第31話:氷の民の雪花氷_1
――その夜のバルは、夏らしい熱気に包まれていた。
外の通りから入ってくる風も生ぬるく、グランツはジョッキを煽って「ふぅ」と息を吐き、モーガは皿でぱたぱた扇いでいる。レイファスは氷水のグラスを両手で包み、静かに一口ずつ喉へ流していた。カリンはカウンターに肘をつき「あっついなぁ「めっちゃ暑い」「何でこんなに暑いん?」と連続して言った。
「氷でもあればええんやけど」
「氷は仕入れが難しいのですよ」
ツユが穏やかに答える。
「保管にも気を遣いますしね」
――からん、と鈴の音。
扉が開くと、ひやりとした空気が流れ込んだ。入ってきたのは、季節外れの厚衣をまとった女性――肩や袖に白い毛皮が縫い込まれ、外套の縁には細かい雪の刺繍。銀色の髪はうなじで束ね、肌は青みを帯びて透き通るように白い――だった。時々見える吐息もうっすら白い。
「……ようこそ」
思わぬ来客に、ツユは一瞬ハッとし表情を見せたが、すぐにいつもの顔に戻った。
「こちらは、今日も暑い夜です。お席へどうぞ」
女性は軽く会釈し、カウンターへ小さな木箱を置いた。
蓋を開くと、透明な花弁のような欠片が、薄い霧をまとって並んでいる。触れていないのに、箱の近くだけ空気が締まって冷たかった。
「氷晶花です」
女性は落ち着いた声で言った。肌だけでなく、その声も透きとおっている。
「私たちの故地、霜海原で咲きます」
続けて、氷の民――と、そう彼女は名乗った。
「私はイゼリ。旅の途中、暑さに負けそうで。私たちの郷に、こんなに暑い場所はないから。もしここで、郷の甘味を再現できるなら……少し生き返れると思って」
「甘味? どんな甘味なんじゃ?」
『甘味』という単語に反応して、モーガが身を乗り出す。
「雪花氷というものです」
イゼリは微笑む。
「この氷晶花をさらに薄く削って、蜜や果実をかけて食べるのです。熱が苦手な民にとって、極稀にやってくる、暑い夏の救いなのです」
「ええやん! つまり、かき氷みたいなもんやな? この間、マスターの作ってくれた!」
「かき氷?」
イゼリが小首を傾げる。
「日本の夏の定番です」
凪斗の言葉に、ツユが頷きながら続けた。
「氷を薄く削って、シロップをかけて食べる。……もしかしたら、近いものが作れるかもしれません」
ツユは箱の中、透明な花弁を一枚つまみ上げる。指先から白い気が立ち、表面はきめ細かく光っている。
「氷そのものが花なのですね。美しい。――凪斗君、倉庫に手回し粉砕器があったはずです。あれを改造しましょう。刃を薄く、角度は寝かせ気味に」
「了解です!」
凪斗は奥に走り、古い金属の粉砕器と工具を抱えて戻ってきた。
ツユは手際よく分解し、刃を研ぎ角度を変えて固定すると、カリンがゼンマイに魔具の小さな補助輪を繋ぎ、回転を安定させた。さらにレイファスが水受けの器を布で包み、結露が滴らないように台座を整える。モーガは「手で抑えよう」と重しを用意し、グランツが「固定は任せろ」と締め具を強く締めた。
「こういうの、楽しいなぁ」
「交差点のお店ですから。共同作業も味が出ますね」
カリンとレイファスが、クスクスと笑いながら顔を見合わせている。
簡易の削り機ができあがると、ツユはイゼリへ視線を向けた。
「では、花弁の扱い方を教えてくださいますか?」
「はい。脆いので、強い力はだめです。刃に沿わせて撫でるように。……溶けやすいので、器は冷やしておくとよいです」
「器は先に霜をつけておきましょうか。――凪斗君、ボウルを」
「はい!」
金属ボウルを氷晶花で冷やすと、たちまち表面に霜が広がり、指が吸い付くように冷えた。
準備が整うと、ツユは試しに花弁を一枚、削り機の上へ持っていく。ゼンマイを回すと、刃が静かに走った。シャリシャリと音を鳴らしながら、すう、と細く、薄い雪が生まれる。紙よりも薄く、息をかけたら飛んで消えてしまいそうな軽さだった。
「……おお。ふわふわだな」
意外にも、グランツが目を輝かせていた。質感が変わったことに、驚いたらしい。
器に落ちた雪は、試しにひとさじすくうと、ほとんど重さを感じなかった。「そのままどうぞ」というツユの声を合図に、凪斗は恐る恐る口へ運んだ。
……氷のはずなのに、冷たさが尖っていない。舌に当たった瞬間、すっと溶け、冷気だけが静かに広がる。キーンと来ない。代わりに、周囲の温度が一段下がる感覚だけが残った。
「うわっ、優しい……」
凪斗は素直に言った。
「めちゃくちゃ冷たいのに、頭が痛くならない! 口の中も、角が当たらないし。すごいですね」
そんな凪斗の反応に、イゼリが安堵の笑みを浮かべた。
「よかった……」
「機会も上手く動いてくれたようですね。では、上に何を載せましょうか?」
「そうですね……郷では霜蜜と凍果を」
「霜蜜?」
「雪の朝だけ集める薄い蜜です。花に残った露を集めるみたいに。味は淡い甘みが。色も白くて、合わせたら真っ白になるんです。だから、アクセントとして、果実の酸を少し」
「なるほど。このバルなら――」
よし、と、ツユは手を打った。
「前回の妖精郷の花蜜を、極薄いシロップに。酸味は、レイファスさんの月光ベリーを使いましょう」
「それなら、僕が作りますよ」
「お願いします」
レイファスが頷き、赤い小粒を手早く潰して裏ごしする。
「酸を活かすため、砂糖は最小限にしていただけますか」
「もちろんです」
「食感は金砂ピスタで加えよか?」
カリンが砕き器を構える。




