未来の総理から求婚される④
■26
投票日。
午前。
潮入市立海陵小学校。
明治期から残る煉瓦造りの門の向こうで、桜が散っていた。
蒼路野誠司は、母校の体育館に設けられた投票所で一票を投じ、外へ出た。
校門の外には、数社の報道陣が待っていた。
「蒼路野候補、投票を終えた今のお気持ちは?」
蒼路野は足を止める。
「あとは、潮入市民の皆さんの判断を待ちます」
「手応えはありますか?」
「それを決めるのも、僕ではありませんから」
軽く頭を下げる。
それ以上は答えず、蒼路野は煉瓦門をくぐった。
風が吹く。
桜の花びらが、歩道へ流れていく。
その向こう。
校門の脇で、凛子がスマートフォンを見ていた。
蒼路野が近づく。
凛子が顔を上げた。
「終わりました?」
「はい」
凛子はスマートフォンをバッグにしまった。
「じゃあ、事務所へ行きましょうか」
「ええ」
そのとき。
「あれ?」
少し離れたところから、声がした。
「あ、蒼路野せんぱーい!」
蒼路野が振り返る。
大きく手を振りながら、一人の女子高校生が走ってくる。
県立潮入高校の制服。
ポニーテール。
肩には、楽器のケースを担いでいた。
蒼路野には見覚えのある制服だった。
「演説、聞きましたー!」
「ありがとうございます」
女子高校生は、蒼路野の前で立ち止まった。
「私、まだ高校生だから選挙権ないんですけど」
にっと笑う。
「次の選挙では入れますからー!」
「そのときも立候補してたら、よろしくお願いします」
蒼路野が笑った。
「はい。頑張ります」
「じゃ、部活あるんで!」
女子高校生は、また大きく手を振った。
「頑張ってくださーい!」
そのまま、校舎の方へ走っていく。
背中で、楽器のケースが跳ねていた。
凛子がその姿を見送る。
「元気な子ですね」
「ええ」
蒼路野も少し笑った。
「潮入高校の吹奏楽部でしょうね」
二人は再び歩き出した。
また、風が吹いた。
桜が二人の間を横切っていく。
■27
事務所への帰り道。
二人は、桜の残る住宅街を並んで歩いていた。
何かを思い出したように、蒼路野が足を止めた。
「新納さん」
「はい」
凛子は振り返り、蒼路野を見た。
「まだ、結果は出てないんですけど」
「はい」
「今回は、本当にお世話になりました」
「いえいえ」
「まだ結果は出ていませんから。当選が決まるまで、お付き合いさせてください」
「…………」
「ああ、そのことなんですけど……」
蒼路野が少し考える。
「総理指名選挙まで、お付き合いいただけませんか?」
「……それは、ずいぶん長期のご契約ですね」
「いや……ちょっと違うな……」
蒼路野は空を見上げた。
「憲政史上、最もこの国に貢献した宰相になるまで……かな」
凛子が笑った。
「さらに延びましたね」
「はい」
蒼路野は上着の内ポケットに手を入れた。
「だから………」
「はい?」
小さな箱を取り出す。
凛子の視線が止まった。
「…………」
「今朝、一番で買ってきました」
「…………」
「新納さんの好みに合うか、分からないんですけど」
蒼路野が箱を開く。
婚約指輪。
凛子はしばらく、それを見ていた。
「新納凛子さん」
蒼路野が、まっすぐ凛子を見る。
「僕と結婚してください」
「…………」
春の風が、二人の間を抜けていった。
凛子は指輪から目を上げる。
「私も」
「はい?」
「蒼路野さんと仕事をしてみて、分かったことがあります」
「…………」
凛子は少し笑った。
「私も、蒼路野さんみたいになりたいなって」
蒼路野が瞬きをする。
「僕みたいに?」
「はい」
「誰かの目標を叶えるだけじゃなくて」
「私も、自分で何かを成し遂げてみたい」
蒼路野は何も言わなかった。
凛子はもう一度、指輪を見る。
「だから」
「今ここで、はいって言ったら……」
「蒼路野さんの人生が、そのまま私の人生になってしまう気がするんです」
少し考える。
「それは、たぶん、違うんだと思います」
「…………」
「少し、考えさせてもらってもいいですか?」
蒼路野はしばらく凛子を見ていた。
やがて、小さく笑った。
「はい」
箱を閉じる。
「長期契約ですからね」
凛子も笑った。
「ええ」
二人は、再び歩き始めた。
■28
七月。
横浦市港央区開港通り。
株式会社 新納事業相談所。
開けた窓から、夏の熱い風が吹き込んでいた。
遠く、横浦スタジアムの方角から、高校野球の応援が聞こえてくる。
ブラスバンドと太鼓。
ときおり、大きな歓声。
凛子はパソコンに届いたメールを読んでいた。
差出人は、蒼路野誠司。
『先日、獅子堂進一郎総理から、任期終了後の国政出馬について直接お話をいただきました』
『大変ありがたいお話でしたが、お断りしました』
『国政へ行くときは、政道党から行きます』
凛子が小さく笑う。
「そりゃ、そうよね」
事務所のテレビでは、昼のニュースが流れていた。
『――潮入市の蒼路野誠司市長は本日、旧陽産自動車潮入工場跡地について、民間事業者から活用案を募る事業コンペの実施を発表しました』
画面には、記者会見に臨む蒼路野。
『また、市長業務の傍ら、政道党代表として全国の地方選挙にも積極的に応援に入り――』
「先生」
凛子が振り返る。
パート事務の田辺和子が、小皿を持って立っていた。
「お中元でいただいた桃、剥きましたよ」
「あ、ありがとうございます」
田辺が机に皿を置く。
「それじゃ、今日は私はこれであがりますね」
「お皿、洗わなくていいですからね。給湯室に置いておいてください」
「はーい、ありがとうございます」
凛子はフォークに刺した桃を一切れ口に運び、そのままパソコンの作業に戻った。
「これで、よしっ。送信っと」
「えっと、次は……」
「あっ、新規の問い合わせが来てる」
凛子がメールを開く。
〈至急/事業相談の件〉
「至急……?」
本文へ目を落とす。
「えっと、差出人は……」
株式会社凰城プロダクション。
代表取締役――鳳城礼。
凛子が画面を見つめる。
「…………」
そして、小さく呟いた。
「鳳城礼って……あの鳳城礼?」
『第2話 未来の総理から求婚される・完』




