第23話:獣人族の狩猟肉炭火焼き_3
ひと皿目が綺麗に空いた。重くない満足感が残る。腹はまだ動けるが、気持ちは落ち着いている。
「良い火だ」
ラグナルが短く言う。
「石が働いている」
「ありがとうございます」
ツユは深くは頭を下げない。火と肉に対する礼は、皿で返すという顔だ。
水で手をすすぎ、まな板を拭い直す。第二の皿に向けて、残りの塊を同じように整える。
ラグナルがふと、凪斗にだけ聞こえる声量で言った。
「……お前、最初の一口で、顔が変わった」
「え?」
「腹が空いているだけの顔から、一瞬で味わう顔になった」
凪斗にその自覚はなかったが、よく見ているな、と思った。
「子どものときの寝息を思い出しただろ」
凪斗は一瞬、言葉が出なかった。
「わかるものなんですか?」
「俺が寝息の話をしたとき、顔色が変わった。それをずっと考えている顔だった」
それ以上、彼は続けない。
「もしこの話を続けるなら、それは火のあとだ」
「……はい」
炭はまだ元気だ。火石の光は落ち着き、炉の温度は安定している。二巡目の塩を当て、香草を走らせ、また『今』を待つ。
音、匂い、熱の押し返し。それら全てが合図になって、次の一皿が生まれる。
まだ、働き始めて長くはない。学んだことは多いが、まだまだ足りない。
ありがたいのは、その『足りない』に対して、強制されることも、急かされることもないことだ。自分のペースで、誰かを頼りながら前に進むことができる。時にはそれは料理で、食材そのもので、持ち帰ってきた空気で、みんなの会話なのだ。
皿に並んだ雷角鹿の肉は、まだ炭の余熱をまとっているかのように湯気を上げていた。分厚い切り身は艶やかな焼き色をつけ、断面には赤身と脂が鮮やかな層を作っている。ほんのりと立ちのぼる香草の香りが鼻をくすぐり、香ばしさに混じって甘やかな匂いが広がるたび、凪斗の胃袋は音を立てそうになった。
「さ、どうぞ召し上がれ」
ツユが穏やかに皿を勧めた。
真っ先に手を伸ばしたのはグランツだ。持ち寄ってきた本人よりも早く、皿に手を伸ばした。分厚い指で厚切りの一枚をつまみ、豪快に口へ放り込む。
「おおおっ……! これだ、これだぁ! 肉ってのはこうでなくちゃな!」
噛むたびにテーブルを叩き、ジョッキを傾ける。すぐ横でレイファスが肩を竦めた。
「相変わらず大げさだなあ。でも……わかる、確かにこれは見事です。余計なものがない」
レイファスは薄切りを一枚口に入れ、瞳を細めた。
「森での祭りで食べた肉を思い出すよ。あれは、特別な夜だった。力強さの中に、ちゃんと祝福がある」
モーガはゆっくりと箸を運び、噛んでから低く唸った。
「……うむ。脂がええ具合に甘い。年寄りの口や腹にも負担が少ないわい」
皺の寄った目尻を緩め、満足そうに笑う。
「ほんまや! めっちゃ噛みごたえあるのに、嚙み切れないほど硬いわけやない。スパッと歯が入って、じゅわっと旨みが口いっぱいに広がるんや!」
カリンは目を輝かせ、次の一口をフォークにスタンバイさせながら言う。
「ええなあ、肉ってやっぱこういうシンプルな調理が一番わかりやすいわ!」
賑やかな声に混ざり、凪斗も箸を伸ばす。厚切りを一枚――
噛んだ瞬間、表面の香ばしさに続いて、赤身の旨みがどっと広がる。脂は重たくなく、舌の上で優しく溶けていく。喉を通ると、身体の内側がじんわり温かくなるようだった。必要なエネルギーに一瞬で変わる、そんな気分だ。
「……これは……」
言葉が自然に漏れた。今まで食べたどの肉よりも荒々しいのに、どこか澄んだ味がある。口に入れるまでわからなかったが、ほんの少しだけ、抵抗を感じた気がした。まるで、食べる相手を料理が見定めているような。
「どうですか? 凪斗君」
ツユが微笑む。
「すごいです……。荒っぽいのに優しくて、力があるのに抵抗はなくて食べやすい」
ラグナルは黙って肉を噛み、短く言った。
「悪くないだろう? 人間でも、この肉を味わえるのは」
凪斗は驚いて顔を上げた。
「俺でも……ですか?」
「ああ。最初に切ったときは迷っていた。だが、噛む顔は獣人と変わらなかった」
「変わらない」
「悪い意味じゃない。種族が違っても、考え方が違っても、料理や食材に対する気持ちは同じ。そういうことだ」
自分の意識に対する評価。すこぶる良い、というものではないのだろう。だがこの評価は、凪斗にとって大きな励みだった。
認められたからだ。持ち込んだ相手に。最大限の賞賛だと、心の中で人知れず、ガッツポーズをとる。
皿に盛られた雷角鹿の肉は、肩、腿、背、尾のつけ根と部位ごとに綺麗に分けられていた。表面の照りや断面の色味だけでも、それぞれがまるで違う料理のように見える。
「同じ獲物でも、部位ごとに味が変わります。折角ですから、全員で順に試してみましょう」
ツユが優雅に手を広げると、皆が興味深げに身を乗り出した。
最初に肩肉へ箸を伸ばしたのはモーガだった。年寄りらしいゆっくりした動作で一切れを口へ運び、しばらく黙って咀嚼する。
「……ほう、これは歯ごたえがええのう。若い衆が噛めば噛むほど力がつきそうじゃ。わしなら『雪苔芋』添えるな。蒸して甘くしたもんを横に置けば、肉の力強さを受け止めてくれるはずじゃ」




