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こちら異世界BAL《クロスロード》-世界の味、集めます-  作者: 三嶋トウカ
第二章:様々な世界の一片

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第36話:ポテトチップスの味変_1


 バルの夜は、ほどよくにぎわっていた。

 木の扉の奥に広がるのは、現代日本の居酒屋とも、古い酒場とも言えない空間だ。石造りの壁にはランプがかかり、光がグラスや瓶に反射して揺れる。カウンターの奥ではツユが静かにグラスを磨き、凪斗は手元の小皿を並べていた。


 獣人の男が喉の奥で笑い声を上げ、しっぽを揺らしながら仲間に杯を差し出す。長耳のエルフが、歌うような抑揚のある言葉で返す。

 凪斗はもう聞き慣れた。だが、その場に初めて足を踏み入れた人間には、理解不能なざわめきでしかないだろう。


 からん、と鈴が鳴った。

 扉が開いた瞬間、空気が僅かに動く。

 入ってきたのは、Tシャツにリュックを背負った若い男女だった。大学生くらい。だが、顔は強張り、目を見開いたまま動けない。


「……え、ここ……」

「何……? さっきまで新宿の路地に……」


 周囲に座る客たちが一斉に彼らを見る。狼の耳を持つ獣人、猫耳の少女、鱗の浮いた腕の男。

 彼らが交わすのは、人間には意味の分からない言葉ばかり。低く唸る声、鳥の囀りのように軽快な調子、喉を震わせる音。

 観光客の二人は一歩後ずさり、顔から血の気を引かせた。


「……外国? いや……」

「やばいって、耳とか尻尾とか……コスプレじゃねえよ……」


 彼らの声は震えていた。もしここから出られなくなったらどうしよう。そんな恐怖が目に浮かんでいた。


「いらっしゃいませ」


 そんな緊張した空気の中、ツユの穏やかな声が響いた。


「こちらはBALクロスロード。偶然のご縁で辿り着く場所です。どうぞ、お掛けください」


「に、日本語……通じるんですか?」


 女性が震える声を絞り出す。


「ええ。ここでは誰とでも言葉が繋がります。少し、魔法が必要ですが」


 ツユは落ち着いて微笑んだ。

 それでも二人の肩の力は抜けない。顔を見合わせて、難しい顔をしている。

 凪斗が慌てて割って入る。


「大丈夫です。俺も日本から来てるんですよ。異世界転移って知ってます? えっと、多分一夜限りのそんな感じのやつです」


 その一言で、ようやく二人の顔に安堵が浮かんだ。


「ほんとに……? 日本人……?」

「はい、唯白凪斗って言います。ここでは給仕やってます」


 二人はまだ不安げだが、凪斗に促されるままカウンター席へと腰を下ろした。緊張で背筋はまっすぐに伸び、目は泳いでいる。女性がリュックを探り、くしゃっとした袋を取り出した。


「すみません……これ、ここで食べても大丈夫ですか?」


 袋には見慣れた文字。スーパーでよく見るポテトチップスだった。

 凪斗は思わず声を上げる。


「それ、日本のポテトチップス! うわー、美味しいですよね」


 男女の顔に光が戻る。


「やっぱり! 日本の人ですよね!」

「はい。俺、日本から来て、今はここで働いてます」


 以前は家から通っていたが、ツユの誘いでそのままこのバルに居候することにした。上階に居住区がある。ポテトチップスを見るのは、久し振りだった。


 ツユが袋を受け取り「袋のままでは味気ないでしょう。器に移しましょう」と言った。

 袋を開けると、ぱりっと乾いた音。油と塩の香りが広がり、異世界の空気に懐かしい日本の匂いが混じった。

 木のボウルに移したポテトチップスは、薄片が重なり合い、ランプに照らされて黄金色に透けて光った。


「あはは。……懐かしい匂いだ」


 凪斗は胸にこみ上げるものを覚えた。


「やっぱり定番の塩味ですね」

「はい、コンビニで買ったばかりで……お腹空いてて」


 女性は照れ笑いをする。


「信じられない……路地の先が、こんな店に繋がってるなんて」


 女性とは反対に、男性はまだ呆然としていた。


 そのとき、どすん、と重い足音が鳴り響く。


「おう! 今夜も喉が渇いてるぞ!」


 入ってきたのは、胸板も髭も分厚いドワーフの鍛冶師、グランツだった。


「お、おい……! ドワ……ドワーフ……!?」


 男性の声が裏返る。


「ドワーフで合ってる。気にすんな。――で、その皿は何だ?」


「日本のスナック菓子です。ポテトチップスって言います」


 狼狽えている男性の代わりに、凪斗が答える。


「ほう……」


 グランツは一枚つまみ、豪快に口へ。


 バリッ。


 乾いた音が響き、彼の目が見開かれた。


「……ほぉう! これは……止まらんな!」


 二枚、三枚と次々に食べる。指に油が光り、塩を舐めてはジョッキをあおる。


「あ、ちょっと! みんなの分も!」


 凪斗が慌てて皿を分ける。


「やば、わかります。ほんと止まらないですよね」


 女性が笑う。


「酒を呼ぶ! こいつぁ危険なつまみだ!」


 笑顔につられてグランツは豪快に笑った。

 そこで、ツユが手を打つ。


「折角です。バル流にしてみましょう」


 カウンターにみっつの器が並んだ。


 ひとつ目は燻香胡椒チーズソース。

 とろりとしたチーズに黒い胡椒粒が散り、琥珀色の燻製油が表面に浮かんでいる。匂いを嗅ぐだけで舌がうずく。


 ふたつ目は夜光花蜜マヨ。

 乳白のマヨに淡いオレンジの筋が走り、かき混ぜるとほのかに光った。酸味に甘さが絡む香りが立ち上がる。


 みっつ目は星砂塩クリーム。

 白いクリームに混じる結晶は角度で星のように瞬き、舌にのせれば早く溶け、喉を涼やかに抜ける。


「この三種をお出しします。どうぞ試してみましょう」


 みっつの器がカウンターに並ぶと、観光客の二人はごくりと唾をのんだ。

「……本当に、これにつけていいんですか?」

「もちろんです」


 ツユは大きく頷いた。


「料理は、試して初めて広がります」


 グランツが真っ先に手を伸ばした。


「まずはこれだな。チーズってやつだ」

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