第5話「銭湯へ行く」
日曜日の昼だった
春の日差しが窓から差し込んでいた。
丸山は珍しく早起きして、朝から小屋の中をうろうろしていた。
「魔王くん、銭湯行きませんか」
「せんとう?」
「お風呂です。お金払って入る大きいお風呂」
余は自分の体を見下ろした。言われてみれば、この世界に来てから一度も風呂に入っていない。魔王城では魔力で体を清潔に保っていたが、今の余にそんな力はない。
「……行くか」
二人で道を歩いた。
人が多かった。家族連れ、老夫婦、自転車に乗った子供たち。
その時、後ろから声が聞こえた。
「ちょっと見てよあれ、めっちゃ気合い入ったコスプレの人いる」
「ほんとだ、すごーい。FF? それともドラクエ?」
余のことだった。
余は振り返らなかった。丸山が小声で言った。
「無視していきましょう」
「言われるまでもない」
銭湯は古い建物だった。
暖簾をくぐると番台に白髪の老婆が座っていた。
余を見て目を丸くしたが、何も言わなかった。丸山が小銭を払った。
脱衣所で余は動きを止めた。
「……なぜ見知らぬ人間と同じ場所で服を脱ぐのだ」
「そういうもんです」丸山は淡々と言いながら服を畳んだ。「早くしてください」
余は仕方なく従った。服の畳み方がわからず、丸山が無言で手伝った。
浴場に入ると、湯気が充満していた。
タイル張りの床は濡れていた。余は慎重に歩いた。
慎重に、歩いたのだが。
「足元気をつけて、滑りますよ」
丸山が言い終わる前に、余は盛大に滑った。
ばたん、という音が浴場に響いた。
しばらく沈黙があった。
「…………」
「…………大丈夫ですか」
「……見なかったことにしろ」
丸山は必死に笑いをこらえていた。肩が震えていた。
湯船は広かった。
余はそろそろと湯に浸かった。
温かかった。
じわじわと熱が体に染み込んでくる。
体の芯から温まっていく感覚。魔王城にも湯殿はあったが、一人で入る広い風呂だった。
こんなふうに、知らない老人と肩を並べて湯に浸かったことはなかった。
隣に座っていた老人が余を見て言った。
「兄ちゃん、役者か何かか?」
「……違う」
「そうか。でもいい面構えしてるな」
余は何も言わなかった。
しかし悪い気はしなかった。
丸山が小声で言った。「なんか馴染んでますね」
「うるさい」
帰り道、二人並んで歩いた。
夕方になっていた。
春の風が少し冷たかった。体の芯はまだ温かかった。
「魔王くん」
「なんだ」
「楽しかったですか」
余は少し考えた。
「……悪くない場所だな」
丸山が笑った。声を出して笑った。余がこの世界に来てから、初めて聞く笑い声だった。
「ですね」
余はそれ以上何も言わなかった。
ただ丸山が笑うのを
余は初めてちゃんと見た気がした。




