元男役トップスターから求婚される①
■1
壇上の巨大スクリーンに、一枚の地図が映し出されていた。
海を埋め立てて造られた人工島。
高層住宅、商業施設、研究機関、港湾設備。中央を鉄道が貫き、何本もの橋と海底トンネルによって本土と結ばれている。
そのすべてを囲むように、青い線が引かれていた。
線の外側に、ただ一言。
――封鎖。
無数のフラッシュが焚かれる中、一人の女性が壇上へ上がった。
真壁由紀、55歳。
これまで何本もの日本映画を世界的な成功へ導いてきた、映画プロデューサーである。
国内の興行記録を塗り替えた大作から、海外の映画祭で高く評価された作品まで、その経歴は日本映画の歴史そのものと言っていい。
真壁が企画を立ち上げたと聞けば、国内外から資金と人材が集まる。出演を望む俳優は後を絶たず、監督でさえ彼女に選ばれる側だった。
その真壁が、壇上中央の席に着く。
背後のスクリーンに、映画のタイトルが現れた。
『封鎖都市』
■2
『封鎖都市』
会場が、わずかにざわめいた。
40年以上前に発表された同名小説。
何度も映像化が噂されながら、その規模と内容から実現しなかった、往年のスペクタクル・アクション大作である。
司会者による簡単な紹介が終わると、すぐに質疑応答へ移った。
最前列の記者が手を挙げる。
「真壁さん。まず、なぜ今、『封鎖都市』なのでしょうか」
「今だからです」
真壁は即答した。
「原作が書かれた当時、物語の背景にあったのは冷戦でした。世界が東と西に分かれ、国家と国家が互いの陣営を拡大しようとしていた時代です」
スクリーンに、日に焼けた原作小説の書影が映る。
色褪せた空と、海に囲まれた巨大都市。その手前には、昭和後期の制服を着た女子高校生が描かれていた。
「物語は、日本国内の研究所から大量破壊兵器が盗まれるところから始まります。犯人は、東側諸国の支援を受けた過激派組織。ところが、兵器の起動に必要な暗号を知る実行犯が逃走に失敗し、二十万人が暮らす人工島へ逃げ込んでしまう」
画面が切り替わり生成AIで作成されたコンセプトアートが並ぶ。
封鎖された橋。
駅の改札に押し寄せる人々。
上空を旋回するヘリコプター。
港へ展開する巡視船。
「誰が実行犯なのかは分からない。兵器がどこにあるのかも分からない。当局は、犯人を外へ出さないため、都市全体を封鎖します」
「二十万人の中に、一人のテロリストが紛れ込んでいる?」
「少なくとも、原作の登場人物たちはそう考えています」
真壁の含みを持たせた答えに、記者席から小さな笑いが漏れた。
■3
別の記者が手を挙げる。
「原作が発表されたのは四十年以上前です。現代を舞台にするうえで、設定上の矛盾も生じるのではありませんか」
「当然、生じます」
真壁はあっさりと認めた。
「原作では、兵器の起動に必要なのは暗号でした。その暗号を知る人物を外へ出さないため、都市からの人の流れを完全に遮断する。しかし令和の今、暗号ならスマートフォンで送れてしまいます」
「映画版では、どう変更するのでしょう」
「制御には、専用のスマートフォン型認証端末が必要という設定にしました。複製はできません」
「都市の外へ出る人間は、本人確認に加えて、所持品検査と身体検査を受ける」
「混乱もありますから、退去まで三日ほどかかりますが、出入りそのものは禁止されていません」
「食料や医薬品も入ります」
「つまり令和版の都市は、完全には閉ざされていない」
「それも、原作からの大きな変更ですね」
後方の記者が手を挙げる。
「テロ組織については、どのように現代化するのでしょう。原作のように、東側諸国の支援を受けた政治組織という設定ですか」
「いいえ」
「映画版の敵は、特定の国家や政治思想に属する組織ではありません。豊かさから取り残され、努力しても何者にもなれず、自分たちには最初から何も与えられていなかったと感じる人々。その怒りを、国境を越えて吸収する反体制ネットワークです」
「政治革命ではなく、格差社会への復讐ですか」
「彼ら自身は、復讐ではなく抵抗だと主張するでしょうね」
■4
真壁は淡々と答えた。
「現代を舞台にするために必要な変更は行っています。ただし、封鎖の仕組みや、設定変更がこの映画の主題ではありません」
スクリーンが、再びリマスターされた原作小説の表紙へ戻る。
古い制服を着た少女が、巨大な都市を背にして振り返っている。
「その都市に取り残されるのが、十五歳の女子高校生、朝倉真琴です」
真壁が続ける。
