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そして僕等は夜に溶ける  作者: 林 りょう
CASE4《とある犬好きの場合》
21/44

前進




 依頼を受けた次の水曜日、タクトがプロムナードに現れたのは閉店時間の直前だった。


「お元気そうでしたよ」


 開口一番の言葉は前原の表情を苦いものにさせ、それから彼は静かにタクトを迎え入れる。

 二人が腰を据えて話し始めた時には、店の入口にしっかりとクローズの看板がかけられていた。


「子供のパワフルさはすごいですね」

「……お子さんがいたのか」

「ご存知なかったんですか? 四歳の双子、女の子と男の子でした」

「会社を辞めたのが五年前だからね」


 カウンターではなく店内のテーブルで向き合って座り、二人の前にはタクトが淹れたコーヒーが置かれている。

 心地良い香りで、歌之助とどんぐりは夢の中だ。もしかしたら、空気を敏感に察してそうしているのかもしれない。二匹とも、いつでも慰められるよう主人の後ろに控えていた。

 タクトはといえば、依頼の為に訪れた公園での出来事を思い出して苦笑している。そこで出会ったあどけない子供たちには、さすがの彼もたじたじになってしまった。


「僕としては、前原さんの名前を出さない為にも、遠巻きに眺めるだけの予定だったんです。お休みによくお子さんと公園で遊ばれるらしいので」

「探偵ってそんなことも調べられるんだね」

「同業者とあまり交流がないので、他がどうかは知りませんが。少なくとも僕には出来ます」


 まさかそこで、ターゲットの子供に声を掛けられるのは予想外だったけれど。タクトは呟き、自分の手のひらを見つめる。

 あの日、声を掛けてきた双子は一度タクトから離れたが、特に男の子の方が懐いてきて、いつの間にか一緒に遊ぶ流れになってしまった。小さな手は躊躇なく指を掴んで砂場へとひっぱり、他の子供も居る輪に連れていかれる。

 そうなると、迷惑だからと窘める大人に大丈夫だと言わざるを得なかった。まだ目的が達成されていないのに、公園を去る方が二度手間になってしまうからだ。

 当然、一度会話が成立してしまうと、今度は大人たちから詮索を受けたが、むしろそちらの方が対処が簡単。タクトは見事、恋人の家に遊びに行けば浮気が発覚し、惨めに振られ落ち込んでいた青年となって、奥様の心を好奇と共にわし掴んだ。

 「忙しさにかまけて、寂しい思いをさせてしまった僕がいけないんです」その言葉で、いったい何人から同情と熱い視線を得たことか。

 事細かにその一日を説明される依頼主は、どんな顔をしていいのか分からず困っているが、かくいう探偵は飄々としている。出会ってから今まで持っていたタクトに対する前原の印象は、この数分でガラリと変わりそうだ。


「タクトくんが振られることがあるとは、なかなか思えないけど」

「振ってもらうのは意外と簡単ですよ?」


 さらに、無害そうな顔してそんなことを言うのだから、開いた口が塞がらない。

 前原はその時初めて、タクトがホストだったことを納得した。人として信用していたつもりだが、嘘が自然すぎて分からなかっただけなのだろう。今までの時間にどれだけ本物があったのか、考えたくもない。


「奥さんもいらっしゃったので、話を聞き出しても良かったんですが……。最終的に子供たちから砂遊びを教わる羽目になりました」

「え……? 子供の頃にしなかったのかい?」

「どうでしょう。とりあえず笑われるぐらい下手だったので、あまりなかったんだと思います」


 ただ、今の言葉だけは偽りないのだろうと何故か思った。誤魔化してもいない。

 まるで他人事のように自分を語るのは解せなかったが、肩を竦めて苦笑する姿は、それでも新鮮で楽しい時間だったのだろうと窺わせた。

 子供たちと戯れる姿は、さぞ良い絵になっていたはずだ。前原はそれを思い浮かべるので精一杯だが、加えて母親たちの相手も怠らなかったのだから、さすがタクトだと言える。そのかわり、帰りは行きよりもクタクタで、思わぬ形で苦労させられる依頼となってしまったのだが。

 しかしまあ、前原の名を出すこともなくターゲットと自然な形で会話できたのは子供たちのおかげだ。とはいえ、双子の父親がターゲットだったのは、偶然が都合良過ぎて驚いた。

