閑話③:異世界の料理それぞれ_4
老人は空になるまでお茶を楽しみ、立ち上がる。
「また砂を渡る途中で扉が現れたら……寄らせてもらおう」
「次もまた、お話聞かせてください!」
「楽しみにしていますね」
無骨なその背中が扉に消えたあと、カウンターには微かに涼やかな香りと、カップの底に煌めく光の余韻だけが残った。
――客が誰もいなくなったころ、BALの扉が小さく軋んだ。
姿を現したのは、緑色の外套を羽織った小柄な青年だった。褐色がかった肌、尖った耳はエルフに似ているが、目元の雰囲気はどこか人懐っこく、森の小さな獣を思わせる。
「……そんなまさか」
青年は目を丸くしていた。
「ここは森の小屋じゃないのか?」
「ようこそ、BAL・クロスロードへ」
「ようこそ!」
今日は、初見の客が多い。そういう日もあるだろう。
「狩りの途中で小道を歩いていたら、木々の間に見慣れぬ扉が現れて。覗いてみれば、酒場に繋がっていたとは」
「みなさん、初めていらっしゃった時は驚かれます」
「まさか、扉の向こうがお店に繋がってるなんて思いませんよね」
「BAL……なるほど、見知らぬ場所と交わる場所なのか。面白い」
青年は軽く頭を下げ、カウンターに腰を下ろした。
「オレは、フィオルネ緑樹界のエンベル大陸にある狩人の村ラグナから来た。ミオルだ。よろしく。森の民はこう見えて腹が減る。もしよければ、軽いが腹持ちのする食事を頼めるか?」
「その、ラグナでは、どんな食事を摂るんですか……?」
凪斗が興味を示す。
「ああ、そうだな。朝に食べるなら樹蜜粥だろうか。森で採れる甘露樹の蜜を、同じく甘露樹の幹を砕いて炒ったものと一緒に、炊き上げる粥だ」
「木の幹を!?」
「君たちは食べないのか?」
「え、えぇ。硬くて渋くて繊維だらけで、多分みんな食べないと思います」
「そうなのか……。腹持ちがよくて、朝食べると身体が軽くなるんだ。だから、狩りに出る足が進む。子も大人も、老人も口にする。我らにとっては一日の始まりを告げる味だよ」
ツユが帳面を取り出し、ペンを走らせる。
「甘露樹の蜜に幹……初めて伺いました」
「蜜はそのままでも甘いが、煮ると滋養が強まり、幹は膨らんで腹持ちもよくなる。森では誰かが鍋を煮ていれば、自然と人が集まってきて、一緒に粥をすくって食うんだ。村の朝は、粥を囲んで笑う声で始まる」
その光景を思い浮かべ、凪斗はぽつりと呟く。
「いいですね……日本の朝ご飯みたいです。お粥はこちらでも食べますよ」
「ニホンのおかゆ?」
青年が首をかしげる。
凪斗は笑い、説明を続けた。
「日本だと、お粥は体調が悪い時によく食べるんです。胃に優しくて消化もいい。……でも普段でも食べますよ。薬味を変えるんです。梅干しとか、漬物とか、焼き魚をほぐして載せたり。粥そのものは薄味だし、食感も独特だから、好き嫌いは分かれるんですけど」
「ヤクミとは?」
「お粥の味を変える、添え物って感じです。しょっぱくしたり辛くしたり、食感を変えたり。栄養を足すのもありかな」
「なるほど……粥に薬味を添えて、粥の味を楽しむのか。それは面白い」
青年は目を輝かせた。
「森でも木の実や胡桃を散らすことはある。だが焼き魚を載せるのは聞いたことがないな」
「きっと合いますよ!」
凪斗は思わず力を込める。
「シンプルだからこそ、いろんな味に変えられるんです」
「そうかもしれないな」
「あ、でも、甘露樹は甘いんですよね」
「そうだ」
「まずはひとつ、作ってみましょう」
ツユが厨房で準備を始めた。穀を鍋にかけ、透き通る黄金色の蜜を垂らすと、ふんわりと甘い香りが立ちのぼる。仕上げに葉胡桃を刻んで散らすと、香ばしさが重なる。
「どうぞ。BAL流の樹蜜粥です」
青年は匙を手に取り、慎重にひと口すくった。
「……おお。口当たりが柔らかい。甘さが後から広がって、腹にすっと落ちる。これなら朝どころか、夜食にもいいな」
凪斗も味見して頷く。
「ほんとに日本のお粥みたいです。でも、蜜の甘さがあるから、デザートにも近いかも」
「なるほど。これを村に持ち帰れたら、きっと皆が驚くだろう」
青年は目を細める。
「狩りの前に粥を食うとき、笑い声が絶えないのは……ただ腹を満たすだけじゃない。皆で一緒に食うことで、森を生きる力が湧くんだ」
食べ終えた青年は小袋を差し出した。中には艶やかな黒い実がぎっしり詰まっている。
「代金代わりに森岩胡桃を。炒れば香ばしく、油を搾れば料理にも使える。森では冬を越す大事な糧なんだ。葉胡桃も、肉厚で良いんだけれどね」
ツユは帳面に『樹蜜粥・甘露樹の蜜・森岩胡桃』と書き留め、静かに受け取った。
「BALにとっても新しい味です。ありがとうございます」
青年は頭を下げ、扉の向こうへ消えていく。残された粥の香りはほんのり甘く、森を歩く風のように店を包んでいた。
青年は最後の客だった。
BALはクローズの看板を掲げ、静かになる。
凪斗は今日の営業を思い返し、見たことのない各地の情景を胸に、閉店後の片付けを始めるのだった。




