22.単語帳
「先生、ミユキちゃんの脳は本当に大丈夫なんですか?」
僕たちはカウンセラーの先生に尋ねた。
「心配なのね。無理もないわ。でもね、脳に異常は見られないの。もちろん脳についてはまだまだわかっていないことが多いから、現在の医学の水準では異常と判断できないってことだけど」
「でも痛めつけられることを望むなんて、明らかにおかしいじゃないですか」
「逆にそれで正常な状態を保っていると、私は考えてるの」
「え?」
「あなたたちがミユキちゃんと同じ体験をしたとして、正常な状態でいられると思う?」
「いや、とても」
「だから今正常な状態であることが異常とも言えるわね」
「アタマ痛い」ユカちゃんが言った。
確かに頭が痛くなる話だ。やはり父の言ったとおりなのだろうか。
「いいじゃん。急に叫び出したり暴れたりするわけじゃなし、ただの個性だと思えば」ユカちゃんがあっさりと言った。
そんなむちゃな。
「わたしたちは今までどおり接してればいいんじゃないの?」アキちゃんが言った。
「そうだね」今はそうするしかない。
(女の子の回想)
彼が学校を休んだ。わたしは心配でやって来た。オートロックのマンションの入口で部屋番号を入力する。
「はい」返事があった。
「わたし。だいじょうぶ? わたしに何かできることない?」
「上がって」
自動ドアが開いた。わたしはマンションの中に入ってエレベーターで上がって行った。彼の部屋のある階で降りて、彼の部屋の前まで来た。ドアホンを押す。鍵の開く音がして彼が顔を出した。
「入って」
「どうしたの? 風邪?」
「いいから入って」
わたしは部屋に入った。彼のご両親は共稼ぎなので昼間はいない。彼ひとりだ。ドキドキする。わたしは彼が好きだ。だから何があっても平気だし、何をされてもいいと思っている。でなければ男の子ひとりの部屋に入ったりしない。
「具合悪いの? 何してたの?」
「勉強」
「え? 学校は?」
「学校より家の方が勉強はかどるんだよ」
「でも休んだらまずいんじゃないの?」
「いいんだよ。学校は僕のことなんか気にしてないよ」
わたしは彼の顔をのぞきこんだ。彼はじっとわたしの顔を見た。見つめ合って、彼の顔がわたしの顔に近づいてきた。これは…。わたしは目を閉じた。彼の唇がわたしの唇に触れた。どうしていいかわからない。彼を抱きしめたほうがいいの? それとも抱きしめてくれるのを待ったほうが…。彼の舌が入ってきた。わたしは吸った。彼が吸い返してきた。わたしは舌を入れた。わたしのファーストキスだ。おたがい抱きあうこともせず、ただ顔をくっつけて唇を吸い合ってる。なんだか恥ずかしい。やがてどちらからともなく離れた。ますます恥ずかしくなった。
「ねえ、ハダカになってよ」彼が言った。
きた。まだ中学生だから早いと思うけど、でも好きだから、彼が望むなら、わたしはいいと思う。後悔はしないと思う。
「お風呂入っていい?」
「いいよ」
わたしはバスルームに入ってお湯にさわってみた。まだあたたかい。追いだきのボタンを押して、脱衣所で服を全部脱いで、バスルームに入った。かけ湯をして、ボディソープを手で泡立てて身体を洗った。アソコもきれいに洗った。だいじょうぶ。温水シャワーで洗い流して、お湯につかった。ふうっと息をついた。何をされるんだろう。どんなふうにされるんだろう。わたしはただじっとしてればいいのかな。ドキドキして顔が赤くなった。お風呂を出て、身体を拭いて、バスタオルを巻いた。
リビングに戻ったら、彼がぶら下がり健康器具みたいなのを持ち出していた。
「こっちへ来て」彼が言った。
