14.出張シェフ
「出張シェフに同行してほしい?」
「そうなの」ノブコお姉さんが言った。
「なんで?」アキちゃんが聞く。
「その…話しにくいんだけど…相手の人がなんだかこわいの」
「こわい?」
「3人家族だと聞いて用意して行ったんだけど、男の人が出てきて今日は奥さんとお子さんに急な用事ができてしまったので、また明日出直してほしいと……」
「なんだ。そういうことなら」
「でも何かこわいの」
「その人が?」
「うん」
「じゃあ断ればいいじゃん」ユカちゃんが言った。
「それが…うちのシェフのお友だちみたいで…」
「シェフって、ノブコお姉さんを気に入ってくれてる人?」
「そう」ノブコお姉さんの顔がちょっと赤くなった。
「え? 好きなの?」ユカちゃんはストレートすぎる。
「い、いえ、とんでもない。わたしなんか、いつもお世話になりっぱなしで」
「あー、照れてる。かわいいー」
「か、からかわないでください」
「シェフには話してみたの?」
「はい。そしたら顔はこわいけど、とてもいい奴だからって…」
「じゃあ、だいじょうぶじゃない?」
「そうなんですけど」
「何かひっかかるの?」
「思い過ごしならいいんですけど…」
「でもわたしは何をしたらいいの?」アキちゃんが聞いた。
「ただ、いてくれたら安心なので」
「お料理のお手伝いする?」
「はい。それでいいです」
「できるのか?」僕が言った。
「フリでいいです」ノブコお姉さんが言った。
「なんか傷つくー」
ノブコお姉さんが笑った。
「アタシも行くー」ユカちゃんが言った。
「だめだよー。ミユキちゃんについててあげなきゃ」
「あ、そうか」
「忘れるんじゃないわよー」
「でも手術はうまくいって、あとは意識の回復を待つだけだって」
「ほんとよかった。でも目が覚めた時、そばにいてあげなきゃ」
「そうだよね」
「お父さんは?」
「なんせ忙しいからねー。でも心配はしてた」
「早く目が覚めるといいね」
「うん。アタシとカレとで見守っててあげる」
「え?」
「アキちゃんはノブコお姉さんと行くんでしょ? アタシはカレといっしょに…」
「だめー」
「だめと言われてもねー」
「ノブコお姉さん、カレも連れてっていいですか?」
「え? いやそれはちょっと…」
「わがまま言ってんじゃないわよー」
「お願い。ユカちゃんと二人っきりなんて危なすぎる」
「人を危険物みたいに言わないでよー」
「だってそうでしょー」
「僕ならだいじょうぶ」
「だいじょうぶなわけないでしょー。ハダカで抱き合ってたくせにー」
「そ、それを今持ち出すか?」
「忘れてないからねー」
確かにあの時僕はユカちゃんの策略にはまってしまった。思い出すと今でもくやしい。たしかキスも…いやそれは忘れた。永久に忘れた。そんなことはなかった。
「アキちゃんが帰ってくるまで、ひとりで家にいる」しかたなく言った。
「えー? ミユキちゃんがかわいそうだよー」ユカちゃん、こいつ、くそ。
「じゃあ親戚の子を預かったっていうことにして…」ノブコお姉さんが悩んだ末に言った。
「ぜひそれでお願いします」アキちゃんが言った。
僕はアキちゃんに連れられて、ノブコお姉さんの後をついていく。料理の材料が入った籠を抱えている。なんか情けない。マンションに着いて、チャイムを鳴らす。
「お世話になります。お約束の出張シェフにまいりました」
ドアが開けられて、男が顔を出した。僕とアキちゃんを見てびっくりしたような顔をした。
「すみません。急に親戚の子を預かることになっちゃって。ご迷惑はおかけしませんから」
「ま、まあ、どうぞ」男が部屋の中へと誘った。
ノブコお姉さんが入った。続いてアキちゃんが。ビリビリビリ。アキちゃんが倒れた。え? なに? 男がスタンガンを持っていた。僕の胸に押し当てた。僕も倒れた。
気がついたら両手と両足をガムテープで縛られていた。隣でアキちゃんも縛られている。
男が包丁を持ってノブコお姉さんを脅していた。
「大きな声を出すなよ。静かにしないとこいつを刺すぞ」と僕に包丁の先を向けた。
「わ、わかりました」
「せっかくだから、料理をいただこうか」
「え?」
「料理をしに来たんだろ? やってくれよ」
「は、はい」
「おっと、その前に服を脱げ」
「え?」
「服を脱ぐんだよ。聞こえないのか?」男が僕の頬に包丁をあてた。
「わ、わかりました。脱ぎます」
ノブコお姉さんはゆっくり服を脱ぎ始めた。恐怖で身体がふるえている。なぜこんなことに。
「おじさんはこの家の人じゃない」僕が言った。
「なに?」
「だから昨日急にお姉さんが来て、あわてたんだ。とりあえず適当な口実で今日の約束をとりつけた」
「なぜそう思う?」
「この家のご主人はシェフの友だちなんだ。そのシェフが顔は怖いけどいい奴だって言ってたのに、おじさんの顔は普通だよね。この家の人たちはどうしたの? 出張シェフを予約してたのなら昨日3人とも家にいたはずだよね。おじさんは逃げるところだったんでしょ? でもお姉さんに顔を見られてしまった。口封じをしなきゃいけなくなった」
「ガキのくせに賢いんだな」
「3人をどうしたの?」
「殺した。かわいそうだが、しかたない。おまえたちも殺す」
「遺体は?」
「風呂場にまとめて置いてある」
「どうして?」アキちゃんがいつのまにか目覚めていた。
「おい、下着も脱ぐんだよ。素っ裸になれ」男がノブコお姉さんに命令した。
