第2話:エルフの祝祭サラダ_2
「これ、所謂サラダ、ですよね? もっとこう、青臭さが鼻に残ると思っていました。それなのにこれは、爽やかな香りがいつまでも消えない。それに、べちゃっとしていない」
「いいお味でしょう?」
ツユが答える。
「葉が持っている水分で和えるんです。調味料の塩と果実の皮、それから花の蜜を少し。穀はアクセントに。きちんと嚙めて、口に残りませんから」
言われてみれば、皿に水が溜まっていない。葉の表面がべたつかず、艶だけが残っている。和えた直後の短い時間に盛り付けているのだろう。
ツユが手元の動きを止めて、カウンター越しに視線を送ってくる。確認の目ではなく、反応を楽しむ目だ。
「……祝祭って、どういう日なんですか」
凪斗は素直に聞いた。言葉の意味はわかっても、具体例がほしかった。
レイファスは木鉢の縁を親指でなぞり、短く答える。
「森が新しい芽を許した日です。古い枝を手放して、若い葉に光を分ける。だから最初の一皿は、森そのものの味になるように作るのです」
声は説明というより共有に近い。自分の文化を押しつける調子ではない。外の人間に、そのまま故郷の風景を渡す話し方だ。
凪斗は頷いた。言葉が入ると、味の意味がもう少し深くなる。苦みの奥に若さがあり、薄い甘みは今日の火加減のようなものかもしれない、と考える。上手い比喩を捻り出したいわけではない。ただ、舌で受け取った情報が、頭のほうで位置を見つけた感じがした。
「味覚は素直です。美味しければ、必ず続きがほしくなる」
その意味が良くわかった。現に今、凪斗は次の一口を欲して、フォークを動かしている。
皿の上のサラダが減っていく。惜しいが、惜しむだけで手が止まるほどでもない。口に入れるたびに、小さな驚きが起き、そのたびに「次はどこが違うか」を確かめたくなる。
レイファスはそれを邪魔しない距離に立っている。店の空気の読み方が自然だ。客というより、場所の一部に近い立ち方だ。
「凪斗君」
ツユが改めて名を呼ぶ。
「君は食べるのが上手ですね」
「……食べるのに、上手い下手ってあるんですか」
「えぇ、ありますよ」
ツユの声に迷いはない。
「素直さ、比べ方、驚き方。どれも舌に出ます。今の君は、森の料理を森の言葉として受け取った。それは簡単そうに見えて、案外難しいものです」
特別なことをした覚えはない。ただ空腹に正直に食べただけだ。それが評価されるのは、少し照れる。だが嫌ではない。
レイファスが微笑む。
「森の外の人に草っぽくないと言ってもらえるのは、正直とても嬉しいんですよ。外からの言葉は、森の中に風を通しますから」
「もしかして、よく言われます?」
「……残念ながら。でも、君のように、好んで食べてくれる方もいます」
「だって、めちゃくちゃ美味いですよ?」
凪斗は息を吐いた。空気が軽くなる。彼の言いたいことはよくわかった。
会社にいたころ、自分の発言はいつも誰かの顔色とセットだった。良い悪いではなく、そういう場所だった。ここは違う。食べた感想を、そのまま口にしていい。感想が、相手の誇りや日常を傷付けない距離で届く。それが店の作りに含まれている。
カウンターの奥で、水音が小さく立った。ツユが木鉢の端に残った葉を一度冷水にくぐらせ、芯の部分だけを分けている。ペティナイフの刃はよく研がれているようで、触れた分だけ音がする。火口で小さなフライパンが軽く温められ、油が一筋、鍋肌に伸びた。そこへ刻んだ芯が一瞬だけ入る。音がぱちりと跳ね、すぐに火から外される。
「温の二口」
小皿が二つ並び、香りの角が一段階丸くなる。先ほどの生の張りが残りつつ、甘みの層が前に出てくる。生と温、同じ素材でも役割が違うのがはっきりわかる。
後ろのテーブルでは、いつの間にか二人連れが座っていた。声を大きくしない話し方だ。言語は聞いたことのない響きだが、不思議と騒がしくはない。ランプの明かりは強くなく、影が濃くもない。光が必要な場所だけに届くように、吊り下げの高さが調整されているのがわかる。
壁際の本棚には、酒の本と、見知らぬ地の記録が混ざっている。背表紙の文字は読めるものと読めないものが半々。巻末にしおりが挟まっている本がいくつかあり、やはりここが通りすがりの店だけではないことを示している。
皿を平らげ、グラスの水をひと口。喉を滑る時、青い香りがふっと戻ってきた。料理が「また来い」と言ってくるみたいに思えたが、言い過ぎると安っぽくなるので、心の中だけに留めておくことにした。
カウンターの木目に指を置く。小さな傷がいくつもある。誰かの箸の跡、誰かの杯の跡。深い傷も浅い傷もあるが、どれも時間が乾かしている。自分の指先が、その列に今日加わった。そう思うと、背中のどこかが緩む。
「唯白凪斗君」
ツユがもう一度名を呼ぶ。
「よければここで、働きませんか? 現在の職が惜しければ、無理にとは言いませんが……」
言い方は事務的ではないが、約束の形をしている。店主としての言葉だ。
「俺なんかが、いいんですか?」
「その言い方はよくありません。凪斗君だから、声をかけているのです。異種族に驚かず、素直に食を口にし、そのまま言葉を述べる。この場所に、ピッタリなんですよ」
その言葉に、凪斗はぐらりと揺れた。今まで言われたことはなかった。言われたのは「お前の代わりなんかいくらでもいる」で、自分でも確かにそうだと思っていた。




