正男
それは、ある人間の家でのことでした。母親が、息子に話しかけています。
“正男、正男。”
「なんだい、母ちゃん、俺を呼んだかい?」
「これだよ、これ。何処から持って来たんだい?」
「ん~、知らないよ。母ちゃんが、持って来たんじゃないの?」
「あたしはこんなだよ、まともに歩けないんだよ、あんたが持って来るしかないじゃないか。」
「ん~それじゃあ、コイツが勝手に此処に来たんだよ。」
「また馬鹿な嘘つくんじゃないよ。カゴが勝手に歩いて来るはずないじゃないか。」
「嘘じゃないよ。俺じゃないよ。」
家の中には沢山の色々な物が散らかっています。お菓子の紙袋やら、食べた後の発泡スチロール製のトレイやら、洗っていない食器やら。壁には、焦げ茶色に変色したシミのような跡が見え、時折その上を黒い虫がカサカサとはい回っているのです。
「ほら、母ちゃん、テレビに写っているのを見ながらいつも言ってるじゃないか。昔は、うちにもいっぱい飼ってたんだよって、動物は可愛いもんだよって、だから、誰かが持って来てくれたんだよ。母ちゃんだったら可愛がってくれるだろうからって。それに、今日は母ちゃんの誕生日だからな。プレゼントってやつだよ。」
誕生日はもうふた月は過ぎています。母親には、明らかに息子がやった事だと分かっていました。
「ほら、母ちゃん、可愛いだろ?、可愛いよな?」
「正男、あんたは優しい子だね。どれどれ、本当だ、可愛いもんだ、ネズミなのかね?」
そうです、子兎はこの親子の家に居たのでした。さらわれたのでは?・・・いいえ、そうではありません。
「そうだろ、そうだろ、コイツは凄い人気者なんだよ。こんな汚い毛並みの奴にどうしてかって思うだろう?」
「そんなことはないよ、こんなこげ茶色の毛並みでも可愛いよ。でも、正男がそう言うんなら何かあるのかい?」
「それがよ、びっくりするくらい可愛い声で鳴くんだよ。それで皆、聞き惚れちゃってさ。ちょっと聴いてみてくれよ。」
正男は、子兎に向かって命令します。
“ほら、鳴いてみてくれよ。母ちゃんに、聴かせてくれよ。”
# カシャカシャ カシャカシャ
正男が、指でゲージの金網をトントンと突き震わすので、子兎は驚いてしまいます。
『うわー、なんだ、この人間は。僕をどうしようと思ってるんだ。そんなに突いて揺らすなよ、気持ち悪いじゃないかよ。』
「ほらほら、そんなに突くんじゃないよ、ネズミが驚いているじゃないの。」




