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新納凛子(32)は今日も求婚される  作者: 冬室すずめ
元男役トップスターから求婚される
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12/14

元男役トップスターから求婚される⑦

■57


鳳城礼と森下紬、真琴と遥の夏休みは、その後も続いた。


四日目は、埼玉スタジアムでサッカー観戦。


五日目は、市川市動植物園。


そして六日目。


三人は、茨城県坂東市にあるミュージアムパーク茨城県自然博物館を訪れた。


撮影が予定より長引いたうえ、八潮までの距離もある。


この日の反省会は、帰りの車内で行うことになった。


礼が運転する四ドアのMINI。


助手席には凛子。後部座席には紬が座っている。


「では、今日の数字から報告します」


凛子はスマートフォンを確認した。


「フォロワー数は、十万人を超えました」


「十万人……」


紬が後部座席から身を乗り出す。


「順調ですね。特に今日は、恐竜の展示を紹介した動画が伸びています」


「やっぱり、恐竜は強いわね」


礼は前を向いたまま言った。


「小学生のお子さんを持つ保護者層からのフォローが増えています。親子でアーカイブを見たというコメントも多いですね」


凛子がコメントを読み上げる。


「『娘が紬ちゃんを応援すると言っています』」


「『息子は恐竜しか見ていませんでしたが、母親の私は鳳城礼を見ていました』」


「誰かしら、本来の目的も見てほしいわね」


礼が笑った。


「『夏休みに子どもと博物館へ行きたくなった』」


「博物館側からも、企画を紹介していただいています。新しい客層へ届いているという意味では、十分な成果です」


凛子が報告を終える。


「紬の演技は?」


「ほぼほぼ、いけてるわ」


礼はバックミラー越しに紬を見た。


「今日は、撮影に十分耐えられる水準だった。明日、そのまま第一課題の動画を撮っても、恥ずかしくないものにはなると思う」


「本当ですか?」


「ええ。ただし、恥ずかしくないだけでは玲奈ちゃんに勝てない。明日の最終日で、もう一段上げるわよ」


「はい!」


「明日の予定も確認します」


凛子が行程表を開いた。


「葛飾納涼花火大会の終了後、そのまま第一課題の演技動画を撮影します」


「帰りが遅くなりますよね?」


「撮影終了は午後九時半、紬ちゃんの帰宅は午後十時ごろを予定しています。お母さまには、すでに説明して了承をいただいています」


「ありがとうございます」


■56


「それにしても」


礼がハンドルを握ったまま、軽く息を吐いた。


「玲奈ちゃん、強いわねえ」


「はい」


「でも、強いのは玲奈ちゃんだけじゃないのよね」


「久世さんですか?」


紬が尋ねた。


「ええ。玲奈ちゃんのマネージャー、久世圭子さん」


「有名な人なんですか?」


「玲奈ちゃんのお母さん、霞坂玲美を国民的大女優まで押し上げた敏腕マネージャーよ」


「へえ……」


「玲美さんが女優として伸び悩んでいた時期に担当になって、海外映画のスカーレット宮崎役を取ってきた。そのあとも、玲美さんの売り方を全部作り直した人」


凛子が礼を見る。


「鳳城さんとも、何かご縁があったんですか?」


「退団するときにね。いろいろ口説かれちゃって」


「ああ、口説かれたって、そういう意味じゃないわよ」


後部座席の紬が、きょとんとした顔になる。


礼はバックミラーでその顔を見た。


「そ、そうですよね」


「神谷プロへ来ないかって、何度も誘われたの。映像作品も用意するし、玲美さんと共演させるとも言われたわ」


「それを断って、鳳城プロを作ったんですね」


「ええ」


「どうしてですか?」


礼は少し考えた。


「久世さんは有能よ。神谷プロを大きくして、その力で所属する俳優を、もっと大きな舞台へ送り出そうとする」


「神谷プロという看板が強くなれば、持ってこられる仕事も増える。だから、組織のために個人がある」


