蜜事
結果を先に言ってしまうと、タクトの司に対する趣向は取った選択としては失敗だった。麗華がそれだけ色の強い、誰にも把握などさせない女だというのが彼女に振り回される者達の総意だ。
警察署で長嶋から引き取り、これみよがしに口元の痣を触りながら司へ目線を送るタクトを見て麗華が浮かべた表情は、それはもう見事な般若ではあった。
しかし、矛先となったのは一人ではなく、傷ものとなったタクトもまたそこに含まれていたのが誤算だったのである。
予想外に驚き固まった隙に、司の耳朶を引っ張りながら麗華は言った。「いってぇ!」司が騒ぐも全く意に介さない。
「手加減しないから」
何度も足を運んだことのあるマンションの玄関でそれを聞いた両者は、即座に逃げることを考えたのだが、司に至っては既にそれは絶望的だ。自分から飛び込んだタクトもまた、そんな彼を置き去りに出来るほどの残酷さを持てなかった。舞う火の粉は、人を選んで降りかかるわけではなかったらしい。
かくして、見てくれに似合わずシンプルなインテリアで統一された落ち着いた自宅で、派手な女が二人の男を前に仁王立ちして目くじらを立てる図が完成された。
その争点がまた、彼らの関係性を映し出したかのように独特で、人柄を表すかのごとく独創的だった。
「あんた達がどれだけ張り合おうがどうでもいいことだけどね」
麗華は二人の間で何があったのか些かも知らない。聞けば口にするのだろうが、彼女にとっては正直どうでもいいことだった。非難する義務も、見守る必要だってない。司とタクトの間に立つ役割を持って今の付き合いがあるわけではないのだ。
それでも口を出すその理由がなにより〝らしく〟、だから責めたてられる二人も大人しく従ってしまっていた。なんと単純な力関係なのだろう。
麗華はタクトの痣を力強く指差す。
「殴るなら顔以外にしなさいよ。二人ともそれしか能がないんだから!」
片やけして小さくはない街の一つで男たちからの憧れを浴びる男と、片やおっぴろげられない問題を抱えた者から頼りにされ、陰日なたに精通している男。そんな二人に対し、顔だけだと言いきった女は、有名でありながらもキャバ嬢として多くに埋もれる一人でしかない。それなのに、なかなかどうして、彼女に寄せられる信頼は同性からも厚いのだから不思議だ。
顔を見合わせた司とタクトは、合図を取ったわけでなく同時に吹き出していた。
「相変わらず、お前って大した女だよな」
「ですね。僕らと違って」
司は組んだ胡坐の膝を強く叩き豪快に笑う。その隣でタクトが顔を横に逸らし、しかし腹を腕で支えて激しく肩を震わせる。つくづく正反対だが、バランスは悪くない。
麗華の目は反省の色が見えないことでさらに吊り上がっていた。そんな彼女も、タクトが大笑いする姿など見るのは初めてだったが、司とは違いうろたえたりはしなかった。表面でも、内心でも。
「言われて笑ってる時点でまともじゃないじゃない。今のタクトなんて、日がな一日ぐうたらしてるニートもどきなんだし」
「ひっでぇ言われようだな。そんな俺らを良い男だってケツ振ってんのはお前ら女だろ」
「司さん、下品です」
叫んで幾分すっきりしたのか、麗華が一人ソファーへと腰を下ろす。長い足が軽やかに組まれる。その向かいで絨毯の上に座っていたタクトが飲みものを要求されて素直に従った。
冷蔵庫を開けると、見事にアルコールの缶だけがびっしりと並んでいた。さしものタクトも、初めて訪れた時には唖然としたものだが、今では相変わらずだと呆れの息が吐き出されるだけだ。二人へはビールを、自分は適当なカクテルを手に戻る。
リビングでは負けず嫌い同士が、何やら楽しそうに騒いでいた。
