未来の総理から求婚される③
■17
翌朝。
久浜駅前、蒼路野誠司選挙事務所。
スタッフが集まる中、蒼路野が前に立った。
「みなさんも、もうご存じだと思いますが」
事務所が静かになる。
「明日、獅子堂純一郎元総理が、片桐市長の応援に来られます」
わずかにざわめきが起こる。
蒼路野は笑った。
「僕は、大変光栄なことだと思っています」
何人かが顔を上げた。
「日本の政治を変えた人です」
「その人が、二十年ぶりに街頭に立ってまで、僕たちと戦おうとしている」
「だったら、こちらも真正面から受けて立ちましょう」
蒼路野は一度、全員を見渡した。
「僕が政治をやっている理由は、そんなに複雑ではありません」
「自分の生き方は、自分で決めるべきだと思っているからです」
「これは政治の話だけじゃない」
「仕事でも、家族でも、住む場所でも」
「自分がどう生きるのか。その最後の選択を、誰かに預けてはいけない」
「街も同じです」
「国とは協力する。企業とも協力する」
「でも、潮入がどういう街になるのかは、最後は潮入自身で決める」
「僕は、そういう政治をここから始めたい」
少し間を置いた。
「そして、潮入だけで終わらせるつもりもありません」
蒼路野は、事務所の一角を見る。
「政道党は今、僕を入れて3人です」
二人の党員が苦笑する。
事務所に小さな笑いが起きた。
「今はまだ3人かもしれません」
「でも、20年以内に政権与党にします」
笑いが消えた。
蒼路野の声は、変わらなかった。
「これは、そのための第一歩です」
「市長になって、この街で僕たちの政治が成立することを証明する」
「そこから県へ、国へ広げていく」
「だから――」
蒼路野は笑った。
「相手が誰であろうと、負けるつもりはありません」
何人かが頷く。
「選挙戦も、いよいよ終盤です」
「最後まで、一緒に走ってください」
一拍。
「勝ちましょう」
『『『はいっ!』』』
蒼路野はもう一度、全員を見渡した。
事務所の後方で、凛子はスタッフたちに語りかける蒼路野を静かに見つめていた。
■18
その日の夜。
久浜駅前、蒼路野誠司選挙事務所。
スタッフは全員帰宅し、事務所には凛子と蒼路野だけが残っていた。
全国ネットの情報番組でも、潮入市長選挙が取り上げられていた。
画面には、夜の見慣れた潮入市役所。
庁舎前に立つリポーターがカメラに向かっていた。
『獅子堂純一郎元総理が、およそ二十年ぶりに選挙応援の街頭に立つことが分かりました』
『明日、こちら潮入市で、現職の片桐康文候補の応援演説を行います』
『では、その獅子堂元総理をそこまで動かした対立候補、蒼路野誠司氏とは、いったい何者なのでしょうか』
画面が切り替わる。
防衛大学校。
海上自衛隊。
弁護士。
市議一期。
そして、北海道で撮影された映像。
画面は再び、潮入市役所前のリポーターに戻った。
『以上、潮入市役所前からお伝えしました』
画面がスタジオに切り替わる。
スタジオのコメンテーターが言った。
『これ、市長選なんですよね?』
『そうなんです。ところが、全国から注目が集まり始めています』
蒼路野は愛用のマグカップに注がれたコーヒーをすする。
画面が切り替わった。
『まず、現職の片桐康文市長、58歳』
『4期16年にわたり、潮入市政を担ってきました』
若き日の片桐の写真が映る。
『もともとは総務省のキャリア官僚。獅子堂純一郎政権では、獅子堂改革を実務面で支えた30代の官僚でした』
『政治評論家の中には、「片桐康文がいなければ、獅子堂改革は実行段階で頓挫していた」と評する人もいます』
『政界引退後、ご子息の獅子堂進一郎現総理の初選挙の際にも動かなかった獅子堂元総理が今回動いた背景には、二人の政官の立場を超えた盟友関係があるとみられます』
画面が切り替わる。
『そして、その片桐市長を猛追しているのが、蒼路野誠司氏、35歳』
『県立潮入高校から防衛大学校へ進学。海上自衛隊ではアフリカはアデン湾の海賊対処任務も経験しました』