 タクトは今回、前原とターゲットどちらに関しても、あまり深くは調べていない。どちらかといえば一週間の期間は、前原にこそ必要なものだった。


「やっとトンネルを通せたところで、丁度やって来られたんですよ」

「先輩が?」


 前原が見せた表情は、緊張と安堵と――憂い。タクトはコーヒーの湯気越しにそれを観察し、相手が落ち着けるよう息を継ぐ。

 ターゲットは、前原のサラリーマン時代の先輩だった。転属を機に結婚し、その際にどうしても連れて行けなかったどんぐりをひき取ったらしい。そうして、最近戻ってきた話を小耳に挟んだそうだ。

 普通ならば至って自然に、自分で会いに行けば良いと思うだろう。どんぐりを伴えばきっと相手は喜ぶはずだ。しかし、それが出来無いから前原は依頼を寄越した。

 タクトはその理由をとっくに察している。分かりやすいほど簡単に気付くことができた。


「どんぐりのことも覚えていらっしゃいましたよ。前原さんにも会いたいと。あぁ、安心してください。もちろん他人のふりをしてますので、何も話していません」


 大きな身体を丸め俯いたまま黙ってしまった前原は、その点については心配していないとゆっくり顔を上げる。

 そして、溶けかけて薄汚れた雪の瞳にぶつかる。そこで語られた無言の言葉は、息を呑ませるのに十分だった。

 「でも、あなたは会うつもりはないんですよね?」確信を持って尋ねられてしまえば、口を噤む意外に対抗する術がない。


「初めての新人教育で担当したから余計に可愛がっていた後輩で、見た目に反して気が弱すぎるのが難点だったと。どんぐり抜きに寂しがっていました」

「……よくそこまで」

「こう見えて聞き上手ですから。相手の面倒見の良い性格も手伝ってくれましたし」


 たとえ麗華には貶されようと、腐っても人気を得ていたのは確かだ。それはタクトの気質だけで補えるものではない。そんな甘い場所では無かったことを、誰よりも知っている。

 少しの含みと自信を混ぜ、タクトは探偵として堂々としていた。週一で尋ねてくる好青年の顔はどこにも感じられず、ふんわりと微かに嗅いだことのない気配が香る。どんぐりと歌之助の鼻が動いたのも気のせいではないだろう。

 どこまでも寂しい匂いだった。


「どうしてそうまでして立ち止まるんですか?」

「え?」

「なにもする気がないのなら、どんな形であれ傍に居る方が楽な気がして。差し出がましいようで申し訳ないんですけど、気になって」


 その瞬間、前原の顔が一気に青ざめた。彼からすれば、気付かれているとは思ってもみなかったのだろう。まさかそれが気になって、依頼するよう仕向けていたと思うはずがない。

 タクトには理解出来なかったのだ。今までの環境の中で、想いを押し殺す人を彼は見たことがない。麗華が一応その部類に入るはずだが、彼女の場合は性格が性格な上、欲望には忠実だ。成就させる気がないだけで、殺しているわけではなかった。

 だからなおさら知りたかったのだろう。想いは抱えるだけでなく、押し付けられる。むしろタクトは、そんな人間にしか出会ったことがない。

 そう――たとえ想い人が同性であっても。


「好きなんですよね?」


 問い掛ける姿は無垢だった。だからこそ性質が悪いと気付いていない。戦々恐々と青ざめる前原に首を傾げるだけだ。

 さすがに様子のおかしい主人が心配になったのか、歌之助が伏せていた顔を上げて静かに鳴いた。どんぐりも体毛に隠れかけている優しい瞳でもって、大丈夫かと心配している。

 それでもタクトは止めようとしない。


「今までずっと。だからこの店は、時間が止まっているんじゃないですか?」


 忘れないために。忘れられないせいで。

 その様子に、前原はまさかタクトもと考えかけ、しかし違うと結論付けた。

 そして、震える唇をやっとのことで動かす。


「君は……、その、どうも思わないのかい? 気付いていたならどうして」

「前原さんは、相手が男性だから好きになったわけではないでしょう? 好きになった相手が異性でないだけで、どうして僕が責める必要があるんでしょうか」


 至極真っ当な意見であり、けれど一方では摂理に反している意見。だからこそ賛否両論、様々な物議を醸すものなのだが、タクトには気にする様子が微塵も見られない。

 必要以上に構えていた前原は、その自由さに気が抜けてしまう。それが苦笑となって、ありありと表情に浮んでいた。


「想いが通じないから相手をどうこうする人よりは、健全だと思いますけど」


 「それに最近では、受容もあるようですし」と、なんともまあ、歯に衣着せぬ物言いである。

 残念ながら、それがタクトという青年であった。


「それに、血が繋がっていても成り立つとは限らないものが、どうして男女の間だけで生まれると言い切れるのか。動物にだって広く見られるものですし」


 前原はとっくに、目の前で優雅にカップを持つ青年が本当はどういう人物なのか分からなくなっていた。それは良い年をして年下に翻弄されていると恥ずべきなのか、相手が変わっていると素直に思えば良いのか。なかなかどうして、判断がつけられない。

