未来の総理から求婚される①
■1
日曜、午前九時。
潮入市南部、久浜駅前。
告示を迎えた駅前広場には、蒼路野陣営の幟が並んでいた。
「蒼路野誠司、三十五歳!」
選挙カーの上で、司会者が声を張る。
「県立潮入高校から防衛大学校へ。海上自衛隊勤務の後、弁護士を経て潮入市議に!」
「市議会議員として4年! 本日、潮入市長選挙に立候補いたしました!」
拍手が起きた。
蒼路野誠司はマイクを受け取った。
「皆さん、おはようございます」
「私は、潮入を、自分の生き方を自分で決められる街にしたい」
駅前を見渡す。
「片桐市政の十六年間で、潮入は大きく発展しました」
「道路が整備された。港が整備された。学校も建て替えられた」
「その実績を、私は否定しません」
「しかし――」
蒼路野は声を強めた。
「私たちは、いつの間にか、一つのものに頼りすぎることに慣れてしまった」
「大きな工場が来れば、その工場に頼る」
「国から大きな事業が来れば、その事業に頼る」
「それが成功している間はいい」
「でも、その工場がなくなったら?」
「その事業が終わったら?」
「そのとき、次に何をするのかまで、外の誰かに決めてもらうんでしょうか」
駅前が少し静かになる。
「私は、企業を誘致するなと言っているんじゃありません」
「国から予算を取るなとも言っていない」
「協力できる相手とは、どんどん協力すればいい」
「ただ――」
一拍置く。
「依存してはいけない」
「協力することと、自分の運命を預けることは違います」
■2
蒼路野誠司は演説を続けた。
「旧陽産自動車潮入工場跡地への、AIデータセンター誘致」
「私は反対ではありません」
「でも、次の十年も二十年も、その一つに街の未来を預けるのか」
「国が計画を作り、国が予算を決め、潮入がそれを受け入れる」
「その順番が、当たり前になっていいんでしょうか」
蒼路野は駅前の人々を見る。
「潮入の未来は、潮入市民が決める」
「国が何をしてくれるか、ではない」
「大企業が何をしてくれるか、でもない」
「私たちは、この街でどう生きたいのか」
「そこから始まる市政に変えたいんです」
拍手が起きた。
蒼路野は頭を下げた。
第一声を終える。
スタッフが駆け寄ってきた。
「よかったですよ、蒼路野さん」
「ありがとうございます」
「拍手も来てました」
「……そうですね」
蒼路野は駅前を見る。
足を止めていた人々は、もうそれぞれの日曜日へ戻り始めていた。
拍手はあった。
だが、熱はない。
朝食を終えたらしい父子が足を止めて演説を聞いていた。
父親の手には、ファストフード店の紙カップがある。
「でもさ、AIの会社が来るんだろ?」
「うん」
「国も金出してくれるなら、別にいいんじゃない?」
息子はよく分からないまま頷いた。
「そうだよね」
蒼路野はその背中を見送った。
しばらくして、小さく呟いた。
「理念は間違っていない」
「でも、それを選ぶ理由になる具体が足りない」
「さて……どうするか」
■3
日曜の朝。
港を望む高台の公園を抜け、山手の住宅街をゆっくり走る。
母校のハミルトン女学院の前を通って、自宅へ戻る。
中学に入った頃から見慣れた坂道。
日曜朝のランニングは、昔からの習慣だった。
自宅に戻ると、シャワーを浴び、昼食の支度を始める。
肉と野菜は大きめに切る。
にんじんとじゃがいもは、ピーラーで皮を剥く。
包丁で皮を剥くのは、昔から苦手だった。
タジン鍋に材料を入れ、蓋をする。
火にかけてしばらくすると、野菜と肉の匂いが立った。
「いただきます」
昼食を終え、食器を片づけたところで、仕事用のスマートフォンが震えた。
件名。
〈至急/潮入市長選挙について〉
凛子は画面を見る。
新納事業相談所の問い合わせフォームからだった。
差出人――蒼路野誠司選挙事務所。
本文を最後まで読む。
少し考えてから、表示された番号へ電話をかけた。
数回の呼び出し音。
『はい、蒼路野誠司選挙事務所です』
「新納事業相談所の、新納と申します」
「先ほどのお問い合わせの件で、お電話しました」
■4
午後三時すぎ。
凛子が潮入市の選挙事務所に着いたときには、蒼路野誠司について一通り調べ終えていた。
県立潮入高校。防衛大学校。海上自衛隊。弁護士。市議。
対する現職、片桐康文。
四期十六年。
自協党推薦。
そして、旧陽産自動車潮入工場跡地へのAIデータセンター誘致。
久浜駅そばの事務所に入ると、狭い室内には人が溢れていた。
電話を取る者。
地図を囲んで街宣ルートを確認する者。
床にはポスターと段ボール箱が積まれている。
その奥から、蒼路野本人が立ち上がった。
「蒼路野です。急なお願いですみません」
「新納です」
名刺を交換する。
凛子は事務所を見回した。
「活気がありますね」
「ええ。防大の同期や、海自を辞めた仲間、それから僕の政党の仲間が駆けつけてくれました」
少し笑う。
「まあ、政党の方は、まだ三人ですけどね」
