人が地に還り、故国に帰り、そして変わるとき
――村を出て
軽く霧に包まれた森の側道を馬に乗った令嬢たちがゆっくりと進んでいた。空はこんな日もこの国の日常として分厚い雲を纏い、しかし雨を零れ落とす気配もしばらくは見えない。隊列を組む皆の表情は重たくて、令嬢たちは言うに知れず、護衛として付き添う兵士たちもリーダー格だったスミスが死んだことにショックを隠せず俯いたまま道を進む。
あれから奥方の死を偽装して、村長夫妻の死去を伝えたことで村は大慌てになっていた。一時、若返った姿に困惑して本当にこの死体が奥方であるのか紛糾したが、過去を知る人が確かめて奥方本人だということで夫婦で同じ墓地へと埋葬されることにはなったようだった。それとは別に令嬢たちが殺したのではないかという噂もたったが、相手が貴族であるためか表立っては追及されず、そのまま一行は見送りもされずに気まずいままに村を立ち去ったのだった。
それが余計に一行の重苦しさに拍車をかけたのだろう。来るときにはあった多少の会話も、帰りの道では殆ど聞かれなくなっていた。
やがて日が暮れ始めて一行は宿営を始めていく。それでも来た時と同じように兵士たちは手際よく焚火を上げて野営地を構築していく。粛々とだが手際よく作業をしていく兵士たちの姿に、もしかしたら人の死にも慣れているのかもしれないと令嬢はなんとなく感じながらも、失礼な感想だったかと首を振る。
やはり焚火から離れて寝床を用意して座り込んで侍女の入れてくれた白湯を飲んでいると、ふと目の前に子爵が歩み寄ってきた。
背の高い子爵は座り込んだ令嬢を見下ろしてしばらく押し黙っていたが、軽く地面へと視線を向けた後にやはり令嬢へと顔を向けなおし、そしてしゃがみ込んで視線を合わてくるのだった。
「話したいことがある。」
「てっきり、私とはもう話したくないのだと思っていました。」
「思わなくもない。だが考えてもどうしてもわからないことがある。王都に戻って分かれる前に聞いておきたい。そもそもなぜ奥方は毒なんて持っていたんだ?」
「ああ、それは私も気になりました。」
そう言って隣にいた侍女も興味深そうに令嬢の顔を覗き込んでくる。
躊躇ってしばらく押し黙った後に令嬢は仕方なく口を開く。
「……推測ですが構いませんか?」
その言葉に二人は頷いた。
「恐らくですが。奥方様は村長を殺そうとしていたのではないでしょうか。」
「はあ?」
素っ頓狂な声を上げたのは子爵だった。
「何を言っている。死の後を追うほどに愛していたのだろう?」
「昔の話ですよ。あの箱は随分と埃が積もっていました。重ねて言いますがこれは推察として、ですが、奥方様は村長がわざと友人を助けなかったことを理解していたのではないでしょうか。」
きょとんとした後に子爵は横にいる侍女へと顔を向ける。
「言っていることが分かるか?」
「ああ……ちょっとは……。つまり奥方様は好きだったその友人、ウィリアム様ですか。その方を殺されたんだと、恨んでしまって殺そうと毒をもっていたと。そういう事ですか?」
侍女の言葉に令嬢は軽く頷く。
「恐らくは、ですが。最初は村長と結婚し生活を共にするうちに食事に毒を混ぜて殺すことでも考えたのでしょう。だから結婚も了承して砒毒も手に入れた。」
「じゃあなぜそれで殺さなかった。」
「人はそんなに単純なものではないですよ。共に暮らしているあいだに積もる情と言うのもありましょう。村長も明るさを無くすほどに後悔していたわけですから。」
「それで絆されたとでも言うのか。」
「あるいはやはり人殺しは恐ろしかったのかもしれません。結局、奥方様は毒を使えずに共に|御髪≪みぐし≫が白くなるまで歳月を重ねてしまった。そこまできたら、もう良いとも思っていたでしょうね。」
「そこに私たちが来てしまった……。」
割り込むようにぽつりと侍女が言った。
その言葉に令嬢も頷く。
そこには激しい後悔の表情が刻まれていて、令嬢は二人の顔も見られず自分の飲むコップの中の水面を見つめ続けている。
「ですから私のせいです。」
ぽつりと言った令嬢の言葉に、眉を顰めながら押し黙っていた子爵は、しかし我慢できないように首を振った。
「おまえのせいではない。おまえは仕事をしただけだ。」
「止まった時を動かしてしまったのが私なのです。」
「そうなる運命だっただけだ。彼らは老人だった。いつかは人は死ぬ。それが昨日だったのか明日だったのか、それだけだ。」
「昨日か明日かは大きな違いですよ。」
「俺は認めん……。」
「そうですか……。」
ただ堪えられないように悲しそうに令嬢は俯き、それ以上には何も言えずぎゅっと自分の手を握っていた。あまりにも細くそして寄る辺がなかった。しばらく目をそらしていた子爵は一度大きく息をすい、そして覚悟したように口を開く。
「おまえは役目を果たしただけだ。」
「もう聞きました、それは。」
「違う。俺は謝りたいんだ……。あのとき村長の部屋でお前を叩いてしまったことを。お前はただ自分の仕事に必要なことをしただけだった。わざわざ人の過去を暴いて、それで楽しむような人間ではないことは奥方の時に強く理解した。だからさっきまでそれをずっと考えていた。ただ俺が興味本位でお前を付け回った結果として、本来聞くべきでなかった俺までもが老人の過去を聞いてしまっただけじゃないかと。だから、あの時、お前を叩いたことは、本当にすまない。本当に……すまなかった。」
「気にしていません。」
「しかし……。」
顔に手を当てて酷く後悔した表情を何度も浮かび上がらせた後に子爵は再び口を開く。
「俺にどうにか謝らせてくれ。何か詫びがしたい。……そうだ、俺の故郷のカントリーハウスに来てくれないか。ささやかだが饗応ぐらいはできると思う。」
それを聞いて隣の侍女がなぜか目を見開いて顔を真っ赤にした。
一方で令嬢はそれを聞いても全くと言っていいほど表情を変えずにうんともすんとも、首を縦にも横にも振ろうとしない。
ただ一言「……考えておきます」とだけ答えたのだった。
「分かった。断ってくれても良い、だが招待状だけは送っておく。」
その言葉にだけ令嬢は頷いたのをみて、諦めたように子爵は立ち上がり兵士たちの囲む焚火の元へと戻っていった。
星も見えないほどに分厚い雲の下の夜は余りにも暗くて立ち並ぶ木々の向こう側は影一つすら目視できない。闇の向こう側にあるものをじっと見つめようとして令嬢は視線を向けたまま、ただ軽い白い息を吐いて、それが揺らぎかき消えていくのをむなしく感じていた。