「間違っていると思いますか?」


凛子が尋ねる。


「いいえ。それはそれで正しいわ。実際、玲美さんも玲奈ちゃんも、久世さんと神谷プロがいたから、あそこまで大きくなった」


「でも、鳳城さんの考え方とは違う?」


「私は逆なのよ」


礼は前を向いたまま答えた。


「事務所は、所属する人がやりたいことを実現するためにあると思ってる」


「組織を生かすために個人がいるんじゃない。何かをやりたい人たちが集まって、そのために組織を使うの」


■57


「仮定の一般論ですけど」


凛子が言った。


「鳳城プロで育てた俳優が、もっと大きな仕事を求めて退所したら、事務所としては損ですよね?」


「損ね」


礼は即答した。


「引き留めたり、移籍しにくい契約にしたりはしないんですか?」


「しないわ。する必要もない」


「悔しいけれど、その子の目標に鳳城プロが応えられないなら、仕方がないじゃない」


「経営者としては、善人すぎますね」


「そうなのよ。だから事業コンサルタントに助けを求めたの」


「まあ、そういうやり方も、あるにはあります」


「本当?」


「設計次第です。いつでも相談してください」


「頼もしいわね」


礼はバックミラー越しに、もう一度紬を見た。


「私は紬をスターにしたい。紬は?」


「私も俳優になりたいです」


紬は迷わず答えた。


「日本だけじゃなくて、世界中の人を感動させられる俳優になりたいです」


「でしょう?」


礼が笑った。


「だったら今は、三人とも同じ目的を持っている。それで十分よ」


「はい!」


MINIは高速道路を下り、八潮市内へ入った。


第一課題の締切まで、あと一日。


■58


MINIが八潮市へ入る頃には、車窓の外はすっかり暗くなっていた。


「紬。明日は午前中、学校よね?」


礼がバックミラー越しに尋ねた。


「はい。文化祭のクラス準備があります」


「何時まで?」


「お昼前には終わる予定です」


「じゃあ、一度家に帰って、昼食を取って休んでおきなさい。午後四時、浴衣で柴又駅集合」


「はい」


「花火大会が終わったら、そのまま第一課題の映像を撮影します」


助手席の凛子が付け加えた。


「撮影終了は午後九時半を予定しています。帰宅が十時頃になることは、お母さまにも了承をいただいています」


「分かりました」


「明日が最終日よ」


礼が言った。


「朝倉真琴を完成させるわ」


「はい!」


やがてMINIは、森下家の前で停車した。


紬が後部座席のドアへ手をかける。


「ああ、待って」


礼が呼び止めた。


「車の中では反省会だったから、今のあなたは森下紬よ」


「はい」


「でも、車を降りたら、またレッスン開始。今夜は朝倉真琴として過ごしなさい」


「一人でも、ですか?」


「一人の時間をどう過ごすかも、その人間の一部でしょう?」


紬は少し考えてから、頷いた。


「分かりました」


「ああ、学校では森下紬でいいわよ。先生やお友達まで、私たちのレッスンに巻き込むわけにはいかないから」


「では、文化祭の準備が終わるまでは、普通にしていていいんですね」


「ええ。ただし、校門を出たらレッスン再開よ」


「はい」


「では、森下紬はここまで」


礼は右手を上げた。


「明日、柴又で会いましょう。真琴」


「うん。また明日ね、遥ちゃん」


紬は車を降り、家へ向かった。


玄関の前で一度振り返り、小さく手を振る。


礼も運転席から手を振り返した。


玄関の扉が閉まる。


後部座席から人の気配が消え、車内が急に静かになった。


「新納さん」


「はい」


「ちょっと寄り道していかない?」


礼はナビを操作しながら尋ねた。


「構いませんけど、どちらへ?」


「青井」


目的地を設定する。


「私の実家」


■59


紬が家へ入ると、後部座席から人の気配が消えた。


礼は再びMINIを走らせる。


「それで、寄り道というのは?」


「ご両親に、私のことを紹介するとかですか?」


「そうしてほしい?」


「礼さんが、そうしたいのでしたら」


「質問に答えてないわよ」


