↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新納凛子(32)は今日も求婚される  作者: 冬室すずめ
未来の総理から求婚される
PR
2/11

未来の総理から求婚される①

■1


日曜、午前九時。


潮入市南部、久浜駅前。


告示を迎えた駅前広場には、蒼路野陣営の幟が並んでいた。


「蒼路野誠司(あおじの・せいじ)、三十五歳!」


選挙カーの上で、司会者が声を張る。


「県立潮入高校から防衛大学校へ。海上自衛隊勤務の後、弁護士を経て潮入市議に!」


「市議会議員として4年! 本日、潮入市長選挙に立候補いたしました!」


拍手が起きた。


蒼路野誠司はマイクを受け取った。


「皆さん、おはようございます」


「私は、潮入を、自分の生き方を自分で決められる街にしたい」


駅前を見渡す。


「片桐市政の十六年間で、潮入は大きく発展しました」


「道路が整備された。港が整備された。学校も建て替えられた」


「その実績を、私は否定しません」


「しかし――」


蒼路野は声を強めた。


「私たちは、いつの間にか、一つのものに頼りすぎることに慣れてしまった」


「大きな工場が来れば、その工場に頼る」


「国から大きな事業が来れば、その事業に頼る」


「それが成功している間はいい」


「でも、その工場がなくなったら?」


「その事業が終わったら?」


「そのとき、次に何をするのかまで、外の誰かに決めてもらうんでしょうか」


駅前が少し静かになる。


「私は、企業を誘致するなと言っているんじゃありません」


「国から予算を取るなとも言っていない」


「協力できる相手とは、どんどん協力すればいい」


「ただ――」


一拍置く。


「依存してはいけない」


「協力することと、自分の運命を預けることは違います」


■2


蒼路野誠司は演説を続けた。


「旧陽産自動車潮入工場跡地への、AIデータセンター誘致」


「私は反対ではありません」


「でも、次の十年も二十年も、その一つに街の未来を預けるのか」


「国が計画を作り、国が予算を決め、潮入がそれを受け入れる」


「その順番が、当たり前になっていいんでしょうか」


蒼路野は駅前の人々を見る。


「潮入の未来は、潮入市民が決める」


「国が何をしてくれるか、ではない」


「大企業が何をしてくれるか、でもない」


「私たちは、この街でどう生きたいのか」


「そこから始まる市政に変えたいんです」


拍手が起きた。


蒼路野は頭を下げた。


第一声を終える。


スタッフが駆け寄ってきた。


「よかったですよ、蒼路野さん」


「ありがとうございます」


「拍手も来てました」


「……そうですね」


蒼路野は駅前を見る。


足を止めていた人々は、もうそれぞれの日曜日へ戻り始めていた。


拍手はあった。


だが、熱はない。


朝食を終えたらしい父子が足を止めて演説を聞いていた。


父親の手には、ファストフード店の紙カップがある。


「でもさ、AIの会社が来るんだろ?」


「うん」


「国も金出してくれるなら、別にいいんじゃない?」


息子はよく分からないまま頷いた。


「そうだよね」


蒼路野はその背中を見送った。


しばらくして、小さく呟いた。


「理念は間違っていない」


「でも、それを選ぶ理由になる具体が足りない」


「さて……どうするか」


■3


日曜の朝。


港を望む高台の公園を抜け、山手の住宅街をゆっくり走る。


母校のハミルトン女学院の前を通って、自宅へ戻る。


中学に入った頃から見慣れた坂道。


日曜朝のランニングは、昔からの習慣だった。


自宅に戻ると、シャワーを浴び、昼食の支度を始める。


肉と野菜は大きめに切る。


にんじんとじゃがいもは、ピーラーで皮を剥く。


包丁で皮を剥くのは、昔から苦手だった。


タジン鍋に材料を入れ、蓋をする。


火にかけてしばらくすると、野菜と肉の匂いが立った。