「その場しのぎで愛されたいだけの女からすれば、顔とテクが良ければそれだけで十分なんだし。だから、結局あんた達は低価格なんだって」
「今まで相手してきた中で、一番軽い女がよく言う」
「ちょっと、そこらの女と一緒にしないでよね」
「だったらお前は自分をどんな風に思ってんだよ」
タクトがそれぞれの前に缶を置くと、にらみ合ったままプルタブを押し上げた。
喧嘩腰で剣呑に感じかねない掛け合いだが、これが常であると知っているタクトは、この二人はいつも元気だなとそんなことを思って後に続く。
乾杯もなく自由に喉を潤す三人は、第三者から言わせれば昼間っから酒を煽っている時点で五十歩百歩な駄目人間の集まりだろう。タクトだけが自覚し、今度は自衛で火の粉を防いだ。
「あたし?」
アルコールによって舌が甘さを帯びていた。司の追及に淑女のような笑みを見せる麗華の手にある缶は、既に残り一口か二口しかない。
ふとした動作が自分の魅力を熟知していて、そこは確かに褒められる実力だ。タクトと司の前では状況と一致せず、効力を発揮するわけではないのが残念なところではある。
「あたしの場合は、どんな男でも愛してあげられる女なの」
「はいはい。お前がすげぇ女なのは十分知ってる」
「どうせならひれ伏すまで知っておきなさいよ」
ペースの速い二人の為しきりに席を立つタクトにはお構いなしに交わされる会話は、飛び抜けてユニークだろう。そこには引け目も泥臭さもなく、ただただ個人の色がある。
だけれど、それを人間性として受け入れられる人がそう多くはないことを、何故かも含め誰よりも本人達が理解していた。
麗華を他人は節操なしだと蔑む。言い寄ってきながら内心では尻軽だと舐めてかかっていて、さぞ都合がいい存在だと思っていたりするのだろう。それは仕方のないことだ。だからこそ、彼女はいつも堂々としているし、回りくどいことを嫌う。
そんな開き直りの先で、こうして気兼ねなく付き合える異性は司とタクト、二人だけだ。
ただ、司に関しては好きかと尋ねられればイエスとはっきり答え、身体の付き合いなど数え切れない。そうでありながら、現在の間柄を問われた場合には躊躇なく友人だと言う。
それが麗華の真骨頂。彼らの成り立ちにも繋がるものだった。
「僕はとっくに知ってますけどね」
「あ、タクトてめぇ。ずりぃぞ!」
ゴマをするかのように同意したタクトに司が吠えた。今度は彼らのじゃれ合いが始まる。
その姿を高みから眺める麗華が眩しく目を細めていたのを、暢気な男たちは気付いていなかった。ここまで人は変われるのか。そう思っているなど露ほども知らない。
麗華が司が、お互いに客となってからそこにタクトが加わって、まさか当時はこんなにも明るい空気が流れるとは想像もしなかった。
だから余計にきっかけが輝く。ジュエリーな豪華さからは程遠く、素朴でありきたりだが、それでも安っぽさは不思議と感じられないガラス玉のようにキラキラと。
麗華は思い出す。司の質問と、そして自分の返した答えを。
『お前は、男と女の間に何があると思うか?』
タクトがソワレで働くようになってからしばらくしたある日。リビングから見える扉の奥の寝室、ベッドの上でのことだった。
生肌の温かさを分け合いながら――なんて甘い空気はなく、司は寝転んだまま、麗華は膝を抱えながら布団にくるまり、それぞれで煙草をふかしていた。
「なによそれ」そのときの麗華は失笑して流しかけた。司には真面目な顔が悲しいほど似合わない。彼女に涙が必要ないのと同じで。
それでも司は、遠い目で天井を眺めながら答えを待っていた。
この頃には麗華もタクトと出会っており、胸に秘めた想いにも気付かれていた。だからこそ、不可解な問いによって思いがけず脳裏に独特な儚さが浮んだ。
「色々。男同士、女同士にあるものと変わらないでしょ」