『退官後、司法試験に合格。弁護士を経て、4年前の潮入市議選で初当選』
『現在、市議1期。地域政党「政道党」の代表を務めています』
コメンテーターが資料に目を落とした。
『この政道党というのは、どういう政党なんですか?』
『蒼路野氏が立ち上げた地域政党で、現在の所属議員は本人を含めて3人です』
『3人?』
『はい。ただ、蒼路野氏自身は将来的な国政進出も明言しています』
『なるほど。今回の市長選は、その第一歩でもあるわけですね』
『そう見ていいと思います』
■19
スタッフは全員帰宅し、事務所には凛子と蒼路野だけが残っていた。
照明の落ちた室内。
テレビだけが明るく、潮入市長選挙のニュースを映し続けている。
蒼路野は椅子に座り、画面をじっと見ていた。
凛子が鞄を手に取る。
「それじゃ、蒼路野さん。今日もお疲れさまでした。明日も頑張りましょう」
テレビでは、明後日に迫った獅子堂純一郎元総理の応援演説について、解説が続いている。
「……ええ」
凛子が出口へ向かう。
「新納さん」
足を止めた。
蒼路野が、そこで初めてテレビから顔を離した。
振り返る。
「はい?」
「今朝、言ったこと」
「?」
「嘘じゃないです」
凛子は少し考えた。
「二十年以内に、政権を取るという話ですか?」
「はい」
蒼路野は凛子を見た。
「新納さんとなら、できると思っています」
「………」
「……契約更新のお話でしょうか?」
蒼路野が少し笑った。
「ええ。まあ」
凛子も小さく笑った。
「では、選挙が終わってから改めて」
「弊社は、クライアントの目標達成までお付き合いする主義ですので」
「はい」
背後のテレビでは、まだ潮入市長選挙のニュースが続いていた。
■20
翌日、午後一時。
潮入中央駅、バスターミナル前。
駅前は、普段とはまるで違う光景になっていた。
片桐陣営の支持者。
演説を聞きに来た市民。
その周囲には、テレビカメラが何台も並んでいる。
全国キー局。
神川テレビ。
新聞社。
ネットメディア。
スマートフォンをもった政治系動画配信者も大勢いた。
「すごい人だな……」
「本当に来るんだろ?」
「20年ぶりなんだって」
選挙に興味があるのか、元総理を一目見たいだけなのか。
よく分からない野次馬まで加わり、バスターミナル前は人で埋まりつつあった。
歩道の端では、若い配信者がスマートフォンに向かって声を張っている。
「現在、潮入中央駅前です! まもなく獅子堂純一郎元総理の応援演説が始まります!」
その背後を、テレビ局のスタッフが慌ただしく横切った。
ロータリーの一角には、すでに数台の黒塗りの車が停まっている。
やがて。
そのうち一台の後部座席のドアが開いた。
「獅子堂純一郎だ!」
誰かが叫んだ。
観衆とカメラが、一斉に獅子堂純一郎の方を向いた。
スマートフォンが次々と掲げられる。
シャッター音が重なった。
獅子堂は片桐と短く握手を交わすと、軽く手を上げた。
それだけで、駅前の空気が変わった。
20年ぶりに。
第87代内閣総理大臣、獅子堂純一郎が街頭に立つ。
■21
獅子堂純一郎が、街宣車の上でマイクを握った。
歓声が一段、大きくなる。
獅子堂はしばらく何も言わず、駅前を見渡した。
そして、笑った。
「いやあ……20年ぶりだからね」
「マイクの持ち方、忘れてないか心配だったんですが」
会場に笑いが起きる。
「大丈夫そうですね」
さらに笑いと拍手。
獅子堂は隣に立つ片桐を見た。
「今日はね、政策の話はしません」
少し間を置く。
「政策の話をすると、彼、負けちゃうから」
一瞬の静寂。
すぐに大きな笑いが起きた。
片桐も苦笑する。
「冗談、冗談」
獅子堂が手を振った。
「だから、今日は、片桐康文という男の話をしに来ました」
空気が少し変わる。
「私が総理をやっていた頃、改革にはずいぶん反対がありました」
「政策を批判されるのは、いいんです」
「政治家ですから」
