停滞
ふと思うことがある。みんなはどうやって息をしているのだろうか、と。
そんな疑問、誰かに尋ねでもしたら、心配されるかくだらないと笑われるのがおちだろう。意識して行うものではないし、まして教わるようなことでもない。
けれど、だからこそ、タクトは分からなくなることがあった。
今もそうだ。車で約三時間。仕事でもなければ来ないであろう距離をひた走り、辿り着いた小さな公園で、タクトはベンチに座りぼんやりと考えていた。
久しぶりに受けた仕事は、そのまま座って待っているだけで達成できるはずだ。ある人物に会ってきて欲しい。話さなくて構わない。そんな依頼を寄越したのは、二匹の友人の飼い主である前原学だった。
タクトが探偵だと知ってから、それを切り出すまでに二度、普段通りあのドッグカフェには足を運んでいる。前原らしいといえばそれまでだが、その間に大分挙動不審だったことを本人は気付いていないだろう。依頼そのものもまた、彼らしかった。
それは、晴れの日が続いた今週の水曜日のことだ。テラスでいつものごとく長閑な時間を過ごしていれば、目の前に置かれた頼んだ覚えのない野菜ジュースと甘さ控えめなシフォンケーキ。首を傾げるタクトへ、前原は恐る恐る口を開く。
「どんぐりの前の飼い主に、会ってきてもらえないかな……?」
熊のように大きな身体は、緊張を威圧感に変えるらしい。それでも小さな目は弱々しく彷徨っていて、声にも普段以上に覇気がなく、タクトは口実にされたどんぐりと顔を見合わせてから笑ってしまった。
店内を見てみれば客はおらず、来る気配もなかったので座るようすすめると、前原はおずおずと腰を下ろしてタクトの反応をさらに窺う。とりあえずサービスの品を受け取って礼を言えば、それだけでホッとしているのだから微笑ましくさえある。
「それは、探偵への依頼ということで良いですか?」
「せっかく遊びに来てくれているお客さんに、こんなことを言うのは申し訳ないんだけど」
前原からすれば、タクトの身形からそれなりに忙しいのだろうと思えてしまう。せっかくの休日に現実を持っていくのは憚られたのだが、当の本人は何てことないと首を振る。どうして職業を知っているのか疑問に抱くこともなかった。
何故なら、気付いていたからだ。前原がタクトについて知った日、自分が噂されていたこと。さらには、事務所まで辿りつけ無いだろうことも分かっていた。
「大丈夫ですよ。待っていましたから」
「……え?」
困惑する前原を他所に、タクトはのんびりとシフォンケーキに手をつけていた。
思い出すのは、初めてプロムナードに来た日のことである。出迎えてくれた前原が作り出すこの店の雰囲気は、好奇心を大いにくすぐった。
自分と同じで時間から取り残されてはいるが、前原とタクトには共通点など皆無だ。いくら十近い歳の差であろうとも、おそらく並大抵の者ではタクトの人生経験とは比べられない。なのに似通っているその理由を知りたいと強く思った。
でなければ、どれだけ腕が良いとしても、わざわざ毎週通ったりはしない。良くも悪くも顔の広さは自覚しているので、それとなく興味を持つように仕向けておけばおのずと知るだろうことも計算してのことだった。
ただでさえ人の良い前原は、目の前の青年がそんなことを考えていたと一生掛けても気付かないだろう。彼の目の前で、タクトは薄い唇で淡く孤を描いていた。
「それで? 人に会って来るだけで良いんですか?」
「あ、あぁ……。別に、話をしなくても構わない。見てきてくれるだけで良いんだ」
「いいですよ」
先ほどの言葉の意味を教えてもらえないまま促され、二つ返事で了承されれば戸惑いはさらに大きくなる。
さすがに見かねたのか、黙って成り行きを見守っていたどんぐりにタクトは窘められていた。その賢さには本当に脱帽だ。いったい何度、爪の垢を煎じて司に飲ませたいと思ったことか。
タクトは柔らかな毛並みを撫でながら、眉を曇らせる前原に今度は安心させるよう笑った。
「ねぇ、前原さん」
視線をどんぐりに移し、タクトはこれまであからさまに見せてはこなかった探偵としての顔を出す。その横顔は寂しそうで、前原はどこかでそれを見たことがある気がした。
見当がついたのは、この依頼が終わりタクトが店から去るその背中を眺めているときで、残念ながら今はひっかかりを覚えるだけだった。
次の言葉を待っていると、灰色の瞳は春の陽射しで限りなく透き通る。タクトは眩しそうに細めながら口を開いた。
