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新納凛子(32)は今日も求婚される  作者: 冬室すずめ
未来の総理から求婚される
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3/14

未来の総理から求婚される②

■9


同日、午後十時すぎ。


新千歳空港近くのビジネスホテル。


一階のラウンジでは、蒼路野がノートパソコンを開き、潮入の選挙事務所と話していた。


まだスーツ姿だった。


『先生、ビラは予定分すべて配り終わりました』


「ありがとうございます。明日の午前も同じ形でお願いします」


『はい』


「僕は明日、幌張へ行ってから戻ります。時間はまた連絡します」


『了解しました』


「今日は遅くまでありがとうございました。みなさん、休んでください」


画面の向こうから返事が重なった。


通話を終えたところで、蒼路野が顔を上げた。


「お疲れさまです」


「お疲れさまです」


凛子が向かいの席に座る。


シャワーを浴び、化粧は落としていた。


服も昼間のスーツではない。


空港近くの店で買ったスウェットに、ジャージ姿だった。


「ずいぶん楽な格好になりましたね」


「シャツは洗濯しました」


「僕もあとでやらないとなあ」


蒼路野が自分の襟元を見る。


「急な二泊目、慣れてるんですか?」


「まあ、それなりには」


「それなり?」


「L&Pにいた頃は、海外案件も多かったので」


蒼路野が少し驚いた。


「L&Pって、あの外コンの?」


「ええ。英国と日本で」


「へー」


「海外は、どの辺りに?」


「アフリカとかインドが多かったですね」


「アフリカ?」


「エチオピアとか」


蒼路野の表情が変わった。


「ああ。僕も海自の頃、ジブチにいたことがあります」


「アデン湾ですか?」


「ええ。海賊対処で」


「ひょっとしたら、どこかですれ違ってたかもしれませんね」


凛子も少し笑う。


「そうかもしれませんね」


一拍置いた。


「まあ、その頃はまだ、あの人も生きていましたけど」


蒼路野は一瞬だけ、凛子を見る。


「……そうでしたね」


「いえいえ、昔のことですので」


「お気になさらず」


凛子はテーブルの上の資料を引き寄せた。


「さて」


「はい」


「明日の幌張ですが」


蒼路野もノートパソコンを開き直した。


二人の二泊目の夜が始まった。


■10


翌朝、午前九時。


北海道、幌張市。


かつて炭鉱だった場所は、閉山後、観光施設として再開発された。


しかし、その施設も今は閉鎖されている。


雪の残る敷地には、錆びた立坑櫓と、色褪せた案内板だけが残っていた。


錆びたトロッコ。


閉ざされた坑道。


その前で、凛子が三脚に固定したスマートフォンを確認する。


「蒼路野さん、準備できました」


蒼路野が頷いた。


隣には、幌張市長が立っている。


「三、二、一」


凛子が画面をタップした。


「おはようございます。潮入市長候補の、蒼路野誠司です」


「今日は北海道幌張市に来ています」


蒼路野は背後の立坑櫓を振り返った。


「幌張は、かつて日本有数の炭鉱都市として栄えました」


「しかし、炭鉱の閉山後、観光を中心とした産業転換を進め、その後、市は財政破綻しました」


蒼路野が市長を見る。


「単刀直入に伺います」


「はい」


「幌張が財政破綻したのは、当時の市政が放漫だったからでしょうか」


市長は少し考えた。


「それは、あったと思います」


即答だった。


「身の丈を超えた投資もあった。見通しが甘かった事業もあった」


「そこは、否定すべきではありません」


蒼路野が頷く。


「ただ――」


市長が、背後の炭鉱を見上げた。


「それだけで説明すると、この町が何と戦っていたのかを見誤ると思います」


「何と?」


「町の産業構造が、町の都合とは関係なく変わっていくことです」


風が吹き、積もった雪の表面を白く撫でていく。


「炭鉱が元気だった頃は、仕事があった。人がいた。商店も学校も病院もあった」


「道路も、水道も、住宅も、全部その人口を前提に作られていた」


「ところが、国のエネルギー政策が変わり、炭鉱が次々と閉じていった」


「もちろん、時代が変われば産業も変わります」


「町が小さくなることだってある。それ自体が悪いわけじゃない」


蒼路野が静かに聞いている。


