第30話:妖精郷の花蜜ケーキ_5
ふっと広がった香りは、どこかチョコレートを思わせた。
「あ、どっちも炒るだけで香ばしいおやつになるぞ。俺たちはこういうのを行動に持ちこんで、腹を満たしてる。ま、間食だがな」
モーガは顎髭をなでながら、ゆっくり口を開いた。
「わしの雪山からは『雪苔ミルク』を出そうじゃないか。冷えた苔から搾る乳で、なめらかで濃いんじゃ。クリームに混ぜれば、舌の上でその味が長く残る」
彼はさらに、透明な小瓶を掲げる。瓶の中では淡い青色の液体がとろりと揺れていた。
「『氷樹の樹液』。ひと滴で涼やかな香りを添える。夏の宴には欠かせんもんじゃ。そうじゃな、このバルでいうと、濃いハーブと乳をよく混ぜた味、というところじゃろ」
「涼しい香りのケーキ? それは面白いかも! チョコミントとか好きな人はハマりそうですね!」
凪斗は思わず声を漏らした。
周囲の意見に、カリンも負けじと声を張り上げる。
「そんならうちは砂漠の『金砂ピスタ』! 金色の殻を割ると、緑の実が出てくるんや。焙じると香ばしい香りが広がるんよ。砕いて散らせば彩もばっちりや!」
さらに、腰の袋から薄い果実片を取り出した。
「ピスタだけやと、グランツと被るからな。ちゃんと別モンも出すで? 『太陽果のドライチップ』でどうや! 干すと黄金色に透けるから、層の中に差し込めば断面がきらっと光るんや! 光倍増!」
最後に、凪斗が少し照れながら言った。
「じゃあ……日本からは『柚子』はどうですか? 小さな黄色い柑橘で、皮をすりおろすと香りがすっと広がります。酸味があって爽やかだから、甘さを引き締められるはずです」
彼は少し間を置いて、もう一つ口にした。
「それと『黒糖』。サトウキビを煮詰めて固めたものです。深い甘さとコクがあって、蜜とぶつからずに底を支えてくれると思うんです。通常の砂糖の代わりに、これを使ってみませんか?」
ツユは一人ひとりの提案を聞き終え、緩やかに笑んだ。
「……彩りは月光ベリーと太陽果、香ばしさはナッツとピスタ、それからカカオ。濃厚さは雪苔ミルク、爽やかさは樹液と柚子。そこに黒糖の深みを仕込めば――まさしく『世界を重ねたケーキ』になりますね。上には星苔の花粉を振りかけましょうか」
カリンはぱぁっと顔を輝かせた。
「うわぁ! こんなん妖精郷に持ってったら、みんな腰抜かすで! ありがと! マスター!!」
「ふん、こりゃ持って行ったら国宝扱いかもな。重宝されるぞ」
「いや、その扱いを受ける前に、子どもたちが夢中で食べてしまうでしょうね」
「それが一番ええ。食べ物は、まず美味しく食べてもらうのが肝心じゃ。見た目も大事じゃが、食べたいという気持ちも大事じゃろ」
凪斗はテーブルの上を見渡す。色も香りも質感も異なる食材が並び、それらが一つの皿に合わさる様子を思い浮かべる。
――世界の味を重ねるって、こういうことなのか。
ツユはさらに小瓶を手に取った。
「まだ蜜はありますから、次は温かい飲み物に入れてみませんか? 紅茶を淹れてみましょう」
ポットから注がれた湯気立つ紅茶に、蜜をひと滴。甘みがふっと増し、柑橘に似た香りが立ちのぼる。
「わ……さっきのソーダより甘味が濃いですね!? 紅茶は好きでよく飲んでいたけど……砂糖やはちみつとはまた違った甘みですね、罪悪感がない。それに、紅茶の渋みが取れて、すごくまろやかになってる」
「ナギト君の言う通りですね。渋みがなくなっている。これなら、ケーキの横に添えれば最高でしょう」
「酒の代わりにこれでシメるのも悪くねぇな。がぶ飲みできねぇのは勿体ないが……」
「身体に沁みるわい。ほんの少しなら、きっと普段の食事でも活躍しそうじゃ」
「紅茶の茶葉ごと瓶詰めにして、妖精郷へのお土産にしてもいいかもしれませんね」
ツユが言うと、カリンは「それや!!」と、興奮気味にテーブルをバンバン叩いた。
笑いが収まったところで、ツユが静かにまとめた。
「今日の一皿は、ただのケーキではありませんね。皆さんの国の食材が重なり、妖精郷へ届く。料理だけでなく、ここで交わされた物語もまた特別です。――だからこそバルは、ただの酒場ではなく、世界の『交差点』なのですよ」
凪斗はその言葉に胸を衝かれた。
会社勤めのころは、誰かに褒められることも、何かを残すこともなかった。唯白凪斗として、求められることも。
今は、自分が関わった料理が遠い国に届こうとしている。
『ここでなら、このままみんなと自分らしく仕事ができるのかもしれない』――と、声には出さなかったが、胸の中にじんわり広がる実感があった。
「あの、ソーダってまだ残ってますか?」
「えぇ、冷蔵庫に少し。飲みますか?」
「お願いします。何だか、もう少しソーダが飲みたい気分で……」
ツユはにこりと笑って、冷蔵庫から残りの花蜜ソーダが入った瓶を取り出すと、そのまま凪斗へと手渡した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
耳に響く、グラスの泡が弾ける音。ぱちぱちと、夏の夜の虫の声のようだ。
花蜜ソーダを飲み干すと、喉の奥に涼やかさが残った。
――こんな飲み物なら、氷と合わせても面白いかもしれない。
凪斗の思いつきに答えるように、ツユが微笑む。
「次は……冷たい甘味を用意しましょうか。氷の民のレシピを、少し手直しして」
その一言に、皆の目が一斉に輝いた。
バルの夜は、まだまだ続いていく。




