第28話:妖精郷の花蜜ケーキ_3
レイファスが目だけで頷き、グランツは「早くしろ」と口の形で言う。モーガは嬉しそうに手を合わせ、カリンはわくわくを隠せずに足をぱたぱたさせている。
凪斗は、フォークの先で角をすくい上げ、小さな一口を、そっと口へ運んだ。
――味の言葉が出る――その一瞬手前で、前半は切れる。甘い香りだけが、バルの空気に静かに満ちていた。
口に含んだ瞬間、凪斗は思わず息を止めた。
ふわり、と軽い。スポンジは羽毛のように柔らかく、歯を立てる前に舌の上でしっとりと溶けて崩れていく。その隙間から広がるのは、花蜜の濃厚な甘さ――だが、その密度に対して不思議と重たくない。
まだ言葉が出なかった。言葉を口にするよりも、この味を噛み締めていたいと、凪斗は思った。
他の人たちの反応が気になって、チラリと横目で見てみたが、常連たちもそうなのか、普段は騒がしいくらいなのに今日はやけに静かだ。
気持ち話よくわかる。……甘みの芯ははっきりと力強い。けれど同時に柑橘のような爽やかさがすっと鼻に抜け、甘さの圧を軽やかに解いていく。
ケーキが熱を持たないぶん、舌の上で蜜の香りが際立ち、余韻はさらさらと流れた。
「……うまい」
ようやく凪斗の喉から、抑えきれない声がこぼれた。
「甘いのに、全く嫌味じゃない。……いや、むしろ、もう一口食べたいって思う。何なら、食べないほうが失礼かもしれない」
「せやろ!」
カリンが得意げに笑う。
「ちっこい子らが祭りでこれ食べて、はしゃぐのもわかるやろ?」
隣でレイファスも口にした。フォークを置き、目を伏せて小さく頷く。
「僕の森の蜜とはまったく違う……妖精郷の花蜜は、まさに祝福そのものですね。まるで、食べた側から心が洗われるようだ」
「ふむ……」
モーガはゆっくり二口、三口と続け、目尻を下げた。甘いもの好きな好々爺の口にも、問題なく合ったようだ。
「濃いのに舌に残らん。これは……食べただけで幸せになるわい。すぐに食べ終わってしまうのは、ちと勿体ない気がするのう」
「むむ……」
一口口に含むと、グランツは腕を組みをした。そしてそのまま、もごもごと咀嚼しやがて眉をひそめた。
「……甘ぇ」
「え、なんや、あかんかった?」
カリンが心配そうに訊く。
「いや……違ぇな。俺ぁ普段は甘いのは苦手だが……これは締めにちょうどいいぜ。肉を食ったあとに一口、酒を飲んだあとに一口……悪くねぇ。……くそ、この蜜は予想外にもほどがあるじゃねぇか」
豪快なドワーフの言葉に、一同から笑いがもれた。間違いなく、誰が食べても美味しいと、証明された瞬間だった。
ツユは黙ってフォークを運んでいたが、やがて口を拭い、静かに言った。
「花蜜が強い甘さを持っているのに、金砂クミンがその重さを和らげてれていますね。良いお仕事です、カリンさん」
「よっしゃ! うちも使った瞬間は、ほんまにええんかな? って思ったけども。よかったぁ、安心したわ!」
「……なるほど、これならバルでも十分出せます」
「バルの甘味として出せる、ってことですか?」
蜜の余韻に浸りながら、凪斗が尋ねる。
「ええ。酒や食事のあとにも受け入れられる。――そして、何より話題性がある。光る演出は大人でも楽しいですからね。物珍しさとこの味で、皆さんの心を間違いなく掴めるでしょう」
ツユの意見に賛同するかのように、皿の上のケーキは瞬く間に小さくなっていく。
スポンジの軽さ、蜜の芳醇さ、柑橘の切れ。食べ進めても胃に重くなく、口の中が甘さに疲れることもない。
「……しっかしなぁ」
カリンが手を止め、残りを見つめて呟いた。
「ひとつだけ、難点あるんよ」
「ほお? いったい何だ?」
グランツが眉を上げる。
「美味すぎて、手ぇが止まらんのや」
「お前……なんつーかその、そりゃいいほうの話だろうよ。何でそんな悲しそうな顔してんだよ」
ドワーフが呆れた顔で笑い、みんなも釣られて笑った。
――皿の上のケーキが残り僅かになり、甘い余韻に浸っていたとき。
カリンが皿を抱えたまま、じっとツユを見た。
「なぁ、マスター」
「はい、何でしょうカリンさん?」
「……これ、もう一回作ってくれへん?」
唐突な一言に、凪斗は思わず目を瞬いた。
「え、さっき食べたばっかりじゃないですか」
「ちゃうちゃう、うちの食欲の話やないんよ」
カリンは慌てて両手をぶんぶん横に振る。
その姿を見て、ツユは不思議そうに首を傾げた。
「では、理由を聞いてもよろしいでしょうか?」
「妖精郷で蜜を分けてもろたときな、あの国にこんなケーキはなかったんよ。甘いもんは飴細工とか、小さな蜜菓子くらいで。せやから……持って帰って、みんなに食べさせたいんや」
――静けさが広がった。
凪斗は驚きつつも、胸の奥が熱くなるのを感じた。誰かに食べてもらいたいから作りたい――それは、自分が「うまい」と感じた時の気持ちを他人に手渡したい、真っすぐな欲だ。
ツユは微笑み、ゆっくり頷いた。
「なるほど……ならば同じものではなく、もっと豪華に仕立てましょう。妖精郷に贈る一皿として、祝祭に並べられるほどのものを」
「ほんまに!?」
カリンの顔が一気に輝いた。
「もちろんです。バルの皿が、違う世界の遠い国で笑顔を生むのなら、それ以上の喜びはありません」
「妖精たちも、見たことのない菓子に驚くでしょうね。森の民の僕でも驚きましたから」
「そいつぁそうだな! 豪華な光るケーキか! こいつは俺の国に行っても土産話になる! あれがどう変わるか、お手並み拝見といこうじゃねぇか」
「はっはっはっ、子どもらが目を丸くする姿が浮かぶのぉ。……ところで、わしも味見できんかな?」