わたしがバスタオルを巻いたまま近づくと、私の左手をとって手錠をかけた。
「え? 何するの?」
彼は黙って手錠のもう片方を健康器具の支柱にかけた。それからわたしの右手をつかんだ。
「ちょっと、何するの? いやだ」わたしは抵抗した。
彼は無理やりわたしの右手にも手錠をかけ、反対側の支柱につないだ。わたしはバンザイの格好になった。バスタオルが床に落ちた。恥ずかしい。
「ねえ、何するの? こんなのいやだ」わたしは言った。
「僕の勉強の手伝いをしてもらう」
「え?」わけがわからない。
彼は単語帳を手に持って、1枚破った。
「academy 学校」彼が読み上げてカードをわたしの腕に画鋲で止めた。
「ひいっ、いたい」わたしは叫んだ。
次の1枚を破った。
「accident 事故」
カードをわたしの胸に画鋲で止めた。
「ぎゃっ、い、いたい、やめて、やめて」わたしは暴れた。
彼はバスルームへ行ってわたしのショーツを持ってきてわたしの口につめこんだ。
「ウウウ、ウウー」わたしは頭を振り回した。足をバタバタさせた。
彼はわたしの足を片方ずつ縛って左右の支柱に引っ張ってつないだ。わたしは足を大きく開いた格好になった。彼はまた単語帳を破った。
「acid rain 酸性雨」
読み上げてわたしの下腹に画鋲で止めた。
「ウウー」痛い。痛いからやめて。
彼は次々に単語帳のカードを読み上げながらわたしの身体に画鋲で止めていった。
「ウウー、ウフウー、グフー」わたしはくぐもった悲鳴を上げ続ける。
身体中痛くて死にそうだ。気が狂いそうだ。涙があふれ出た。何度も頭を振って、やめてもうやめてと訴える。彼はやめてくれない。もうわたしの身体にはコルクボードの掲示板みたいにたくさんのカードが画鋲で止められている。太ももに新しいカードが画鋲で止められた。
「グウウ、グフッ」涙が止まらない。身体が小刻みに震える。
ドアホンが鳴った。彼がモニターに向かった。
「はい」
「ユカだよー。先生に言われてプリント持って来たー」
「今度にしてよ」
「何言ってるのよ。いるんでしょ? プリント渡すだけじゃん。それとも開けてくれるまでここで騒ぎ続けようか?」
彼はため息をついてマンションの自動ドアを開けた。わたしに近づいて言った。
「絶対声をたてないでね。黙っておとなしくしてて」
やがてまたドアホンが鳴った。彼が玄関に向かった。ドアを少しだけ開けて外に手を差し出した。
「グフウウウーッ」わたしは思い切り大きな悲鳴を上げた。
ドアが押し開けられ、彼を押しのけてユカちゃんが飛び込んできた。
「何よ、これー?」
わたしは顔を上げた。涙で何もかもがにじんで、ぼんやりとしか見えない。
「アキちゃん、蹴っていいよー」ユカちゃんが言った。
「この変態!」アキちゃんと呼ばれた子が彼を蹴り飛ばした。
男の子もいた。ユカちゃんの彼氏だ。もうひとりの女の子がわたしの身体の手錠やロープを健康器具からはずしてくれた。わたしをささえてくれて言った。
「画鋲を抜いていいのかどうかわからないから、このまま運んでもらうね」
運ぶ? どこへ? 意識が遠のいた。
「ほらねー。ああいうのが本当に頭おかしいって言うんだよ」ユカちゃんが言った。
「ミユキちゃんは全然まともだよ」とアキちゃん。
「あ、ありがとう、なのかな?」ミユキちゃんはとまどってる。
「あの男の子はどうしたの?」僕が聞いた。
「カウンセラーの先生にまかせた」ユカちゃんが答えた。
「女の子は?」
「傷はまあ、小さな穴だらけ? わかんない。死神くんにまかせた」
「女の子にもカウンセリングが必要かな」
「わかんない」