「問題は、その速度をこちらで決められなかったことです」


「学校をいつ統合するか。道路をどこまで維持するか。住宅をどこへ集約するか」


「本来なら、人口の変化を見ながら、十年、二十年かけて町の形を変えていく」


「でも、炭鉱は町の時間割では動いてくれなかった」


「一つ閉じれば、仕事が一気になくなる。人も一気に出ていく」


「町だけが、それまで作ってきた道路や水道や公共施設を抱えたまま残される」


蒼路野が聞いた。


「そこで、観光への転換を?」


「ええ」


「何か次の産業を作らなければならなかった」


「だから必死でした」


市長は、今では観光施設になった炭鉱跡を見る。


「結果として、うまくいかなかった事業もたくさんあります」


「その失敗まで、炭鉱のせいにするつもりはありません」


「でも」


一拍置いた。


「炭鉱で栄えたことが、間違いだったとは思いません」


蒼路野は黙って聞いている。


「ただ、炭鉱が終わる日を、この町は決められなかった」


凛子の指が、スマートフォンの脇で止まった。


「そして、その後の町を作り直す時間も、十分には与えられなかった」


しばらく、誰も口を開かなかった。


蒼路野が尋ねる。


「今は、どうしているんですか?」


「昔の幌張に戻そうとはしていません」


市長が答えた。


「今いる人たちが、今の人口で暮らし続けられる町に作り直しています」


「道路も、公共施設も、行政サービスも」


「時間はかかりますけどね」


蒼路野が頷いた。


「ありがとうございました」


■11


そして、蒼路野はカメラへ向き直る。


「幌張が歩んできた歴史には、成功もあれば、失敗もあります」


「そして、その歴史には、これからの潮入にとって大きな学びがあると思います」


蒼路野は、まっすぐカメラを見た。


「町が栄えることは、悪いことではありません」


「町が小さくなることだって、時代によってはあるでしょう」


「大切なのは――」


一拍置く。


「どんな産業を育てるのか」


「どこまでその産業に町を合わせるのか」


「そして、環境が変わったとき、いつ、どの速さで次の形へ移るのか」


「その判断を、自分たちでできるようにしておくことです」


蒼路野は続けた。


「昨日、片桐市長から『潮入AI産業都市構想』が発表されました」


「データセンターだけではない。研究開発、人材育成、企業誘致、住宅、商業まで含めた、大きな構想です」


「私は、その構想自体を否定しません」


「国が潮入に投資する。民間企業が来る。それは歓迎すべきことです」


「ただ、現在示されている計画は、国の政策と予算を大きな前提として組まれています」


「では十年後、国のAI政策が変わったら?」


「二十年後、中心となる企業が撤退すると言ったら?」


「そのとき潮入は、自分たちの時間割で、次の産業へ移ることができるのでしょうか」


蒼路野は一度、背後の炭鉱跡を見た。


「私は、国と協力するなと言っているのではありません」


「協力することと、自分たちの未来を預けることは違う」


「潮入の未来を決める最後の選択肢は、潮入に残しておく」


「私は、そういう街を作りたいと思っています」


背後には、雪と、古い立坑櫓が残っていた。


かつて、この町を豊かにしたものだった。


■12


同日、午後七時すぎ。


潮入市、久浜駅前。


二泊三日の北海道から戻った蒼路野と凛子が選挙事務所に入ると、すぐにスタッフが駆け寄ってきた。


「先生、お帰りなさい!」


「ただいま戻りました」


「それより、見てください。バズりまくりです」


差し出されたスマートフォンを、蒼路野と凛子が覗き込む。


幌張での配信。


再生数は、帰りの飛行機に乗る前とは桁が変わっていた。


特に切り抜かれているのは、市長の言葉だった。


〈炭鉱が終わる日を、この町は決められなかった〉


その下には、何千件もの反応が並んでいる。


『これ、地方都市全部に言える話じゃない?』


『衰退するな、じゃなくて、衰退の仕方を自分で決められるようにしろってことか』


『AI反対じゃないから聞ける』


「これも大きいです」


スタッフが別の投稿を開いた。


登録者数数十万人の旅行系動画配信者だった。


数年前に幌張を訪れ、炭鉱跡や市街地を紹介した動画を公開している。


〈自分も幌張を取材したことがあります。その時、ずっと引っかかっていたのがこれだった。街が小さくなったことじゃない。街が変わる速度を、街自身で決められなかったことなんだと思う〉


