プロローグ:路地裏の扉_2
「……えーっと? これはいったい……」
「宝石ナッツ、見るの初めて?」
「え、あ、はい。え? 宝石?」
「よく見てよ」
竜人の青年が、ナッツを両手に取った。よく見ると、まるで宝石のように透き通った殻だった。色は赤青黄色とまちまちで、中に白いものが見える。
おそらくこれがナッツの実の部分だろう。
「ほんの少し火で炙って。そうすると、殻が砕けるから。それから、殻と中身を分けてください。あ、殻はもう少し炙って酒に入れると、色によって違う味が楽しめますよ」
「なるほど。では、早速。折角ですから、凪斗君も一緒にいかがですか?」
「作法とかあります?」
「ないよ」
と、青年は答える。
「好きに食べて、好きに感じてください」
すでに手際よく宝石ナッツを炙っていたツユは、パチリ、という音を聞いて、フライパンから皿の上へと戻す。
青年の言う通り、殻が外れ、中身が顔を出していた。乳白色で、見た目はマカダミアナッツに似ている。違うのは、色味がもっと透き通っているところだった。
フォークを取る。ひと口ぶんをすくい、口へ運ぶ。
カリッとした音の後に、シャリシャリとした歯ごたえが響く。思ったより粉っぽくない。噛むほどナッツ特有の油の風味と、香ばしさが口の中に広がった。噛むたびに香りが跳ねる。
「なんだこれ、めちゃくちゃうまい」
思わずそう口に出ていた。それを聞いて、青年が小さく笑う。
「そう言ってもらえると、掘り出した山も喜びます」
「なんと言うか、ずっと見た目より食べ物らしいですね」
「からの部分は外してしまったからね」
ツユが言う。
「殻のほうも、食べてみますか?」
「え!? それ、石ですよね!?」
「その、深紅のやつ。ツユさん、彼の水に入れてみては?」
「そうしましょう」
カラン――と音を立てて、深紅の欠片が水に沈む。水を吸っても、その透明度と色合いは変わらなかった。それどころか、光を吸ってより輝いているようにも見える。
「え、これ、どうしたら……?」
「どうぞ、お召し上がりください」
「お召し上がりください、って」
グラスの中で、氷のように深紅の欠片が揺れていた。色は染み出してこない。水は透明を保ったままだった。
『こんなの、ただの氷みたいなものだ』と、自分に言い聞かせるように水を口の中に運んだ。――見たことのない扉を通り、目の前に竜人が現れた時点で、何かがおかしいのはわかっている。
夢かもしれない。夢なら、何が起こったって怖くない。
「……え? あ、甘い……ちょっと、いちごのような甘さが」
「この殻は、色によって味が変わるんだ。深紅はいちご、橙色はみかんみたいに。えーっと、その世界によって、名前は変わるんだっけ?」
「左様でございます。正確には『夢苺』や『霜苺』のように、頭に何か言葉のつくことが大半ですが」
なるほど、とでもいうように、青年はうんうんと頷いていた。
「もう一口、ナッツの中身をいかがですか?」
二口目で、配置が見えてくる。中心に清涼感。周りを特有の香りが回り、ほんのりとした苦みが縁を作る。甘みは点在し、味の邪魔も触感の邪魔もしなかった。スプーンは三口目を求めて自然に動いた。
「あの、今更こんなこと聞いて申し訳ないんですけど、もしかして、その尻尾って本物ですか?」
青年は驚いた顔をしたが、すぐにクククッと声を出して笑った。
「あぁ、本物だよ。君の世界には、こういう見た目の生き物、いないの?」
「……少なくとも、俺は見たことないですね」
凪斗は素直にそう答えた。
ツユが「味は文化の短い言語です」と言ったかと思うと「腹に落ちれば、理解のほうが向こうから歩いてきます」と、この店に合いそうな言葉で締めた。
ふと、長いプレゼンより、試作品を触ってもらうほうが理解の早かったことを思い出す。舌はわかる。頭は後から追う。ここではそれでいいのだと思えた。
皿の上のナッツが減っていく。その速度に合わせて、背中の強張りが少しずつ解けていった。
ツユが小鍋に手を伸ばした。さっきの殻を入れて、油で短く火を通す。湯気が立つ。小皿に二口分。
「一度にいろんな味を口にするのも、それもまた一興ですよ」
ひと口。爽やかな甘さが広がったかと思うと、まったりとした香ばしさが舌の上に残る。硬いはずの殻が、スッと消えてなくなった。
「殻もなかなか、美味しいものでしょう?」
「……本当に」
凪斗は頷いた。多分、ここはこういう店だ。
カウンターの木目には薄い傷が並んでいる。誰かが箸を置いた跡。誰かがグラスを滑らせた跡。自分の番も、その列に加わるのかもしれない。
腹は満ちてはいないが、落ち着いた。言い訳のいらない場所に座っている感覚がある。
「唯白凪斗君」
ツユが改めて名を呼ぶ。
「ここで食べ、ここで感じることができるなら、君の席はここにあります」
返事は簡単だった。
「あはは、じゃあ、しばらく座らせてください」
「もちろんです」
グラスの水を飲み干す。透明な感覚が喉を通り、グラスの底には深紅の殻が残った。
扉の鈴がまた鳴った。今夜は来客が続くらしい。
ツユがちらと時計を見る仕草をした。時間は夜の始まりに近い。深すぎない時間帯。初めての客に優しい時間だと思う。
凪斗は、さっきまで考えていた夕食の候補を思い出した。のり弁とカップ麺。そのどちらにも戻れない気がした。戻らなくていいとも思えた。
ここは世界の交差点だとツユは言う。大げさに感じるが、言葉の調子は落ち着いている。誇張ではなく、店の仕様なのだろうと受け取った。
凪斗には、席を立つ理由がない。
スプーンを置き、呼吸を整える。次の一皿が来た時に、空腹だけで反応しないようにするためだ。ここでの食事は、ただ埋めるためのものではない。そう理解できる程度には、今の皿が効いていた。
鈴の音に続いて、湿った外気が少しだけ流れ込む。
この日が、凪斗の異世界との初めての出会いだった。