「いただきます」


昼食を終え、食器を片づけたところで、仕事用のスマートフォンが震えた。


件名。


〈至急/潮入市長選挙について〉


凛子は画面を見る。


新納事業相談所の問い合わせフォームからだった。


差出人――蒼路野誠司選挙事務所。


本文を最後まで読む。


少し考えてから、表示された番号へ電話をかけた。


数回の呼び出し音。


『はい、蒼路野誠司選挙事務所です』


「新納事業相談所の、新納と申します」


「先ほどのお問い合わせの件で、お電話しました」


■4


午後三時すぎ。


凛子が潮入市の選挙事務所に着いたときには、蒼路野誠司について一通り調べ終えていた。


県立潮入高校。防衛大学校。海上自衛隊。弁護士。市議。


対する現職、片桐康文(かたぎり・ふみやす)。


四期十六年。


自協党推薦。


そして、旧陽産自動車潮入工場跡地へのAIデータセンター誘致。


久浜駅そばの事務所に入ると、狭い室内には人が溢れていた。


電話を取る者。


地図を囲んで街宣ルートを確認する者。


床にはポスターと段ボール箱が積まれている。


その奥から、蒼路野本人が立ち上がった。


「蒼路野です。急なお願いですみません」


「新納です」


名刺を交換する。


凛子は事務所を見回した。


「活気がありますね」


「ええ。防大の同期や、海自を辞めた仲間、それから僕の政党の仲間が駆けつけてくれました」


少し笑う。


「まあ、政党の方は、まだ三人ですけどね」


席につくなり、蒼路野は本題に入った。


「朝の演説はご覧になりました?」


「移動中に」


「どうでした?」


「片桐候補は、AIデータセンターという具体を語っている」


「一方、蒼路野さんは、過度な依存を避け、自分たちで未来を選べる潮入を語っている」


「そうですね」


蒼路野は身を乗り出した。


「どうすれば、市民とその未来を共有できるでしょうか?」


凛子は少し考えた。


「……順番を変えましょう」


「順番?」


「理念から具体へ進むんじゃない」


「具体から理念へ行きます」


蒼路野の目が少し変わった。


「具体がないなら、こちらも具体を用意すればいい」


「……今から?」


「はい」


凛子はスマートフォンで時刻を確認した。


「蒼路野さん」


「はい?」


「明日のスケジュール、全部キャンセルできますか?」


「できなくはないですが……」


凛子は立ち上がった。


「最終便、まだ間に合いますね」


「最終便?」


「今から北海道へ行きましょう」


「北海道……」


蒼路野は一瞬、眉を寄せた。


そして。


「……あっ」


凛子は何も言わない。


「なるほど」


蒼路野が笑った。


「四月なら、まだ間に合いますね」


「はい」


蒼路野はすぐに立ち上がった。


「分かりました。行きましょう」


「ああ、その前に」


「はい?」


「お見積り、まだ出してませんけど。正式にご依頼ということでいいでしょうか?」


蒼路野は笑った。


「はい。正式にお願いします」


「承知しました」


凛子はスマートフォンを鞄にしまった。


「では、あるだけ暖かい格好をしてください」


「北海道ですからね」


「ええ。四月でも、潮入とは違います」


■5


新千歳空港近くのビジネスホテル。


午後11時を回っていた。


一階のラウンジには、凛子と蒼路野のほかに客はほとんどいない。


蒼路野がスマートフォンをテーブルに置いた。


「町長さん、連絡取れました」


凛子が顔を上げる。


「明日の朝一番で、会ってくださるそうです」


「早いですね」


「こういう時だけは、市議をやっててよかったと思います」


「普段は?」


「面倒なことの方が多いですよ」


凛子が少し笑った。


蒼路野はノートパソコンを開く。


画面には潮入の選挙事務所が映っていた。


「先生。了解しました。その予定で進めます」


「ありがとうございます。予定に変更があれば、すぐ連絡をします」


