第22話:獣人族の狩猟肉炭火焼き_2
ツユの合図で時を測り、縁が僅かに丸くなったところで――
「今だ」
ラグナルの短い声が響く。
その声を合図に、凪斗はトングで静かに返す。
ぱち、と脂が弾けて、焼き面にきれいな斑点が散った。赤身側にもすぐに熱が入り、香りが深くなる。
「端の薄い部位は早めに逃がそう。熱差で硬くなる」
「はい」
小さめの塊を先に上げ、火石の上で休ませる。置いた直後、表面に出た汁がすぐ引いていく。中が動いている合図だ。
「これならきっと……よし、上げます」
最厚部に指を近づけて熱の押し返しを確かめ、ツユが頷く。
休ませるための板を用意し、肉を移す。表面の艶がゆっくり呼吸するように動き、小さな『ちりっ』という音が続く。ここで切れば汁が溢れる。だから、待つ。
「ここから三分待ちます。砂時計を伏せますよ」
細い砂が落ちる間に、薬味を揃える。塩は卓上に。香草は刻み過ぎず、指先でほぐす程度。酸は今日は使わない。肉の声を中心に置く。
そして、砂時計の砂が落ち切った。
「凪斗君、肉の切り方について、薄切りと厚切り、二通りでいきましょう。繊維は斜めに。刃は押さず、肉の押し返しに合わせて運んでください」
「はい」
位置をきめて刃を入れる。初手はゆっくりと、刃が入った後は手早く正確に。外は薄い壁のように香ばしく、中はしっとりと赤が残る。切り口に薄い膜ができ、じきに落ち着く仕掛けだ。
一枚。二枚。厚めは食べごたえ、薄めは香りが先にくる。切るたびに、立ち上る匂いが変わる。脂のまったりとした甘さが増し、赤身の鉄分が奥で支える。
載せる皿は温めておく。皿の中心に厚切りを少し重ね、手前に薄切りを扇に置いた。脇に塩を少し盛り、香草は散らさず、摘める位置にまとめる。脂が落ち過ぎないよう、皿の縁に火石の薄片を忍ばせて温度を保つことにした。
盛り付け終わりに、肉の面に触らない距離で香草をひと呼吸だけ手であおぐ。香りが立ち、皿の上の空気が少しだけ動いた。匂いが混じり、すっと鼻腔をつく。強さが、優しさに抑えられた香りだった。
「よし、席へ運びましょう。最初の一口は塩なしで。二口目に塩をつけ、三口目には香草を」
「美味しそうですね」
ラグナルは席で肘をつかず、静かに待っていた。だがしっかりと目は肉に、耳は火に残しているような姿勢だ。
彼の目の前に皿を置く。湯気は強くないが、匂いの層がはっきりわかる。脂の甘さ、炭の香り、わずかな煙。どれをとっても『美味しい』は間違いなかった。
「どうぞ」
ツユが手を引き、最初の一切れをラグナルに促す。彼は迷わず厚切りを箸でつまんだ。そして、そのまま口へと運びひと噛み。肉を噛み切る音は小さい。すぐ飲み込まず、数度咀嚼してから、短く言った。
「……良いな」
たったそれだけだったが、口角がほんの少し動いたのを、ツユも凪斗も見逃さなかった。
「凪斗君も、どうぞ」
「ありがとうございます、いただきます」
凪斗は薄切りを取る。言われた通り、塩はつけない。
一口目――歯が入ると、外の香ばしさの後に、すぐ軟らかさが顔を出した。油っぽくない上品な甘みが舌に広がり、赤身の旨みが遅れてくる。噛むほどに、味が強くなるのに、重たくならない。喉でひっかからない。歯がスッと通る。飲み下すと、口の中に薄い温度だけが残った。
「……うまい」
素直に出た。声が少し掠れて、自分でも笑ってしまう。
二口目、今度は塩を親指と人差し指で少しつまみまぶす。
塩の角が脂を立たせ、甘さがはっきりした。香りが前に出て、塩なしよりも『肉を食べている』実感が強くなる。
三口目、お次は香草をひとつまみ。
噛んだ瞬間に草の青さが立ち、脂の甘さに短い切れ味が加わる。後味が長引かず、もう一口が欲しくなる。
「味も触感も、部位で変わるんだ。尾のつけ根は甘くて軟らかい」
ラグナルの指が静かに示す。
そこを薄切りで試すと、確かに脂の香りが明るい。厚切りの肩寄りは噛みごたえが出て、咀嚼のリズムが気持ち良かった。
「返しが一度だから、汁が逃げてないんだ。ぎゅっと一気に閉じ込めて、どこからも旨味を逃がさない」
凪斗が気付きを口にすると、ツユは嬉しそうに頷いた。
「ええ。火石の火が外から押しすぎないので、肉が暴れません。その結果、大人しく収まっているんですよ」
凪斗は、ラグナルが塩をほとんど使わず食べ進めているのに気が付いた。
「塩、要らないんですか?」
「今日は要らない。川の冷えがまだ残っているから。塩を重ねると、それが消えてしまう」
理由は短いが、はっきりしている。
「……なるほど。そういう違いがあるんだ……」
凪斗は、次の二切れを、塩なしで続けて食べてみた。確かに、最初に感じた冷えを象徴するような匂いに似た、清潔さが戻る。
皿の端で肉汁が薄く集まっている。パンを添えたい衝動が出たが、今日は肉の番だ。余計なものを足さないほうが素直な味がよくわかる。
「凪斗君、厚切りでほんの少しだけ火を入れ直しましょう。表面だけ、さっと炙るように」
「はい」
皿から二枚を戻し、網へ一瞬だけ。表面が僅かに汗ばむ程度で上げる。チリチリと焦げがさらに焼け、辺りに香ばしい匂いが漂った。
――そこから、再び口へ。内側はそのまま、外側の香りが一段だけ強くなる。脂がにじんで、噛み始めの入りが良い。焦げはアクセントとなって、甘さに苦みを与え、飽きさせない。
「……これ、好きです」
「君の好きが見えてきましたね」
ツユの声は穏やかだ。




