第19話:水の都の浮き魚の冷製スープ_4
「凪斗君、こちらはモーガさん。近いうちに常連になりそうな方です」
「初めまして。唯白凪斗といいます。よろしくお願いします」
「……ワシはモーガじゃ。よろしく」
モーガという男は視線だけこちらへ寄越し、こくりと頷いた。初めは少しぶっきらぼうに感じたが、刺々しさはない。
モーガは差し出された碗を持ち上げ、じっと覗く。
「もしかして、浮いているのか?」
「浮き魚と申しまして、締めた後も身が沈みにくい性質でして」
「ほほう……そりゃすごい」
「水の都の魚です。なんでも、子どもが目利きをして一番いい魚を選ぶとか」
「子どもが? ……それもすごい」
スプーンを入れて、ひと口。しばし無言を貫く。だが、目はわずかに細くなり、口元はしっかりと動いていた。
「……冷たい。軽い。最後に、香りが短い。良い椀じゃ」
出てきた言葉は短いものだったが、中身は的確だった。
言葉を放った後の口元が、ふっと綻ぶ。凪斗の目には、モーガがこの椀を気に入ったように見えた。
「お口に合えば幸いです。たまたま、手に入りまして」
「合う。合うよ。甘いものの前に飲んでも、邪魔をしなさそうじゃからなぁ」
「あっ」
「凪斗君? どうかしましたか?」
凪斗は、そこでようやく噂をひとつ思い出した。
――オークの男、年配。見た目は武骨だが、甘いものが好き。ケーキや和菓子を愛する。困ったときは、甘いものを渡せば良い。
『甘いもの好きなオークなんて、この世に存在するのだろうか』と、半信半疑だったイメージが、目の前の人物と結びついていく。ぶっきらぼうな口調のまま、甘味の話になると一言ずつ肯定の熱が増すのがわかった。
つまり、噂のオークはこの人だ、と。
「甘味なら、柑のシロップ寄せを後ほど。いかがでしょうか?」
ツユが言うと、モーガは短く頷いた。
「頼もうかな」
グランツが、さっそく絡みに来る。
「おいモーガ……だっけ? グランツだ。それを食うのは初めてか? これは酒が進むぞ」
「酒はあとにしておくよ」
「何だ何だ、堅いなぁ!」
「甘いものの前は、腹を静かにしておくのが常なんじゃ」
「理屈があるのかよ!」
「ある。ある」
「……変わったじぃさんだな」
やり取りに周囲が笑う。言葉は少ないのに、モーガがいると、場が柔らかくなるのが不思議だった。
凪斗は碗へ戻り、四口目をゆっくり味わった。
今度は、水柑の皮に舌を向けて飲む。香りが最初に立ち、出汁が後から続く。浮き魚の身はほとんど抵抗を残さず消え、喉を降りる瞬間に炙り皮がごく短く合図する。――始まりを香りで、終わりを香りで切る形。整った順序が、胸に優しさを落とす。
「さて。ペアリングの話をしてもよいだろうか」
レイファスが碗を置いて言う。
「森の白い茶――花の香りがする淡い茶があります。これと合わせると、香りの輪が広がるんです」
「それは良いですね」
ツユが目を細める。
「強すぎる香りは重なると濁りますが、今の輪なら重なっても大丈夫でしょう。どう思いますか?」
レイファスは指先で小さな円を描いた。それに、モーガが同調する。
「うむ。軽い輪じゃな。浮かぶ魚の上に、薄い香りがもう一層、重なる感じがよい。こりゃあ素晴らしいわ」
「なぁなぁ、肉はどうだ?」
グランツが問う。
「肉と合わせるなら、何がいい?」
「脂が重いとスープが負けます。今回の場合は、ですが」
ツユが即答する。
「炭火で焼いた白身の獣肉を薄切りにして、別皿で。口に油の膜が薄く残るくらいの焼きがいいでしょう。――それを一片食べてから、このスープを流す。脂が一層落ち、水の香りだけが残ります」
「なるほどな。なら、酒はやっぱり軽い白だ。最初に喉を開けて、それから肉、最後にスープ。……たまらんな」
「順番も味の道具ですからね」
「いやぁ、早く食いたくなってきた! やっぱり、肉が一番落ち着くぞ!」
それを聞いていたモーガが、静かに付け加えるよう口を開いた。
「甘味の前なら、砂糖はいらぬ。水柑の香りで十分なんじゃなかろうか。甘ければ甘いほどいい……ってわけでもないのはわかっておるからのう」
「モーガさんは、どんな甘味と合わせたいです?」
凪斗が尋ねると、モーガは少し考えた。
「柑の寒天。透明。噛むと、すぐ終わるやつが好みじゃ。余韻に浸りながら、次が口に入る瞬間を思い浮かべて、また一口食べるんじゃよ」
「……短い終わり方、がお好きなんですね」
「長いものも好きなんじゃ。だが今日は短いほうが良い気がしてな。ナギト、だったかな? 甘いものも奥が深いんじゃ。味が変われば質も変わる。合わせるものも、器も」
カリンが笑いながら肩をすくめる。
「モーガさん、今日めっちゃくちゃよう喋るやん。甘味の話になると別人やな。この間はずぅっと黙りよったんに」
「いやいや、わしは一人しかいない。別人じゃなかろう?」
「せやな。甘味のときが本体なんかもな」
「本体か……そうかもしれん。あぁ、甘いものは別なんじゃ」
「ほんまやで? ビックリするくらい全然別人やわ」
短いやり取りで、店の空気はさらに和らいだ。