「でもね、あの頃は今ほど、コンプライアンスだなんだって厳しい時代でもなかった」
「政策じゃなく、人間そのものを叩くようなことも、ずいぶんあった」
「私も叩かれました」
小さな笑い。
「まあ、私の場合は半分くらい、自分で喧嘩を売ってましたけどね」
今度は大きな笑いが起きた。
獅子堂も笑う。
そして、声を少し落とした。
「でも、叩かれたのは政治家だけじゃない」
「私の改革を、実際に動かしていた官僚たちも叩かれた」
獅子堂は片桐を見る。
「その一人が、この男です」
片桐は黙って立っている。
「世の中ね、官僚を叩く人はたくさんいます」
「成果が出れば、政治家が前に立つ」
「失敗すれば、役所が悪いと言われる」
「接待だ。天下りだ。既得権だ」
「まあ、官僚なんて、ずいぶん損な役回りですよ」
会場から小さな笑いが漏れる。
「それでも、片桐は逃げなかった」
「批判されても」
「名前を書かれても」
「人格まで叩かれても」
「自分の仕事から逃げなかった」
獅子堂はマイクを握り直した。
「私が表で、好き勝手なことを言う」
笑いが起きる。
「すると、この男が裏で、どうすれば本当に実行できるのかを考える」
「私が無茶を言えば、できない理由を並べるんじゃない」
「できる形にして、持ってくる」
「私は政治家ですから」
「うまくいけば、拍手をもらえます」
「でも、その拍手の何割かは、本当はこの男のものだった」
片桐がわずかに俯いた。
獅子堂は、そんな片桐を見ながら続けた。
「そして私は、政界を引退しました」
「地盤は息子に渡した」
「今じゃ海を見ながら、のんびり暮らしてます」
会場に笑い。
「楽隠居ですよ」
獅子堂も笑った。
「でも、この男は違った」
「私が楽隠居を決め込んでいる間も」
「片桐康文は、公僕であり続けた」
「十六年間です」
獅子堂は一度、言葉を切った。
「私は、今日」
「片桐康文の政策が正しいと言うために来たんじゃありません」
「それを決めるのは、皆さんです」
駅前が静かになる。
「私は、この男を知っている」
「それを伝えるために来ました」
片桐が顔を上げる。
「逃げない男です」
「誰も見ていなくても、仕事をする男です」
「自分が褒められなくても、やるべきことをやる男です」
獅子堂は観衆を見渡した。
「私は、片桐康文という人間を信頼しています」
大きな拍手が起きる。
獅子堂は、その拍手が収まるのを待った。
「息子の初めての選挙にも、私は街頭に立ちませんでした」
会場がざわめく。
「でも今日は来た」
獅子堂は片桐の肩に手を置いた。
「それだけは、皆さんに覚えて帰っていただきたい」
片桐が深く頭を下げる。
獅子堂も、小さく頷いた。
「片桐康文を、よろしくお願いします」
歓声と拍手が、潮入中央駅前を埋め尽くした。
■22
前夜。
久浜駅前、蒼路野誠司選挙事務所。
スタッフが帰ったあとも、会議室の明かりだけは残っていた。
机の上には、獅子堂純一郎の経歴資料。
過去の演説記録。
片桐康文との関係をまとめた記事。
凛子は資料を一枚ずつ見ながら言った。
「獅子堂元総理は、政策の話はしないと思います」
蒼路野が顔を上げる。
「でしょうね」
「蒼路野さんの政策を正面から批判するには、立場が悪すぎます」
「今の総理は、息子さんですからね」
「国のAI政策を持ち上げれば、息子の政権を応援する父親になってしまう」
「下手をすれば、中央政府が地方選挙に介入している絵になります」
凛子は次の資料を置いた。
「かといって、二十年も現場を離れた元総理が、今の潮入の政策を細かく語る。それも、彼が切れるカードではありません」
「つまり、政策について、獅子堂純一郎は否定も肯定もできない」
「そうなります」
「では、何を話すと思いますか?」
蒼路野はすぐに答えた。
「片桐康文という人間?」
「はい」
「信頼。実直さ。官僚時代の功績」
「そして、自分だけが知っている昔話」
蒼路野は口に手を当てながら凛子の方を見る。
