部屋にはないのか?」僕が聞いてみた。
「あったら大変だよー。娘の部屋のぞく父親は変態だよー」アキちゃんが言う。
「お父さんは変態じゃないのか?」
「わかんなーい」
「でもあったらどうする?」
「二度と口きいてあげなーい」
「それは効果があるのか?」
「たぶん。アタシが怒って口きかなくなったら、いつもお父さん泣き出しそうになっちゃうしー」
「お父さんもそこまで変態じゃないとないと思うよー」アキちゃんが言う。
「どこかまでは変態なのか?」
「失礼だよー」
「とにかくアタシの部屋へ行こうー」
ユカちゃんの部屋はお姫様部屋だ。天井が高い。ベッドも天蓋付きでレースのカーテンが付いている。外国の絵本に出てきそうだ。
「3人で暮らすなら、アキちゃんちのみたいなデカいベッドにするよー」
「いらないよー」
「お見合いはどうだったんだよ」
「あー、それそれ。ヒロシくんって名前だった」
「やっと覚えたんだね」
「名前なんてどうでもいいじゃん」
「どうでもよくないぞ」
「ヒロシくん、イケメンだったねー」とアキちゃん。
「そうかなー」
「ヒロシくん、いいんじゃないの?」
「どうかなー」
「ぜったい、いいと思うよー」
「そうかなー」
「そうだよー」
「うーん」
「何か気に入らなかったのー?」
「うーん」
「何も考えてないのか?」
「ひどーい。そんなことないよー」
「じゃあ、どうだったのよー?」
「今日はじめて会ったんだよー。1回じゃわかんないよー」
「じゃあ2回目、2回目つくればいいじゃん」
「アキちゃん、なんか必死だねー」
「連絡先はー? 交換したよねー?」
「したよー」
「じゃあデートだよー」
「そうなのー?」
「そうだよー」
「いっしょについてってくれるー?」
「それデートじゃないよー」
「そうなのー?」
「そうだよー」
「じゃあやめるー」
「えー?」
「実はさー、男子と二人っきりのデートって経験ないんだよねー」
「カレとは二人っきりになったよねー」
「今それ持ち出すー?」
「忘れないからねー」
「あれはヤルのが目的だったからさー」
「蹴るよー」
「殺さないでくれるー?」
「やさしく蹴ってあげるー」
「ありがとー」
「話を元にもどしてくれ」
「何の話だっけ?」
「デート」
「だからやったことないって」
「何にだってはじめてはあるんだよー」
「はじめて、どうだったー?」
「たいへんだったー」
「またずれてるぞ」
「何の話だっけ?」
「デート」
「だからやったことないって」
「やったことないから、やるんだよー」
「なんでー?」
「経験だよー。初めてのことをいくつも経験して大人になっていくんだよー」
「経験して大人になったのー?」
「やだー、やめてー、恥ずかしいー」
「またずれたぞ」
「何の話だっけ?」
「デート」
「だからやったことないって」
「もういい。ダブルデートにしよう」しかたなく僕が提案した。
「ダブルデートってなにー?」
「アキちゃんと僕、ユカちゃんとヒロシくん、4人でデートする」
「あ、それいいー。ね? そうしようー?」
「なんかアキちゃん必死だねー」
「はい、これ」母が盗聴器セットを取り出した。
「これ、ユカちゃんが付けてね。こっちのイヤホンはアンタとアキちゃん」
「こんなので盗聴できちゃうんだー。お父さんにも教えてあげよー」とユカちゃん。
「いやお父さんほどの人ならもう知ってると思うぞ」
「そうなのー?」
「母さん、これ必要なのか?」
「話の内容聞きたいでしょ?」
「プライバシーの侵害じゃないのか?」
「わたし聞きたい」とアキちゃん。
「アタシも聞いててほしいー。だってあとで忘れちゃったら困るもん」
「忘れるなよ」
「それに危なくなったら、アキちゃんに助けてもらわなきゃだしー」
「水族館の人ごみの中でどんな危ないことが起こるんだよ」
「自爆テロとか」父が物騒なことを言い出した。「突然刃物を持った男が暴れ出すとか」
「今は普通にあるから怖いわよねえ」
そうかもしれない。
「それよりお腹すいたー」ユカちゃんが言ったので、母が舌打ちした。
「わたしもすいたー」アキちゃんが助けた。
「はいはい」母が台所に向かう。
