元男役トップスターから求婚される⑥
■44
東京・赤坂。神谷プロダクション本社。
渋谷のタワーレコードで握手会を終えた玲奈は、そのまま社内の撮影スタジオへ戻っていた。
翌日、新宿の紀伊國屋書店で使用する動画の再撮影が行われている。
「カット。確認します」
スタッフの声がかかる。
玲奈は演技を解き、水を一口飲んだ。
その間も、久世はタブレットの画面を見ていた。
映っているのは、鳳城プロダクションの専用アカウントだった。
「鳳城さん、自分で事務所を始めたことは知っていたけど、こんなことまでやっているのね」
画面の中では、15歳の朝倉真琴になった紬が、15歳の女子高生を演じる36歳の美山遥へ水着を選んでいる。
専用アカウントのフォロワー数は、1万人を超えていた。
切り抜き動画も、次々に作られている。
「なりきりやってみた型の寸劇として、ユーザーに刺さったわけね」
久世はコメント欄を確認した。
鳳城礼への反応が圧倒的に多い。
しかし、その中に混じって、森下紬の名前も確実に増え始めている。
――紬ちゃん、本当に友達の水着を選んでるみたい
――この子、昨日より演技うまくなってない?
――鳳城礼ばかり見てたのに、気づいたら紬を見てた
久世の指が止まった。
「……なるほど」
「どうしました?」
玲奈が尋ねる。
「観客は、完成した演技だけを見たいわけではないのね」
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「観客は、完成した演技だけを見たいわけではないのね」
久世はタブレットを置いた。
「朝倉真琴が、映画の外でも生きているところを見たいのよ」
久世は、スタジオの端で衣装を整理している女性へ声をかけた。
「竹山さん」
「はい」
「急なお願いで悪いんだけど、明日の玲奈の衣装を変更したいの」
久世はタブレットを操作し、一枚の画像を竹山へ見せた。
「これに変更できるか、新宿紀伊國屋さんへ確認してもらえる?」
竹山が画面を確認する。
一瞬だけ驚いた顔をしたあと、すぐに頷いた。
「承知しました。先方へ確認します」
竹山がスマートフォンを手に、スタジオを出ていく。
久世は玲奈を呼んだ。
「玲奈。この動画を見て」
玲奈は久世の隣へ座り、鳳城プロの配信を最初から確認した。
駅前に現れた、私服のダサい美山遥を演じる鳳城礼。
その服を選び直す朝倉真琴を演じる森下紬。
フードコートで昼食を取り、映画を選び、水着売り場へ向かう二人。
玲奈は黙ったまま、最後まで映像を見た。
「明日、玲奈にやってほしいこと、分かる?」
久世が尋ねる。
玲奈は、明日のイベント資料へ目を落とした。
もう一度、鳳城プロの動画を見る。
やがて、久世の意図を理解した玲奈の顔に、楽しそうな笑みが広がった。
「はい。すっごく面白そうですね」
久世は笑顔そうに頷き、財布から千円札を一枚取り出した。
「はい、これ」
玲奈へ差し出す。
「お金? 千円?」
「今日の宿題代」
「宿題?」
「今日も玲央君のお迎えでしょう?」
「はい」
「塾が終わったら、帰りに二人で書店へ寄りなさい。玲央君に、小説でも漫画でも、好きなものを一冊買ってあげて」
玲奈は、渡された千円札を見る。
「そして、あなたは明日の予習をしてきなさい」
「本物を見るのが、一番勉強になるわ」
玲奈は久世の意図を理解した。
「ああ、そういうことですね」
千円札を両手で受け取る。
「はい。一生懸命、勉強してきます」
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翌日。
新宿・紀伊國屋書店。
特設会場の正面に、大きな看板が掲げられていた。
====
『朝倉真琴の夏休みアルバイト!』
『紀伊國屋書店で働いてみた!』
朝倉真琴役候補・霞坂玲奈
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開場前から集まった観客が、看板を見上げている。
「アルバイト?」
「玲奈ちゃんが書店員をやるの?」
「朝倉真琴として、ってことじゃない?」
開始時刻になりシャッターが開くと、会場から拍手が上がった。
全従業員のセンターに霞坂玲奈。
いつものアイドル衣装ではない。
紀伊国屋書店の白いブラウスに紺色のエプロンの制服。
胸には、
〈研修中 朝倉真琴〉
と書かれた名札。