「つまり、政策ではなく、人格そのものを保証してくると」
「しかも保証人が、獅子堂純一郎……」
「そうです」
「これは、強いな………ん?」
蒼路野が何かに思いついたように言う。
「でも、それって………」
「はい、その通りです」
「一見、我々が不利な盤面ですが、実は片桐陣営がどんな手を打つかは、判明しています」
口元から手を外し、蒼路野が話した。
「なら………」
「演説が終わったあとで、対抗演説をしますか?」
「いいえ」
「しません」
蒼路野が眉を上げた。
「しない?」
凛子は獅子堂の応援演説の告知画面を指した。
「行くだけです」
「……行くだけ?」
「はい」
蒼路野は数秒黙った。
やがて、口元が緩む。
「なるほど」
凛子も頷く。
「明日は獅子堂元総理を見るために、全国のメディアが潮入中央駅に集まります」
「テレビ局。新聞。ネットメディア。政治系の配信者」
「全部、向こうが呼んでくれる」
「そこに対立候補の僕が現れる」
「そうなると、記者はどうすると思います?」
「僕を囲むでしょうね」
「ええ………必ず」
蒼路野が笑った。
「向こうが集めた記者に、僕が囲み取材を受ける」
「はい」
「だから、演説はしない」
「必要ありません」
凛子は椅子に背を預けた。
「さらに」
「獅子堂元総理の演説を、こちらから否定する必要もありません」
「むしろ肯定してください」
「片桐市長は立派な政治家だと」
蒼路野の目が細くなる。
「獅子堂元総理の言っていることは正しい、と?」
「はい」
「その上で」
凛子は机の上の片桐の写真に指を置いた。
「選挙の争点は潮入の過去ではなく、潮入の未来だと言う」
蒼路野はしばらく黙っていた。
「つまり」
「潮入の未来を決めるのは、潮入市民自身だと言う」
凛子が笑った。
「その通りです」
蒼路野は椅子から立ち上がった。
「相手の演説を潰さない」
「利用する」
「いや、相手が作った流れに乗る」
蒼路野は窓の外を見る。
「獅子堂純一郎……いや、獅子堂先輩」
「同じ潮入高校ボート部の後輩として」
「先輩が作った流れに、乗らせてもらいます」
凛子が笑った。
「ええ。立派に育ったところを、見せてあげましょう」
■23
歓声と拍手が駅前ターミナルを埋め尽くす中、蒼路野誠司は潮入中央駅の改札を出た。
先ほどまで、別の場所で街頭演説をしていた。
蒼路野は人垣の後ろで足を止める。
街宣車の上では、獅子堂純一郎が片桐康文と並び、集まった市民に手を振っていた。
蒼路野も、周囲の聴衆と一緒に拍手を送った。
「……あれ?」
一人の動画配信者が、蒼路野に気づいた。
「蒼路野さん?」
近くにいた記者が振り向く。
「蒼路野候補だ!」
一斉に視線が動いた。
カメラ。
マイク。
スマートフォン。
つい数秒前まで獅子堂純一郎を囲んでいた報道陣の一部が、そのまま蒼路野へ流れてくる。
「蒼路野さん、どうしてこちらに?」
「先ほどの演説会場から駆け付けました」
「獅子堂元総理の演説を聞くためですか?」
「ええ。高校の大先輩の演説ですから」
「最後だけでも直接聞きたかったので」
政治系動画配信者がスマートフォンを向ける。
「演説の内容はご覧になりました?」
「もちろん。電車の中で」
「配信で?」
蒼路野がスマートフォンの画面を覗いた。
「ああ」
少し笑う。
「まさに、あなたのチャンネルです」
「えっ、僕の?」
「はい。助かりました」
周囲から笑いが起きた。
すぐに、別の記者がマイクを差し出す。
「獅子堂元総理の演説を、どう受け止めましたか?」
蒼路野の表情が変わった。
「素晴らしい演説だったと思います」
記者たちが静かになる。
「片桐市長が、どういう人なのか」
「獅子堂元総理が、なぜ片桐市長をそこまで信頼しているのか」
「よく分かりました」
「では、蒼路野候補としても、片桐市長の実績を評価される?」
「もちろんです」
即答だった。
「片桐市長が、この十六年間、潮入のために働いてこられたことを、僕は一度も否定していません」
