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新納凛子(32)は今日も求婚される  作者: 冬室すずめ
元男役トップスターから求婚される
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11/11

元男役トップスターから求婚される⑥

■44


東京・赤坂。神谷プロダクション本社。


渋谷のタワーレコードで握手会を終えた玲奈は、そのまま社内の撮影スタジオへ戻っていた。


翌日、新宿の紀伊國屋書店で使用する動画の再撮影が行われている。


「カット。確認します」


スタッフの声がかかる。


玲奈は演技を解き、水を一口飲んだ。


その間も、久世はタブレットの画面を見ていた。


映っているのは、鳳城プロダクションの専用アカウントだった。


「鳳城さん、自分で事務所を始めたことは知っていたけど、こんなことまでやっているのね」


画面の中では、15歳の朝倉真琴になった紬が、15歳の女子高生を演じる36歳の美山遥へ水着を選んでいる。


専用アカウントのフォロワー数は、1万人を超えていた。


切り抜き動画も、次々に作られている。


「なりきりやってみた型の寸劇として、ユーザーに刺さったわけね」


久世はコメント欄を確認した。


鳳城礼への反応が圧倒的に多い。


しかし、その中に混じって、森下紬の名前も確実に増え始めている。


――紬ちゃん、本当に友達の水着を選んでるみたい


――この子、昨日より演技うまくなってない?


