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第8話「魔王、川で魚を釣る」

昼、余は目覚めた


(ここは、いったい、どこだ…)


「おはようございます魔王くん!」


「あぁ」


「これ食べてください」

 

丸山が板チョコを割って半分くれた

「今日1日分の食料です」


(こ、これだけか、)


丸山が押し入れから細長いものを取り出してきた


「釣り竿です」

「つりざお?」

「魚を釣る道具です。川に行きませんか」


 余は釣り竿を眺めた。細くて頼りない棒だった。これで魚が捕れるのか。余は腕を組んだ。


「魚なら素手で捕れる」

「……本当ですか」

「余をだれだと思っている」


 丸山は少し間を置いてから言った


「じゃあ行きましょう」


小屋から歩いて十分ほどの場所に川があった


春の川は水量が多かった


雪解け水が混じっているのか


透明で冷たそうだった。


川底の石が透けて見えた


よく見ると、石の陰に魚の影がいくつか動いていた 


「あそこにいます」丸山が小声で言った

「静かにしないと逃げます」


 丸山が川岸に腰を下ろして、釣り糸を垂らした。余は川を眺めた


魚の動きを目で追った。あの岩の裏に、大きめのものが一匹いる

余は岩に近づいた


慎重に、足場を確かめながら岩の上に立った


魚が見えた 手を伸ばせば届く距離だった 余はゆっくりと腰を落とした


 もう少し

 あと少しで届く

 その時だった

 岩が濡れていた

 どぼん、という音が川に響いた。

 余は川の中にいた


水が冷たかった


春の雪解け水は容赦がなかった


余は立ち上がった


水深は腰ほどだった


川底の石が足の裏に当たった


マントが水を吸って重かった


丸山が岸から余を見ていた


何も言わなかった。ただ見ていた。肩が小刻みに震えていた。


「……見るな」

「見てません」


 明らかに笑いをこらえていた


余は川から上がろうとした

石で足を滑らせて、もう一度盛大に転んだ。水しぶきが上がった


丸山が顔を背けた。背中が震えていた


余は川の中で立ち上がった。


冷たかった 全身が濡れていた 髪が顔に張り付いていた

 余は魚を見た


さっきの岩の裏の魚が のんびりと泳いでいた 余を見ても逃げなかった


何かが、余の中で沸き上がった

 

怒りとも違う。屈辱とも違う。


ただ、何か熱いものが体の底から込み上げてきた


余は川の中で仁王立ちした。マントが水の中で広がった


 水面が、静かに揺れ始めた。


 川底から泡が上がった


水が渦を巻いた


余の周りだけ、川の流れが変わった


 ごぽん!という音がした


 魚が二匹、岸に打ち上げられた


 丸山が目を丸くして岸に打ち上げられた魚を見た


それから川の中の余を見た

「……今、何をしたんですか」

「知らん」


余は川から上がった

濡れそぼったマントを引きずりながら岸に座った 


体が冷えていた 


しかし、さっきの熱はまだ胸の中に残っていた


丸山が焚き火を起こした

 

手慣れた手つきで石を組み、枯れ枝を集めた


火がつくと、余はその前に座って体を乾かした。マントから湯気が上がった


丸山が魚に塩を振った 枝に刺して火にかざした


じりじりと焼ける音がした 


魚の脂が落ちて、炎が揺れた 香ばしい臭いが漂ってきた


 余の腹が鳴った。

「もうすぐです」


川の音が聞こえた 鳥が鳴いていた 春の夕方の光が木々の間から差し込んでいた


余は濡れたまま、ただ火を眺めていた


 悪くない時間だと思った


 丸山が魚を差し出した

 余は受け取って、一口食べた


塩と、魚の脂と、焚き火の煙の香りが混じっていた。骨があった。熱かった。しかし、確かに何かが余の体に染み込んでくる気がした


「うまい」

 余は言った


丸山がうれしそうに笑った


 二人で黙って食べた


川が流れていた 火が揺れていた 余のマントはまだ少し湿っていた


余はもう一口食べた


この世界に来て初めて、余は急いでいなかった


どこにも行かなくていい


何もしなくていい ただここにいて 魚を食べていればいい


そう思った


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