それはあまりにも病的な愛で
――しばらく後の王都にて
カツカツカツと王宮の通路を小走りに進む足音が響いていた。人が絶えず出入りする王宮の中でも時折誰も彼もがいないかのように静まり返るときがあって、その静寂の中を一人の男が歩いている。やがて空のように高い天井を支える大きな円柱がいくつも聳え立つ一角へと足を踏み入れた時に、道先から細身の影が現れた。
「やあ、サリエル子爵じゃないか。久しぶりだな。」
呼び止める声に男の足音が止まる。声のする方へと男が視線を向けると、そこにいたのは国王の末息子フリードリヒ王太子だった。数週間ぶりに見た顔に、先を急いでいた子爵もすぐに笑顔になって足を止めた。
「おう。奇遇だな。まさか王都に帰ってから初めて王宮に来た時に会えるとは。」
「そりゃ、王宮は僕の家のようなものなんだから、当たり前だろう?」
どこかからかうような言い方をしつつも王太子は普段通りの人当たりの良い柔和な笑顔を見せながら屈託なく肩を揺らした。
「だからと言ってお前もいつもここにいるわけではないだろ。」
「それはそうなんだけどね。にしても久しぶりだね。数週間ぶりかい?どこ行ってた?」
「辺鄙なところにな。行商人も来ないような遠い遠いどっかの村だ。」
「なぜそんなとこに?……あー……もしかして僕の知らない間にどっかの国と小競り合いでもあったのかい?」
興味深そうに顔を覗き込んでくる王太子に、忌々しいように顔を渋らせて子爵は首を振った。
「それならばまだマシだったがな。ただの護衛だ。お前が気にしていた……あの違爵の護衛をさせられた。」
「君が?なんで?何の関りがあって?」
余りにもきょとんとした顔で王太子は不思議そうに首をかしげるものだから、子爵鵜も思わず笑んでしまいながら頭を振る。
「知らん。お命じになられた国王陛下にお前から尋ねてみてくれ。そんな仕事を命じられて本当に俺は疲れたんだ。」
大仰なため息とともに子爵が肩を落としてみると王太子は少し安堵したかのようににやにやと笑う。
「君はあの子に対して随分と腹を立ててからね。一緒にいて喧嘩したなんて言ってくれるなよ。」
「喧嘩はしたさ。いや喧嘩と言うか俺が一方的に腹を立ててばかりだったが。」
そこまで口に出したところでため息を漏らして子爵はさらに続ける。
「大体喧嘩どころか……ああ、いや、これはなんでもない。」
「なんだい?何を言いかけたんだ?まったく。どうにも剣呑だねえ。しかしそれじゃあ余計に仲悪くなって帰ってきたってことか。」
「……ううん……どうだろうなあ。」
はっきりと頷かなかったことで微妙に王太子は訝し気に子爵をねめつける。
「……何かあったのかい?」
「大したことはないが、まあ、お前が言っていたことも少しは理解したよ。確かにあいつはいつまでも流れ続ける川の水よりも真面目だし鋼よりも頑固だ。」
「ふうん?君よりも?」
「俺は自分が真面目だと思ったことはないがな。」
「それは嘘だよ。」
「ともかく見直しはした。」
「へえ、じゃあ逆にお友達にでもなってきたのかい?」
「いや、どちらかと言えば嫌われただろうさ。」
だが軽くそう言った子爵の顔は満更でもないように視線をそらしながらもどこを思い出して嬉しそうにしている。
その横顔を酷く冷静になった顔で王太子は見つめる。
「だったら、出来ればもう二度と会う気はないわけだ?」
「……いや……悪いことをしてな。その詫びをさせてくれとはいったよ。」
「詫び?」
「ああ、何でもいいんだが、とりあえず家に招待して饗応ぐらいはしてやろうかと。」
「ははあ、残念だなあ。」
「あん?」
意味が分からずに尋ね返そうとした瞬間、ふいと子爵は自らの腕が捩じりあげられる痛みを感じた。
「がっ!?……痛っ!?」
慌てて子爵が振り返るとそこには腕を捩じり上げ無表情に睨みつける兵士の顔があった。あまりの痛みに濁るような汗をかきながら子爵は睨み返す。
「な!なんだお前は!?無礼だぞ!?」
「あんまり暴れない方が良いよ。動くと肩が外れるかもしれないから。」
軽口のような口調ながらも、ひどく冷徹な声をして澄ました顔をした王太子が子爵の肩を叩いた。
「フリードリヒ?なんだ?これはお前の差し金か!?」
「そう。ちょっと着いて来てよ。」
「なんだ!おい、やめろ!」
叫び声をあげるが周囲には王太子と兵士たち以外には恐ろしいほどに人気がなく、そして数人の兵士が集まって子爵の体を無理やりに連行していく。やがて連れていかれたのは暗い、あまりにも真っ暗な部屋だった。何一つも見えないが、妙な獣臭を子爵の鼻は微妙に感じ取って心拍数が上がっていくのを感じていた。