――鳳城礼ばかり見てたのに、気づいたら紬を見てた


久世の指が止まった。


「……なるほど」


「どうしました?」


玲奈が尋ねる。


「観客は、完成した演技だけを見たいわけではないのね」


■45


「観客は、完成した演技だけを見たいわけではないのね」


久世はタブレットを置いた。


「朝倉真琴が、映画の外でも生きているところを見たいのよ」


久世は、スタジオの端で衣装を整理している女性へ声をかけた。


「竹山さん」


「はい」


「急なお願いで悪いんだけど、明日の玲奈の衣装を変更したいの」


久世はタブレットを操作し、一枚の画像を竹山へ見せた。


「これに変更できるか、新宿紀伊國屋さんへ確認してもらえる?」


竹山が画面を確認する。


一瞬だけ驚いた顔をしたあと、すぐに頷いた。


「承知しました。先方へ確認します」


竹山がスマートフォンを手に、スタジオを出ていく。


久世は玲奈を呼んだ。


「玲奈。この動画を見て」


玲奈は久世の隣へ座り、鳳城プロの配信を最初から確認した。


駅前に現れた、私服のダサい美山遥を演じる鳳城礼。


その服を選び直す朝倉真琴を演じる森下紬。


フードコートで昼食を取り、映画を選び、水着売り場へ向かう二人。


玲奈は黙ったまま、最後まで映像を見た。


「明日、玲奈にやってほしいこと、分かる?」


久世が尋ねる。


玲奈は、明日のイベント資料へ目を落とした。


もう一度、鳳城プロの動画を見る。


やがて、久世の意図を理解した玲奈の顔に、楽しそうな笑みが広がった。


「はい。すっごく面白そうですね」


久世は笑顔そうに頷き、財布から千円札を一枚取り出した。


「はい、これ」


玲奈へ差し出す。


「お金? 千円?」


「今日の宿題代」


「宿題?」


「今日も玲央君のお迎えでしょう?」


「はい」


「塾が終わったら、帰りに二人で書店へ寄りなさい。玲央君に、小説でも漫画でも、好きなものを一冊買ってあげて」


玲奈は、渡された千円札を見る。


「そして、あなたは明日の予習をしてきなさい」


「本物を見るのが、一番勉強になるわ」


玲奈は久世の意図を理解した。


「ああ、そういうことですね」


千円札を両手で受け取る。


「はい。一生懸命、勉強してきます」


■46


翌日。


新宿・紀伊國屋書店。


特設会場の正面に、大きな看板が掲げられていた。


====


『朝倉真琴の夏休みアルバイト!』


『紀伊國屋書店で働いてみた!』


朝倉真琴役候補・霞坂玲奈


====


開場前から集まった観客が、看板を見上げている。


「アルバイト?」


「玲奈ちゃんが書店員をやるの?」


「朝倉真琴として、ってことじゃない?」


開始時刻になりシャッターが開くと、会場から拍手が上がった。


全従業員のセンターに霞坂玲奈。


いつものアイドル衣装ではない。


紀伊国屋書店の白いブラウスに紺色のエプロンの制服。


胸には、


〈研修中 朝倉真琴〉


と書かれた名札。


髪を後ろで一つにまとめた玲奈が、平台に積まれた『封鎖都市』の復刊版を両手で抱え、売り場へ出てきた。


「おはようございます」


玲奈は、書店員として観客へ頭を下げた。


■47


「おはようございます」


「本日一日、こちらでアルバイトをさせていただく、朝倉真琴です」


会場から歓声が上がる。


「不慣れなところもあると思いますが、精いっぱい頑張ります。よろしくお願いします」


もう一度、丁寧に頭を下げた。


背後のモニターには、本日比較する二種類の演技動画が流れている。


購入者は映像を見たあと、『封鎖都市』の復刊版を一冊手に取り、玲奈の待つ特設カウンターへ進む。