「真琴は、親友の美山遥と遊ぶために都市を訪れていました。しかし封鎖が始まる以前から、遥が見知らぬ人物と接触しているところを目撃し続けます」
会場が静かになった。
「最近、遥の様子がおかしい。知らない年上の人間から電話がかかってくる。見慣れない方法で誰かと連絡を取っている。ときどき、社会に対して強い怒りを口にする。けれど真琴は、親友を疑いたくない」
スクリーンに、一行の台詞が浮かび上がる。
――何もしていないなら、そう言って。私、信じるから。
「真琴は、遥の潔白を証明しようとします。そして、もし本当に事件へ関わっているのなら、自分が説得して自首させようとする」
記者の一人が尋ねる。
「つまり、テロリストを捜すサスペンスであると同時に、二人の少女の友情を描く物語でもある?」
「友情という言葉だけでは、少し綺麗すぎるかもしれません」
真壁は、わずかに笑った。
■5
「信じたいのに、疑わずにはいられない。助けたいのに、許すことはできない。親友だからこそ、自分の手で止めなければならない」
スクリーンに、原作の一節が映し出された。
――これ以上、私の知らない遥ちゃんにならないで。
「15歳の少女がその葛藤を抱えたまま、二十万人の中から、たった一人の親友を捜す。サスペンスであり、アクションであり、二人の少女の物語です」
「その部分は、現代版でも変わらない?」
「変えません。そこを変えるのなら、『封鎖都市』を作る意味がありませんから」
「もちろん、変更箇所については、原作者にも企画段階から参加していただいています」
「人物、事件、舞台の人工島、そしてひょっとしたら結末まで再構築しているかもしれません」
「結末も?」
「はい」
「では、原作を読んでいても、犯人や展開を予測できない?」
「原作の知識は、役に立つかもしれません」
真壁は一度、言葉を切った。
「ただし、それを信じすぎると、間違えるでしょう」
会場に小さなどよめきが広がった。
原作では、美山遥が何者なのか。
その結末で、朝倉真琴が何を選ぶのか。
昭和末期の日本文学の傑作小説「封鎖都市」
すでに原作を知っているはずの記者たちが、再び手元の資料へ目を落とす。
■6
別の記者が尋ねた。
「主演の朝倉真琴役は、もう決まっているのでしょうか」
「いいえ」
真壁は正面を向いた。
「まだ、この映画に朝倉真琴はいません」
スクリーンから、原作小説の表紙が消える。
代わって映し出されたのは、全国公開オーディションの告知だった。
応募資格。
十五歳前後の女性。
所属事務所の有無、芸能活動の経験を問わず。
「朝倉真琴を演じる俳優は、公開オーディションで決定します」
今までで最も激しいフラッシュが、壇上の真壁へ降り注いだ。
「私たちが探しているのは、有名な俳優ではありません」
真壁は、カメラの向こうにいる少女たちへ語りかけるように言った。
「封鎖された二十万人の中で、たった一人の親友を信じ、疑い、それでも捜し続けられる――」
スクリーンに、主人公の名前が大きく映し出される。
朝倉真琴。
「その少女を、探しています」
■7
「主演の朝倉真琴役は、公開オーディションで決定します」
真壁の発表と同時に、会場中でフラッシュが弾けた。
スクリーンには、
映画『封鎖都市』
朝倉真琴役・全国公開オーディション
と大きく表示されている。
記者の一人が手を挙げた。
「公開オーディションというと、具体的には、どのような審査を行うのでしょうか」
「応募者一人につき、一つの専用SNSアカウントを作成していただきます」
スクリーンの表示が切り替わる。
一、SNSのフォロワー数。
二、演技課題動画。
三、歌唱課題動画。
三つの審査項目が並んだ。
「既存のアカウントを使うのですか」
「いいえ。全員、新しい専用アカウントから始めます。これまでに獲得したフォロワー数を、そのまま持ち込むことはできません」
「では、全員がゼロから?」
「専用アカウントの数字は、全員ゼロからです」
真壁が答える。
「ただし、既存アカウントでの告知や、所属事務所による宣伝は禁止しません。他の俳優やタレントとの共演、イベント、動画配信も自由です」
「大手芸能事務所に所属している応募者が、有利になりませんか」
「有利でしょうね」
真壁は、あっさりと認めた。
「この映画に参加するということは、世界中の観客に見てもらうということ。そのつもりで、私たちはこの映画を作ります。自分を知ってもらい、応援してくれる人を増やす力も、主演俳優に必要な能力の一つです」
「つまり、フォロワー数が最も多い応募者が、朝倉真琴役になる?」