数人の返事が重なる。


短い終礼が終わり、画面が暗くなった。


蒼路野が背もたれに体を預ける。


「みなさん、優秀ですね」


「ええ、最高のメンバーだと思っています」


蒼路野は笑った。


少し沈黙した。


それから、蒼路野はやや言いにくそうに口を開いた。


「あの、ちょっとプライベートな話なんですけど」


「はい」


「新納さん、急な出張になって大丈夫なんですか?」


「大丈夫ですよ。一人暮らしなので」


「そうなんですね。僕も独り身なんで、その辺は自由です」


「ただ、子どもはいます」


「……息子さん?」


「はい、九歳です。今はイギリスにいます」


「ご主人と?」


「夫とは死別しました」


蒼路野は一瞬、言葉を止めた。


「……そうでしたか」


「ええ」


「すみません」


「いえいえ。もうずいぶん前のことですから」


凛子はノートパソコンの画面に視線を戻した。


「さあ、蒼路野さん。明日も早いので、動きをもう一度確認して休みましょう」


「ええ、そうですね」


四月の北海道には、まだ冬の名残が濃く残っていた。


■6


翌朝、午前九時。


北海道、ウパナイ町。


町役場の玄関前には、四月になってもまだ雪が残っていた。


道路は乾いているが、庁舎脇には除雪された雪が人の背丈ほどに積み上がっている。


その向こうには、白く雪を被った山々が見えた。


凛子は三脚に固定したスマートフォンの画面を確認した。


配信開始のボタンに指を置く。


「蒼路野さん、準備できました」


蒼路野が小さく頷く。


「三、二、一」


凛子が画面をタップした。


蒼路野の表情が変わる。


「おはようございます。潮入市長候補の、蒼路野誠司です」


「今日は北海道ウパナイ町に来ています」


隣に立つ町長が会釈する。


「ウパナイ町は、世界有数のパウダースノーで知られるスキーリゾートです」


「国内だけでなく、海外からも多くの観光客が訪れます」


蒼路野は町長を見る。


「まず、お伺いしたいんですが」


「はい」


「観光で成功したこと自体を、町長は間違いだったと思っていますか?」


町長はすぐに首を振った。


「いいえ。まったく思っていません」


「観光が、この町を豊かにしてくれたのは事実です」


「雇用も増えました。税収も増えた。町の名前を世界中の人に知ってもらえた」


「では、なぜ今、観光以外の産業を育てようとしているんでしょうか」


町長は少しだけ、背後の雪山を振り返った。


「コロナですね」


蒼路野が頷く。


「それまで、毎年お客さんが増えていました」


「海外からも、どんどん来てくれる」


「それが当たり前になっていたんです」


町長はカメラへ視線を戻した。


「ところが、突然来なくなった」


「町が悪いわけじゃない。雪が降らなくなったわけでもない」


「それでも、お客さんは来ない」


「そこで初めて実感しました」


「一つの産業に町全体を預けるのは、強いように見えて、実は脆いんだと」


蒼路野が聞く。


「だから、観光を縮小する?」


「逆です」


町長が笑った。


「観光には、もっと頑張ってもらいます」


周囲から小さな笑いが起きた。


「ただ、観光が止まったら町も止まる、という状態にはしたくない」


「農業でも、食品でも、ITでもいい」


「二本目、三本目の足を作っておく」


「観光が成功している今だからこそ、それができると思っています」


蒼路野はしばらく頷いていた。


「危機が来てから考えるのでは遅い」


「成功しているうちに、次の足を作る」


「そういうことですね」


「はい」


蒼路野はカメラへ向き直った。


「潮入市も今、大きな選択を迫られています」


「私は、大企業が来ることに反対しているわけではありません」


「新しい産業が来ることにも反対していません」


「ただ――」


一拍置いた。


「一つの成功に、町の未来すべてを預けてはいけない」