最初の購入者が、本を差し出した。


「いらっしゃいませ。お買い上げ、ありがとうございます」


玲奈は本を受け取り、表紙と帯の位置を整えた。


「カバーをお掛けしますか?」


「お願いします」


「承知しました」


玲奈は用意された紙のカバーを取り、手早く折っていく。


角を合わせ、本の厚みに沿って折り目をつける。


昨夜、玲央と立ち寄った書店で、店員がしていたのと同じ手順だった。


本を開き、特装カバーの内側へサインを入れる。


「二つの動画は、ご覧いただけましたか?」


「はい」


「Aがよかったと思った方は、私の右手と。Bがよかったと思った方は、左手と握手してください」


購入者は、玲奈の右手へ自分の手を伸ばした。


その動きを見た玲奈が、サインペンを左手へ持ち替える。


左手で、右手のときと変わらないサインを書き終えると、空いている右手で購入者と握手した。


「A、すごくよかったです」


「ありがとうございます。参考にさせていただきます」


次の購入者は、左手を選んだ。


玲奈は自然な動作でペンを右手へ移し、サインを書く。


そして、空いている左手を差し出した。


ペンを置く必要もない。


流れが止まることもない。


左右どちらの手でも、サインの形はほとんど同じだった。


「玲奈ちゃん、両手で書けるの?」


購入者が驚いたように尋ねた。


玲奈は、朝倉真琴の笑顔で答える。


「書店員は、お客様をお待たせしてはいけませんから」


会場から笑いと拍手が起こった。


カウンターの外では、久世が黙って玲奈の接客を見ていた。


本を受け取る角度。


カバーを掛ける手順。


客へ本を返すとき、表紙を上にして、両手で差し出す動作。


そこにあるのは、商品を傷つけないためだけの丁寧さではなかった。


書店員が客へ手渡す一冊は、その人の手元に何年も残るかもしれない。


ひょっとしたら、考え方を変え、進路を変え、その人の人生を変える一冊になるかもしれない。


どの本が、誰にとっての特別な一冊になるのか、手渡す側には分からない。


だからこそ、一流の書店員は、どの一冊も雑には扱わない。


玲奈は、昨夜の短い観察から、書店員の仕事に込められたその思いまで抜き出し、自分のものにしていた。


ただ所作を真似るのではない。


その思いを朝倉真琴ならどう表すのかまで考え、「書店で働く朝倉真琴」を完璧に演じていた。


「鳳城さん。玲奈は強いわよ」


「15歳だった頃の玲美よりも。若手だった頃のあなたと比べても、もう負けていない」


久世圭子は特設ブースから離れ、一般客に紛れたまま呟いた。


「あなたのいない表舞台で、玲奈は次のスターにしてみせる」


■48


原山市民プールから戻った三人は、いつもの八潮駅前のカラオケ店にいた。


大型モニターには、新宿・紀伊國屋書店で行われた霞坂玲奈のイベント映像が流れている。


書店員のエプロンを身につけた玲奈が、朝倉真琴として客へ本を手渡していた。


「くぅー。玲奈ちゃん、強いわねえ」


「というか、なんで、この子、両手でサイン書けるの?」


礼はソファの背もたれへ身体を預け、唸るように言った。


隣に座る紬の表情が曇る。


礼は映像を止め、紬を見た。


「でも、今日の紬も十分に朝倉真琴だったわよ」


「本当ですか?」


「ええ。今日はカメラが回っていなかったから、途中で気が抜けるかと思ったけど、最後まで真琴でいられた」


プール内は撮影禁止だった。


それでも凛子は、事前に許可を得たプールサイドの一角に、QRコード入りのフリップボードを立てていた。


====


『封鎖都市』


主演・朝倉真琴役候補 森下紬


親友・美山遥(15)

【演・鳳城礼(36)】


オーディション合格に向けて特訓中!


