↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新納凛子(32)は今日も求婚される  作者: 冬室すずめ
青年実業家から求婚される
PR
1/11

青年実業家から求婚される①

■1


「いやー、こんなに上手くいくとは思いませんでしたよ」


東京、港区、虎ノ門。地上40階。


窓の外には、夜の東京が広がっていた。


双環亮介(ふたわ・りょうすけ)は、テーブルの上でスマートフォンを滑らせた。


長めの髪を後ろへ流し、仕立てのいいスーツを着ている。


その口元には、さっきから楽しそうな笑みが浮かんでいた。


「新納さん、見てください」


大手通販サイトの化粧品ランキング。


1位から10位まで、色も名前も違う商品が並んでいる。


1位――株式会社ルミエ。


2位――株式会社オルカ。


3位――株式会社ミレイユ。


「客から見れば、10社が熾烈な競争をしているように見える」


双環は笑った。


「でも、全部、僕の会社です」


もう一度、ランキングを眺める。


「いやあ、綺麗に回りましたね」


双環亮介、34歳。


元動画配信者。現在は起業家。


昨年の個人所得、2億円。


人間の中にある、まだ言葉になっていない不安を見つける。


そして、それを本人より先に言葉にする。


そのことにかけて、この男は天才だった。


■2


「それにしても、新納さんの発想はすごいですね」


双環がランキング画面を閉じた。


「僕だったら、自社の商品をどう売るかしか考えなかった」


「OEMで少量多品目を低コストで作れる。だったら多ブランド展開して、客ごとに“自分専用”みたいに見せる」


「ここまでは、僕も時間をかければ辿り着けたかもしれない」


「でも――」


双環はスマートフォンを指で叩いた。


「会社そのものを増やす、までは思いつかなかった」


「客は、自分の悩みを分かってくれる、特別な化粧品を求めている」


「だったらブランドだけじゃなく、会社ごと分けてしまえばいい」


新納凛子は、ジンジャーエールに少し口をつけた。


「まあ、そこまでは言っていませんけど」


「でも、そこまで分けて考えれば、あとはシンプルです」


「客ごとに会社を分ける。次に、その人が何を気にしているのかを見つける」


双環はスマートフォンを開いた。


「三十代女性、じゃ広すぎるんですよ」


「写真を見たときに、前より疲れて見える人」


「同窓会が近づいて、急に老けた気がする人」


「目元だけが気になり始めた人」


「同じ三十代女性でも、欲しいものは全然違う」


双環は画面を指先で送った。


「そこまで細かく分ければ、“これは自分のための商品だ”と思ってもらえる」


「その人が抱えている悩みに、ちゃんと名前を付けてあげればいいんです」


■3


「……007のスペクターみたいですね」


双環は少し考えた。


「そうですか?」


「不安や対立を利用して、商品を売るという点では」


「でも、不安そのものを僕が作っているわけじゃないでしょう」


双環はスマートフォンを置いた。


「保険会社だって、就職情報会社だってそうじゃないですか」


「就活生には“内定を取る方法”を売る」


「企業には“いい学生を見抜く方法”を売る」


「片方に攻略法を売って、もう片方にはその攻略法への対策を売る」


「でも、どちらにも必要とされている」


凛子は少し考えた。


「需要があるなら、問題ない?」


「中身がちゃんとしていれば」


双環は即答した。


「もちろん、社員にはちゃんとしますよ」


「うちの退職率、有給消化率、育休取得率。どの数字も胸を張って言える」


「お客様にも同じです」


「顧客満足度もリピート率も高い。うちの商品を使って、損をしたと思う人はできるだけ出さない」


「それも、数字のためですか?」


「もちろん」


双環はあっさり答えた。


「新しいお客様を一人獲得するより、一度買ってくれた人にもう一度買ってもらうほうが、ずっとコストが低い」


「粗悪な商品を売って、一回だけ儲けても意味がないでしょう。不満を持たれれば離れていく。返品や炎上で済めばまだいい。健康被害なんて出したら、訴訟に行政対応、ブランドそのものが終わります」


