ひとりで
放課後、図書館へ寄った。
授業で使った本を返すだけのつもりだった。
返却カウンターに本を置いて、そのまま帰ろうとする。
けれど、出口へ向かう途中で足が止まった。
奥の方に、見覚えのある横顔があった。
「……ひかる?」
声をかける。
ひかるがこちらを見た。
「こはく」
「何してるの?」
「調べもの」
ひかるがいたのは、小説や参考書の並ぶ場所ではなかった。
郷土資料。
昔の新聞。
この町で起きた出来事をまとめた資料。
普段なら、わざわざ近づこうとも思わない棚だった。
私はひかるの隣まで行く。
棚に並んだ古い新聞の背表紙を見る。
年ごとに分けられている。
その中に、見覚えのある数字があった。
父の事件が起きた年。
胸の奥が少しだけ固くなる。
「何調べてるの?」
今度は、ひかるの顔を見て聞いた。
ひかるはすぐには答えなかった。
「事件のこと」
「……私のお父さんの?」
「うん」
あっさり認めた。
私は棚を見る。
昨日までなら、ここに事件の記録があることなんて考えもしなかった。
ニュースになった。
新聞にも載った。
当たり前のことなのに。
紙になって、日付をつけられて、今もどこかに残っている。
「なんで?」
ひかるに聞く。
「知っておきたいから」
「何を?」
ひかるは少しだけ考えた。
「起きたこと」
昨日見つけた写真が頭に浮かぶ。
朝倉。
父の事件で亡くなった人と同じ名字。
そして今、ひかるは事件について調べている。
「朝倉さんのことも?」
聞くと、ひかるの目が少しだけ細くなった。
「なんでそう思うの?」
「だって」
そこまで言って、やめた。
昨日の話をしたばかりだ。
考えるのは自然なことだと思った。
「関係あるの?」
ひかるは古い新聞の並ぶ棚へ目を向けた。
「知ってることと、知らないことがある」
「それ、答えになってない」
「今は、それでいい」
少しだけ腹が立った。
「ひかるばっかり、ずるくない?」
「何が?」
「私のことは知ってるのに」
ひかるがこちらを見る。
「私は、今のひかるのことほとんど知らない」
どこに住んでいるのか。
どこの学校なのか。
今まで何をしていたのか。
聞いても、いつもちゃんとは返ってこない。
なのにひかるは、私の父の事件を知っていた。
昔の新聞まで調べている。
「……そうだな」
ひかるは否定しなかった。
「ごめん」
思っていなかった言葉が返ってきた。
私は少し驚いた。
「今はまだ、話せない」
「……そっか」
それ以上は聞かなかった。
ひかるが何かを隠している。
それはもう、たぶん間違いない。
ただ。
私に知られたくないことと、私を傷つけることは、同じではない。
私はそう思っていた。
「もう帰る?」
ひかるが聞いた。
「うん」
「一緒に行く?」
少し考える。
いつもなら、すぐに頷いていたと思う。
けれど今日は、
「先に帰ってて」
と言った。
ひかるが少し驚いた顔をする。
「どっか寄るの?」
「ちょっとだけ」
「そっか」
何も聞かなかった。
「じゃあ、またな」
「うん」
私は図書館を出た。
*
向かったのは、前にひかると入った小さな店だった。
細い道へ曲がる。
一人で通るのは初めてだった。
前に来たときより、少しだけ道が長く感じる。
店の前まで来て、足を止めた。
ガラス越しに、中を見る。
あの琥珀色のグラスも見えた。
今日は買うつもりはない。
欲しいものがあるわけでもない。
それでも、扉に手をかけた。
ベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
奥から声がした。
「こんにちは」
私は小さく頭を下げた。
前と同じ棚を見る。
透明なもの。
青いもの。
緑色のもの。
そして、琥珀色。
近くで見ると、前より少し濃い色に見えた。
手には取らなかった。
買わなかった。
店の中を一周して、外へ出る。
それだけなのに、少しだけ気分がよかった。
帰り道。
隣には誰もいなかった。
私はさっきの図書館を思い出す。
事件を調べていたひかる。
何かを隠しているひかる。
聞きたいことは増えた。
でも今は、答えを急がなくてもいいと思った。
次に会ったとき、また聞けばいい。
私は一人で、いつもの道へ戻った。