フォローよろしくお願いします!


これまでのアーカイブはこちら!


====


大きなQRコードの横で、凛子はノートパソコンを開き、仕事をしながら二人の様子を見守っていた。


「カメラがなくても、真琴として私と遊んでいた。それが今日の一番の成果ね」


「はい!」


「では、私から数字のご報告です」


凛子がスマートフォンを操作した。


「こちらも、かなり伸びています。フォロワー数は2万人を超えました」


「撮影できなかったのに?」


「昨日のアーカイブと切り抜き動画が、今も拡散されています。それに、プールでもフリップボードのQRコードを読み取ってくださる方が大勢いました」


凛子は、レイクタウンのテナントから届いた報告を開いた。


「配信やアーカイブを見て、実際に来店されたお客様も多かったそうです。各テナントさんから、非常に喜んでいただいています」


「本当?」


「特に水着を購入したお店ですね。紬ちゃんが鳳城さんへ選んだ水着と同じ商品が、かなり売れたそうです」


紬が驚いて顔を上げる。


「私が選んだ水着が?」


「はい。高身長でも着られる、かわいい水着があると話題になっています。背の高いローティーンのお客様を中心に人気だそうです」


「すごい……」


「プールを出たあとの配信も好評です」


■49


凛子は、モニターへ動画を映した。


売店で買ったソーダアイスを、ベンチに並んで食べる真琴と遥。


次の映像では、半乾きの髪で更衣室から出てきた遥をベンチへ座らせ、真琴が後ろからタオルで髪を拭いている。


凛子が、動画のコメント欄を開いた。


投稿の下には、視聴者からの感想が次々に寄せられている。


〈濡れた髪の鳳城礼、セクシーすぎる〉


〈二人でソーダアイス食べてるの、エモい〉


〈日本の夏って、こうじゃないとな〉


〈こういう青春を送りたかった〉


〈でも、この子、テロリストなんでしょう?〉


そのコメントには、複数の返信がついていた。


〈原作ではね。映画版は違うかもしれない〉


〈ただの女子高生企画だと思ってたけど、背景を知ると奥が深いな〉


「特に人気なのは、二人でおそろいのアイスを食べる場面と、紬ちゃんが鳳城さんの髪を拭いてあげる場面です」


礼がモニターを見る。


映像の中の紬は、カメラを意識していない。


親友の髪を放っておけず、当たり前のようにタオルを動かしている。


「戦略自体は間違っていません」


凛子が言った。


「フォロワー数の伸びも、当初の計画を大きく上回っています」


「つまり、玲奈ちゃんが想定より強いと」


「まあ、そうなりますね」


礼は腕を組み、モニターに映る玲奈を見た。


「役者としての資質なら、紬も負けていないんだけどなあ」


「私も、そう思います」


凛子は紬を見た。


「ただ、玲奈さんは物心がつく前から、必要な教育を受け、努力を続けてきました。一方、紬ちゃんが本格的な演技を始めたのは、つい最近です」


「はい」


「その差は、数日で簡単に埋まるものではありません」


紬は黙って頷いた。


「まずは玲奈さんに勝とうとする前に、地力をつけて、同じ土俵へ立つ」


「今は、この戦略を続けるしかありません」


「そうね」


礼も頷いた。


「焦って玲奈ちゃんの真似をしたら、それこそ向こうの思うつぼだわ」


そのとき、カラオケルームの扉が二度ノックされた。


「こんばんは。遥ちゃん、今日も真琴がお世話になっています」


紬の母親が顔を出した。


「あっ、お母さん」


紬は荷物をまとめ、立ち上がった。


「じゃあね、遥ちゃん!」


森下紬の表情が、自然に朝倉真琴へ切り替わる。


「明日は埼スタだからね。レッズタオル、忘れちゃだめだよ!」


礼も、美山遥の顔へ戻った。


「はいはい。分かってるって」


真琴と遥は、笑いながら手を振り合った。


■50


その日の夜。


東京・赤坂。神谷プロダクション本社。


撮影スタジオでは、玲奈が翌日のイベントで使用する新しい演技動画を撮影していた。


「はい、カット!」


玲奈が朝倉真琴の表情を解く。


「明日用の新パターン、撮影終了です!」


スタッフから声が上がった。


「お疲れさまでした」


玲奈は頭を下げ、スタッフから受け取った水を一口飲んだ。


久世がタブレットを手に近づいてくる。


「玲奈。今日の企画は当たったわ」


画面を玲奈へ見せる。


「見て、この反響」


紀伊國屋で行われたイベントの投稿には、数え切れないほどの感想が寄せられていた。


〈小説の中から、朝倉真琴が本当に出てきたみたいだった〉


〈玲奈ちゃんを見に行ったはずなのに、途中から真琴に本を渡されている気分になった〉


〈四十年前の小説なのに、真琴が現代に生きている〉


〈映画が一気に楽しみになった〉


復刊された原作本の販売数も、事前の予測を大きく上回っている。


「玲奈から見て、何か気になったお客様の反応はあった?」


「新しく知ってくださった方も多かったです。でも、予想していた以上に原作小説のファンが来てくださいました」


「具体的には?」


「昔持っていたけれど、引っ越しや結婚でなくしてしまったから、今回買い直したという方が何人もいました」


玲奈は、客から聞いた話を思い出す。