ざわめきが起きる。
記者がさらに聞く。
「では、今回の選挙で片桐市長を交代させる必要はないのでは?」
蒼路野は少しだけ笑った。
「そこなんです」
カメラが、蒼路野へ寄る。
「獅子堂元総理の演説を聞いて、僕も改めて思いました」
「片桐康文さんは、立派な市長です」
「十六年間、潮入に尽くしてこられた」
「その評価については、僕も獅子堂元総理と同じです」
一拍置いた。
「でも」
駅前の空気が変わる。
「今回の選挙で問われているのは、片桐市長がこれまで立派だったかどうかではありません」
「これからの潮入を、誰がつくるのかです」
記者たちの手元が止まる。
蒼路野は続けた。
「過去への感謝と、未来の選択は別です」
「僕たちは、片桐市長の十六年間を否定する必要なんてない」
「むしろ、その十六年間があったからこそ」
「次の時代へ進める」
一人の記者が聞く。
「つまり、片桐市政は役割を終えたと?」
「そうは言っていません」
蒼路野は首を振った。
「誰かの役割が終わったから、次の人を選ぶんじゃない」
「これからどこへ行きたいのかを考えて、その未来に一番ふさわしい人を選ぶ」
「民主主義って、そういうものじゃないでしょうか」
周囲が静かになった。
蒼路野は街宣車の方を見る。
獅子堂純一郎と片桐康文の姿が、まだそこにあった。
「獅子堂先輩が、片桐市長のこれまでを語ってくださった」
そして、再びカメラを見る。
「だったら僕は、これからの潮入を語ります」
シャッター音が、一斉に鳴った。
■24
「蒼路野君!」
蒼路野が振り向く。
街宣車の上で、獅子堂純一郎がこちらを見ていた。
「我々の母校、潮入高校の校訓三箇条、覚えてるだろう」
獅子堂は、聴衆にも聞かせるように言った。
「機を逃すな。時を惜しめ。言葉は簡に」
少し笑う。
「せっかく来たんだ。君も一言、話していけ」
そして付け加えた。
「だから、長くは駄目だぞ」
笑いが起きた。
獅子堂が、傍らのスタッフに目をやる。
自協党のスタッフが聴衆をかき分け、蒼路野のもとへマイクを届けた。
蒼路野は差し出されたマイクを見る。
そして、一瞬だけ聴衆の後方へ目をやった。
凛子と目が合う。
凛子は、ほんのわずかに頷いた。
蒼路野の口元が緩む。
右手でマイクを掴んだ。
街宣車の上の獅子堂を見る。
「先輩、ありがとうございます」
軽く頭を下げる。
そして、聴衆へ向き直った。
「では、一言だけ」
■25
「では、一言だけ」
蒼路野は、街宣車の上の獅子堂と片桐を見た。
昨夜の凛子の言葉が、頭をよぎる。
――
「選挙の争点は潮入の過去ではなく、潮入の未来だと言う」
蒼路野はしばらく黙っていた。
「つまり」
「潮入の未来を決めるのは、潮入市民自身だと言う」
凛子が笑った。
「その通りです」
――
蒼路野は、聴衆へ向き直った。
「獅子堂先輩のお話に、僕から付け加えることはありません」
わずかに、ざわめきが起きる。
「片桐市長が、この16年間、潮入のために尽くしてこられたこと」
「そして、獅子堂先輩が、片桐市長を心から信頼していること」
「十分に伝わりました」
蒼路野は一度、片桐を見る。
「僕も、片桐市長の16年間を否定するつもりはありません」
一拍。
「ただ」
蒼路野は、駅前を埋める人々を見渡した。
「民主主義において、歴史は、ただ学ぶためだけにあるものではありません」
「そこから学び」
「僕たちが、これからどう生きるのかを決める」
「そのためにあるものだと、僕は思っています」
カメラのシャッター音が鳴る。
「潮入の未来を決めるのは」
蒼路野は、まっすぐ聴衆を見た。
「僕でもありません」
「片桐市長でもありません」
「獅子堂元総理でもありません」
一拍。
「ここに暮らす、皆さんです」
静寂。
蒼路野は街宣車の上の獅子堂へ向き直り、頭を下げた。
「先輩。ありがとうございました」
マイクを下ろす。
「以上です」