髪を後ろで一つにまとめた玲奈が、平台に積まれた『封鎖都市』の復刊版を両手で抱え、売り場へ出てきた。
「おはようございます」
玲奈は、書店員として観客へ頭を下げた。
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「おはようございます」
「本日一日、こちらでアルバイトをさせていただく、朝倉真琴です」
会場から歓声が上がる。
「不慣れなところもあると思いますが、精いっぱい頑張ります。よろしくお願いします」
もう一度、丁寧に頭を下げた。
背後のモニターには、本日比較する二種類の演技動画が流れている。
購入者は映像を見たあと、『封鎖都市』の復刊版を一冊手に取り、玲奈の待つ特設カウンターへ進む。
最初の購入者が、本を差し出した。
「いらっしゃいませ。お買い上げ、ありがとうございます」
玲奈は本を受け取り、表紙と帯の位置を整えた。
「カバーをお掛けしますか?」
「お願いします」
「承知しました」
玲奈は用意された紙のカバーを取り、手早く折っていく。
角を合わせ、本の厚みに沿って折り目をつける。
昨夜、玲央と立ち寄った書店で、店員がしていたのと同じ手順だった。
本を開き、特装カバーの内側へサインを入れる。
「二つの動画は、ご覧いただけましたか?」
「はい」
「Aがよかったと思った方は、私の右手と。Bがよかったと思った方は、左手と握手してください」
購入者は、玲奈の右手へ自分の手を伸ばした。
その動きを見た玲奈が、サインペンを左手へ持ち替える。
左手で、右手のときと変わらないサインを書き終えると、空いている右手で購入者と握手した。
「A、すごくよかったです」
「ありがとうございます。参考にさせていただきます」
次の購入者は、左手を選んだ。
玲奈は自然な動作でペンを右手へ移し、サインを書く。
そして、空いている左手を差し出した。
ペンを置く必要もない。
流れが止まることもない。
左右どちらの手でも、サインの形はほとんど同じだった。
「玲奈ちゃん、両手で書けるの?」
購入者が驚いたように尋ねた。
玲奈は、朝倉真琴の笑顔で答える。
「書店員は、お客様をお待たせしてはいけませんから」
会場から笑いと拍手が起こった。
カウンターの外では、久世が黙って玲奈の接客を見ていた。
本を受け取る角度。
カバーを掛ける手順。
客へ本を返すとき、表紙を上にして、両手で差し出す動作。
そこにあるのは、商品を傷つけないためだけの丁寧さではなかった。
書店員が客へ手渡す一冊は、その人の手元に何年も残るかもしれない。
ひょっとしたら、考え方を変え、進路を変え、その人の人生を変える一冊になるかもしれない。
どの本が、誰にとっての特別な一冊になるのか、手渡す側には分からない。
だからこそ、一流の書店員は、どの一冊も雑には扱わない。
玲奈は、昨夜の短い観察から、書店員の仕事に込められたその思いまで抜き出し、自分のものにしていた。
ただ所作を真似るのではない。
その思いを朝倉真琴ならどう表すのかまで考え、「書店で働く朝倉真琴」を完璧に演じていた。
「鳳城さん。玲奈は強いわよ」
「15歳だった頃の玲美よりも。若手だった頃のあなたと比べても、もう負けていない」
久世圭子は特設ブースから離れ、一般客に紛れたまま呟いた。
「あなたのいない表舞台で、玲奈は次のスターにしてみせる」
■48
原山市民プールから戻った三人は、いつもの八潮駅前のカラオケ店にいた。
大型モニターには、新宿・紀伊國屋書店で行われた霞坂玲奈のイベント映像が流れている。
書店員のエプロンを身につけた玲奈が、朝倉真琴として客へ本を手渡していた。
「くぅー。玲奈ちゃん、強いわねえ」
「というか、なんで、この子、両手でサイン書けるの?」
礼はソファの背もたれへ身体を預け、唸るように言った。
隣に座る紬の表情が曇る。
礼は映像を止め、紬を見た。
「でも、今日の紬も十分に朝倉真琴だったわよ」
「本当ですか?」
「ええ。今日はカメラが回っていなかったから、途中で気が抜けるかと思ったけど、最後まで真琴でいられた」
プール内は撮影禁止だった。
それでも凛子は、事前に許可を得たプールサイドの一角に、QRコード入りのフリップボードを立てていた。
====
『封鎖都市』
主演・朝倉真琴役候補 森下紬
親友・美山遥(15)
【演・鳳城礼(36)】
オーディション合格に向けて特訓中!