「中学生の頃、友達と『自分が封鎖都市に閉じ込められたらどうするか』を話して遊んでいたという方もいました」


「自分の親友が、テロリストかもしれなかったら?」


「はい。信じるか、警察へ話すか、自分ならどうするかをずっと考えていたそうです」


玲奈は少し笑った。


「映画になれば、あの頃、頭の中で想像していた世界を本当に見られる。それが嬉しいと言ってくださいました」


「ああ、分かってきたわ」


久世は、投稿された感想をもう一度読み返した。


「この作品を好きな人たちの心理が」


■51


スタッフたちが久世を見る。


「『封鎖都市』は、神の視点から真琴と遥を眺めるコンテンツではないのよ」


「読者は、自分が封鎖都市にいたらどうするか、自分の親友がテロリストかもしれなかったらどうするかを考える」


「真琴と遥を見ながら、その隣に自分を置いている」


「参加型コンテンツ、ということですか?」


玲奈が尋ねた。


「ええ。そう考えれば、鳳城さんのところのプール企画が伸びた理由も分かるわ」


久世は、真琴と遥が市民プールの帰りにソーダアイスを食べている動画を表示した。


〈こういう夏休みを過ごしたかった〉


〈自分も二人と一緒に遊びたい〉


〈学生時代に戻りたくなった〉


「視聴者は、二人の夏休みを見ているだけではない。自分も、あんな夏休みを過ごしたかったと思っているのよ」


久世は別の資料をモニターへ映した。


「明日の会場は、コピス吉祥寺さん」


ファッション、アクセサリー、生活雑貨、本、音楽。


文化都市・吉祥寺で、若い女性が集まるライフスタイルの発信拠点だった。


「今日の紀伊國屋さんとは客層が違いますね」


「ええ。明日来るのは、往年の原作ファンではない。霞坂玲奈は知っていても、『封鎖都市』を読んだことはない。そういう若い女性が中心になるはずよ」


「新しいファンを作るんですね」


「そう。明日は、作品のファンを喜ばせる日ではない」


久世は言った。


「作品を知らない人に、『封鎖都市』のファンになってもらう日よ」


■52


久世は、コピス吉祥寺のテナント一覧を手に取った。


「真琴」


「はい」


玲奈が、朝倉真琴の声で返事をした。


会議室が静かになる。


久世は、自分が名前を間違えたことに一拍遅れて気づいた。


「……じゃなかった。玲奈」


「はい」


今度は、霞坂玲奈の声だった。


久世は、わずかに笑った。


「あなたが朝倉真琴なら、遥とどのお店へ行く?」


玲奈はテナント一覧へ目を通した。


ファッション。


コスメ。


生活雑貨。


アクセサリー。


しばらく考えたあと、一つの店舗を指さす。


「ここです」


若い女性向けのアクセサリーと服飾雑貨を扱う店だった。


「理由は?」


「真琴なら、遥ちゃんと一緒に選べるものが多いと思います。高校生でも手が届く値段ですし、その日の思い出を持ち帰れます」


久世は頷いた。


「では、この店舗でいきましょう」


「そこで一日、アルバイトするんですか?」


「違うわ」


久世は答えた。


「今度は、お客様を実際に『封鎖都市』へ案内するの」


「…………?」


■53


「今度は、お客様を実際に『封鎖都市』へ案内するの」


「…………?」


久世はアクセサリーショップの商品資料を開き、その先の企画を説明した。


説明が進むにつれ、会議室の空気が変わっていく。


やがて玲奈が、楽しそうに笑った。


スタッフたちの顔にも、同じ笑みが浮かぶ。


「久世さん、よくそんなことに気づきますね」


「違うわ。私がすごいんじゃないの」


久世は、会議室にいるスタッフを見回した。


「それぞれの専門で、みんなが神谷プロのために働いている。この環境がすごいのよ」


久世はすぐに指示を出した。


「佐藤さん。コピスさんと店舗側へ、今の企画趣旨を説明して許諾を取って」


「はい」


「高木さん。参加規約、撮影同意、それから未成年者が参加する場合の保護者同意を確認して」


「承知しました」


「本間さん。法務の確認と並行して、エントリーフォームを作成。承認を待っている時間はないから、作れる部分から進めて」


「分かりました」


「フォームができたら広報へ回して、今夜中に告知を始めます」


スタッフたちが一斉に動き出す。


営業は店舗へ電話をかけ、法務は規約を確認し、IT担当はノートパソコンを開いた。


「ただ、一人あたりの体験時間が長くなれば、会場でさばける人数は減ります」


佐藤が言った。


「構わないわ」


久世は即答した。


「圧倒的な顧客満足度は、必ずバイラルを生む」


「会場で体験できる人数が減っても、一人の体験が百人、千人へ拡散される。質を取ることと、到達する量を増やすことは矛盾しないわ」


久世は玲奈を見る。


「玲奈」


「はい」


「明日も、朝倉真琴を演じきって」


「はい!」


■54


翌日。


コピス吉祥寺の人気アクセサリーショップ『LUMINA』では、開店前から特別イベントの準備が進められていた。


店舗の前には、大きな案内ボードが置かれている。


====


『あなたが美山遥!』


映画『封鎖都市』


朝倉真琴役候補・霞坂玲奈が、美山遥になったあなたをエスコート!


真琴と遥、二人だけのおそろいアクセサリーを選びます!