 かわりに口を出たのは、まったく関係のない、タイミングが掴めずに放置されていた疑問だった。


「タクトくんは、毎回本を読んでいたけど。いつも、ああいったのを読んでいるのかい?」

「そうですね……。好んでいると言うよりかは、気付けば選んでいるって感じですけど」


 話を逸らされたと受け取ってもおかしくないというのに、別段気分を害した様子もなくすんなりと答えてくれ、前原は安堵する。

 タクトが持ち込んでいた文庫本は、言うなればその筋の人たちには評価されるが、万人受けはしない内容の濃いものが多い。同じく読書家であった前原でも、中々手を出せないようなものばかりだ。

 読んでいて楽しくはないし、むしろ気分が落ち込んだり、ひどければ読んでいられないものもある。それを、爽やかな表情を崩すことなく読めるタクトが不思議でならなかった。

 こちらもまた、非難しているわけではない純然たる疑問。タクトも指摘されたことが初めてで、無意識が強かったせいか答えに窮している様子だった。

 その間で前原が、お茶菓子と新たな飲み物を用意するため席を立つ。

 首を捻っている後ろ姿は、やはりどうしても迷子だった歌之助の相手をしてくれた好青年だ。もはや、何に悩めば良いのか、重い溜息が零れる。

 そして、再び腰を下ろせば、自分が納得できる答えが見付かったのか、タクトがどことなく嬉しそうに言った。


「たぶん、何も考えなくて良いからだと思います」

「何も考えない?」

「はい。ああいった作品って、正直理解する方が難しいですから。でも、不思議とひきこまれる何かがあって、だから評価されている。まるで時間を動かしてくれているみたいなんですよね」


 時間を動かす。その言葉は痛みを伴いながら前原の心に届いた。

 どうやら不思議な探偵は、そのことに強い関心があるらしい。そしてそれは言外に、タクトと前原が同じではないことを示していた。


「前原さんにとってのプロムナードが、僕にはそういった本ということかと」

「そうか、君は……」


 語尾を濁す前原にタクトが頷く。その目は彼から後ろの二匹へと移動し、またしても羨望をちらつかせた。

 誰にも明かさないと決め、秘めた想いを抱いたまま前に進もうと思って開いた店は、それでも前原を周囲から切り離しただけで背中を押すには至らなかった。

 そうして出来上がった時間の止まった空間だけれど、タクトにとっては、普段の自分が作り出す空間と似ていたにすぎない。だからこそ寛げた。


「君は、立ち止まっているわけではないんだね」

「えぇ。歩いたことすらないだけですよ」


 前に進めず時間が止まってしまった男と、前に進んだことがなく時間の動かし方が分からない男。そう言ってしまうと、はたして彼らが本当に似ているのかは分からない。

 唐突に頭を下げた前原を、タクトは静かに見つめていた。


「ならばすまない。私は、何の役にも立てないだろう。君に背中を押してもらったから」

「いえ……。期待はしていませんでした。むしろ、依頼に意味があってよかったです。二匹とのお別れは残念ですが」


 少しばかり辛辣ではある。しかしそれよりも、これまで留まっていた自分の心とこの青年に近いものがなくて良かったことの方に安堵する。それだけは表情に出さないよう、さすがの前原も気を張った。

 そして宣言通り、タクトがこの店に来ることは二度とないだろう。歌之助は寂しいと正直に伝えているようだったが、どんぐりは分かっていたと静かにまばたきをしただけだ。


「良い飼い主に出会えて良かったね」


 おもむろに立ち上がり、それぞれの頭を撫でたタクトは、あからさまな社交辞令として「また何かありましたら、是非」と告げ、前原の前から去って行く。

 その背中を見えなくなるまで眺めていた前原は、ふと声を上げた。


「あれはまるで……」


 依頼について持ち出した時に垣間見た寂しげな横顔。どこかで見覚えのあった表情の正体は、すぐ足元にあった。

 前原の涙ぐんだ目は、可愛い自分の飼い犬へと向き、それを見上げる歌之助が不思議そうに首を傾げていた。







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