「いいえ、フォロワー数だけで機械的に決定するわけではありません。課題動画の内容や、投稿に対する反応も含めて総合的に判断します」
真壁は、そこで言葉を切った。
「ですが、原則として、最も多くの支持を集めた一名を朝倉真琴役に選びます」
■8
記者席から、キーボードを叩く音が一斉に聞こえ始めた。
「最初の演技課題は、どのような内容でしょうか」
「映画の宣伝映像に使用する、朝倉真琴の長台詞です」
スクリーンに、原作小説のページが映る。
真琴が、親友の美山遥へ真実を話すよう迫る場面だった。
そこで、記者席の後方から声が上がった。
「私も、学生時代に原作を読みました」
白髪交じりの年配記者が手を挙げていた。
「この台詞はよく覚えています。当時は、喫茶店に原作を持ち寄って、友人たちと何時間も解釈を議論したものです」
会場の年長者たちから、懐かしむような笑いが漏れた。
「真琴は、まだ遥を信じているのか。それとも、すでに犯人だと確信しているのか。遥を助けたいのか、自首させたいだけなのか。当時から、読者によって解釈が大きく分かれる場面でした」
「ええ」
真壁がうなずく。
「だから、最初の課題に選びました」
「正解となる演じ方はあるのでしょうか」
「ありません」
真壁は即答した。
「真琴は、遥を信じたい。同時に疑っている。助けたい。けれど、もし本当に事件へ関わっているのなら、自分が止めなければならないとも考えている」
スクリーンに映る原作のページへ、真壁が目を向ける。
「その複雑な感情を、応募者がどう解釈し、どう朝倉真琴として表現するのか。そこを見ます」
「撮影方法に指定はありますか」
「ありません。一人で演じてもいい。誰かに美山遥を演じてもらってもいい。撮影場所、相手役、演出、編集、すべて自由です」
■9
次の記者が手を挙げた。
「3つ目の、歌唱課題について教えてください」
「指定された楽曲を歌い、その動画を専用アカウントへ投稿していただきます」
「課題曲は、後日発表されるのでしょうか?」
「はい。ただし、制作委員会が決めるわけではありません」
真壁は答えた。
「歌唱課題の指定曲を選ぶのは、第一課題のランキングで一位になった候補者です」
会場がざわめいた。
「一位の候補者が、全員の課題曲を決めるのですか?」
「そうです。第一課題を制した候補者には、自分が選んだ楽曲を、第二課題における全候補者の指定曲とする権利が与えられます」
「自分が最も得意とする曲を選んでもいい?」
「もちろんです」
「それでは、一位になった候補者が有利すぎるのではありませんか?」
「有利です」
真壁は即答した。
「そのための一位です」
記者席が静かになる。
「プロ野球のクライマックスシリーズでも、リーグ優勝チームにはアドバンテージが与えられます。」
「第一課題で一位になった候補者を、第二課題が始まった瞬間に、ほかの候補者と同じ位置へ戻してしまったら、第一課題の順位に意味がありません」
「しかし、それでは同じ条件で歌唱力を比較できないのでは?」
「これは、全員を同じ条件に置いて、誰が一番上手に歌えるかを測る試験ではありません」
真壁は記者席を見渡した。
「どうすれば、世界中の人々にこの映画を見てもらえるのか。そのために、自分の演技、歌、知名度、発信力、そして周囲の力を、どこまで使えるのか」
「私たちが見たいのは、主演俳優としての総合的な力です」
「応募する権利と、最初のルールは全員に等しく与えます。しかし、前の課題で生まれた差まで、次の課題で消すつもりはありません」
別の記者が手を挙げた。
「一位になれば、どのような楽曲でも選べるのでしょうか?」
「制作委員会が、歌唱、編曲、動画配信を含む使用許諾を取得できる楽曲に限ります」
「動画は、新しく撮影する必要がありますか?」
「ありません。指定曲を過去に歌唱した映像がある場合は、それを提出しても構いません」
「編曲や演出は?」
「候補者に任せます。共演者の有無も問いません」
記者が質問を重ねる。
「第一課題で一位になった候補者が、すでに完成度の高い映像を持っている曲を選ぶことも可能ですか?」
「可能です」
「それも、一位のアドバンテージ?」
「そう考えてください」
既存の映像を使うのか。
新しく撮影するのか。
一人で歌うのか。誰かと歌うのか。
第一課題の一位は、選んだ楽曲だけでなく、その曲をどう見せるかまで含めて、自分に有利な盤面を作ることができる。
「予定されている課題は、これで全てでしょうか?」
「はい。第二課題終了後、二つの課題の結果と専用アカウントの反響をもとに、制作委員会が総合的に判断し、朝倉真琴役を決定します」