参加費:無料


募集人数:14名


※応募多数の場合は抽選となります。


※当選者へのご連絡をもって、発表に代えさせていただきます。


※ご自身分のアクセサリー代として、3000~5000円程度をご用意ください。


※未成年者は、保護者の同意が必要です。


====


イベント開始時刻。


夏らしい白のブラウスとスカートを着た玲奈が、店内へ現れた。


ただし、今日ここにいるのは霞坂玲奈ではない。


夏休み、親友の美山遥と買い物へ来た朝倉真琴だった。


一人目の参加者が店内へ案内される。


小川菜月(おがわ・なつき)15歳、霞坂玲奈と同学年の高校1年生。


緊張した様子で、入口に立っている。


玲奈は、その場で待ってはいなかった。


すぐに参加者のもとまで歩み寄り、自然に手を差し出す。


「遥ちゃん、遅いよ」


「ご、ごめん」


「ずっと待ってたんだから。早く行こう」


参加者が玲奈の手を取る。


その瞬間、少女はイベントへ参加しに来た客ではなく、美山遥になった。


玲奈は手をつないだまま、店内を案内する。


「遥ちゃんは、こういうかわいすぎるのは苦手でしょう?」


「うん。たぶん」


「たぶんじゃないでしょ。昔からそうじゃん」


玲奈は、参加者の服装と髪型を確認した。


手に取ったのは、細いブレスレットだった。


小さな青い石が一つだけついた、学校へも着けていけそうなデザイン。


「これなら、遥ちゃんも使ってくれると思う」


「かわいい」


「私は、こっち」


玲奈は同じ形で、石の色だけが違うブレスレットを手に取った。


「これなら、一見するとおそろいだって分からないでしょう?」


「うん」


「でも、私たちには分かるから」


参加者の顔から、緊張が消えていた。


会計を終えると、玲奈は色違いのブレスレットを腕へ着ける。


「遥ちゃん、今日はありがとう」


「こちらこそ、ありがとう」


「またね」


玲奈は参加者の腕に触れた。


「最後に、一緒に写真を撮ろう」


二人は肩を並べ、公式カメラへ笑顔を向けた。


写真を撮り終えた参加者は、何度も玲奈を振り返りながら店を出ていった。


二人目、三人目。


玲奈は、参加者一人ひとりの服装や話し方を見て、その人に合うアクセサリーを選んでいく。


決まった台詞はない。


同じ接客も、二度となかった。


■55


そして、次の参加者が入ってきた。


二十一歳の女子大学生だった。


玲奈の前まで来ると、申し訳なさそうに笑う。


「あの……私、二十一歳なんです」


「うん」


「真琴ちゃんより、だいぶおばさんなんですけど。それでも、遥ちゃんでいいんでしょうか?」


玲奈は、少しも動じなかった。


立ち方が変わる。


声から、高校一年生の幼さが消えた。


「何言ってるの、遥ちゃん」


玲奈は、懐かしい友人を見るように笑った。


「久しぶり」


そこにいたのは、十五歳の朝倉真琴ではなかった。


高校を卒業し、六年ぶりに親友と買い物へ来た、二十一歳の朝倉真琴だった。


参加者が息を呑む。


「真琴……久しぶり」


「全然連絡くれないんだもん。今日は、その分まで付き合ってもらうからね」


玲奈は参加者の腕を取り、店内へ歩き出した。


「大学でも使えるものがいいよね。少し大人っぽくなった遥ちゃんに似合うもの、私が選ぶから」


イベントを見守る観客から、感嘆の声が漏れた。


■56


十四人目。


最後の美山遥がやってきた。


店内へ入ってきたのは、三十代半ばの女性だった。


二十一歳の美山遥を相手に、現在の六年後の朝倉真琴を即興で作り上げた玲奈である。


相手が三十代半ばでも、年齢差そのものは、もう問題ではなかった。


玲奈は参加者を迎えるため、立ち方と表情を変えた。


今度は、三十代半ばになった朝倉真琴を演じるつもりだった。


しかし、女性は一人ではなかった。


その後ろに、小学校一年生くらいの女の子が隠れている。


少し離れたところには、父親と思しき男性の姿もあった。


「すみません」


女性は、女の子の肩へ手を置いた。


「美山遥になりたいのは、この子なんですけど……いいですか?」


玲奈が女の子を見る。


「この子、遥という名前なんです」


「遥ちゃん?」


「はい。私も、玲奈さんと同じ15歳のときに、原作小説を読んだんです」


「美山遥という女の子がずっと忘れられなくて。それで、娘に同じ名前をつけました」


玲奈は笑顔を崩さず、久世へ目配せした。


久世が法務担当の高木を呼ぶ。


高木は母親へ、参加者の変更と、未成年者の撮影・配信について説明した。


母親が同意書へ署名し、女の子本人の意思も確認する。


すべての確認が終わると、高木が玲奈へ合図を送った。


玲奈は女の子の前へ進み、膝を折って目線を合わせた。


「遥ちゃん、久しぶり」


「真琴ちゃん、久しぶり」


玲奈は遥と手をつなぎ、店内を一緒に見て回った。


やがて玲奈が選んだのは、淡い青色のガラス玉の隣に、小さな銀の鍵が揺れるブレスレットだった。


紐の長さを変えられるため、六歳の手首にも合わせることができる。


「遥ちゃん、これ、どうかな?」


「かわいい!」


「私も、これがいいと思う」


玲奈は同じブレスレットを、二つ手に取った。


「でも、遥ちゃんはまだ小学生だから、買ってもいいか、お母さんに相談しようね」


女の子は母親を振り返る。


「ママ、これにしてもいい?」


「もちろん」


母親が頷いた。


玲奈と遥は、お揃いのブレスレットを手首につけた。


青いガラス玉の隣で、小さな銀の鍵が揺れていた。


相手が十五歳でも、二十一歳でも、六歳でも変わらない。


そこにいたのは、完璧な朝倉真琴だった。


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