第18話:水の都の浮き魚の冷製スープ_3
「視覚も味のうちです。まず目で見て涼むところから始めましょう」
ツユは言い、最初の一碗を運ぶ。
席に着いていたレイファスの前に、そっと置く。ほんの少し水面が揺れ、浮き魚がまるで生きて泳いでいるかのように動く。
「……あぁ、すごい。綺麗だ」
レイファスは、碗の水面を覗き込むと、深く息を吸いスプーンを入れた。
――一口。浮き魚の身は舌の上でほどけ、出汁に吸い込まれるように消える。水路昆の淡い旨み、水柑の香り、葱の清涼。余韻は短く、すっと切れる。
「これは……川の上を歩いたときの風だ。懐かしい。それに、なんて言うか……」
少し考えて、レイファスは微笑んだ。
「森の緑とは違う透明があります。あの街の朝の匂いがする。また味わえるなんて……」
感動しているレイファスを横目に、次の一碗はグランツの前に置かれた。
「おう、こいつは見た目から冷てぇな! いやぁ、面白れぇ!!」
豪快なグランツは、躊躇わずすくって口に運ぶ。
「ひゃあ……染みる! だが軽いな。腹に残らねぇ。残らねぇくせに、泡が恋しくなる味だ」
「後で軽い白をお出ししますよ」
「なぁ、先に飲んでもいいだろ?」
「少し我慢したほうが、ぐっと美味しくなりますよ?」
「それもそうなんだがなぁ。これを見てると、我慢がつれぇよ」
グランツは笑って、待ちきれないとばかりに手を振った。
凪斗の前にも碗が置かれる。器そのものが冷え、指先から涼しさが伝わってくる。『これを崩してしまうのは、やはり勿体ない』と、そう思った。だが、味わわなければ、それはそれでこの品に失礼な気がする。それだけ、神聖なものにも見えた。
ごくりと喉を鳴らして、スプーンでそっと静かにすくうと、浮いている魚が揺れ、小さな波紋が幾重にも広がった。まるで小さな水路を手元に置いたみたいだ、とそう思う。
まずは、試しの一口目。
すぐ温度が舌をさらい、体温がすっと吸われる。次に、水路昆の柔らかな旨みが遅れて押し寄せ、浮き魚の身は淡雪のように消えた。飲み下すとき、水柑の香りが鼻へ抜け、流れ葱の輪郭が後味を整えて終わる。一瞬で、行ったことのない街の情景が目の前に広がった。
「……街を食べてるみたいだ」
思わず出た言葉に、ツユが軽く頷いた。
「水の都は、街そのものがご馳走です。景色、匂い、温度、音。全てが料理のアクセントに変わります」
二口目は、身を少し多めにとった。
身が増えると、出汁に溶ける前に一瞬だけ主役の主張が立つ。舌の上でふわりと盛り上がってから崩れ、今度は流れ葱の清涼が前へ出る。水柑は一口目より控えめになって、香りだけが縁に残った。
三口目は、出汁を中心にする。
温度に慣れた舌は旨みを拾いやすく、軽いのに芯がある。喉へ落ちる直前、炙り皮の香ばしさが遅れて合図のように立ち、余韻はやはり短く切れる。――長居せず、次を呼ぶ味だ。簡単に次の一口がほしくなり、口の中も次の一口のために導線を残している。
「市場ではな、魚を浮かせた桶がずらぁっと並ぶんや」
カリンが嬉しそうに続ける。
「子どもたちがな。『どの浮き魚の浮き方が一番綺麗か』で値切る言うたやろ? 不思議なことに、大人よりも子どものほうが目利きできるんよ」
「何だか不思議ですね」
「子どもの目のほうが、大人が見るよりも細かく映る……って話や。ほんまかな?」
「それがその街の、その魚の見方なんですもんね。本当だと思います」
「うちもやってみたんやけど、全然上手くいかんくて。負けたわ」
「カリンさんでも? すごく難しいんだろうな……」
「なんちゅうか、直観とか見え方の違いが大事なんやろな。コツを掴めばいけるんかもしれん。でも、そのコツを掴むのが難しいと思うで」
――そのとき、扉の鈴が低く鳴った。
大柄な影が店に入る。厚い肩、太い腕、緑がかった皮膚。牙がのぞく無骨な顔立ち――だが歩みは静かだ。年輪の刻まれた丸太のような存在感。
凪斗は思わず背筋を伸ばした。初めて見る種族。オークだ、と頭で理解してから、胸が一拍遅れてどきりとする。
ゲームで見るオークも、確かこんな感じだったと思った。自分の中のイメージと、そう差はないな……とも。
既にエルフとドワーフを見ている。異種族だからと言って、差別もしなければ疑問にも思わない。だが、いざ目の前に新たな種族が現れると、驚いてしまうのだ。慣れないゆえの、性なのかもしれない。
「……こんばんは」
その男は、短くそう言って、カウンターの端に腰を下ろした。どしり、と鈍い音が響く。
「いらっしゃいませ」
ツユがいつもの調子で迎える。
「お客様は……これはこれは、二度目でございますね。ようこそいらっしゃいました。どうぞ、まずは涼しいものを」
「助かるよ。今日は暑かったなぁ」
男は低い声で答え、碗を受け取る。今準備した、浮き魚の椀だ。
「なんだ、かなり前だろ思うのに、覚えていてくれたのか。……嬉しいなぁ、ありがとうよ」
「いえ、こちらこそ、また足を運んでいただけて光栄です」
ずっとオークを目で追っている凪斗に、ツユが彼を紹介する。