変な司。そう言って煙草を消し視線を戻した先で、司は意外そうに目を丸くする。
「なによ」ねめつけても、落ちかけた灰に慌てるだけだ。
「お前のことだから、友情以外って答えるかと思ってた」
「失礼ね。むしろ私だからこそ、男女の友情だってあると思うんだけど」
「どこが」
「あら、言っとくけど私、あんたのこと友達だと思ってるわよ?」
麗華の思わぬ言葉で司の視線が瑞々しく滑らかな肌へと向かった。
わざとなのか、気にせず背中を隠す髪を片手で掴み前に流すものだから、余計に淫らさが増す。色っぽいうなじから痩せすぎず細すぎず、抱き心地の良い身体で僅かに浮いた背骨を辿れば、どちらかといえば小さいヒップがシーツの上に乗っている。
武骨な指が伸びたのは、男からすれば自然の摂理だ。
「今、ヤることヤっといてとか思ってるでしょ」
「んー……、半分正解」
腰にまわす腕は片手で足りた。汗が冷えたのかその時の麗華の体温は低く感じられたのだが、司が火照っただけだったのかもしれない。
麗華は二本目に火を付けてそれを放置する。振ったのは司でも話が中途半端だ。それはそれで気持ちが悪い。
「むしろ私から言わせれば、女と男だからこその付き合い方ってあって良いと思うわけよ」
「たとえばどんなんだよ」
「そうね。同性だったら、落ち込んでる友達を飲みに誘うとかするわけでしょう?」
「……お前まさか、身体でってのもそれと同じだとか言うんじゃないよな」
「言ったら何か問題?」
さすがの司も呆気に取られるが、しばらくして「節操ねぇなぁ」と苦笑に落ち着いた。
けれど、麗華はふざけているつもりはなく、その反応が気に食わない。彼女の持つ火のついた煙草がやけに司の肌に近づけられたのは、その苛立ちの表れだろう。
「でも実際、男としてそうされて困るわけ? 嫌じゃなかったら据え膳食うでしょ?」
「まあ……、俺ならな。でもその時点でもう異性だろ?」
「だから、同性と異性を同じ土俵で考えるからそれが出るんだってば。ていうか、あんたは一体、私に何て答えてほしいの」
話を否定して止めるぐらいなら聞くな。その文句で口が噤まれる。
「同意の上でなら、問題なのはそれに伴う責任ってやつだけじゃない。それを、私もあんたもちゃんとしてる。セックス前提の関係で使われる友情ってのは所詮お飾りだと思うけど、友達同士で楽しむものの一つとしてあるのなら、それこそ異性だからこそだと思わない?」
面倒になってきた麗華が今度こそ邪魔されないよう一気に捲くし立て、言い切ると一人で満足して笑った。
その潔さは清々しい。清々しいが、言っていることはずいぶんと滅茶苦茶だ。司からすれば、麗華でなければ持てない主張としか思えない。
だがそれでこそ麗華であり、そんな彼女ならばと思えたのだろう。身体を起こしながら回した腕を引いて抱き寄せ、肩に柔らかな口付けを一つ落とした。
くすぐったいと身を捩るのをお構いなしに大きな影に覆われ、そのままベッドが再び深く沈み――
「あー、思い出したら……」
麗華が我に返ると、自分と司の前には空いた缶が山積みとなっていた。
律儀に手元を入れ替えてくれていた者がいたおかげだ。言わずもがなそれはタクトだが、その彼は司の相手が疲れたのか空返事に勤しんでいる。
そして、目敏く麗華の様子に気付き、柔らかな微笑みを一つ零して立ち上がる。そういうところが憎らしく、ねこっかわいがりしたくなる要因だ。言葉がいらないのは楽で良い。
「買い出し行ってきますね」
「おー、まかせる」
そのまま戻って来ないだろうことを気付かない馬鹿が一人、暢気に見送るのを待って、麗華は衝動に身を任せた。
缶を蹴飛ばしテーブルを越え、硬い筋肉で包まれた大きな首に顔を埋めれば、司は絶対に突き離したりしない。