フォローよろしくお願いします!
これまでのアーカイブはこちら!
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大きなQRコードの横で、凛子はノートパソコンを開き、仕事をしながら二人の様子を見守っていた。
「カメラがなくても、真琴として私と遊んでいた。それが今日の一番の成果ね」
「はい!」
「では、私から数字のご報告です」
凛子がスマートフォンを操作した。
「こちらも、かなり伸びています。フォロワー数は2万人を超えました」
「撮影できなかったのに?」
「昨日のアーカイブと切り抜き動画が、今も拡散されています。それに、プールでもフリップボードのQRコードを読み取ってくださる方が大勢いました」
凛子は、レイクタウンのテナントから届いた報告を開いた。
「配信やアーカイブを見て、実際に来店されたお客様も多かったそうです。各テナントさんから、非常に喜んでいただいています」
「本当?」
「特に水着を購入したお店ですね。紬ちゃんが鳳城さんへ選んだ水着と同じ商品が、かなり売れたそうです」
紬が驚いて顔を上げる。
「私が選んだ水着が?」
「はい。高身長でも着られる、かわいい水着があると話題になっています。背の高いローティーンのお客様を中心に人気だそうです」
「すごい……」
「プールを出たあとの配信も好評です」
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凛子は、モニターへ動画を映した。
売店で買ったソーダアイスを、ベンチに並んで食べる真琴と遥。
次の映像では、半乾きの髪で更衣室から出てきた遥をベンチへ座らせ、真琴が後ろからタオルで髪を拭いている。
凛子が、動画のコメント欄を開いた。
投稿の下には、視聴者からの感想が次々に寄せられている。
〈濡れた髪の鳳城礼、セクシーすぎる〉
〈二人でソーダアイス食べてるの、エモい〉
〈日本の夏って、こうじゃないとな〉
〈こういう青春を送りたかった〉
〈でも、この子、テロリストなんでしょう?〉
そのコメントには、複数の返信がついていた。
〈原作ではね。映画版は違うかもしれない〉
〈ただの女子高生企画だと思ってたけど、背景を知ると奥が深いな〉
「特に人気なのは、二人でおそろいのアイスを食べる場面と、紬ちゃんが鳳城さんの髪を拭いてあげる場面です」
礼がモニターを見る。
映像の中の紬は、カメラを意識していない。
親友の髪を放っておけず、当たり前のようにタオルを動かしている。
「戦略自体は間違っていません」
凛子が言った。
「フォロワー数の伸びも、当初の計画を大きく上回っています」
「つまり、玲奈ちゃんが想定より強いと」
「まあ、そうなりますね」
礼は腕を組み、モニターに映る玲奈を見た。
「役者としての資質なら、紬も負けていないんだけどなあ」
「私も、そう思います」
凛子は紬を見た。
「ただ、玲奈さんは物心がつく前から、必要な教育を受け、努力を続けてきました。一方、紬ちゃんが本格的な演技を始めたのは、つい最近です」
「はい」
「その差は、数日で簡単に埋まるものではありません」
紬は黙って頷いた。
「まずは玲奈さんに勝とうとする前に、地力をつけて、同じ土俵へ立つ」
「今は、この戦略を続けるしかありません」
「そうね」
礼も頷いた。
「焦って玲奈ちゃんの真似をしたら、それこそ向こうの思うつぼだわ」
そのとき、カラオケルームの扉が二度ノックされた。
「こんばんは。遥ちゃん、今日も真琴がお世話になっています」
紬の母親が顔を出した。
「あっ、お母さん」
紬は荷物をまとめ、立ち上がった。
「じゃあね、遥ちゃん!」
森下紬の表情が、自然に朝倉真琴へ切り替わる。
「明日は埼スタだからね。レッズタオル、忘れちゃだめだよ!」
礼も、美山遥の顔へ戻った。
「はいはい。分かってるって」
真琴と遥は、笑いながら手を振り合った。
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その日の夜。
東京・赤坂。神谷プロダクション本社。
撮影スタジオでは、玲奈が翌日のイベントで使用する新しい演技動画を撮影していた。
「はい、カット!」