僕は母を追いかけて小声で言った。
「ユカちゃん、お母さんがいないみたい」
母の顔色がちょっとだけ変わった。
「それが何よ」と言い返された。
食事が終わったところで、
「ユカちゃん、今晩泊ってってもいいわよ」と母が言った。父がびっくりしている。
「ほんとー? やったー、うれしいー。3人でいっしょに寝よう」
「いいえ」母が言った「わたしと寝るの」
「…殺されるの?」
ユカちゃんは母に殺されはしなかった。僕とアキちゃんは夜中にユカちゃんが抜け出してくるんじゃないかと心配していたが、来なかった。母の話ではユカちゃんは朝までぐっすり眠っていたということだ。薬を盛られたかのかもしれない。
「あんなナマイキでも寝顔だけは天使みたいにかわいいのね」母が感想を述べた。
父はうらやましそうだった。
僕たちはユカちゃんのお父さんが手配した車で水族館へ向かった。
「夕べお母さんに何もされなかった?」とアキちゃんが心配そうに聞いた。
「ううん。でもお母さんってやわらかいんだねー」
「そうだよー。知らなかったー?」
「お父さんはゴツゴツしてたからねー」
「お父さんと寝てたのー?」
「うん。小学生になるまではねー」
「そうなんだー」
水族館でヒロシくんが待っていた。僕は人混みがきらいだ。考えに集中できない。いつかの別荘の散歩道みたいなのがいい。ベートーヴェンの散歩道みたいだった。でも本物のベートーヴェンの散歩道は今ではすっかり観光地になって人混みになってしまっているだろう。いやな世界だ。
僕とアキちゃんは少し離れて、ヒロシくんとユカちゃんの会話を聞いていた。
「アタシさー、アキちゃんのカレシとやりたかったんだよねー」
いきなりその話題から始めるのか。
「アキちゃんって親友じゃないの?」
「そうだよー」
「それはマズイんじゃ…」
「だよねー。でも身体がウズいちゃってさー」
「キミって淫乱…いや、そういうのに興味がありすぎるだけなんじゃないかな」
「そうなの?」
「思春期だからね。性の目覚めっていうか、その、自分じゃどうしようもないことあるよね」
「うーん、わかんない」
「で、どうなったの?」
「もう少しだったんだけど、拒否られてさー」
「バカなやつだな。僕だったら絶対…」
「え?」
「いや、アキちゃんのカレシはもったいないことをしたね」
「ヒロシくんだったらやってた?」
「そりゃあもう…」
「もしかして浮気するタイプなの?」
「ち、ちがうちがう。僕だったら最初からユカちゃんを選ぶってことだよ」
「えー、なにそれー、告白―?」
「まあ、そうとってもらっても…」
「うれしいー」
「告白されたことないの?」
「いっぱいある」
「そうだよね」
「でも今のはなんかジンときた」
「それはアレだよ。ただ好きだって言われるのより、具体的に自分の知ってる誰かより好きだって言われる方がリアルに感じられるからだよ」
「意味わかんないけど、やっぱり頭いいんだ。学年トップってほんと?」
「ほんとだよ」
「アキちゃんのカレシも学年トップなんだよ」
「そうなのか」
「だから頭いい子生みたくてさー。アタシもお父さんもバカだからー」
「そんな単純な理由で…」
「ヒロシくんとやっても、頭いい子できると思う?」
「そ、そりゃあ、もちろん」
「だったらいいのかなー」
「い、いいと思うよ」
「じゃあ、いつやる?」
「え?」
「今晩どう?」
「うーん」
「どうしたの?」
「実は親からは反対されてるんだ」
「どういうこと?」
「美人過ぎるからダメだって。もっと地味な子にしなさいって」
「わけわかんない」
「もう会うなと言われちゃった」
「じゃあなんで来たの?」
「そりゃ僕はどうしても会いたかったからさ。だからナイショで来た」
「会ったことがバレなきゃいいじゃん」
「そんなことできるのか?」
「できるよ」
「どうやって?」
「あとで連絡してー。その時教える」
僕たちはまた車でユカちゃんの邸宅まで帰って来た。ユカちゃんの部屋で話を始める。
「あれ、どういうこと? 会ったことバレないようにするって」
「あああれね。へへ。実はね、この部屋には隠し通路があるのよ」
「えー」
「お父さんがね。いざとなったらここから外へ逃げなさいって」