「どうした?」
「ん? いや、タクトも変わったなーって」
ミントのように清涼感溢れた香りを味わいながら、服の下へ侵入し始めた手を放し飼いに、司が着けているネックレスのチェーンを指に巻く。
「あんな風に笑ってくれるようになって、正直ホッとした」そう言いながら目を細める。
頭を覆う大きな手のひらがこの上なく好きだ。震える喉が頬に伝わり、持ち上がっていく。催促せずともおのずと浮ぶというのに。
笑顔は麗華にとって自信そのものだ。
「そういうところは、やっぱお前も女だよな」
「バカ」
きっと三人を繋げる関係は、周囲からすると余程いびつに歪んで見えるだろうが、変わってきたタクトに最近はより強く思う。
「タクトがこのまま、もっと自分を持てればって思うのよね、あたし」
「過保護は度が過ぎると鬱陶しいだけだから気を付けろ」
そう言って笑い合った時にはもう、ほとんどの服が床に落ちていた。そんな状態でも、二人はここには居ない相手を語らう。
かつてもそうだった。何度目かも分からない重なりの中で、司は汗を滴らせながら言ったのだ。
『俺、あいつと友達してみるつもりなんだけど、お前はどうする?』
麗華は知っている。多くから尊敬と羨望を向けられる司が、その実とても寂しい人間だと言う事。同じ分――むしろ倍、嫉妬や僻みにも晒されていて、可愛がる後輩や気の置ける先輩はいても、対等な並びには誰も居ない事も知っていた。
「あぁいったタイプ、嫌いじゃないっけ」あいつが誰なのかは見当が付いており、少し意外ながら尋ねれば、返って来た答えはそんな司の本質を映す。
『まぁ仕事振りは嫌いだな。けど、本人は別に。むしろ興味ある』
人の髪で遊びながら淡々と、そこにきっと自覚はないのだろう。
『だってあいつここに居ないだろ。周りに居る誰も見ちゃいねぇよ、きっと。そのくせ気が利くし、聞き上手だし。楽だと思うんだよな』
それは明らかに自分本位で都合が良い存在だと言っていたが、麗華にとっては待ち望んでいた嬉しい言葉に他ならなかった。なぜなら彼女は、一人の男として司に惚れているのだ。その相手が飾らない自分を曝け出し、ありのままで過ごせて嬉しくないはずがない。今まで無かったのなら特にそうだ。
その言葉を聞かされたということは、遠まわしにお前は違うと言われているようなものだがそれも気にはならない。競うものでもないし、元よりポジションが違う。それに、麗華本人も〝あいつ〟に琴線を触られた。
もう一度、司は「お前はどうする?」と、シーツの皺の中心で横たわる麗華に尋ねる。
『男友達は無理。私、筋肉好きなのよね。でも、そうね……。あれはどっちかというと、弟にしたいかも』
彼女の答えは司の笑いを大いに誘った。
このような二人だからこそ、その話をそれぞれ別のところで耳にした時、タクトを想いきっと動かなかった。
麗華と司、それぞれが寄せる情。さすがにそこには女と男で差があれど、均等が取れていることに変わりはなく、たとえその繋がりがたったの一言で崩れるとしても、それが分かっていれば口が裂けることはない。
ただ、二人にさえ分からないのは、それがどちらなのかどうかだ。
情事の後、司がタクトが戻ってこないとぼやいた時、麗華はひっそりとその疑問を口内で転がした。
「追ってるのか、逃げてるのか。どっちにしろ、タクトの女運は最悪ね」
本人が聞いていれば、さぞ苦笑したことだろう。
甘やかしって意味での甘さと秘密、んでもってシチュエーションの密事。三つを合わせて今回のサブタイとなってます。
なので誤字ではありませんので、よろしくお願いします。
「そもそも、好意があるから友だちしてるんじゃない。それ以上の感情が必要?」さすがにこれは入れられなかった。




