元男役トップスターから求婚される④
■27
「はい。ありがとうございます。一般の方のご迷惑にならないこと、お顔を意図的に映さないことですね」
凛子はスマートフォンを耳に当てたまま、何度か頷いた。
「了解しました。必ず守ります。ありがとうございます」
通話を終える。
「鳳城さん。撮影と配信の許可、いただけました」
「さすが。仕事が早いわね」
同日、午後6時。
八潮駅前は、今夜の夏祭りへ向かう人々で賑わっていた。
紬は、淡い水色の浴衣を着ていた。髪も母親に結ってもらったのか、普段より少しだけ大人びて見える。
その隣に立つ鳳城は、濃紺の浴衣姿だった。
白い花があしらわれた落ち着いた柄なのに、鳳城が着ると、一挙手一投足が舞台の一場面になる。
そして凛子は、仕事着の上から、白い撮影スタッフ用のビブスを着ていた。
背中には、大きな文字が並んでいる。
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『来年夏公開! 封鎖都市』
『主演候補・森下紬(15)【朝倉真琴役】』
『美山遥(15)【演・鳳城礼(36)】』
『特別企画 仲良し女子高校生の夏休み!』
『主演オーディション突破を目指して、ただいま特訓&配信中!』
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その下には、専用アカウントへつながる大きなQRコードが印刷されていた。
「新納さん?」
「はい」
「私の年齢まで書く必要あった?」
「誤解がないように、出演者の情報は正確に表示しました」
「私を15歳だと誤解する人がいると思う?」
「いないとは言い切れません」
凛子は、きりりと言い切った。
紬が吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。
凛子は、小型のアクションカメラを取り付けた短い撮影用グリップを手にしていた。
カメラは正面の二人だけを捉え、一般の通行人ができるだけ映り込まない角度に調整されている。
■28
「では、作戦を説明します」
紬の表情が引き締まった。
「『封鎖都市』の朝倉真琴は、美山遥が何かを隠しているのではないかと疑い始めています」
「はい」
「でも、遥は親友です。疑いたくない。何も知らなかった頃と同じように笑って、一緒に夏休みを楽しみたいと思っている」
凛子は紬を見る。
「この7日間、紬ちゃんには、そんな朝倉真琴を24時間演じてもらいます」
「24時間?」
「撮影している間だけ、台詞を言うのではありません」
鳳城が続けた。
「私と一緒にいる間は、ずっと朝倉真琴でいなさい。お祭りを楽しみながら、遥の表情や言葉を観察する。」
「おかしいと思っても、すぐには問い詰めない。信じたい気持ちと、疑う気持ちを同時に持ち続けるの」
「でも、私は遥がテロリストだと知っています」
「原作では、そうね」
鳳城は曖昧に笑った。
「でも、映画版の美山遥が同じだとは、誰も言っていないでしょう?」
「それに、知っているのは森下紬。朝倉真琴は、まだ何も知らないわ」
鳳城は紬の正面に立った。
「私は、これから七日間、美山遥としてあなたと行動する。何をするかは事前に教えない」
「鳳城さんが考えた演技に、私がその場で反応するんですか?」
「そう。楽しいときは楽しんでいい。でも、心のどこかでは私を疑っていなさい」
凛子は、七日間の行程表を紬へ渡した。
「というわけで!」
「ここに来る途中、鳳城さんに『朝倉真琴ならどこに行きそうか?』を考えてもらいました」
1日目、八潮の夏祭り。
2日目、越谷レイクタウン。
3日目、原山市民プール。
4日目、埼玉スタジアムでサッカー観戦。
5日目、市川市動植物園。
6日目、ミュージアムパーク茨城県自然博物館。
7日目、葛飾納涼花火大会。
「これ、全部行くんですか?」
「はい」
「全部、配信するんですか?」
「許可が得られた場所と時間だけ撮影します。許可が得られなかった場所では、カメラを回しません」
「撮影していないときも、私は真琴なんですか?」
「もちろん」
鳳城が答えた。
「カメラが止まった瞬間に森下紬へ戻ったら、24時間使う意味がないでしょう?」
「撮影が終わるたびに、3人で映像を確認します」
凛子が説明を引き継ぐ。
「鳳城さんからフィードバックを受けて、次の撮影で修正します。それを7日間繰り返します」
「ああ、だから、フィードバックの時だけは、森下紬に戻っていいわ」