ノブコお姉さんは泣きながら下着を脱いだ。
「よし、その恰好で料理しろ」
ノブコお姉さんはハダカでキッチンに向かった。いつものようにステップを踏みながら楽しく料理できる状況ではない。
「どうして殺しちゃったの?」もう一度アキちゃんが聞いた。
「借金を断られたからだよ。なんでだよ。殺すぞと脅してるのになぜ断れるんだよ。本気だとわからすために主人をちょっと刺したら、ガキが大声で泣き出して暴れたから、しかたなくガキを刺したんだよ。そしたら母親まで半狂乱になって暴れ出したから、しかたなく刺した。そうなったら主人も刺すしかないだろうが。カネは手に入らないし、人は殺しちゃうし、人生台無しだよ。死体を片付けて、血の付いた服を着替えている時にこの女が来やがった。チャイムが鳴って、出なきゃ不審に思われるかとこわくなった。ばかだよな。無視してやり過ごして早く逃げ出すべきだったんだ」
「いや、出なかったら不審に思われるし、その場で通報されたかもしれないから、出たのは正解かも」
「なんだこいつ」
「カレは考えるのが好きだから、考え出すと止まらなくなっちゃうの」
「おかしなやつだな」
「ただドアホンで会話して追い返すべきだった。そしたら顔も見られなかったし、時間も稼げた」
「とっさにそこまで考えられるかよ」
「なんでドアを開けたの?」
「この女が可愛かったから、つい」
「ばかなの?」アキちゃんがユカちゃん並みのツッコミをした。
「それならスタンガンも持っておくべきで…」
「うるせえ。死体の始末する時に置き忘れたんだよ。どうせオレはカネにも運にも女にも見放されてんだよ。ちょっとくらいいい思いをしてもいいだろ」
「どういう理屈だ」
「見ろよ。女がオレのためにハダカで料理作ってくれてるんだぜ。こんなことはなかった」
「ふつうないよ」
「できました」ノブコお姉さんが小さな声で言った。
「こっちへ運べ」
ノブコお姉さんは黙ってテーブルの上に料理を並べた。男は席について隣の席に僕を座らせた。包丁の先を僕に向けている。アキちゃんは床に転がされたままだ。男は片手で料理を食べ始めた。
「うまい。うまいな」
ノブコお姉さんは手で胸を隠している。
「おい、手を後ろにまわせ。股を開け」
ノブコお姉さんは首を振った。男が包丁で僕の上腕を刺した。
「痛っ」血が流れ出た。
「わ、わかりました」
ノブコお姉さんが手を後ろにまわし、足を少し開いた。うなだれて、肩をふるわせている。僕は見ないようにした。
「いいながめだ。もっと足を開け。そうそう。最高だな」
どうしてオスはメスのハダカをそんなに見たがるのか。遺伝子増殖という企みに利用されているだけなのに。それに気が付いた人間たちは自分の意志に関係なく発生する欲情を恥ずかしいと思うようになった。だったら早くこの遺伝子プログラムを書き換えてくれよ。同意なき相手を従わすことによろこびを感じたり、同意なき相手との生殖行為によろこびを感じたり、そんなオスはいらない。
アキちゃんがじたばた暴れ出した。ガムテープがゆるむ。
「うるせえな。暴れるんじゃねえよ」
男がガムテープを手にしてアキちゃんに近づいた。アキちゃんは海老のように身体を丸めた。反動を利用してガムテープで巻かれた両足で思いっきり男を蹴った。男が吹っ飛んだ。ノブコお姉さんが包丁を取って、アキちゃんの手足のガムテープを切った。アキちゃんが立ち上がった。
「この変態!」男をもう一度蹴り飛ばした。
いやそこはもっと罪の重い『人殺し』と呼ぶべきじゃないかな。
殺人犯は逮捕された。ユカちゃんのお父さんに連絡したら、いつもの刑事さんがやってきて、手際よく処理してくれた。
「またお手柄ですね」僕が声をかけた。
「オレにも一度見せてよ」刑事さんが言った。
「え?」
「アキちゃんの蹴り。いつも後始末だから、見たことないんだよ」
「見世物じゃないです」
ミユキちゃんの意識が戻った。僕たちはほっとした。ユカちゃんが抱きついた。
「い、いたい」
「あ、ごめん」
「よかったねー。あぶなかったんだよー」アキちゃんが言った。
「意識半分とんでた」ミユキちゃんがぼんやりと言った。
今回の出来事もミユキちゃんの脳の中では気持ちいい思い出にすり替わるんだろうか。ミユキちゃんにとってはその方がいいのかもしれない。でもほんとにいいのか?
「しばらくは絶対安静だからね。やだー、なんかかっこいいー」ユカちゃんがはしゃいだ。
何を考えている。こいつの精神年齢はいったいいくつだ。
「絶対安静の意味はわかってるか?」
「え? なんとなく」
「いきなり抱きついたりしちゃだめだよ」
「そうなの?」
もういい。お医者さんと看護師さんによくお願いしておこう。
ノブコお姉さんがまた家に料理を作りに来てくれた。
「この前助けてもらったお礼です。ほんとにありがとう。アキちゃんがいなかったら」
「ごめんねー。うちの息子は役立たずで」母が笑いながら言った。
「悪かったな」僕はふてくされた。
「いえそんな」
「元アイドルのハダカキッチン…」父がうっかり口に出した。
ノブコお姉さんが赤くなった。母が父をにらみつけた。
「僕は見てない。見ないようにしてた」僕はあわてて言った。
「ありがとう」
「アタシのハダカを見せてあげるー。あ、もう見せたっけ?」
「ユカちゃん、蹴るよー」
「やだ、こわーい」
「一度ほんとに蹴った方がいいかも」母が言った。