「礼さんもでしょう?」


礼が楽しそうに笑った。


「そういうところ、ずるいわね」


「青井の実家。兄さんに頼まれていた荷物を届けるだけ」


「トランクに積んだままなのを、今思い出したの。青井なら、あなたを上野まで送る途中に寄れるでしょう?」


「そうですか。少し残念です」


礼が横目で凛子を見る。


凛子は涼しい顔で、流れていく夜の街を眺めていた。


MINIは八潮市を抜け、都県境を越え、足立区青井の住宅街へ入った。


道幅の狭い生活道路を進み、礼が一軒の家の前で車を停める。


「ここよ」


礼はエンジンを切った。


「荷物を渡すだけだから、すぐに戻るわ」


「私は、車で待っていますか?」


「ここまで来て、それも変でしょう。一緒に来る?」


「よろしいんですか?」


「紹介するわけじゃないけどね」


礼は念を押すように言って、運転席を降りた。


■60


足立区青井の静かな住宅街。


二人はMINIのトランクから段ボール箱を一つずつ持ち出し、北城家の玄関前に立った。


「新納さん、手伝ってくれてありがとうね」


「いえいえ。愛する鳳城さんのためなら、これくらい」


「ふふっ」


礼が楽しそうに笑う。


鳳城礼の実家は、青井の住宅街に建つ、ごく普通の戸建てだった。


現在、この家では礼の両親と、兄夫婦、その子どもたちが暮らしている。


礼は段ボール箱を片腕で支え、インターホンを押した。


返事を待つ間、凛子は玄関脇の表札へ目を向ける。


そこに刻まれているのは、鳳城ではなく、北城の二文字だった。


「知ってはいましたけど、芸名も本名も、読みは同じなんですね」


「そうよ」


鳳城礼。


本名、北城礼。


姓の漢字が違うだけで、どちらも、ほうじょう・れいと読む。


「芸名を決めるとき、呼ばれても気づかない名前だと困ると思って」


「それで、読みはそのままに?」


「ええ。北の城から、鳳凰の城へ。少しだけ華やかにしたの」


礼は表札を見上げた。


「まあ、家族からすれば、漢字が変わっただけで、ずっと礼ちゃんだけどね」


玄関脇には、スポーツタイプと籠のついた子ども用自転車が、一台ずつ並べて停められていた。


ほどなくして、玄関の扉が開いた。


中から出てきたのは、礼の母親と思しき女性だった。


「ああ、礼。おかえり」


「ただいま、母さん」


礼は抱えていた段ボール箱を少し持ち上げた。


「兄さんに頼まれてた荷物、持ってきたわよ」


■61


「ただいまー」


「お邪魔します」


礼に続いて、凛子も段ボール箱を抱えたまま玄関へ上がった。


「母さん、これ、どこに置けばいい?」


「とりあえず、居間のソファの上に置いておいて」


礼の母親は、二人を奥へ案内しながら凛子を振り返った。


「いま、お連れさんの分も、冷たいものを用意しますから」


「すみません。恐縮です」


「いいの、いいの。暑かったでしょう」


廊下の先から、二人の子どもが顔を出した。


「あっ、礼おばちゃーん!」


「遊んでー!」


礼の甥と姪と思しき、男の子と女の子だった。


「あー、はいはい」


礼は段ボール箱を抱えたまま、二人へ笑いかける。


「お姉さんは、今日はちょっと寄っただけ。すぐに帰るからね」


「はーい」


二人は素直に返事をすると、再び居間へ駆けていった。


「おばちゃんと呼ばれても、訂正はするんですね」


「そこは大事でしょう?」


礼は何事もなかったように居間へ入り、段ボール箱をソファの上へ置いた。


凛子も、その隣へ自分の箱を下ろした。


■62


三人は、居間のテーブルを囲んで座った。


「ご挨拶が遅くなりました」


凛子は名刺入れを取り出し、一枚差し出した。


「鳳城プロダクションで、事業のお手伝いをさせていただいております、新納凛子と申します」


「あらあら、ご丁寧にどうも」


礼の母親は、両手で名刺を受け取った。


「礼が女の子を連れてくるのは、久しぶりね」


名刺と凛子の顔を交互に見る。


「この子が、礼の新しい子?」


「やだな、母さん」


礼は困ったように笑った。