「玲奈ちゃんが7日間で演技のパターンの最適解を探すなら、私たちは7日間で朝倉真琴そのものを作る」
鳳城は言った。
「技術では、今すぐ玲奈ちゃんに追いつけない。でも、役として生きた時間なら作れる」
紬は行程表を握りしめた。
「私に、できるでしょうか」
「できるようにするのが、私の仕事よ」
鳳城は迷わず言った。
「あなたを朝倉真琴にするためなら、私たちは何でもする」
■29
鳳城の立ち方が変わった。
背筋を伸ばした元男役トップスターの姿が消える。
肩から余計な力が抜け、視線がわずかに上向く。下駄の爪先で地面を軽く叩きながら、夏祭りへ向かう人の流れを退屈そうに眺めた。
そこにいるのは、36歳の鳳城礼ではなかった。
「真琴」
声まで変わっていた。
「早く行こうよ。いい屋台、なくなっちゃうよ」
紬は思わず、鳳城の顔を見た。
友達の笑顔。
けれど、その左手は、浴衣の袖の中で何かを隠すように握られている。
紬の視線が、一瞬だけそこへ落ちた。
「今の視線、忘れないで」
鳳城が、遥の笑顔のまま言った。
「それが、今日の朝倉真琴よ」
凛子はアクションカメラの角度を確認した。
「画角、音声ともに問題ありません」
録画と配信を開始するボタンへ、指を置く。
「5秒前」
紬の身体が固くなる。
「4、3、2――」
鳳城が紬の手を取った。
「行こう、真琴」
配信が始まった。
■30
夏祭りを終えた三人は、八潮駅前のカラオケ店に入った。
凛子が受付で借りた接続キットをスマートフォンにつなぐ。先ほどの配信映像が、個室の大型モニターに映し出された。
「では、始めましょう」
鳳城と紬が、浴衣姿のままソファへ並ぶ。
凛子はいったんカラオケルームを出て、廊下から紬の母親へ電話をかけた。
「初めまして。私、鳳城プロダクションで事業戦略コンサルティングを担当しております、新納凛子と申します」
呼び出し音のあと、相手が応じる。
「森下様の携帯電話でお間違いないでしょうか」
『はい。森下です』
「突然のお電話、失礼いたします。現在、鳳城礼さんと紬さんと一緒に、八潮駅前のカラオケ店におります」
『紬から聞いております』
「ありがとうございます。今日の撮影は無事に終了しました。今は個室のモニターを使って、鳳城さんが演技指導を行っています」
凛子は電話をしながら、モニターへ目を向けた。
「ここ」
鳳城が映像を止めた。
画面には、鳳城がスマートフォンを伏せた直後、その手元を見つめる紬が映っている。
「最初に視線を落としたところはよかった。本当に気になったでしょう?」
「はい」
「でも、そのあと疑っている顔を作ってしまった」
「真琴は、遥を疑っているんですよね?」
「そうよ。でも、遥には知られたくない」
鳳城は紬を見た。
「疑う演技は、疑っている顔をすることではないの。疑っていることを、親友に気づかれないように隠すことよ」
紬は画面の中の自分を見つめた。
凛子は、電話へ意識を戻した。
「今回、少し特殊な役作りを行うことになりました」
『特殊な役作り、ですか?』
「はい。これから一週間、紬さんには、可能な範囲で朝倉真琴として考え、行動していただきます。鳳城さんが美山遥を演じ、日常の中で演技指導を行います」
『家にいる間もでしょうか』
「帰宅後は、朝倉真琴として一日を振り返り、日記をつけてもらいます。睡眠や普段の生活を妨げることはありません」
『分かりました』
「もちろん、紬さんの体調と安全を最優先にします。何かご心配なことがありましたら、いつでも私か鳳城さんへご連絡ください」
『ありがとうございます』
電話の向こうで、紬の母親が小さく息をついた。
『本当に、何から何までしていただいて……』
「いえ」
『娘のために、ここまでしてくださるなんて。鳳城さんには、本当に感謝しています』
「そのようにおっしゃっていただければ、鳳城さんも喜ぶと思います」
『今から迎えに行きます。10分くらいで着きますので』
「ありがとうございます」
凛子は通話を終えた。
鳳城は、ちょうど映像を閉じたところだった。
「紬ちゃん」
「はい」
「お母さまが、迎えに来てくださるそうです」
「分かりました」
鳳城がソファから立ち上がる。
「では、今日のフィードバックはここまで」
「はい。ありがとうございました」
「部屋を出たら、また朝倉真琴よ」
紬の表情に、わずかな緊張が戻った。
■31
カラオケルームの扉が、二度ノックされた。
「はい」
凛子が扉を開ける。
店員に案内されてきた紬の母親が、廊下に立っていた。
「お母さん」
「紬。遅くなってごめんね」