「何かを飼うってどんな気持ちですか?」
「……タクトくん?」
「どんぐりと歌之助は、どんな空気を吸ってるのかな」
けれど、前原は答える術を持たなかった。もしかして自分は、とんでもない相手に関わってしまっているのではないか。そんな恐怖さえ覚えるのは、彼がこれまで触れたことのない場所の気配がしていたからなのかもしれない。
何においても真面目と評される道を進み、きっかけがあって今はドッグカフェのオーナーをしている前原にとって、タクトのようなタイプの人間と接する機会など無かった。知らないからこそ感じるものが、あろうことか危険を示す。
それなのに、本能ではるかに優るどんぐりは、タクトを前に普段通り。温かい眼差しだけを向けている。
そんな時、はたと気付く。タクトの探偵としての噂のことを。前原は納得し、それと同時に泣きたくもなった。不思議な子だと、まるで春になって出てきた芽によって土に汚れてしまった溶けかけの雪のようだと、強張った身体の力が抜ける。
タクトは見計らったかのように、視線を戻していた。そして言う。
「その依頼、お受けします。頼りがいがあって可愛い友人に嫌われたくありませんから」
当事者なはずが置いてきぼりな主人に代わって、任せたと言うようにどんぐりが吠えて答えていた。
そうして必要なことを尋ねると、一週間後にまた来ると告げあっさりとその日は帰宅した。
それから三日後。タクトは行動を起こし、前原の言っていた人物に会う為、こうしてどこにでもある公園へと来ている。休日の昼間であっても、遊びに来る子供はあまり多くはない。
場所との違和感が拭えないせいで、ちらほらと居る保護者には警戒されており、子供からは純粋な興味の視線が時折とんでくる。本人はものともせず、暢気に運転で疲れた目をこすっていた。
「お兄ちゃん」
そんな時、好奇心に負けてしまったらしい子供が目の前に現れる。
高い位置で二つに結ばれた髪をひょこりと弾ませながら、五歳ほどの女の子がおっかなびっくりな男の子と手を繋いで、タクトを不思議そうに見上げていた。そっくりな顔をしているので双子だろうか。
「どうしたの?」
遠くで大人たちが慌てていたが、心配されていることに気付いていない。目は光輝いていて、頬は砂遊びでもしていたのか泥で少し汚れていた。
タクトはベンチから降りてしゃがみこむと、自分からは近付かず問いかけた。よく意外と言われるが、子供は嫌いではない。ただ、関わることがないので扱い方は分からないが。
クルリと波打つ髪が可愛らしい男の子の方はどうやら人見知りらしく、その行動で女の子の後ろに隠れてしまった。
「おばさんたちがね、何してるのかって」
「ちょっと疲れて、休憩してるんだよ」
「休憩? どうして疲れたの?」
子供はちょうど質問盛りな時期なのか、一つ答えを返せば二つの疑問が返ってくる。男の子も言葉は発しないが同じなのか、女の子の背中からそっくりな視線をタクトに浴びせていた。
その場から見える車を指差せば、男の子が「うわぁ」と興奮して頬を染めた。あまりに可愛らしく、分かりやすくもあって、タクトは自然と小さな笑い声を零してしまう。
すると今度は女の子の方も、男の子と似た表情を浮かべる。実に素直な双子だ。
「あ、えっと、その」
「ん? 今度は何かな」
「お車見ていい?」
タクトの車は男の子からすれば、格好良いの一言に尽きるだろう。人見知りの子を奮い立たせるには十分なほどに。
しかし、さすがにタクトが連れ立ってしまえば、周囲の保護者たちが黙っていないはずだ。本人としては別に構わないのだが悩んでいると、目の前であきらかに悲しそうにされてしまった。これは将来が楽しみだと苦笑せざるを得ない。
「誰か大人の人と一緒だったら見てきていいよ」
「ほんと!?」
「そのかわり気をつけてね」
結局、妥当な答えで乗り切ると、男の子が女の子をひっぱる形でタクトから離れていった。
ちなみに、さきほどから女の子が黙ってしまっている理由が、初恋を経験しているまっ最中だからだということは余談である。
母親だろうか。男の子にせっつかれて車へと向かう女性が頭を下げてきたので、にこやかに返していると、周囲からの視線はとても柔らかなものへと変わっていた。
前原より少し年上に見える一人の男性が公園を訪れるのは、それから一時間後のこと。その時タクトはどうしてか、砂場に作られた山の中に手をつっこんでいるところだった。
周囲では、数人の子供たちが嬉しそうに大きな声をあげていた。