玲奈が朝倉真琴の表情を解く。
「明日用の新パターン、撮影終了です!」
スタッフから声が上がった。
「お疲れさまでした」
玲奈は頭を下げ、スタッフから受け取った水を一口飲んだ。
久世がタブレットを手に近づいてくる。
「玲奈。今日の企画は当たったわ」
画面を玲奈へ見せる。
「見て、この反響」
紀伊國屋で行われたイベントの投稿には、数え切れないほどの感想が寄せられていた。
〈小説の中から、朝倉真琴が本当に出てきたみたいだった〉
〈玲奈ちゃんを見に行ったはずなのに、途中から真琴に本を渡されている気分になった〉
〈四十年前の小説なのに、真琴が現代に生きている〉
〈映画が一気に楽しみになった〉
復刊された原作本の販売数も、事前の予測を大きく上回っている。
「玲奈から見て、何か気になったお客様の反応はあった?」
「新しく知ってくださった方も多かったです。でも、予想していた以上に原作小説のファンが来てくださいました」
「具体的には?」
「昔持っていたけれど、引っ越しや結婚でなくしてしまったから、今回買い直したという方が何人もいました」
玲奈は、客から聞いた話を思い出す。
「中学生の頃、友達と『自分が封鎖都市に閉じ込められたらどうするか』を話して遊んでいたという方もいました」
「自分の親友が、テロリストかもしれなかったら?」
「はい。信じるか、警察へ話すか、自分ならどうするかをずっと考えていたそうです」
玲奈は少し笑った。
「映画になれば、あの頃、頭の中で想像していた世界を本当に見られる。それが嬉しいと言ってくださいました」
「ああ、分かってきたわ」
久世は、投稿された感想をもう一度読み返した。
「この作品を好きな人たちの心理が」
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スタッフたちが久世を見る。
「『封鎖都市』は、神の視点から真琴と遥を眺めるコンテンツではないのよ」
「読者は、自分が封鎖都市にいたらどうするか、自分の親友がテロリストかもしれなかったらどうするかを考える」
「真琴と遥を見ながら、その隣に自分を置いている」
「参加型コンテンツ、ということですか?」
玲奈が尋ねた。
「ええ。そう考えれば、鳳城さんのところのプール企画が伸びた理由も分かるわ」
久世は、真琴と遥が市民プールの帰りにソーダアイスを食べている動画を表示した。
〈こういう夏休みを過ごしたかった〉
〈自分も二人と一緒に遊びたい〉
〈学生時代に戻りたくなった〉
「視聴者は、二人の夏休みを見ているだけではない。自分も、あんな夏休みを過ごしたかったと思っているのよ」
久世は別の資料をモニターへ映した。
「明日の会場は、コピス吉祥寺さん」
ファッション、アクセサリー、生活雑貨、本、音楽。
文化都市・吉祥寺で、若い女性が集まるライフスタイルの発信拠点だった。
「今日の紀伊國屋さんとは客層が違いますね」
「ええ。明日来るのは、往年の原作ファンではない。霞坂玲奈は知っていても、『封鎖都市』を読んだことはない。そういう若い女性が中心になるはずよ」
「新しいファンを作るんですね」
「そう。明日は、作品のファンを喜ばせる日ではない」
久世は言った。
「作品を知らない人に、『封鎖都市』のファンになってもらう日よ」
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久世は、コピス吉祥寺のテナント一覧を手に取った。
「真琴」
「はい」
玲奈が、朝倉真琴の声で返事をした。
会議室が静かになる。
久世は、自分が名前を間違えたことに一拍遅れて気づいた。
「……じゃなかった。玲奈」
「はい」
今度は、霞坂玲奈の声だった。
久世は、わずかに笑った。
「あなたが朝倉真琴なら、遥とどのお店へ行く?」
玲奈はテナント一覧へ目を通した。
ファッション。
コスメ。
生活雑貨。
アクセサリー。
しばらく考えたあと、一つの店舗を指さす。
「ここです」
若い女性向けのアクセサリーと服飾雑貨を扱う店だった。
「理由は?」
「真琴なら、遥ちゃんと一緒に選べるものが多いと思います。高校生でも手が届く値段ですし、その日の思い出を持ち帰れます」
久世は頷いた。