「昔、お茶を使った洗顔石鹸で、大規模なアレルギー被害が出たことがあったでしょう」


「ああいうのは絶対に駄目なんですよ」


双環の口調が、少しだけ真面目になった。


「広告で興味を持ってもらうのはいい。でも、手に取っていただいた人には、約束したものをちゃんと返す」


「安心して使えて、買ってよかったと思ってもらう」


「そこは、別の話です」


凛子は再びジンジャーエールに口をつけた。


「合理的に誠実なんですね」


「誠実である理由まで、綺麗じゃないと駄目ですか?」


「いいえ」


凛子はグラスを置いた。


「もう、次とかも考えているんですか?」


「暗号資産」


双環は即答した。


「暗号資産交換業者を一社、買おうと思ってます」


凛子は黙って聞いていた。


「無名の動画配信者だった頃から、なんとなく思ってたんですけどね」


「今回、新納さんと仕事して、確信しました」


双環はグラスを指先で回した。


「人間の不安には、名前を付けるべきなんです」


「それで、美容の次は、お金ですか」


「はい」


「給料は上がらない。物価は上がる。老後は不安」


「真面目に働いてるのに、自分だけ取り残されてる気がする」


「でも、何が不安なのか、自分でもよく分かってない」


「その漠然とした不安に名前を付ける」


「そして、その不安に対して、ちゃんと答えを用意する」


双環は窓の向こうの夜景を眺めた。


「次も、うまくいきそうですね」


■4


「そうだ」


双環がふと思い出したように言った。


「大事なことを忘れるところでした」


鞄から、小さな箱を取り出した。


凛子の前に置く。


「受け取ってくれませんか?」


「なんですか、これ?」


「婚約指輪です」


凛子は双環を見た。


「……婚約?」


「はい」


双環は箱を開けた。


「今日、この日のために用意しました」


「………他の女性にも同じことを言ってるんじゃないですか?」


双環は少し笑った。


「内側に、新納さんの名前を彫ってあります」


「だから、使い回しはできません」


「………」


「新納さん。僕と結婚しませんか?」


凛子はもう一口、ジンジャーエールを飲んだ。


「理由を伺ってもいいですか?」


■5


「理由を伺ってもいいですか?」


双環は少し考えた。


「ご存じと思うんですが、僕、去年の年収が二億円ぐらいだったんですよ」


「それくらいになると、僕の意見に反対する人が、かなり減るんです」


「…………」


「僕が何か言えば、だいたい賛成してくれる」


「面白くない話でも笑ってくれるし、間違っていても、わざわざ指摘してくれない」


凛子は少し笑った。


「でも、新納さんは違うでしょう」


「違うと思ったら、普通に違うと言う」


「しかも、僕が考えていなかった答えを出すことがある」


双環は婚約指輪へ目を落とした。


「一緒に仕事をしていて、それがかなり貴重だと分かりました」


「僕一人でできることは、もうかなり多いんです」


「でも、新納さんと一緒なら、僕一人では思いつかなかったことができる」


凛子は黙って聞いていた。


「この先も、一緒に仕事をしたい」


「それなら、仕事だけにしておく理由もないかなと思いまして」


「それで……結婚したいと……」


「はい」


凛子はしばらく婚約指輪を見つめた。


「……ありがとうございます」


「お気持ちは、とてもありがたいです」


「ただ、双環さんにお伝えしていないことがあります」


双環が凛子を見る。


「私、一度結婚しています」


「そうなんですか」


「はい」


凛子は続けた。


「それから、九歳の息子がいます」


「……九歳?」


双環は少し目を見開いた。


「はい」


「新納さん、今三十二ですよね?」


「そうです」


「今は、離れて暮らしています」


「それは……知らなかったですね」


「仕事上、お話しすることではありませんでしたから」


凛子は婚約指輪の箱を閉じた。


そして、静かに双環の前へ戻す。


「お気持ちはありがたいです」


「だからこそ、これは一度お返しします」


双環は箱を見た。


「お子さんがいることが、理由ですか?」


「いいえ」


凛子は小さく首を振った。


「双環さんが、今初めて知ったからです」


「知らなかった大事なことをお伝えした直後に、『それでも構わない』と言わせるような形にはしたくありません」


「今、この場で答えを出すのは、アンフェアだと思いますので」


双環は少し考えた。


「なるほど」


「一度、普通に考えてください」


「その上でお気持ちが変わらなければ、そのとき改めて伺います」


「分かりました」


■6


四月の関東は、夜になるとまだ肌寒かった。


虎ノ門で双環と別れた凛子は、タクシーで新橋駅へ向かった。


終電間際の電車に乗り、横浦市へ戻る。


駅を出ると、夜風に桜の花びらが舞っていた。


事務所に着いた頃には、午前1時を回っていた。


株式会社新納事業相談所。


凛子は照明をつけ、鞄をデスクに置いた。


大手コンサルを辞め、この小さな事務所を始めて、もうすぐ1年になる。


ノートパソコンを開く。


時刻を確認して、ビデオ通話を発信した。


数回の呼び出し音。


画面いっぱいに、少年の顔が現れた。


『Hi, Mum!』


「ママと話すときは日本語で、って約束したでしょ?」


『あ、そうだった』


少年が笑う。


「こんばんは、ママ」


「こんばんは、リンゼ」


リンゼ・ハーコート。九歳。


凛子の一人息子だった。


「学校はどうだった?」


『普通』


「普通は禁止」


『じゃあ、まあまあ』


「悪くなってるじゃない」


画面の向こうでリンゼが笑った。


その後ろから、年配の女性の声が聞こえる。


『Rinze, have you finished your homework?』


「おばあちゃんが宿題やったかって」


「聞こえてます」


『日本語なのに?』


「あなたのお母さんですよ」


『あ、そっか』


凛子も笑った。


画面の端から、白髪の女性が顔を覗かせる。


『Rinko. Good evening.』


「こんばんは、お義母さま」


■7


通話を終えたときには、午前2時を回っていた。


凛子は顧問先から届いていたメールに一件だけ返信し、ノートパソコンを閉じた。


照明を落とし、事務所を出る。


金曜の夜はまだ完全には終わっていない。


通りには、バー帰りの客とタクシーがちらほら残っていた。


「今日は歩いて帰ろうかな」


横浦スタジアムを右手に見ながら、中華街へ入る。


昼間は観光客で埋まる通りも、この時間は静かだった。


閉じた店先を、赤や金の看板だけが照らしている。


高速の高架をくぐる。


中学に通い始めた頃から、何度も歩いた道だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。