「今日、ウパナイ町に来て、その思いを改めて強くしました」


配信の同時接続は10名ほどだが、いいねは9個。


背景には、4月になっても白い羊蹄山がそびえていた。


■7


午前11時すぎ。


ウパナイ町を出たレンタカーは、新千歳空港へ向かっていた。


運転席には凛子。


助手席では、蒼路野が膝の上にノートパソコンを開いている。


画面の向こうには、潮入の選挙事務所が映っていた。


『先生、配信見ました』


「どうでした?」


『すごくいいです』


別のスタッフも身を乗り出した。


『あれなら説明できますよ。AIに反対してるんじゃなくて、一つの産業に依存するのが危ないって』


『僕も分かりやすかったです』


蒼路野が笑った。


「よかった」


『今、予定どおりQRコード付きのビラを作っています』


『型はできてるので、昼過ぎには印刷までいけると思います』


「じゃあ、お願いします」


蒼路野は画面の向こうを見渡した。


「ではみなさん、ビラでの拡散、よろしくお願いします」


『『『はいっ!』』』


蒼路野が通話を切った。


ノートパソコンを閉じる。


「頼もしいですね」


凛子が前を見たまま言った。


「ええ」


道の両側には、雪の残る森が続いていた。


白樺と針葉樹の間を、レンタカーは新千歳へ向かって走っていく。


■8


午後四時すぎ。


新千歳空港。


凛子と蒼路野は、遅い昼食を取りながらスマートフォンを見ていた。


午前中の配信は、昼を過ぎてから少しずつ再生数を伸ばしている。


ビラを配り始めた潮入のスタッフからも、反応が届いていた。


「回り始めましたね」


「ええ」


凛子が画面をスクロールする。


その途中、一件のライブ配信が表示された。


〈LIVE 潮入市長・片桐康文 記者会見〉


「……蒼路野さん」


凛子が画面をタップした。


『――今回の構想は、AIデータセンター一社に依存するものではありません』


蒼路野が食事の手を止めた。


画面の中では、片桐康文が記者たちを前に立っていた。


『国と連携し、データセンターを中核として、AI関連企業の誘致、研究開発拠点、人材育成、住宅、商業、交通インフラまで一体的に整備する』


『これが、潮入AI産業都市構想です』


会見場のスクリーンに、完成予想図が映し出される。


データセンター。


研究施設。


オフィス。


住宅地区。


商業施設。


それらが、旧陽産自動車潮入工場の広大な跡地に配置されていた。


『これは、一つの企業、一つの産業に潮入の未来を預ける計画ではありません』


片桐は言い切った。


『国が主導して潮入に投資する。民間企業も投資する。新しい雇用が生まれ、新しい産業が育つ』


『潮入市の未来の多角的、総合的な構想です』


蒼路野が小さく笑った。


「まあ、ライバルとしては認識してもらえてるってことですね」


「そうみたいですね」


凛子は概要欄のリンク先にある事業計画書を開いた。


「ただ……」


凛子は資料を拡大した。


「この事業全体、国の政策と予算に乗る形で組まれています」


蒼路野は黙って画面を見る。


「国の投資を引っ張ってくる。それ自体はいい」


「はい」


「でも――」


蒼路野が言葉を止めた。


空港にアナウンスが流れた。


『羽田空港行き――便をご利用のお客様にご案内いたします』


二人の帰京便だった。


凛子がスマートフォンを伏せる。


「蒼路野さん」


「はい」


「北海道に、もう一泊しましょう」


蒼路野が顔を上げた。


搭乗を促すアナウンスが、もう一度流れる。


「……今度は、どこへ?」


「幌張へ」


「幌張……」


蒼路野は一瞬考えた。


「財政破綻した自治体ですよね?」


「はい」


「……ああ、そういうことか」


凛子は小さく頷いた。


二人は、搭乗口へ向かわなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。