「そうだったら、少し嬉しいけど。そんなんじゃないって」


「あら、そうなの?」


凛子が微笑む。


「そうなんですね。私も少し残念です」


礼と凛子の視線が合った。


どちらも、それ以上は踏み込まない。


「あらあら」


礼の母親は楽しそうに笑うと、三人分のグラスをテーブルへ並べた。


「はい、これ。麦茶でよかったかしら」


「はい。いただきます」


冷えたグラスを手に取り、凛子は麦茶を一口飲んだ。


■63


「ごちそうさま」


「ごちそうさまでした」


礼と凛子は、出された麦茶を飲み終えた。


「じゃあ、母さん。私たちはこれで帰るわ」


礼が席を立つ。


「兄さんと義姉さんは?」


「今日は二人とも、仕事で遅くなるって。だから、私が寝かしつけ担当」


「そうなんだ」


礼は、居間で遊んでいる二人の子どもへ目を向けた。


「まあ、いまは夏休みだから、健司も千尋も一日中家にいるもんね」


「そうなのよ。私も、あなたたちを育てていた頃より体力が落ちてるから、なかなか大変よ」


「じいじも、まだ現役で働いてるしね」


「元気なのは、いいことじゃない」


礼は母親の肩を軽く叩いた。


「今の仕事が少し落ち着いたら、私が二人をどこかへ遊びに連れていくから。もう少し待ってて」


「はいはい。期待しないで待っていますよ」


「そこは期待しててよ」


礼が笑った。


「それじゃ、またね」


「ええ。気をつけて帰りなさい」


■64


礼のMINIは青井の住宅街を抜け、凛子を降ろす上野駅へ向かっていた。


「どう? 少し意外だった?」


運転席の礼が尋ねる。


「何がですか?」


「実家での私」


凛子は少し考えた。


「鳳城礼を演じ続けることに疲れて、実家でだけ、ただの北城礼に戻るとかですか?」


「ええ。そんなところ」


「別に、意外ではありませんでしたよ」


「そう?」


「だって鳳城さん、どちらの自分も大好きでしょう?」


礼が笑った。


「ええ。大好きよ」


「元男役トップスターの鳳城礼も、事務所の経営者も、お母様に礼ちゃんと呼ばれる娘も、甥御さんたちにおばちゃんと呼ばれる叔母も」


「お姉さんね」


「その訂正を欠かさないところも含めて、全部が礼さんです」


「私が、あなたの前でだけ本当の自分を見せているとは思わない?」


「思いません」


凛子は即答した。


「礼さんは、誰の前でも飲みたいときにはビールを飲んで、枝豆を食べる人です」


「あら。覚えてたのね」


「それから、鳳城礼でいることに疲れて、私の前でだけ弱い女性に戻りたいわけでもない」


「ええ」


「私だけが、鳳城礼と北城礼の両方を理解してくれた。そういう話でもありません」


礼が横目で凛子を見る。


「全部、先に言うのね」


「礼さんが、聞きたそうでしたから」


「あなたにしか理解されないような葛藤は、私にはないわ」


「はい。そもそも礼さん自身が、二つの自分の間で葛藤していません」


「正解」


「ご家族も、鳳城プロの皆さんも、長く応援してきたファンの方々も。それぞれに礼さんのことを理解しています」


「では、私があなたを気に入った理由は?」


「仕事上の相性なら、分かります」


「聞かせて」


「私と組めば、鳳城プロをもっと大きくできる。今まで作れなかった仕事や、新しい文化を作ることもできる」


「そこまで分かってるのね」


「でも、それは優秀な事業パートナーを求める理由です。私とお付き合いしたい理由としては、不十分です」


「そうね。私も、仕事のできる相手全員に求婚するほど、公私混同はしていないわ」


「ですから、現時点では判断材料が足りません」


「降参?」


「保留です」


凛子は礼の横顔を見た。


「答え合わせをしたくなったら、礼さんの方から教えてくださるでしょう?」


「自分からは追いかけないの?」


「追いかけてほしいんですか?」


礼は一瞬黙ったあと、楽しそうに笑った。


「本当に、ずるい女ね」


「お互いさまです」



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