その投稿も急速に拡散されていた。


蒼路野が息を吐いた。


「……届きましたね」


「ええ」


凛子が答えた。


「具体から入ったからです」


「ああ、それと先生」


別のスタッフが受話器を持って振り返った。


「神川テレビから電話です」


「神川テレビ?」


神川県全域を放送エリアとする独立系のローカル局。


ローカルとはいえ、地上波である。


「何でしょう?」


「明日の夜、片桐市長との公開討論会をやりたいそうです」


蒼路野が目を瞬いた。


「明日?」


「はい。緊急特番で、生放送」


「片桐陣営は?」


「もう出演を受けたそうです」


一瞬、事務所が静かになった。


「それなら……」


蒼路野が無言で凛子を見る。


凛子は、その視線に笑顔で返した。


「断る理由はないですね」


スタッフたちから歓声が上がった。


その横で、凛子は壁に貼られた選挙日程を見る。


選挙運動ができるのは、あと四日。


■13


翌日。


午前の街頭演説から、市民の反応は明らかに変わっていた。


足を止める人が増えた。


午後には、蒼路野の名前を呼ぶ声まで聞こえるようになった。


そして夜。


神川テレビ、緊急特別番組。


『潮入市長選挙 公開討論会』


片桐は、十六年間の実績を語った。


国と連携した潮入AI産業都市構想を語った。


蒼路野は、そのどちらも否定しなかった。


ただ、一つだけ語り続けた。


「潮入の未来は、潮入に住む私たち自身で決めなくてはいけないんです」


討論会は一時間。


その後のニュースでは、その様子が何度もダイジェストで流された。


そして番組終了後、神川テレビが視聴者に行った緊急アンケート。


片桐康文――29%。


蒼路野誠司――71%。


政策論争は、蒼路野の圧勝に終わった。


■14


神川テレビの生放送を終えた、テレビ局を出たのは、午後9時30分頃だった。


「事務所、歩いてすぐです」


「じゃあ、少し歩きましょうか」


凛子に案内され、蒼路野は久しぶりに夜の開港通りを歩いた。


飲食店にはまだ明かりが残り、仕事帰りの客たちが店を出入りしている。


蒼路野が一軒のスポーツバーを見た。


「あ。この店、まだあるんですね」


凛子が振り返る。


「ご存じなんですか?」


「ええ。父と野球を見に来た帰りに、よく連れてきてもらいました」


「この辺り、昔から?」


「中学の頃からですね」


「アデン湾だったり開港通りだったり、我々、結構ニアミスしてますね」


「そうみたいですね」


凛子は軽く微笑んだ。


途中の居酒屋で焼き鳥を買い、コンビニでエナジードリンクを二本買う。


株式会社新納事業相談所。


凛子が照明をつける。


蒼路野が室内を見回した。


「ここが、新納さんの事務所ですか」


「ええ」


「ドラマに出てくる探偵事務所みたいですね」


「ええ、大きな事件が動きそうじゃないですか?」


凛子がテレビをつける。


神川テレビでは、先ほどまで二人が出演していた公開討論会がダイジェストで流れていた。


テーブルに焼き鳥を広げる。


蒼路野がエナジードリンクの缶を持ち上げた。


「まだまだ続きますけど」


凛子も缶を持つ。


「ええ」


「とりあえず、お疲れさまでした」


「お疲れさまでした」


軽く缶を合わせる。


カン、と乾いた音がした。


テレビの中では、蒼路野が片桐に問いかけている。


『潮入の未来は、潮入に住む私たち自身で決めなくてはいけないんです』


蒼路野が焼き鳥を一本取った。


「自分を動画で見るのは慣れてますけど」


画面を見て、少し苦笑する。


「地上波は、やっぱりちょっと恥ずかしいですね」


「そういうものですか?」


「なんか違うんですよ。重みが」


凛子が少し笑った。


画面には、番組終了後のアンケート結果が表示されている。


蒼路野、七十一パーセント。