「いえ。こちらこそ、夜までお預かりしてしまって申し訳ありません」
凛子が室内へ招き入れる。
「先ほどお電話しました、新納です」
「森下です。ご丁寧にありがとうございました」
紬の母親は、浴衣姿の鳳城を前にすると、少し緊張したように姿勢を正した。
「鳳城さん」
「はい」
「今日は、娘のために本当にありがとうございました」
「こちらこそ、急なお願いを聞いていただいて、ありがとうございます」
「一週間のことも、新納さんから伺いました」
母親は深く頭を下げた。
「何から何までしていただいて……鳳城さんには、本当に感謝しています」
「まだ、何も成し遂げていませんよ」
「それでも、娘一人のために、ここまでしてくださるなんて」
鳳城は紬を見た。
「この子を、朝倉真琴にしたいのは私ですから」
「家で必要なことがあれば、何でも言ってください」
「ありがとうございます。今夜は、今日一日のことを真琴として日記に書かせてください。あとは、よく眠らせてあげてください」
「分かりました」
凛子は名刺を一枚差し出した。
「こちら、私の連絡先です。ご心配なことがありましたら、いつでもご連絡ください」
「新納さんも、ありがとうございます」
「いえ。これが私の仕事ですから」
紬が鞄を持って立ち上がる。
「それでは、失礼します」
「おやすみなさい」
母親に続いて、紬が部屋を出ようとする。
「真琴!」
鳳城が呼び止めた。
紬が振り返る。
「明日の朝10時、越谷レイクタウン駅の改札前に集合ね!」
「分かった、遥ちゃん!」
「遅れたら置いていくから!」
「待ってよ、遥ちゃん!」
紬の母親は、二人を交互に見た。
すぐに事情を思い出したのか、少しだけ笑った。
「帰るわよ、真琴」
「お母さんまでやるの?」
二人が廊下へ出る。
「おやすみ、遥ちゃん」
「おやすみ、真琴」
扉が閉まった。
遥が行き先を決め、真琴がそのあとを追う。
二人は、昔からそういう関係だった。
■32
扉が閉まり、カラオケルームには礼と凛子の二人が残った。
凛子はソファへ戻り、スマートフォンで専用アカウントを開く。
「今日の紬、どうでした?」
「まずまずね」
礼は腕を組み、大型モニターに残った紬の姿を見た。
「技術だけで採点するなら、玲奈ちゃんが98点。今の紬は、まだ40点くらい」
「締切までには?」
「このままいけば、七十点までは持っていける」
「それでは、玲奈さんには勝てませんね」
「技術だけで競えばね」
礼は迷わず答えた。
「だから、朝倉真琴として過ごした七日間で、残りを埋める」
「はい」
凛子が画面を礼へ向けた。
「配信結果です。ゲリラ配信としては、かなり上々ですよ」
専用アカウントのフォロワー数は、百人を超えていた。
配信終了後もアーカイブを見た人が、その場でアカウントをフォローしている。数字は今も、ゆっくりと増え続けていた。
「コメントも好意的です」
凛子が画面を読み上げる。
「『鳳城礼、ここまでやるのか』」
「当然でしょう。私の大事な所属俳優よ」
「『BBA、結婚してくれ』」
「それ、本当に好意的?」
「非常に強い好意だと思います」
「そう」
「『えっ、何これ。生成AI?』」
礼が眉を寄せた。
「これどういう意味?」
「おそらく、鳳城礼が浴衣姿で女子高校生を演じている状況を、現実として受け入れられなかったんだと思います」
「失礼ね」
「紬ちゃんへのコメントもありますよ」
凛子が画面を動かす。
「『紬ちゃん、普通っぽくて真琴に合ってる』」
「褒めているのかしら」
「『最初は硬かったけど、後半から目が変わった』」
礼の表情が少し緩んだ。
「きちんと見ている人もいるのね」
「『本当に女子高生の夏休みな感じ』」
「こういうコメントがもっと増えるようにしていかないとね」
「はい、演技力を上げながら、その過程を配信してフォロワーも増やす。」
「この方向性は間違っていません」
「そうね」
■33
礼は7日間の行程表を手に取った。
「明日は、レイクタウンか」
「朝10時、越谷レイクタウン駅です」
「1つ問題がある」
「何でしょう?」
「さすがに、女子高校生の私服は持ってないぞ」
礼は真剣な顔で言った。
「Tシャツとハーフパンツくらいはありません?」
「あるっちゃあるけど」
「では、明日はそれで来てください」
「それでいいの?」
「原作設定ですけど、遥は、おしゃれ面では疎いキャラです」
「だから、明日は紬ちゃんには事前情報無しで、Tシャツとハーフパンツで集合しましょう」
「明日の夏休みは、朝倉真琴が私服がダサい美山遥を特訓する設定で!」