「いや、それ、誰にも言っちゃダメなやつじゃ…」
「だからヒロシくんにさっき地図を送ってあげたの。監視カメラがない裏の井戸からこの部屋まで来れるんだよ」
「だったらアタシたちジャマだよね。もう帰ろうかー?」
「まだ時間あるからだいじょうぶ。アキちゃんにいいもの見せてあげる」
「なにー?」
「こっち来てー」
ユカちゃんは部屋の奥の扉にアキちゃんを連れて行った。
「ジャーン、アタシのクローゼットだよー」
「すごーい、ひと部屋ぜんぶー?」
「そうだよー。この奥に隠し通路があるんだよー。ここにはねー、アタシのお気に入りがいっぱいあるからねー。ゆっくり見ていいよー」
「ありがとー」
ユカちゃんが僕の所へやって来た。
「それでさー、お願いがあるんだけどー」
「なんだよ」
「ヒロシくんとキミとどっちの方が頭いいかわかる方法ないかなー」
「何だそれ」
「なんか気になっちゃって」
「意味ないと思うけど」
「何かない? 超難問出してヒロシくんが解けるかどうかとか?」
「ばかばかしい」
「ヒロシくん来るまでに考えといてよー」
「やあ、僕とカレどっちが頭いいかって?」
クローゼットの扉からヒロシくんが出て来た。
「あれ、ヒロシくん早かったじゃん。それ誰?」
ヒロシくんの後ろから大男が入って来た。
「僕のボディーガードだよ。ああ、だいじょうぶ。外で待機させるから」
「そんなの聞いてないよー」
「ごめんごめん。それよりお父さんに会えないかな」
「ないしょじゃないの?」
「それは僕の両親の話だよ。やっぱりユカちゃんのお父さんにはちゃんと認めてもらいたいから」
「だいじょうぶだよ」
「あとでバレるのはイヤなんだよ。ここに呼んでくれないかな」
「いいけど」
「僕のことは言わないで。先に警戒されたくないから」
「だいじょうぶだよ。お父さんはアタシのお願いだったら何でも聞いてくれるよ」
「じゃあ呼んで」
ユカちゃんは携帯を取り出して、お父さんに電話した。
「あ、お父さん? 今すぐアタシの部屋に来てくれる? うん、待ってる」と言って切った。
ヒロシくんはユカちゃんから携帯を取り上げた。
「ちょっとー、何するのよー」
上着から何か取り出した。拳銃? 消音器付き? 今どきの中学生はそんなものを持っているのか?
「おとなしくしろよ」
ヒロシくんの口調が変わった。ヒロシくんのボディーガードが力ずくで僕たちの両手を結束バンドで縛った。またこれか。
「ユカ、入るぞ」ユカちゃんのお父さんだ。
ユカちゃんが叫ぼうとしたがヒロシくんに口をふさがれた。
ヒロシくんのボディーガードはお父さんが部屋に入って来るなり、押さえ込んで僕たちと同じように両手を結束バンドで縛った。
「何の真似だ」ユカちゃんのお父さんが凄みのある声で言った。
「下手に動かない方がいいよ。この子を撃っちゃうかもしれないから。もっと時間がかかるかと思ってたけど、バカ娘からこんな大きなチャンスをもらえるとはね。ごめんね、ユカちゃん、僕はね、キミのお父さんを殺しに来たんだ」
「えー、なに? わけわかんない」
「わけわかんないよねー。教えてあげる。キミのお父さんはね、悪い人なんだよ。だからこの世の人々のために、僕がここで殺してあげる」
「お父さんは悪い人じゃないよ」
「キミが知らないだけなんだよ。すごく悪い人なんだよ。だから僕が殺して、その後キミと結婚して、僕がお父さんの組織を継いであげるんだよ。うちの家族全員でそうきめたんだよ」
「バカ言わないでよ」
「バカはキミだよ。こうなったら僕と結婚してお父さんの後を継ぐほうが賢明な選択だとわからないの?」
「わかった。結婚する。結婚するから、お父さんを殺さないで」
「おいおい、それじゃあ後を継げないじゃないか。ほんとバカ」
「お父さんは悪い人じゃないよ。小さい頃アタシといっしょに寝てくれたんだよ」
「小学生か? ファザコンか? まあいい」
僕はアキちゃんのことを考えていた。クローゼットにいたはずだよね? ヒロシくんが隠し通路から出て来た時、見つからなかったのか? 今何をしている? こちらが見えているのか? 出るタイミングを測っているのか?