「こ……ここは?」
腕を絞り上げられる痛みに脂汗をにじませながら子爵は王太子を睨みつける。
真っ暗な中で王太子は見えもしないだろうに肩を竦めてその睨みつける眼光に心外だとでもいいたいようであった。
「まあ、君は来たことがないだろうね。ここは凋落の塔の天辺だよ。栄典の塔の正反対にある部屋だ。」
まったくいつもの軽い調子で言いながら合図をすると、部屋の松明に火がともされる。途端と、部屋の中の異質な光景が子爵の眼前へと移される。部屋の全てが黒かった。それは暗いとかではなくどす黒い。それも何か色を塗られたというのでもない、ところどころに壁の地だろう岩くれの表面のような色も見えているが、大部分はそれを覆うようにしてしかも斑に妙に深く黒い色を呈している。その色が何の色か、戦争を渡ってきた子爵にはなんとなく分かった。
「血まみれの部屋だな……拷問部屋か?」
「処刑部屋だよ。」
冷徹な口調で吐き捨てながら、王太子は近くにあった椅子へと腰を下ろす。直後、まるで頭が高いとでも言わんばかりに兵士たちが腕を絞り上げ、無理やりに子爵を地面へと押し付ける。
「ぐぁ……っ!!」
唸り声をあげる子爵を見下ろしながら王太子は可哀そうでもないとでも言うのか呆れたようなため息を漏らした。
「君のような子爵には何の縁もないだろうけれど、構造上ここから対になっている栄典の塔と言うのはあの違爵が処刑する場合に使う部屋でね。こっちはそうじゃない。遺体を傷つけて殺しても構わないような人を処刑するための部屋だ。なんでここに連れてこられたかわかるかい?」
「分かるか……さっさと俺を開放しろ……!」
「なんで君がユリアと仲良くなろうとしてるんだい。あれは僕のだっていうのに。」
「はっ……?」
一瞬虚を突かれたように目を丸くした子爵は次の瞬間噴き出すように笑い出した。
「ハハハッハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
「なんだ、気でも狂ったのか?」
「ハハハッハハ!なんだお前、フリードリヒ、お前、あの女に惚れていたのか!?」
嘲笑われて王太子は不快そうに子爵を睨みつける。
「何がおかしい。」
「ふふふ、いや、良いさ。まあ分かるよ。あれが良い女なのは。ハハハ。いや、だがなあ、お前には無理だよあれは。」
「なるほど。死にたいようだね。死ぬ前に話だけは聞いてあげようか?」
「ハハハッ……お前が惚れていたとしても……あの女は言わんと分からんぞ。お前みたいにすかしているようじゃ……。ふふ……。」
思わず笑ってしまいながら言った子爵の頭にあったのはあの村で会った老夫妻のことだった。
「言わないとわからん。いや……あの女の場合は言っても分らんか。あの石頭じゃな。ふふふふふふ。フリードリヒ、お前程度の器量じゃ無理だ。」
「そう……。言い残すことはそれだけ?」
冷静な答えだった。
それはもう殺すことが決まっているから怒る必要すらもないと割り切っているからこそ出る冷たい言葉だった。
それに子爵は「ハン」と悪態をついて見せる。
「……まさか男の嫉妬で死ぬとは思わなかった。」
「何とでも言うが良いさ。」
「……一つだけ聞かせてくれ。スミスを……うちの兵士に金を渡して俺と違爵を殺させようとしたのはお前か?」
「君の兵士を?何の話だ……。まさかユリアを殺そうとしてるやつが……?」
ぶつぶつとフリードリヒ王太子は考え始めるのをみて、子爵は多少意外な気持ちだった。
「お前じゃないのか。」
「僕がユリアを危険にさらすわけないだろう。」
「ああそれもそうか……じゃあ最後に。家族には戦って死んだと言ってくれると嬉しい。」
「道端の犬に食われて死んだって伝えておくよ。」
その言葉を合図に、子爵の首は勢いよく振り下ろされた大きな斧で真っ平に切り捨てられていた。
血しぶきで黒く染まっていた地面に首が転がり落ちて、その上に新鮮な真っ赤な血が降り注いでやがてそれも酸化しながら粘っこく黒ずんでいくのだった。足元に転がってきた頭を足先で軽く蹴飛ばして王太子はつまらなさそうに部屋の片隅へと視線を向ける。そこには何もない。何もないから見るのに苦痛ではなかった。
「君の馴れ馴れしいところが嫌いだったよ。父上がそういう相手を一人は作れとか言うから仕方なかったけど。気持ち悪かったなあ。」
言いながら昔触れられていたことを思い出してか、知らず王太子は自分の肩を何度も払っていた。