「では、この店舗でいきましょう」
「そこで一日、アルバイトするんですか?」
「違うわ」
久世は答えた。
「今度は、お客様を実際に『封鎖都市』へ案内するの」
「…………?」
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「今度は、お客様を実際に『封鎖都市』へ案内するの」
「…………?」
久世はアクセサリーショップの商品資料を開き、その先の企画を説明した。
説明が進むにつれ、会議室の空気が変わっていく。
やがて玲奈が、楽しそうに笑った。
スタッフたちの顔にも、同じ笑みが浮かぶ。
「久世さん、よくそんなことに気づきますね」
「違うわ。私がすごいんじゃないの」
久世は、会議室にいるスタッフを見回した。
「それぞれの専門で、みんなが神谷プロのために働いている。この環境がすごいのよ」
久世はすぐに指示を出した。
「佐藤さん。コピスさんと店舗側へ、今の企画趣旨を説明して許諾を取って」
「はい」
「高木さん。参加規約、撮影同意、それから未成年者が参加する場合の保護者同意を確認して」
「承知しました」
「本間さん。法務の確認と並行して、エントリーフォームを作成。承認を待っている時間はないから、作れる部分から進めて」
「分かりました」
「フォームができたら広報へ回して、今夜中に告知を始めます」
スタッフたちが一斉に動き出す。
営業は店舗へ電話をかけ、法務は規約を確認し、IT担当はノートパソコンを開いた。
「ただ、一人あたりの体験時間が長くなれば、会場でさばける人数は減ります」
佐藤が言った。
「構わないわ」
久世は即答した。
「圧倒的な顧客満足度は、必ずバイラルを生む」
「会場で体験できる人数が減っても、一人の体験が百人、千人へ拡散される。質を取ることと、到達する量を増やすことは矛盾しないわ」
久世は玲奈を見る。
「玲奈」
「はい」
「明日も、朝倉真琴を演じきって」
「はい!」
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翌日。
コピス吉祥寺の人気アクセサリーショップ『LUMINA』では、開店前から特別イベントの準備が進められていた。
店舗の前には、大きな案内ボードが置かれている。
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『あなたが美山遥!』
映画『封鎖都市』
朝倉真琴役候補・霞坂玲奈が、美山遥になったあなたをエスコート!
真琴と遥、二人だけのおそろいアクセサリーを選びます!
参加費:無料
募集人数:14名
※応募多数の場合は抽選となります。
※当選者へのご連絡をもって、発表に代えさせていただきます。
※ご自身分のアクセサリー代として、3000~5000円程度をご用意ください。
※未成年者は、保護者の同意が必要です。
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イベント開始時刻。
夏らしい白のブラウスとスカートを着た玲奈が、店内へ現れた。
ただし、今日ここにいるのは霞坂玲奈ではない。
夏休み、親友の美山遥と買い物へ来た朝倉真琴だった。
一人目の参加者が店内へ案内される。
小川菜月15歳、霞坂玲奈と同学年の高校1年生。
緊張した様子で、入口に立っている。
玲奈は、その場で待ってはいなかった。
すぐに参加者のもとまで歩み寄り、自然に手を差し出す。
「遥ちゃん、遅いよ」
「ご、ごめん」
「ずっと待ってたんだから。早く行こう」
参加者が玲奈の手を取る。
その瞬間、少女はイベントへ参加しに来た客ではなく、美山遥になった。
玲奈は手をつないだまま、店内を案内する。
「遥ちゃんは、こういうかわいすぎるのは苦手でしょう?」
「うん。たぶん」
「たぶんじゃないでしょ。昔からそうじゃん」
玲奈は、参加者の服装と髪型を確認した。
手に取ったのは、細いブレスレットだった。
小さな青い石が一つだけついた、学校へも着けていけそうなデザイン。
「これなら、遥ちゃんも使ってくれると思う」
「かわいい」
「私は、こっち」
玲奈は同じ形で、石の色だけが違うブレスレットを手に取った。