席につくなり、蒼路野は本題に入った。
「朝の演説はご覧になりました?」
「移動中に」
「どうでした?」
「片桐候補は、AIデータセンターという具体を語っている」
「一方、蒼路野さんは、過度な依存を避け、自分たちで未来を選べる潮入を語っている」
「そうですね」
蒼路野は身を乗り出した。
「どうすれば、市民とその未来を共有できるでしょうか?」
凛子は少し考えた。
「……順番を変えましょう」
「順番?」
「理念から具体へ進むんじゃない」
「具体から理念へ行きます」
蒼路野の目が少し変わった。
「具体がないなら、こちらも具体を用意すればいい」
「……今から?」
「はい」
凛子はスマートフォンで時刻を確認した。
「蒼路野さん」
「はい?」
「明日のスケジュール、全部キャンセルできますか?」
「できなくはないですが……」
凛子は立ち上がった。
「最終便、まだ間に合いますね」
「最終便?」
「今から北海道へ行きましょう」
「北海道……」
蒼路野は一瞬、眉を寄せた。
そして。
「……あっ」
凛子は何も言わない。
「なるほど」
蒼路野が笑った。
「四月なら、まだ間に合いますね」
「はい」
蒼路野はすぐに立ち上がった。
「分かりました。行きましょう」
「ああ、その前に」
「はい?」
「お見積り、まだ出してませんけど。正式にご依頼ということでいいでしょうか?」
蒼路野は笑った。
「はい。正式にお願いします」
「承知しました」
凛子はスマートフォンを鞄にしまった。
「では、あるだけ暖かい格好をしてください」
「北海道ですからね」
「ええ。四月でも、潮入とは違います」
■5
新千歳空港近くのビジネスホテル。
午後11時を回っていた。
一階のラウンジには、凛子と蒼路野のほかに客はほとんどいない。
蒼路野がスマートフォンをテーブルに置いた。
「町長さん、連絡取れました」
凛子が顔を上げる。
「明日の朝一番で、会ってくださるそうです」
「早いですね」
「こういう時だけは、市議をやっててよかったと思います」
「普段は?」
「面倒なことの方が多いですよ」
凛子が少し笑った。
蒼路野はノートパソコンを開く。
画面には潮入の選挙事務所が映っていた。
「先生。了解しました。その予定で進めます」
「ありがとうございます。予定に変更があれば、すぐ連絡をします」
数人の返事が重なる。
短い終礼が終わり、画面が暗くなった。
蒼路野が背もたれに体を預ける。
「みなさん、優秀ですね」
「ええ、最高のメンバーだと思っています」
蒼路野は笑った。
少し沈黙した。
それから、蒼路野はやや言いにくそうに口を開いた。
「あの、ちょっとプライベートな話なんですけど」
「はい」
「新納さん、急な出張になって大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。一人暮らしなので」
「そうなんですね。僕も独り身なんで、その辺は自由です」
「ただ、子どもはいます」
「……息子さん?」
「はい、九歳です。今はイギリスにいます」
「ご主人と?」
「夫とは死別しました」
蒼路野は一瞬、言葉を止めた。
「……そうでしたか」
「ええ」
「すみません」
「いえいえ。もうずいぶん前のことですから」
凛子はノートパソコンの画面に視線を戻した。
「さあ、蒼路野さん。明日も早いので、動きをもう一度確認して休みましょう」
「ええ、そうですね」
四月の北海道には、まだ冬の名残が濃く残っていた。
■6
翌朝、午前九時。
北海道、ウパナイ町。
町役場の玄関前には、四月になってもまだ雪が残っていた。
道路は乾いているが、庁舎脇には除雪された雪が人の背丈ほどに積み上がっている。
その向こうには、白く雪を被った山々が見えた。
凛子は三脚に固定したスマートフォンの画面を確認した。
配信開始のボタンに指を置く。
「蒼路野さん、準備できました」
蒼路野が小さく頷く。
「三、二、一」
凛子が画面をタップした。
蒼路野の表情が変わる。
「おはようございます。潮入市長候補の、蒼路野誠司です」
「今日は北海道ウパナイ町に来ています」
隣に立つ町長が会釈する。
「ウパナイ町は、世界有数のパウダースノーで知られるスキーリゾートです」
「国内だけでなく、海外からも多くの観光客が訪れます」
蒼路野は町長を見る。
「まず、お伺いしたいんですが」
「はい」
「観光で成功したこと自体を、町長は間違いだったと思っていますか?」
町長はすぐに首を振った。
「いいえ。まったく思っていません」
「観光が、この町を豊かにしてくれたのは事実です」
「雇用も増えました。税収も増えた。町の名前を世界中の人に知ってもらえた」
「では、なぜ今、観光以外の産業を育てようとしているんでしょうか」
町長は少しだけ、背後の雪山を振り返った。
「コロナですね」
蒼路野が頷く。
「それまで、毎年お客さんが増えていました」
「海外からも、どんどん来てくれる」