「それもレッスン?」
「はい。日本最大級のショッピングモールで夏休みの思い出を作ってもらいましょう」
礼は少し考えた。
「なるほど。朝倉真琴が、私服のダサい美山遥を何とかするところから始めるのね」
「レイクタウンの運営事務局から、共用部の撮影許可はいただいています。企画への協力に前向きなテナントさんも、いくつか紹介していただきました」
「服屋もある?」
「候補には入っています。ただ、私服を選ぶ企画は今決まったので、これから個別に確認します」
「今から?」
「一週間しかありませんから」
「あと『36歳の鳳城礼が15歳役の私服を買いに行く』と今から企画書へ追記します」
「結構、そのネタを擦るのね」
「はい。所属タレントのために、できることは何でもやるのが鳳城プロダクションですから」
礼が少し笑った。
「OKいいわね。じゃあ、仕事の話はここまで。軽く一杯だけ付き合わない?」
紬の演技は40点。
フォロワーは100人。
第1課題の締切まで、あと六日。
2つの数字は、まだ動き始めたばかりだった。
■34
カラオケ店を出た二人は、八潮駅近くの個室居酒屋へ場所を移した。
暖簾で仕切られた小さな個室へ入ると、礼はメニューを開くより先に店員を呼んだ。
「生ビールと、枝豆。それから冷ややっこをお願いします」
「私も生ビールで」
店員が注文を繰り返し、個室を出ていく。
向かいに座った凛子が、礼の顔を見る。
「何、その顔」
「いえ。鳳城礼さんにも、ビールと枝豆という選択肢があるんだなと」
「あるわよ。好きだもの」
礼は浴衣の袖を軽くたくし上げ、テーブルへ肘をついた。
「先に言っておくけど、あなたの前だから本性を出しているわけじゃないわよ」
「まだ何も言っていません」
「顔に書いてあった」
「職業柄、観察していただけです」
「では、分析結果を訂正しておいて。私は誰といても、飲みたいときにはビールを飲むし、枝豆も食べるわ」
間もなく、二つのジョッキが運ばれてきた。
礼は片方を持ち上げた。
「初日、お疲れさま」
「お疲れさまでした」
二つのジョッキが、軽い音を立てて触れ合う。
礼はビールを一口飲み、満足そうに息を吐いた。
「おいしい」
「その姿を配信したら、さらにフォロワーが増えそうですね」
「仕事の話は終わりと言ったでしょう?」
「失礼しました」
■35
運ばれてきた枝豆をつまみながら、礼は先ほどのコメント欄を思い出した。
「そういえば、あのコメント」
「どれです?」
「私に結婚してくれと言っていた人。男なの、女なの?」
凛子はスマートフォンを取り出し、アカウントを確認した。
「過去の投稿を見る限り、女性のようですね」
「そう」
礼は特に驚くこともなく、枝豆を口へ運んだ。
「女性から結婚を申し込まれるのは、珍しくないんですか?」
「現役時代から、ファンレターでは何度もあったわよ」
「では、実際にお付き合いした相手も?」
「女性だけ」
礼はあっさりと答えた。
「まあ、プロだから、ファンの子と交際したことは無いけどね」
凛子の表情は変わらなかった。
「驚かないのね」
「女性との交際経験を尋ねてきた時点で、そうだろうとは思っていました」
礼が笑った。
「ただ、世間に公表しているわけではありませんよね」
「わざわざ発表していないだけ。隠す気もないわ。親しい人たちは知っているし、家族もたぶん気づいている」
礼は枝豆の殻を、小皿の上へ置いた。
「もちろん、すべての人が理解してくれたわけではない。でも、受け入れてくれた人なら大勢いた。あなたが初めてではないわ」
「私だけが鳳城さんを理解した、という物語ではないんですね」
「ええ。残念ながら」
凛子はビールを一口飲んだ。
「でも、礼さん。私のこと、結構好きですよね?」
礼が枝豆を取ろうとした手を止めた。
「急に名前で呼ぶのね」
「仕事の話は終わったので」
「そう見える?」
「職業的なプロファイリングでは、そう見えます」
「そうねえ」
礼はジョッキへ口をつけたまま、少し考えた。
「少なくとも、私が女性を好きになることを、あなたが受け入れてくれたからではないわ」
「では、別の理由がある?」
礼は答えず、楽しそうに笑った。
「今日は一杯だけでしょう?」
「ええ」
「紬が朝倉真琴になるまで、まだ時間があるんだから。私があなたを好きな理由も、その間に考えてみたら?」
その言葉の意味を、凛子は尋ねなかった。
個室の外から、夏祭りを終えた人々の笑い声が聞こえてくる。
鳳城礼と出会ってまだ半日。
その初日の夜が、静かに更けていった。