「これだけバカだと、僕がお父さんを殺したとして、黙っていられるわけがないよね。あーあ、残念。かわいそうだけどキミも殺すしかなくなっちゃった。組織を乗っ取る方法は何か別の手を考えるよ。あ、その前にやってあげてもいいよ。やりたかったんだよね」
ユカちゃんは大声で泣き出した。
「やれやれこれだ。泣けば何でも許してもらえると思ってるの? 甘やかされすぎだね」
「ヒロシくん、頭いいよね」僕はとにかく時間を稼ごうとした。だが稼いでどうなる。
「ユカちゃん、僕が説明してあげる。犯罪って誰にでも可能だけれど捕まらないように実行するのはすごく難しいんだよ。今は科学捜査がすごく進歩してる。監視カメラに映ってもダメだし、少しでも証拠を残しちゃうとダメだし、それに疑われてもダメ。一度警察に疑われたら徹底的に捜査されちゃうからね。その点、ヒロシくんがここにいることは誰も知らない。隠し通路のことも誰も知らない。携帯は処分してしまえばいい。知ってる人間は全員ここで始末できる。偽の証拠も残して行ける。お父さんを恨んでいる人がたくさんいるなら、自分だけが疑われることはない。お見合い相手を侵入犯に殺害されたかわいそうな子でいられる。監視カメラにそこは残っているから都合がいいよね」
「お見事。いやあ上手に説明してくれてありがとう、助かるよ。ほんとに頭いいんだ」
「ここでおまえに何を言ってもムダよな」ユカちゃんのお父さんが言った。
「そりゃそうさ。ここまでやって殺しそこねたら、あとでどんな報復をされるか」
ユカちゃんの泣き声が止まった。何か思い出したように顔を上げた。
「そうだ…アキちゃん」まずい。なぜ今思い出す。やめろ。教えるな。
「アキちゃーん!!」ユカちゃんが大声を上げた。
バンッ!と大きな音がしてクローゼットの扉からアキちゃんが飛び出してきた。だが距離がありすぎる。ヒロシくんが反射的に振り向いて銃を構えた。アキちゃんの身体が宙に飛んだ。滞空時間の長い、大ジャンプだ。何かキラッと光るのが見えた。アキちゃんの身体がヒロシくんの頭の上くらいの高さから、ヒロシくんめがけて落ちていく。キラッともう一度何かが光った。だが銃には勝てっこない、僕はそう思った。が、ヒロシくんはポカンと口を開けている。そうか。ヒロシくんはアキちゃんの蹴りのことを知らない。何が起こっているかわからないんだ。アキちゃんが空中で身体を捻る。蹴りの体勢だ。次の瞬間、ヒロシくんが吹っ飛んだ。時間にすればあっと言う間の出来事だった。僕はヒロシくんのボディーガードに体当たりした。びくともしない。男が僕を振り払おうとしたところで、着地したアキちゃんの次の蹴りが炸裂した。
ユカちゃんのお父さんが縛られた手でベッドの脇のスイッチを押すと数人の警備員がやって来た。なるほど。銃を突きつけられていたから下手に動けなかっただけで、そういう装置はちゃんとあったんだ。拘束が解かれ、警備員はヒロシくんたちをどこかに運んで行った。
「ブラヴォー」ユカちゃんのお父さんが拍手した。
「アキちゃん、部下から報告を聞いてはいたが、実際に見て驚いたよ。まさかまさか、いや実にすばらしい」
アキちゃんは恥ずかしそうにしている。
「それより」ユカちゃんが言った。「お父さん、見たよね?」
「何のことだ?」
「キミも見たよね?」
「何のこと?」
「ヒロシくんも見てたよね?」
「な、何の話?」アキちゃんがうろたえている。
ユカちゃんがいきなりアキちゃんのスカートをまくり上げた。
「やっぱり、アタシのビキニショーツだー」
「ごめーん」
「ビキニショーツ?」
「パンツのことだよ。男子の下着はパンツ、女子の下着はショーツって言うの。これアタシがいちばん気に入ってたのにー。まだ試してなくて、おニューだったのにー」
ピンク色の複雑な模様が入り組んだ複雑な形状のパンツいやショーツだ。光を反射する素材が散りばめてあるらしく、部分的にキラキラ輝いている。ヒロシくんがポカンと口を開けて見ていたのはこれ?
