第10話:ドワーフの竜肉ジャーキーと黒曜石のビール_5
「ジャーキーにする時の、香草の配合、差し支えなければ半分だけ」
ツユがこっそりとグランツに聞く。
「半分ならいいだろう。山葵みたいな根を少し、黒い葉の粉を少し、あと……あれなんだっけ、森の皮」
「森柑じゃないですか? それなら持ってます」
レイファスが小袋を出す。皮の香りを確かめ、ツユが凪斗にも差し出した。
「ビールの果実香と繋がります」
「そうさ。色で選ぶな。黒いから苦いとも限らん」
「色に惑わされるな、ですね」
「そのとおり」
ツユが指を折ってまとめる。
「今夜覚えたのは『順番・待つ・挟む・泡・湯気』。短い言葉は次の皿でも使えます。凪斗君、また試しましょう」
「はい。できそうです」
周囲の空気が一段持ち上がったところで、グランツが最後の一切れを掲げる。
「なんか鍋がやりてぇな! 肉も野菜も茶も酒も、全部ぶち込む!」
「世界寄せ鍋、ですね」
「いい名だ!」
客たちが口々に叫ぶ。
「茶は最後に入れよう!」
「旨かったから竜肉を入れるぞ!」
「蜂蜜は一滴!」
「皆さん、順番は守りましょうね」
とツユが笑って手を叩く。
「鍋は順番で仕上がりが変わります。順番の相性がある。出来が怖いですから、小鍋で」
「森の葉、持ってきます。火は落とさないでください」
レイファスが立ち上がる。
「任せろ、森の若造」
「何だか、もう慣れてきましたね」
レイファスはひらりと手を振り、扉へ向かいかけて振り返る。
「ツユさん、さっきの泡だけ先のやつ、森の子にも教えます」
「特許料は干し肉でいかがですか? 森で食べる干し肉です」
「ナギト君、証人お願いします」
「はい、聞きました!」
鈴が鳴り、レイファスが夜に出る。
代わりにグランツがカウンターの裏へ向かい、鍋を出し、火口にかけた。ツユが湯を整える。
店の匂いがまた変わる。肉、茶、蜂蜜、胡椒――いろんな香りが重なるが、うるさくはない。
「ツユさん。俺、何を手伝えばいいですか」
「まず水を忘れないこと。次に、よく見ること。人、皿、外にこぼれた気配。……それから包丁を少し。握りやすい形を探しましょう」
「はい」
凪斗は包丁を握った。繊維を見て、斜めに。焦らない。待つ。刃が入るたび、香りが少し強まる。火口で湯気が上がる。
「若……ナギト。切れるな」
「最低限です」
「十分だ。待てるやつは伸びる」
グランツは上機嫌だ。
奥のテーブルからは、旅行者たちのやり取り。
「うちの世界は山羊の干し肉をヨーグルトで食べる」
「へぇ、酸で戻すのか」
「塩は岩塩? 海塩?」
「岩塩。赤いやつ」
「へぇ、うちは青だ、一粒ですっかり味が変わる」
会話が自然に混ざる。この店に『正解は一つしかない』という空気がないからだろう。
ツユが鍋の縁を見て、火を少し弱める。
「香りが集まってきました。ここで茶の湯気を少し。……グランツ、蜂蜜の出番は最後です」
「わかってらぁ」
「凪斗君、泡の仕事は覚えましたね。鍋でも同じです。浮いた泡をすべて取るのではなく、必要な香りを残す泡もあります」
「全部取れば綺麗、ってわけじゃないんですね」
「はい。料理は『綺麗』と『美味しい』が必ずしも一致しません」
子どもの声が混じる。小さな影が背伸びしてカウンターを覗いた。
「あまいの、ありますか」
「ありますよ。今夜は蜂蜜を使います。終わりに小さくのせましょう」
「やった!」
隣で親が苦笑し、客席から笑いが起きる。
凪斗は包丁を置き、腕を軽く回した。
会社にいたころ、こんなふうに食べると働くが隣同士くっついた夜はなかった。ここでは会話と手元が自然に繋がっている。何かを作って、誰かに渡す。その途中で味を確かめる。単純だが、納得できる。
「ツユさん。お店の交差点って、こういうことなんですね」
「ええ。違うやり方が並んで、混ざったり、並んだままだったり。どちらもいい夜です」
「並んだままでも、いいんですね」
「はい。無理に混ぜなくても、相手のやり方を見て自分のやり方が少し変わる。そのくらいが長続きします」
鍋がことりと鳴る。
「ここで一息。……湯気三呼吸」
三人で同時に息を吸い、吐く。塩気の角が落ち、香りがそろう。
「よし、味見」グランツが木杓子で少量すくい、舌にのせる。
「うむ。次は葉だ。森の若造、まだ戻ってこないのか」
ちょうどそのとき、鈴が鳴った。
「お待たせしました!」
レイファスが小束の葉を掲げて戻ってくる。息が弾んでいる。
「早いですね」
「近くの鉢に分けてもらいました」
「よくできた若造だ」
とグランツが鼻を鳴らす。
「ありがとうございます。もう若造で大丈夫です」
葉が鍋に入る。香りが一段変わった。強すぎない青さが加わる。
「順番、守りましたね」とツユ。
「そりゃあ守るさ。寄せ鍋の本番が楽しみだ」
「本番?」
「そのうち作らねぇか。もっとおっきな鍋でよ。それぞれの世界の材料をちゃんと持ち寄って、みんなで食べる」
丁寧に鍋を見張り、小さな碗が配られる。鍋の予行演習を一口だけ。
凪斗は受け取り、湯気を軽く払って口へ運ぶ。塩、脂、茶、葉、胡椒、蜂蜜の順で顔を出して、最後にビールの甘みが戻る。
「……終わりが綺麗です」
ほう、と凪斗は息を吐いた。美味しい、落ち着く。
「泡の仕上げが効きましたね」
「ナギト、やっぱりお前、鍛冶屋でもやってけるぞ」
「だからそれは言い過ぎですって」
グラスの音、鈴の音、湯気の音。
交差点の夜は、まだ続く。
凪斗の舌と手は、少しずつこの店のやり方を覚えていった。