「これなら、一見するとおそろいだって分からないでしょう?」
「うん」
「でも、私たちには分かるから」
参加者の顔から、緊張が消えていた。
会計を終えると、玲奈は色違いのブレスレットを腕へ着ける。
「遥ちゃん、今日はありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
「またね」
玲奈は参加者の腕に触れた。
「最後に、一緒に写真を撮ろう」
二人は肩を並べ、公式カメラへ笑顔を向けた。
写真を撮り終えた参加者は、何度も玲奈を振り返りながら店を出ていった。
二人目、三人目。
玲奈は、参加者一人ひとりの服装や話し方を見て、その人に合うアクセサリーを選んでいく。
決まった台詞はない。
同じ接客も、二度となかった。
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そして、次の参加者が入ってきた。
二十一歳の女子大学生だった。
玲奈の前まで来ると、申し訳なさそうに笑う。
「あの……私、二十一歳なんです」
「うん」
「真琴ちゃんより、だいぶおばさんなんですけど。それでも、遥ちゃんでいいんでしょうか?」
玲奈は、少しも動じなかった。
立ち方が変わる。
声から、高校一年生の幼さが消えた。
「何言ってるの、遥ちゃん」
玲奈は、懐かしい友人を見るように笑った。
「久しぶり」
そこにいたのは、十五歳の朝倉真琴ではなかった。
高校を卒業し、六年ぶりに親友と買い物へ来た、二十一歳の朝倉真琴だった。
参加者が息を呑む。
「真琴……久しぶり」
「全然連絡くれないんだもん。今日は、その分まで付き合ってもらうからね」
玲奈は参加者の腕を取り、店内へ歩き出した。
「大学でも使えるものがいいよね。少し大人っぽくなった遥ちゃんに似合うもの、私が選ぶから」
イベントを見守る観客から、感嘆の声が漏れた。
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十四人目。
最後の美山遥がやってきた。
店内へ入ってきたのは、三十代半ばの女性だった。
二十一歳の美山遥を相手に、現在の六年後の朝倉真琴を即興で作り上げた玲奈である。
相手が三十代半ばでも、年齢差そのものは、もう問題ではなかった。
玲奈は参加者を迎えるため、立ち方と表情を変えた。
今度は、三十代半ばになった朝倉真琴を演じるつもりだった。
しかし、女性は一人ではなかった。
その後ろに、小学校一年生くらいの女の子が隠れている。
少し離れたところには、父親と思しき男性の姿もあった。
「すみません」
女性は、女の子の肩へ手を置いた。
「美山遥になりたいのは、この子なんですけど……いいですか?」
玲奈が女の子を見る。
「この子、遥という名前なんです」
「遥ちゃん?」
「はい。私も、玲奈さんと同じ15歳のときに、原作小説を読んだんです」
「美山遥という女の子がずっと忘れられなくて。それで、娘に同じ名前をつけました」
玲奈は笑顔を崩さず、久世へ目配せした。
久世が法務担当の高木を呼ぶ。
高木は母親へ、参加者の変更と、未成年者の撮影・配信について説明した。
母親が同意書へ署名し、女の子本人の意思も確認する。
すべての確認が終わると、高木が玲奈へ合図を送った。
玲奈は女の子の前へ進み、膝を折って目線を合わせた。
「遥ちゃん、久しぶり」
「真琴ちゃん、久しぶり」
玲奈は遥と手をつなぎ、店内を一緒に見て回った。
やがて玲奈が選んだのは、淡い青色のガラス玉の隣に、小さな銀の鍵が揺れるブレスレットだった。
紐の長さを変えられるため、六歳の手首にも合わせることができる。
「遥ちゃん、これ、どうかな?」
「かわいい!」
「私も、これがいいと思う」
玲奈は同じブレスレットを、二つ手に取った。
「でも、遥ちゃんはまだ小学生だから、買ってもいいか、お母さんに相談しようね」
女の子は母親を振り返る。
「ママ、これにしてもいい?」
「もちろん」
母親が頷いた。
玲奈と遥は、お揃いのブレスレットを手首につけた。
青いガラス玉の隣で、小さな銀の鍵が揺れていた。
相手が十五歳でも、二十一歳でも、六歳でも変わらない。
そこにいたのは、完璧な朝倉真琴だった。