「ジロジロ見ないでよー」アキちゃんがスカートを両手で押さえた。
「ちょっと、着けてみたらどうかなあって…。鏡で見たら、すぐに脱いで元に戻すつもりだったんだよ。だけど、ヒロシくんたちが入って来たから思わず隠れて、様子を見ることになっちゃって。急いではきかえようと思ったんだよ。ほんとだよ。でもそんなことしてる間に何が起きるかわかんなかったし」
「はっはっは」ユカちゃんのお父さんが大声で笑いだした。
「ユカ、命の恩人に何を言ってるんだ。アキちゃんにあげてしまいなさい」
「やだー」
「しかたない。同じものを私がアキちゃんにプレゼントしてあげよう」
「えー、いいんですかー?」
「遠慮しなさいよ」
「してあげなーい」
「じゃあおニューの方をアタシがもらう」
「いいよー」
お父さんがまた大声で笑った。
「ときにアキちゃん、その腕いや足を見込んで、ひとつ頼みたい仕事があるんだが…」
「それはおことわりします」
「なるほど。ユカちゃんの部屋には監視カメラがない。隠し通路にも監視カメラはない。仮に敵にカメラをハッキングされたとしても、敵に娘の居場所はわからない。娘を思う親心ね」母が言った。
「どう考えてもこっちの世界の人間じゃないな」父が言う。
「そんな世界に生まれてきちゃうなんて、不幸な子ね」
「ぜんぜん不幸そうに見えないけどね」僕が言う。
「おまえたちのおかげかもしれないぞ」
「そうかなあ。持って生まれた性格なんじゃないかな」
「そんな性格にならなきゃ、耐えられなかったのかもしれないぞ」
「いいほうに考えすぎてない?」
「美人だからな」
「でもアキちゃんをあっちに取り込まれるのはごめんだわ」母が言った。
「あたりまえだろ。危険すぎるよ」
「まああの蹴りを見せられたらな。ユカちゃんのお父さんがスカウトしたくなる気持ちもわかる。たとえば大男といっしょに行動させれば、誰でも大男に守られているただの小娘だと思い込む。本当の脅威がその小娘の方だとは夢にも思わない。ユカちゃんみたいに人目を惹く美人でもないしな」
「アキちゃんの方が可愛いよ」
「そこでムキになるな。目立つタイプじゃないと言ったんだ。それも都合がいい」
「アキちゃんは人間凶器じゃないよ」
「あたりまえだろ。うちのかわいい嫁だぞ」
「でもユカちゃんがいる限り、かかわりは避けられないわね」
「だいじょうぶ。わたしちゃんと断ったから」
「そうなんだけどねえ」
外で車の止まる音がした。
「やっほー。また泊めてもらいに来たよー」ユカちゃんの声だ。
「あのねえ、つけあがるのも…」
「お母さん」アキちゃんがさえぎった。「ユカちゃんはまたお母さんといっしょに寝たいんだよ。冷たくしないであげて」
母はこらえた。やはりアキちゃんには甘い。
「一度エサをやったらまた寄ってくるのは当然だろ」と父。
「ユカちゃんは犬や猫じゃないよ」
「ユカちゃん聞いてー。あのビキニショーツ、お母さんに取り上げられちゃったー」
「えー、ほんとー?」
「あたりまえです。あなたたちにはまだ早すぎます。あんな、あんな…」
「セクシーな」父が言い添えた。
「えー? お父さんも見たのー?」
「あ、え、いや、想像だよ、想像。たぶん、そういうものだろうなと」
母は自分で着けて父に見せたのか? やめよう。考えたくない。あり得ない。
「お腹すいたー」
「次に来る時はごはん食べてから来なさい」
「ひとりじゃ美味しくないもん」
「じゃあ今度からそのお料理を持って、ウチに来なさい」
「あ、そっかー。そうするー。みんなの分も作らせるー」
「ぜひそうしてちょうだい」
「できたら酒も頼む」父がダメもとで言ってみた。
「わかったー」
これでユカちゃんの来訪が嫌がられることはなくなりそうだ。
ユカちゃんはその夜も母さんと寝た。