「それが当たり前になっていたんです」
町長はカメラへ視線を戻した。
「ところが、突然来なくなった」
「町が悪いわけじゃない。雪が降らなくなったわけでもない」
「それでも、お客さんは来ない」
「そこで初めて実感しました」
「一つの産業に町全体を預けるのは、強いように見えて、実は脆いんだと」
蒼路野が聞く。
「だから、観光を縮小する?」
「逆です」
町長が笑った。
「観光には、もっと頑張ってもらいます」
周囲から小さな笑いが起きた。
「ただ、観光が止まったら町も止まる、という状態にはしたくない」
「農業でも、食品でも、ITでもいい」
「二本目、三本目の足を作っておく」
「観光が成功している今だからこそ、それができると思っています」
蒼路野はしばらく頷いていた。
「危機が来てから考えるのでは遅い」
「成功しているうちに、次の足を作る」
「そういうことですね」
「はい」
蒼路野はカメラへ向き直った。
「潮入市も今、大きな選択を迫られています」
「私は、大企業が来ることに反対しているわけではありません」
「新しい産業が来ることにも反対していません」
「ただ――」
一拍置いた。
「一つの成功に、町の未来すべてを預けてはいけない」
「今日、ウパナイ町に来て、その思いを改めて強くしました」
配信の同時接続は10名ほどだが、いいねは9個。
背景には、4月になっても白い羊蹄山がそびえていた。
■7
午前11時すぎ。
ウパナイ町を出たレンタカーは、新千歳空港へ向かっていた。
運転席には凛子。
助手席では、蒼路野が膝の上にノートパソコンを開いている。
画面の向こうには、潮入の選挙事務所が映っていた。
『先生、配信見ました』
「どうでした?」
『すごくいいです』
別のスタッフも身を乗り出した。
『あれなら説明できますよ。AIに反対してるんじゃなくて、一つの産業に依存するのが危ないって』
『僕も分かりやすかったです』
蒼路野が笑った。
「よかった」
『今、予定どおりQRコード付きのビラを作っています』
『型はできてるので、昼過ぎには印刷までいけると思います』
「じゃあ、お願いします」
蒼路野は画面の向こうを見渡した。
「ではみなさん、ビラでの拡散、よろしくお願いします」
『『『はいっ!』』』
蒼路野が通話を切った。
ノートパソコンを閉じる。
「頼もしいですね」
凛子が前を見たまま言った。
「ええ」
道の両側には、雪の残る森が続いていた。
白樺と針葉樹の間を、レンタカーは新千歳へ向かって走っていく。
■8
午後四時すぎ。
新千歳空港。
凛子と蒼路野は、遅い昼食を取りながらスマートフォンを見ていた。
午前中の配信は、昼を過ぎてから少しずつ再生数を伸ばしている。
ビラを配り始めた潮入のスタッフからも、反応が届いていた。
「回り始めましたね」
「ええ」
凛子が画面をスクロールする。
その途中、一件のライブ配信が表示された。
〈LIVE 潮入市長・片桐康文 記者会見〉
「……蒼路野さん」
凛子が画面をタップした。
『――今回の構想は、AIデータセンター一社に依存するものではありません』
蒼路野が食事の手を止めた。
画面の中では、片桐康文が記者たちを前に立っていた。
『国と連携し、データセンターを中核として、AI関連企業の誘致、研究開発拠点、人材育成、住宅、商業、交通インフラまで一体的に整備する』
『これが、潮入AI産業都市構想です』
会見場のスクリーンに、完成予想図が映し出される。
データセンター。
研究施設。
オフィス。
住宅地区。
商業施設。
それらが、旧陽産自動車潮入工場の広大な跡地に配置されていた。
『これは、一つの企業、一つの産業に潮入の未来を預ける計画ではありません』
片桐は言い切った。
『国が主導して潮入に投資する。民間企業も投資する。新しい雇用が生まれ、新しい産業が育つ』
『潮入市の未来の多角的、総合的な構想です』
蒼路野が小さく笑った。
「まあ、ライバルとしては認識してもらえてるってことですね」
「そうみたいですね」
凛子は概要欄のリンク先にある事業計画書を開いた。
「ただ……」
凛子は資料を拡大した。
「この事業全体、国の政策と予算に乗る形で組まれています」
蒼路野は黙って画面を見る。
「国の投資を引っ張ってくる。それ自体はいい」
「はい」
「でも――」
蒼路野が言葉を止めた。
空港にアナウンスが流れた。
『羽田空港行き――便をご利用のお客様にご案内いたします』
二人の帰京便だった。
凛子がスマートフォンを伏せる。
「蒼路野さん」
「はい」
「北海道に、もう一泊しましょう」
蒼路野が顔を上げた。
搭乗を促すアナウンスが、もう一度流れる。
「……今度は、どこへ?」
「幌張へ」
「幌張……」
蒼路野は一瞬考えた。
「財政破綻した自治体ですよね?」
「はい」
「……ああ、そういうことか」
凛子は小さく頷いた。
二人は、搭乗口へ向かわなかった。