片桐、二十九パーセント。


蒼路野はしばらくその数字を見た。


「……あとは」


「はい」


「油断せずに、最後まで走り抜けるだけですね」


凛子が頷いた。


「ええ」


二人はもう一度、缶を軽く合わせた。


■15


同時刻、潮入市郊外。


海を見下ろす高台に、その邸宅はあった。


第87代内閣総理大臣、獅子堂純一郎(ししどう・じゅんいちろう)。


政治に興味のない日本人でも、その名前くらいは知っている。


かつて自協党の旧守派を「抵抗勢力」と名指しし、真正面から戦った男。


巧みな政界掌握術と圧倒的な選挙戦略、そして神がかり的な演説能力で古い自協党の構造を根底から作り替えた。


平成日本政治の転換点となった男と現代史家は評している。


そして、ここ潮入市が輩出した、伝説的な政治家でもあった。


明治以来、4代にわたって続く政治家一族。その3代目。


70を越え、息子に地盤を譲り、政界を引退した今も、その名前が持つ力はほとんど衰えていない。


獅子堂純一郎は、自宅のリビングでテレビを見ていた。


画面には、先ほど終わった神川テレビの公開討論会。


蒼路野誠司が映っている。


『潮入の未来は、潮入に住む私たち自身で決めなくてはいけないんです』


獅子堂純一郎は黙って見ていた。


やがて、リモコンをテーブルに置く。


スマートフォンを手に取った。


連絡先を開く。


少しだけ笑う。


そして、電話をかけた。


「康文か」


『獅子堂先生……お久しぶりです……』


「元気か?」


『…………』


「いや、なに、ちょっと、久しぶりに声が聞きたくなってな」


『…………』


「改めて言うのもなんだが」


「私の改革がうまくいったのは、まだ、官僚だったお前の尽力のおかげだと思ってるよ」


『……はい』


「そうそう……」


「引退してから、結構暇でな」


『……はい』


「よかったら明後日にでも、応援に行こうと思うんだが」


少し間を置く。


「邪魔かな?」


電話の向こうで、片桐は目を閉じた。


一筋だけ、涙が頬を伝った。


『……ありがとうございます』


■16


開港通り。凛子の事務所


しばらくの間、二人は、学生時代のこと、これまでの仕事のこと、いろいろな身の上話をしていた。


蒼路野が時計を見る。


「あっ……そろそろ帰らないと、電車がなくなりますね」


蒼路野が立ち上がる。


「ビルの出口まで送りますよ」


凛子も立った。


「ああ、そうだ新納さん」


「明日の街宣なんですが――」


遮るように、凛子が言った。


「蒼路野さん?」


「はい」


「この数日、一緒にお仕事をさせてもらって、分かったんですけど」


「はい……」


「私が言うのも、少し変な感じですけど」


凛子は蒼路野を見る。


「蒼路野さん、勝負所を見極める目には、自信を持っていいと思いますよ」


「………」


凛子は目を閉じ、ほんの少し顔を上げた。


唇は、静かに閉じたままだった。


「新納……さん……」


『――ここで速報です』


二人が同時にテレビを見る。


『獅子堂純一郎元総理が、先ほど自身のSNSを更新しました』


『明後日、潮入市長選挙に立候補している片桐康文候補の応援のため、潮入中央駅前で街頭演説を行うと発表しました』


『獅子堂元総理が選挙の応援演説に立つのは、政界引退後初めてです』


『現総理である長男・獅子堂進一郎氏が初めて国政選挙に挑んだ際にも、応援演説には立ちませんでした』


『その獅子堂元総理が、今回、片桐候補のために約20年ぶりに、街頭に立ちます』


「…………」


蒼路野がテレビを見たまま言った。


「勝負所……みたいですね」


「自信は?」


「さっき、有益なアドバイスをもらいましたから」


凛子が少し笑った。


「そうですね」


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