別の記者が手を挙げた。
「歌唱テストがあるということは、朝倉真琴役には、俳優としての演技力だけでなく、歌手としての能力も求められるということでしょうか?」
「はい」
真壁は答えた。
「映画『封鎖都市』のメインテーマは、朝倉真琴を演じる俳優本人に歌ってもらいます」
「では、第二課題で歌うのが、そのメインテーマですか?」
「いいえ。第二課題では、第一課題の一位が選んだ楽曲を歌っていただきます。メインテーマを歌うのは、朝倉真琴役が決まったあとです」
「メインテーマは、すでに完成しているのでしょうか?」
「現在、制作中です」
「作曲を担当するのは?」
「こちらの方です」
真壁の背後で、スクリーンが暗転した。
数秒後。
黒い画面の中央に、一人の若い男性が現れた。
黒い髪。青い瞳。整った顔立ち。
ただし、そこにいるのは実在の人間ではない。
アニメ調に描かれた、若い男性のアバターだった。
会場のあちこちから驚きの声が上がる。
「黒木冬馬……?」
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「黒木冬馬……?」
「本当に?」
「商業案件は受けないんじゃなかったのか?」
黒木冬馬。
作詞、作曲、編曲、演奏、さらに楽曲の映像設計まで一人で手がける総合音楽家。
素顔も、本名も、年齢も公表していない。
公の場に現れるときは、必ずこの男性型のアバターを使う。授賞式に出席することさえほとんどなく、映画やドラマのために楽曲を書き下ろしたことも、これまで一度もなかった。
『こんにちは、黒木冬馬です!』
加工された男性の声が、会場に響いた。
アバターが明るく手を振る。
『いやあ、このお話をいただいたときは、僕もびっくりしましたよ』
その軽い口調に、張り詰めていた会場の空気が少し緩む。
『僕、特定の商業作品のために曲を作る仕事は、受けないと決めていたんです。誰かから決められたテーマで作るより、自分が作りたいものを作りたかったので』
「では、なぜ今回は引き受けたのでしょうか」
記者の質問に、黒木のアバターが笑う。
『僕、真壁さんの映画も、原作小説の『封鎖都市』も、どちらも大ファンなんです』
会場が静かになる。
『原作を初めて読んだときから、朝倉真琴の見ている都市には、どんな音が鳴っているんだろうって、ずっと考えていました』
「今回が、初めての映画への書き下ろしになる?」
『はい。最初で最後になるかは、まだ分かりませんけど、初めてです』
「楽曲について、今の段階で話せることはありますか」
『内容は、まだ言えません』
黒木は即答した。
『でも、僕の最高傑作にするつもりで、鋭意制作中です』
一拍置いて、付け加える。
『まあ、順調に遅れてますけど』
会場に笑いが起こった。
真壁も、少しだけ笑顔になった。
「冬馬さん?」
『はい』
「映画の公開には、間に合わせてくださいね」
『努力します』
「出資者と配給会社には、私が頭を下げます」
会場の笑い声が、さらに大きくなった。
真壁は、スクリーンの中の冬馬を見る。
「ですから、最高の楽曲をお願いします」
『もちろんです』
真壁が、あらためて記者席へ向き直った。
「歌唱課題では、単純な歌唱技術だけを見るつもりはありません。朝倉真琴として、何を感じ、どう歌うのか。それを審査します」
スクリーンから黒木冬馬の姿が消えた。
■11
代わって、公開オーディションの応募要項が表示された。
「最後に、応募方法を教えてください」
「今から受け付けを開始します」
画面の中央に、大きなQRコードが映し出された。
記者たちが一斉にスマートフォンを取り出す。
「応募後、候補者には、制作委員会が指定する国内外のSNSで、オーディション専用アカウントを開設していただきます」
「集計対象となるのは、制作委員会が指定した、以下の国内外のプラットフォームです」
画面に、複数のSNSの名称が表示された。
「各プラットフォームに開設され、制作委員会が公式であることを確認した専用アカウントの、有効フォロワー数を合算します」
「ボット、なりすまし、同一人物によって大量に作成された不正アカウントなどは、AIを用いた不正検知と人による確認を行い、集計から除外します」
QRコードの下には、短い言葉が記されていた。
――朝倉真琴を募集します。
「経験は問いません。所属事務所の有無も問いません」
真壁は、無数のカメラへ向かって告げた。
「自分こそが朝倉真琴だと思う方は、ここから応募してください」




